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第61話  侮り

「おお!」

蒲生家武士の武士共から驚きと歓喜の声が上がった。

先の荒木村重討伐、有岡城包囲戦から既に二年の月日が流れている。

その間、蒲生家は大きな戦に加わることなく、休息というには長すぎる時間を過ごしてしまった。

勝成もその間主君と共に茶の湯の稽古に励んで充実した時間を得ていたが、やはりサムライの本懐である戦が遠のき、忸怩たる思いを抱いていたのである。

(戦いたい。叶うならば、荒木配下の有岡武士以上に手ごわき敵と……!)

茶の湯の稽古の合間に槍と鉄砲の訓練に明け暮れて何とか己の昂る闘志を抑えていたが、限界寸前だったというのが本音であった。

(しかしもう抑えなくてよいのだ。存分にこの山科勝成の武勇を振るって見せようぞ!)

「して、殿。我らが挑む相手は?」

横内喜内が弾んだ声で主君に問うた。

「うむ。伊賀の国を平定する為の戦である」

賦秀が告げると蒲生家武士達はいかにも意外、というよりそう言えばそんな敵もいたなというような表情を浮かべた。

「伊賀……?」

勝成は以前聞いたことがある国の名だと思ったが、すぐに思い出した。

「確か、甲賀と並ぶシノビとか言う特殊な武士が多くいる国だったか」

「その通りだ」

勝成の呟きを鋭敏に聞き取った賦秀が言った。

「伊賀は小国ながら四方を山に囲まれ、非常に攻めにくい国だ。その上伊賀流を使う剽悍な忍びが多くいる。故に彼らの奇襲を受けて織田軍は敗れ、伊賀平定を諦めねばならなかったのだ」

「成程」

勝成は頷いた。己が蒲生家に仕えたのとほぼ同時期に織田軍が伊賀忍びに敗れたというのは何となく耳にしていた。

(確か、ノブナガの次男が総大将で無断で攻め入った挙句大敗を喫した為、ノブナガは激怒して親子の縁を切るとまで言ったとか……)

勝成はちらりと冬姫の表情を窺った。

賦秀の妻であり、伊賀攻めで大失態を演じて天下の笑いものとなった信雄の妹である姫はその美しい顔貌を朱に染め上げている。

今まで見たことが無い険しい表情であった。

冬姫は腹違いの兄、信雄を痴愚同然と評し、

「あれに私と同じ父上の、織田の血が流れているとは到底信じられぬ。断じて私の兄とは認めぬ」

とまで嫌悪しているらしい。

「長年の大敵であった本願寺との戦も終結し、いよいよ信長様も伊賀に兵を向けねばならないと思っておられたであろう。そこに上柘植の福地伊予守宗隆、河合村の耳須弥次郎具明という二人の地侍が安土城に訪れ、内通を申し出てきたのだ。再度伊賀攻めを行う際には、我らが道案内を行うとな」

「左様でしたか」

家臣達は頷いた。その条件ならば、信長が大兵力を動員して雪辱を晴らさんと決断するのは当然と言えるだろう。

「では、此度は信長様御自身が伊賀攻めを指揮なされれるのでしょうか?」

「いや、三介殿(信雄)が指揮なさる」

賦秀がやや苦笑しながら答えると、家臣達から失望のため息が漏れた。特に驚愕し、怒りを露わにしたのが冬姫であった。

「御父上はあれで身内にはお甘い。父子の縁を切るとまでおっしゃたのに、やはり茶筌めの名誉を何とか回復させたいとお思いなのでしょうね……」

冬姫は失望と、そんな父への愛情が入り混じったため息をついた。茶筌とは信雄の幼名である。

信雄は名門北畠家の養子となり、常陸介・上総介・上野介の三つの介の官位を得ているので

北畠三介と呼ばれているのだが、冬姫は不覚者の兄にそのような敬称は値しないと思っているのだろう。

「まあ、だが左程心配する必要はあるまい」

賦秀は余裕のある表情で言った。

「此度は滝川左近殿に丹羽五郎左殿を始めとする歴戦の将達が補佐することになっておる。何よりこの私とその方らがいるのだ。地形を活かした奇襲と手妻同然の技だけが自慢の忍び如き相手になるまい」

(おや?)

勝成は不思議に思った。我が主君は無類の戦好きであるが、決して敵を蔑んだり侮るようなことはなく、敬意を持って全力で挑む人物だと勝成は思っていたのである。

そのような主君が家臣の前で堂々とこれから戦う敵を侮る言葉を口にするとは。

(そう言えば、何かと重宝な忍びはどこの御家でも召し抱えているものだが、当家で忍びがいるとは聞いていない。トノは忍びが御嫌いなのだろうか?)

それも分かるような気がする。何事も正々堂々を信条とする蒲生忠三郎賦秀であれば、諜報、闇討ち、汚れ仕事を生業とする忍びなど汚らわしいとして必要とせず、敵としても認めるに値しないと考えるのは当然かも知れない。

そのような主君に敬愛を深くすると同時にいささか不安も覚えた。

(トノ。俺も騎士だった時は貴方様と同じような考え方でした。戦とは正々堂々と戦うことこそが全てだと。だが傭兵に身を堕とした時に学びました。戦とはそれだけではないのだと。武技も勇気も一流の戦士が取るに足らない者の卑劣な手段や暗殺によって命を落とすのを幾度も眼にしてきたのです)

そして忍びとは今の世で最も暗殺技や敵を欺く手段に優れた者共なのではないのか。

(もしかしたら、シノビとはトノの天敵なのやも知れん)

いざとなったら我が命を盾にして闇から忍び寄る刃からトノを御守りする。勝成は覚悟を定めた。





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