09 焼き肉はギリシャ(3,506文字)
「泥酔すること、へべれけって言うやろ? なんで、へべれけって言うか知っとるか?」
今日は会社の先輩とサシ飲み。二人で焼き肉屋に来ている。先輩といっても、もう定年を過ぎ再雇用で働いており、私の親父より歳上、なんなら爺ちゃんのほうが少し歳が近いぐらいなので、孫のように可愛がってくれる大好きな先輩だ。
「へべれけってのはなぁ、実はギリシャ語のヘーベ・エリュエケが語源って説があるんや。へーべって名前の女神様がお酌をするって意味でな、この女神様ちゅーんが、えらいべっぴんさんなんで、そんな人にお酌してもろたら、そら、飲み過ぎてベロベロになるわってな。それで、ヘーベエリュエケ、ヘーベエレーケ、へべエレケ、へべれけっちゅうわけやわ」
「えー、ほんまですかぁ?」
「まぁ、そういう説もあるっちゅー話や」
「まぁ、確かに、日本語やと思てた言葉が、ラテン語やポルトガル語が語源ってのも多いですしね」
「せやろ。そぉ言うたら焼き肉なんか、ほとんどがギリシャ神話から来てんねんで」
「またまたぁ、ほとんどってどういうことです?」
「そやなぁ、わかりやすいとこやと……最初に食うたタンな。あれはギリシャ神話に出てくるタンタロスっていう王様の名前から来てんねん。この王様は人間なんやけど、神様……ゼウスって知っとるやろ?」
「ゼウスって、全知全能の? なんとなくは知ってますわ」
「そう、そのゼウスさん……そういえば、へべれけのヘーベさんは、ゼウスさんの娘さんやったわ」
「へぇ、そうなんですね」
「そう。で、なんやったっけ? そや、そのタンタロスって王さんがゼウスさんと仲が良くてな、それで神さんの食べもん飲み食いして死なへん体になったんさ。けど、ある宴会で神さん達を試すために内緒で酷いことをしてな……ちょっとえぐい話で食欲無くしそうやけど、聴きたい?」
「いや、ちょっと遠慮しときます」
「ほったら、またそこは別の機会で。で、その罰で果物の木の枝に吊されて、永遠に食べもんに手が届かへんようにされたんやて。目の前の果物を食べよ思て手を伸ばしても、必ず風が吹いたりして逃げよるんや」
「それはキツいなぁ」
「そのうえ、死なへん体やろ、永遠にじらし続けられるわけや。で、舌先三寸で神様を試そうとした愚かな王、タンタロスの名前から、ベロのことをタンて言うようになったんやて」
「へぇ、なんやそないスラスラ喋られたら、ほんまかと思てまいますわ」
「なんや、いまいち信じてへんな? ほんなら、このカルビ、これはなんか分かるか?」
「カルビ……そんな名前の神さんは知らんわぁ」
「これはなぁ、ポセイドンって海の神さんは知っとるやろ? それとガイアっていう大地の女神さん、っていうか地球の女神さんかな、この二人の間に娘が生まれたんや」
「なんや、私でも知ってる超大物達の子供なんやな」
「そう、やけどな、このカリュブディスって娘がえらい大食いでな、ヘラクレスの連れとった牛……牛いうてもゲリュオンっていう頭が三つで手足が六つずつある怪物やねんけど、これを盗んで食うてしもたんや」
「ヘラクレスも知ってるわ。ってかそんな化けもん、よぉ食う気になったな」
「せやな、大食いとかそういう問題ちゃうよな。で、これまたゼウスさんの罰で、今度は怪物の姿にされて、海に放たれたんやと。けど大食いなままで渦潮の化身みたいになって、食事のためにあらゆる物を飲み込むようになったんやて」
「それ、罰になってへん気ぃするけど」
「やよなぁ。で、そんなカリュブディスみたいに、見境なく食うてしまいそうなほど旨い部位に、カリュブディス、カリュブス、カルヴス、カルビて名前が付いたんやと」
「それは、さすがにキビしないです?」
「ほんなら、こっちのハラミは、どや? まず、愛と美と性の女神アプロディーテってのがおってな」
「これまた名前は知っとるわ」
「せやろ、で、その娘に調和を司るハルモニアって女神がおってな、これはほぼそのままやけど、ハーモニー、つまり調和の語源でもある。で、濃厚なコクと旨味の絶妙なハーモニーから、ハルモニアが訛ってハラミになったんやと」
「ちょいちょい! ハルモニアからハラミの間変わってくとこすっとばしてますやん。やっぱ無理あるからやろ」
「いやいや、そのくだりもぉええかなて。時短や時短」
「まぁ、ええですけど」
「ほんで、ハルモニアの話には続きがあってな、このハルモニアに子供が六人生まれるんやけど、その内の一人がセメレーって娘なんやけどな、その娘が、なんとあのゼウスさんの愛人なんや……まぁ話すと長くなるけど、セメレー、センメレー、センメェレ、センメェ、センマイ!ばんざーい!」
「いやいやいや、雑! 絶対センマイ関係ないですやん!」
「いやいや、ほんなことあらへんて。ほんなら、このミノはどや?」
「ミノ、ミノ……まさか、ミノタウロスとか言うんちゃいますよね?」
「正解! ミノタウロスや、よぉわかったな!」
「わかりますて、これはちゃんと話あるんでしょうね?」
「もちろんあるで。まず、ゼウスさんの子供でミノス王って王さんがおってな、この人ポセイドンにお願いして白い綺麗な雄牛をもろたんや。でも、あとでこの牛は生贄に捧げるって約束でもろたんやと」
「ん? 後で生贄て、どぉいうこと?」
「よぉわからんけど、後で返してなってことなんかな? でも、ミノス王は白い牛に夢中になってしもたんで、別の牛を生贄にしたんやて」
「あ、これまた、よぉわからん神罰が下るやつや」
「正解! 怒ったポセイドンは、ミノス王のお后さんに呪いをかけた」
「なんでお后さんに?!」
「わからんよなぁ、で、その呪いってのが……お后さんが白い雄牛に性的な欲望を抱くようにしたんやと」
「うわー! 思った以上に、よぉわからん」
「嫁さんが牛にメロメロになってもぉたら、そらショックやろけど、なんか他になかったんかってな」
「ほんまに」
「で、なんやかんやあって、お后さんと牛の間にミノタウロスが生まれて、そういうわけで、四つある牛の胃袋の一番最初のやつを、ミノタウロスの名前からミノって呼ぶようになったんや」
「いやいやいや、どういうわけ?!」
「そこは、まぁ、その、なんやかんやあったんさ」
「ほんま、だんだん雑になってきますやん。あ、飲みもん次なんにします?」
「ほな、わしコークハイで」
「好きですよねぇ、コークハイ」
「せやな。そや、コークハイ言うたら、これまたゼウスさんの息子にアポロンってのがおってな」
「これも知ってるわ。太陽神のアポロン、弓持ってるイメージやな」
「そうそれ。このアポロンさん、コロニスっていうラブラブな彼女がおったんやけど、なんせ太陽の神さんなんで、東から西へ毎日地球を回り続けとらなあかん。そやからコロニスと長いこと一緒におられへん」
「それは辛いなぁ」
「そこで、アポロンは一羽のカラスに伝令役をお願いした。この頃のカラスは純白の体で、しかも言葉も喋れたらしい。そんで、毎日二人の間を往復しながら近況を伝え合ってたんやて」
「今ならスマホでいつでも繋がれるけど、そんな大昔やったら無理ですもんねぇ」
「せやな。ほんである日、カラスは道草してて遅れてしもた。そしたらコロニスの家に若い男が入ってくのを見てしもたんや」
「不倫相手とか?」
「急いでたカラスは、そう勘違いしたんやけど、この男はコロニスの兄ぃさんやった。でもそんなこと知らへんカラスは、ろくに調べもせず慌ててアポロンの所へ行って、不倫と決め付けて、嘘も交えながらあること無いことベラベラ喋ったんやと」
「あぁ……また神罰案件やな」
「せやな。けど、それはもぉちょい先の話。で、アポロンがコロニスの家に駆けつけた。すると、ちょうど家から出てきた男を空から矢で射抜いた」
「あちゃー」
「と思ったら、その時家から出てきたんは、窓から眺めとった空にアポロンの姿が見えて、喜んで出てきたコロニスやった」
「うわー……」
「大怪我しながらも、一緒におったんは兄ぃさんやと説明するコロニス。で、アポロンの懸命な治療も虚しく息をひきとる。すると怒りの矛先はカラスに」
「まぁ、当然やけど……ちょっと逆ギレ感っていうか、やったんアポロンさんですやん」
「やよなぁ。けど、カラスが嘘つかんと話しとったら、こうはならへんだわけやし。で、罰として綺麗な白い体を真っ黒にして、言葉も喋れへんようにされたんやと」
「まぁ、ある意味、普通の鳥になっただけやし、嘘つかれることもなくなるし、良いんかな」
「そやから、ギリシャではカラスと言えば嘘つき」
「なるほど」
「ほんで、ギリシャ語でカラスはコーラカス。やから、わしは昔からコーラが好きなんや」