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短編置場  作者: NANJAA
7/9

07 お月さん【ノンフィクション】

 ちょっとしたことで父が入院した。私の記憶では、それまで父は入院などしたことなく、その時も数日で退院できる見込みだった。

 たが、なにかとネガティブ思考の父は、入院中は後ろ向きな発言を繰り返し、精神面からか、病院食では少なかったのか、どんどん痩せていった。

 元々太り気味ではあったんで、丁度良いとも言えたけど。


 そんな中、母に呼ばれ実家に兄妹三人が集まった。


 私と妹は、入院中の父の事かと思っていたが、思いも寄らない話を聞かされた。


 母の癌が見つかったと。


 大腸癌のステージ4で、手術での切除も難しい状態とのこと。


 そういえば以前、便が異常に細いとか、黒い時があるとか相談をされたことがある。

 その時はさほど気にして調べたりせず、

「なんやろなぁ?自分ではわからんから、気になるなら病院行ってみたら?」

と軽く返事したと思う。


 今思えば、病院嫌いの母はそのぐらいの言い方では、病院へ行く選択をしなくて当然だった。

 あの時、もう少し調べて、早く病院へ行くよう促していれば…


 ただ救いなのは、母は父とは違い、とにかく明るくポジティブなこと。

 それもあって、その日は思ったよりも冷静に皆で話が出来た。

 なので、皆の心配事は…父にどう打ち明けるか。

 ネガティブ思考の父のこと、入院中にそんな話をしようものなら、そのまま退院出来ない程弱ってしまうだろう。

 そこで、父には退院後に伝えることに。


 独りで家まで帰る車の中、色んな感情や思考が渦巻いたが、運転に支障をきたしてはいけないと、必死にそれらに蓋をしながら、いつも以上の安全運転に努めた。

…実際には、注意力散漫な危険運転になってしまっていたかも知れないが。


 そして父が退院してから、また実家に集まった。父の退院祝いとして。

 今思えば、家族5人だけで集まったのって、自分の結婚式前夜以来やったかも。それ以降はいつも妻や子供と一緒に行ってたんで。


 なので勘の悪い父も、何か大事な話があるとは悟ったようだったが、流れ的に、父自身の身体に何かあるのかと思ったようだ。

 そこで、母の癌のことを告げると、流石にショックを受けていたが、想像したよりは冷静に話が出来た。


 それから、母の闘病生活が始まった。


 私は以前から抗癌剤に否定的だったこともあり、免疫療法中心で進めることを提案し、兄は抗癌剤を含めた標準治療を主張、妹は正直よくわからないが母の思いを優先すると。

 色々話し合った結果、セカンドオピニオンとして、免疫療法のクリニックでも診てもらうことに。


 そして、母の意向もあり、しばらく免疫療法のクリニックに通う。

 あと、食事面でも免疫力向上に良いとされるものを色々と。もちろん無理なく、出来れば美味しく飲み食い出来るもので。

 精神的な部分も大きいとは思うものの、母は幾分元気になった。いや、元々ずっと元気で、笑いが絶えない母のままではあったんで、症状が和らいだといったところか。


 その後、検査等のために総合病院に母を連れて行った際、標準治療を薦める医師が言った言葉が忘れられない。


「クリニックは責任取りませんからね」


すぐに言い返した


「じゃあ、ここは責任取ってくれるんですね?」


それを言った内科医も、一緒にいた緩和病棟の医師も、何も言い返せずに黙ってた。


 帰り道、母が


「あの時は同じこと思ったけど、あんたがズバッと言うてくれてスッキリしたわ」


と楽しそうに言うてた。


 当時、兄妹の中では一番自由に休めた私が病院へ連れて行くことが多かった。

 その度に一緒にランチに行ったり、花を見に行ったり、毎回楽しい時間を過ごした。


 父の古希祝で、孫含め十二人、一族全員で旅行に行ったりもした。

 他にも、子供達の運動会やピアノの発表会にも、ほぼ欠かさず来てくれた。

 皆が集まると、その中心にはいつも母がいた。病気の前から変わらず、ずっと。


 後になって兄から聞いたが、初めの時点で、余命数ヶ月と告げられていたとのこと。

 それをゆうに越えて、言われなければ他人は誰も気付かないぐらい、それまで通り元気な母のままだった。

 ただ、昔から母は辛くても表に出さないタイプではあったけど…


 実は、母の母、私の祖母は、それよりずいぶん前から母と同じ大腸癌で、人工肛門の手術を受けた後、自宅療養をしていた。

 なので、母は祖母には自分の病気のことは言わず、

「母ちゃんより先に死ぬわけにはいかん」

と頑張ってた。


 そして、祖母は母の病気を知ることなく旅立った。


 そんな気丈な母のこと、自分の兄妹達、私の伯父さんや叔母さん達にもずっと隠し通した。


 ただ、クリニックから総合病院に移り、標準治療も開始してからは、抗癌剤の影響が外見に出始めたり、入退院を繰り返したり、なんやかんや言うてごまかしてたものの、叔母さん達は勘付いてたと思う。


 そんなこんなで病気発覚から3年以上、その間、肺への転移等で体調不良の日も多くなったりしたものの、比較的元気に過ごしてたある日、脳への転移で言語障害が出始めた。


 内科的処置や、ガンマナイフ等では回復は見込めない、開頭手術なら回復する見込みは充分あるとの脳神経外科医の言葉を信じ、手術することに。


 手術前には、みるみる状態が悪くなり、もう「あぁ」とか「うぅ」とかしか発せられない状態に。


 皆で折り鶴を折りながら手術を待つ。


 無事に手術が終わると…びっくりするぐらい普通に喋れるように。凄すぎて笑った。てか皆で泣き笑い。


 またしばらくは、それまでの生活に戻れた。


 だが、ついに得意の痩せ我慢にも限界が来た母は、緩和病棟への入院を希望する。


 入院時に付き添った妹から聞いた話、家中の至る所で手を合わせ、これまでの感謝を伝えていたとのこと。


 そして見舞いに行くと、時はコロナ騒動真っ只中。病室には一人ずつしか入れませんやて。なんやねんそれ?ふざけんな。一人ずつ順番に三人が入るんと、三人同時に入るんとで、感染リスクとやらになんの違いがあんねん?あと、最初に面会者のリストに記入した五人しかあかんとかなんやねん?

 と、イライラさせられっぱなしやった。いや、これは一般病棟におった時からか。

 でも、緩和病棟はそのあたりも少し融通きくって話とちごたっけ?


 緩和病棟に入ってから丁度一週間。現場で仕事中に妹から連絡が入った。母の容態が急変したから、すぐに来てほしいと。

 仕事の続きを後輩に任せ、急いで病院へ向かう。


 さすがに、この日は父、兄、妹と一緒に入れた。

 そして、医者から今日明日が山やと言われる。


 家から着替えを持って来がてら、妻が子供達を連れて病院へ来てくれた。あと妹の旦那と子供達も。


 が…病室へは入れず。やから、なんでやねん!(怒)


 で、駐車場で荷物を受け取り、その後は交替で仮眠をとることに。

 まずは父と妹に任せて、兄と自分が仮眠…


 しばらくすると、妹が駆け込んできた。


 急だった。まだ温かい母の手を握ったり、肩を叩いたり、僅かな希望をもって心臓あたりを押してみたり。


 その後、医師からの死亡宣告で、現実を受け入れる。

 十一月二十七日、我が家に、増えてほしくない記念日が一つ増えた。


 少しだけ落ち着いてから、妻に連絡を入れる。電話ではなくメッセージアプリで。夜中だったので子供達には朝起きてから伝えてもらうように。


ーーー


 母は、自分の病気を知ってから、色々と準備をしていた。家の片付けは勿論、母名義の土地があったんで相続でもめないようにと、公証役場で遺言書を作ったり。

 手帳には、家のどこに何がしまってあるだとか、もしもの時にすぐに連絡して欲しい身内や友人、葬儀後に連絡して欲しい友人のリストとか、葬儀の手配はここに連絡するだとか、あらゆることを想定して、時には冗談混じりに記されていた。


 そんな母が残したカレンダー、亡くなった翌月、十二月は我が家の子供二人の誕生月。それぞれの誕生日には「○○ちゃん●才おめでとう」の文字が。

 そして、十二月のカレンダー余白には、忘れられない書き込みが…


「◆◆、◇◇ちゃんの入学祝いしてあげたいなぁ~、二人の制服姿見れたらいいなぁ~」


ーーー


 それと、母が残した大切な言葉。


「お月さんになって、みんなを見守るわ」


 母は、よく太陽や向日葵に例えられるような、とにかく明るい人柄やったけど、母曰く、


「太陽になって見守るって言うと、皆からは見てもらえへん、それは寂しいで月にしよかな♪月なら皆からもずっと眺めてもらえるし」


 あと、月も太陽みたいに、どこまで行っても付いて来るし、見守るにはぴったりかな。


 それを伝えた後、夜空に向かい婆ちゃんに呼びかける子供達。


 私達にとって、月は特別な存在になりました。


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