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第64話  蒲生賢秀

「いや、三介殿を単なるうつけと見てはいかんな。あの御仁は間違いなく天賦の才がある。いずれ天下一の名人となられるやも知れん。流石織田の血を引くだけはある」

伊賀への行軍の最中、蒲生忠三郎は馬上で家臣達に語り掛けた。

心底感嘆しているようであるから、北畠三介こと織田信雄の能は余程のものだったのだろう。

だが勝成や他の家臣達は、

「はあ、そうでございますか」

と気の抜けた返事をするしかなかった。

実際にこの目でみてもいない芸を絶賛されたところで反応に困るということもあるが、

(いくら能に天賦の才があるとはいえ、三介殿が武にも政にも全く身を入れぬうつけであることには変わらぬではないか)

というのが本音であった。

どうも主君は千宗易に茶の湯を習い出してから、芸事とその才を持つ者を過剰に賛美する傾向があるように思われる。

(いや、それだけではあるまい)

勝成は銀鯰尾兜を被った主君の朗らかな表情を見ながら思った。

(やはりトノは此度の戦がどこか馬鹿馬鹿しく思っておられるのだろう。敵がサムライではなくシノビという下賤の者であること。圧倒的な大軍に戦上手な大将揃いで負ける要素がまるで無い故、どうしても気が乗らぬのではあるまいか)

おそらくそうだろう。織田家生え抜きの名将にも劣らぬ戦巧者、荒木村重率いる勇猛な有岡武士と戦った時ほどの興奮を得ることは叶うまいと見切ってしまっているのだ。

(それに、本音では三介とやら言う腑抜けの愚か者の指揮で戦うことにも不服なのではないか。それ故三介の芸の才を褒めることで己を無理やり納得させようとしているのかも知れないな)

勝成はそうも思ったが、これ以上主君の真情を推測するのは不遜であるから、考えを打ち切った。

そして勝成は此度の合戦の舞台となる伊賀の山々に視線を向けた。

幾重にも重なる稜線は、まるで巨大な獣の背びれのようで、水のように静まった空を狭く切り取っている。

勝成の祖国イタリーの陽光が降り注ぐ丘とは似ても似つかない、湿った土の匂いと、陽光を拒む深い樹海は、まさに闇の住人たるシノビの本拠地に相応しいと言えるだろう。

「攻めにくく、守りやすい土地だな。思っていた以上に手こずるのではないか?」

勝成は横内喜内に語り掛けた。

「ふむ。まあ、確かにかつて三介殿はそれで痛い目に合わされた。殿を始め、他の大将方もよく分かっておられるから、此度は大丈夫であろう」

喜内は悠然と答えた。彼も今度の合戦は苦戦する要素は無いと考えているらしい。

「本当にそうかな?油断していると足元をすくわれるやも知れんぞ」

「どうした?やけに弱気ではないか。お主らしくもない」

喜内はからかうように言った。

「どうも嫌な予感がするのだ」

勝成は喜内の軽口をいなす余裕が無く、真剣な表情で言った。

「まあ、シノビという俺には全く得体の知れぬ敵が相手だからかも知れんが……」

「成程な」

勝成の様子を見て、軽口で応ずるべきではないと喜内は判断したのだろう。真面目な表情で頷いた。

「確かに敵は紛れもなく一度織田家の軍を破っているのだ。絶対に油断は禁物だ。それに奴らは武士でない。外道邪法も厭わぬ者共だ。姿を変えて殿や他の大将に近づき、毒を塗った刃を振るうといった手段を用いるやも知れぬ。我らが目を光らせておかねばな」

「その通りだ」

最も信頼する朋友が己と同じ危機感を持ってくれたことで、勝成はようやく笑みを浮かべることが出来た。

湿った土と腐った葉の匂いが鼻孔を突く。

(敵はシノビだけではない。暗緑色の深淵、伊賀の連峰そのものが敵になるかも知れん)

そして再び主君に視線を向けた。この時かぞえで二十六歳になった武将の隣には初老の武士がいる。

(此度はトノの父君が共に戦われるのだ。失敗は許されぬ)

蒲生忠三郎賦秀の父、蒲生権太郎蒲生賢秀(かたひで)である。

すらりとした長身の忠三郎と違って、中背のずんぐりとした体形で、顔立ちもあまり似ていない。

忠三郎は母方の血を濃く受け継いでいるのだろう。

この父子は外見だけではなく性格、気性も似ていないというべきだろう。

まばゆいばかりに才気活発で、戦においては炎のように勇猛果敢な息子に比べ、父は何事にも慎重すぎる程慎重で武勇においては凡庸と言うしかない。

そのことは誰よりも賢秀その人が弁えているのだろう。早くに家督を息子に譲り、合戦に出ることなく本拠に留守居を務めるのがほとんであった。

徹頭徹尾己の分というものを弁えた陰性ながら聡明な人物と言えるだろう。

(それが此度の合戦には出陣なされたのは何故なのだろうか?まあ、いい。良い機会だ。何としても目覚ましい武勲を立てて父君に認めてもらわねば)

進取の気性に富んだ忠三郎賦秀と違い、何事にも保守的で慣行を重んずる権太郎賢秀が家中に南蛮人の家臣がいることを快く思っていないのは容易に想像できる。

息子の決定、人事に表立って反対はしていないが、  

「南蛮人の切支丹を武士に取り立てるなど、神仏の怒りを招くのではないか?忠三郎のおかげで興隆しつつある蒲生家の武運が尽きるやも知れんぞ」                    とを極少数の側近に漏らしたという噂を耳にしたことがある。

(まあ、無理もあるまい。逆に考えてみれば、聖ヨハネ騎士団が仏教徒のサムライを騎士に取り立てるなど絶対にあり得ないことだしな。異教徒、異人を取り立てるということを平然と行う我がトノはやはり特別なのだ)

人間という生き物は本来保守的で己と違う外見、慣習を持つ者に嫌悪、拒否感を抱くものである。それは己の命、生活を守る為という本能に基づくものだろう。異教徒や異人種をおぞましき存在と見なし忌み嫌うのはヨーロッパ人もジャポネーゼも全く変わらない。

主君、蒲生忠三郎賦秀の威光のおかげで直接的な差別や偏見から守られてはいるが、山科勝成ことジョバンニ・ロルテスを人間ではなく獣同然の存在と見なす者の方が数多いというのが現実である。

(だが、それでも……!)

己はこの国でサムライとして生きていく、主君を真の王にする為に命を捧げると誓ったのである。

なにもこの国の人々から西洋人への偏見をなくす為、などと大層な事を考えている訳ではない。

己の命を真に燃やし続ける場所はここ以外に無いという確信が揺るぎないからであった。


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