第62話 ノブナガを撃った男
こうして伊賀侵攻に加わることが決定した蒲生家は戦準備に取り掛かった。
鉄砲足軽隊を任されている勝成も最後の仕上げとばかりにさらに厳しく調練に臨んだ。
「よし、撃て!」
勝成の号令で鉄砲足軽達が一糸乱れるず、一瞬の遅延も無く一斉に射撃を行った。
「うむ」
勝成は満足げに微笑んだ。
荒木討伐の功績で勝成は主君蒲生賦秀から二百石を賜っている。二百石の武士が動員する兵は約二十名となっているので、勝成直属の兵は二十名に過ぎないが、賦秀からさらに三十の兵が貸し与えられている。
この合わせて五十名こそが勝成が率いる鉄砲部隊であった。
(この者達の狙撃の精度、鉄砲戦術は未だあの織田軍を散々苦しめた根来衆には遠く及ぶまい。しかしいずれ必ずこの俺の手で根来衆をも超えるジャッポーネ最強の鉄砲部隊に育て上げてみせるぞ)
この五十名を中核にし、更に武功を上げて多くの兵を動員する身分となって鉄砲部隊を拡大し、更に鍛え上げ最強の部隊とする。
これが勝成の当面における課題であり、野心であった。
「これなら手ごわき伊賀の忍び相手にも通用しますな」
勝成にそう言ったのは、奉公人の犬飼権八郎である。
奉公人といっても足軽の身分なので戦には幾度か出ており、槍も鉄砲もそこそこ使える。
だがそれ以上に何かとよく気が付き、武家に必要な雑用を迅速かつ堅実にこなす為、勝成にとってなくてはならぬ人補佐役であった。
「伊賀の忍びとはそれ程厄介な相手か?」
勝成は権八郎に問うた。権八郎は勝成より少し年長であり、これまで苦労の多い人生を過ごしたらしく、慎重で思慮深い故、その意見は傾聴に値した。
「まあ、此度は圧倒的な大軍、しかも名だたる戦上手の大将が幾人も揃いますので、敗れることは万に一つも無いとは思いますが……。しかし、どうも織田方にとって伊賀の忍びは相性が悪いと申しますか、良くない運勢を持ち込む厄介な者共のように思われますな」
権八郎はえらの張った四角い顔でお世辞にも美男とは言えないが、その細い眼には鋭い知性をうかがわせる炯炯たる光が宿っていた。
「先に北畠三介様の軍勢を打ち負かしたこともそうですが、その御父君を狙撃し、御命を危うくしたのもまた、伊賀の忍びであったと聞いております」
「な、何!ノブナガ殿を狙撃しただと?そんな男がいたのか!」
初耳であった。勝成が蒲生家に仕えて数年の月日が流れているが、この話は聞いたことが無い。
蒲生家の上級武士、いやおそらくは他家にあってもこの話は禁忌となっているのかも知れない。
無理もないと言えるだろう。
(俺より先に、ノブナガへの狙撃を試みた人間がいたとは……」
衝撃と同時に、深く大きな敗北感が勝成の胸中を穿った。
天下人への狙撃、暗殺に挑戦する天をも恐れぬ大胆不敵な男はこの山科勝成が唯一であり、最初にして最後の存在として、例えそれが悪名であっても千載の後まで歴史に記されるべきだと思っていたのだ。
(だが、これでは単なる二番煎じになってしまうではないか)
「そ、その男の名は?」
「確か、杉谷善住坊という名だったと……」
勝成の反応を訝し気に眺めながら権八郎は答えた。
「その男の素性は?知っていることを詳しくれ」
権八郎の話では、杉谷 善住坊は伊勢国菰野の杉谷城の城主という中々立派な身分であったらしい。だがノブナガを狙った動機については諸説あってはっきりしないようだ。
個人的な怨恨、功名心、鉄砲の名手としての腕試し、ノブナガの敵であり、蒲生家の旧主でもあった六角氏の依頼によるものなど。
いずれにしても西暦1573年10月5日、天正元年9月10日に善住坊は近江国の千草越えを通過していたノブナガに二発の銃弾を見舞った。
だが奇蹟的にもノブナガはほんのかすり傷を負った程度だった。
「噂によると、善住坊とやらは相当な手練れ、百発百中の種子島の名手として知られていたようです。それが信長様には二発も撃ってかすった程度に過ぎなかったというのですから、やはり信長様は豪運の持ち主、乱世を治めるべく天に選ばれた英主なのは間違いありませんな」
「……その後、善住坊とやらはどうなった?」
勝成は意思を振るって表情を消し、声が震えぬよう抑えながら問うた。
「当然信長様は激怒してすぐに追手を差し向けましたが、流石は忍びですな。善住坊は素早く逃亡して、追手を巻き、姿を隠しました。しかし徹底的な捜索が行われてついに近江の阿弥陀寺に潜んでいた所を捕らわれ、鋸挽きの刑に処されたようです」
「鋸挽きとは……?」
その言葉の響きの不吉さに戦慄を覚えながら、勝成はあえて問うた。
「生きたまま首から下を土中に埋められ、竹製のノコギリで時間をかけて首を切断する極刑ですな。いやー想像するだに恐ろしい。その苦痛と恐怖たるやまさに地獄の責め苦同然でしょう。いくら信長様の御命を縮めんとした極悪人とは言え、これ以上ない程哀れな最期ですな」
勝成は完全に血の気が引き、己の顔貌が蒼白になっていることを自覚し、慌てて権八郎から顔を背けた。
(俺もそのような末路を遂げることになるかも知れんということか……)
そう、ノブナガへの狙撃を失敗すれば、確実に見せしめとしてそうなることは必定である。
(いや、もしかしたら狙撃に成功したとしても俺は我がトノの命によって鋸引きにされるやも知れぬ。トノの御気性を考えれば、主君であり義父でもあるノブナガの命を奪った者を許す訳がないからな)
いくら主君賦秀にノブナガに代わって天下を獲って欲しかったからだと訴えても、賦秀は許すまい。
いや、だからこそ賦秀は勝成を許すことが出来ず、極刑に処すだろう。
「この蒲生忠三郎がそのようなやり方で天下を欲すると思うたか!お前は私に仕えていながら、そんなことも分からぬのか」
と激高するに違いない。
(それがトノという御方だ。しかしそれでも……)
勝成の覚悟は揺るがなかった。
(それでもやらねばならぬ。七つ松で無残に殺された罪なき者達の無念を晴らす為にも。俺の怒りをノブナガに思い知らせる為にも。そして何より我がトノに真の王となってキリスト教の王国を築いてもらう為に、俺はノブナガを撃たねばならないのだ)




