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第51話  不遜

「おう、十兵衛」

常の如く筆を執り、各地に散る家臣達へ送る命令書を精力的に書いていたノブナガがその端正ながらいよいよ威容が増すばかりの顔貌に快活な笑みを浮かべながら声をかけた。

お気に入りの家臣である明智光秀、、羽柴秀吉などには常に機嫌良く接するノブナガであったが、今日は特に愛想が良い。

その理由は充分に承知しているのだろう、光秀もその日本人離れした彫りの深い顔に満面の笑みの笑みを浮かべながら丁重に礼を施した。

蘭丸も思わず惚れ惚れするほど見事な所作である。

「先日の左義長、見事であったぞ。ようした十兵衛」

ノブナガは光秀を褒めた。安土城下で行われた大々的な左義長。この準備を整え、指揮したのは光秀だったのである。

合戦、謀略、築城、政、さらには芸事と何でも完璧に行っておよそしくじるということの無い光秀であったが、このような民衆を喜ばす行事すらも前例が無いほどに大盛況に導くことが出来るのである。

まことに端芸すべからざる人物というしかないだろう。

戦と謀略においては彼に引けを取らない評される羽柴秀吉、滝川一益も悲しいかな下賤の生まれ故、芸事や伝統行事を手配することにかけては光秀の足元にも及ばないのは明白であった。

「それにな、喜べ。何と帝が左義長の噂を御耳になされてな。是非見てみたいとの仰せなのだ」

ノブナガはこれ以上の名誉はあるまいと歓喜を露わにした。

ノブナガの朝廷、天皇を尊重する態度はこの時代の武人達の中で傑出していると言えるだろう。

ノブナガを嫌う人々は足利将軍を担いでその権威を利用して覇業を遂げようとして失敗したから、代りに朝廷を利用しているだけだろうと罵っている。

確かにそのような面も当然あるだろうが、ノブナガが天皇を重んじる気持ちは損得を抜きにした筋金入りのものだと蘭丸と承知している。

何故なら織田氏は本来神職の家系であるらしい。その為神道の最高司祭者であり、天照大御神の末裔とされる天皇を理屈や打算抜きで敬い、重んじる血が流れているのだろう。

それはノブナガの父である信秀も単なる地方大名に過ぎない身分でありながら朝廷に積極的に献金を行い、財政を支援していたことからもうかがえる。

父の事業を受け継ぎ、朝廷の権威回復に努めて天皇の神聖性をさらに高めんと望むノブナガからすれば、天皇が己が主催した行事を喜び、この目で見たいと欲していることは近年稀な慶事と言えた。

だが光秀はそのような主君の喜びに心合わせる様子は無い。むしろ鼻で笑うような表情を浮かべたのを蘭丸は見逃さなかった。

(ああ、やはりこの御仁は……)

朝廷を重んじる気持ちが全くと言っていいほど無いのだ。光秀の人柄に対する疑問点の一つがこれなのだろう。

蘭丸はようやく納得できた気がするが、やはり不思議というしかない。

これほど抜きん出た古典の教養の持ち主でありながら、この国の全ての文化、伝統の淵源である天皇を敬おうとしないのは不可解極まる。

(やはり元々は幕臣だからなのだろうか?)

当然それはあるだろう。足利家、室町幕府は伝統的に朝廷、天皇家を軽んずる体制と言える。

それは開祖である足利尊氏が天皇親政の世を志て誕生した後醍醐天皇の建武の中興を覆して生まれた政権だからである。

足利家ははっきりと大覚寺統の後醍醐天皇に謀反を起こし、逆賊の汚名を逃れる為に持明院統の光明天皇を担いで傀儡とすることで幕府を発足させた。

それ故朝廷を軽んじる気風が生まれ、育ってしまったのだろう。

現に光秀も幕臣時代に京都奉行として寺社本所領の保護に努めなければならない職務にありながら、他の幕臣達と一緒になって公家や寺社の所領の横領を行うという醜態をさらしてしまっている。

それに対して正親町天皇より二度も勅勘を出しているほどである。

特に二度目においては、側近の山科言継が直接ノブナガに綸旨を渡したりもしている。

面子が丸つぶれとなったノブナガは流石に光秀を激しく叱ったが、光秀は特に恐れ入った様子もなかったという。

(帝を敬わず、元の主君であった将軍義昭公をあっさりと見限り、現在の主君である我が殿に対しても時折不遜な表情を見せる。やはりこの御仁は信用ならん)

蘭丸は腹が煮えるような怒りと不快感が湧いたが、表情には微塵も表さなかった。

そうは言っても光秀の忠勤ぶり、卓越した功績には文句のつけようが無く、織田家による天下静謐の為には必要な人物であることは疑いないのである。

そして何より主君ノブナガその人が光秀のそのような不遜、権威を歯牙にもかけない大胆力をこの上なく頼もしく思っているのだった。

(本当にそれでよろしいのですか、上様)

蘭丸は光秀に対して家臣ではなく幼少の頃からの親しき友のように話しかけるノブナガに対してそう問わずにはいられなかった。

(私はやはりその男はかつて殿が心からその武略、猛々しさを心から頼もしく思い、信頼しながらも裏切られた浅井長政、松永久秀、そして荒木村重と同じ種類の人間としか思えませぬ。いや、明らかに明智十兵衛光秀はそれらの者共よりもはるかに器量勝っておりまする。その御仁に裏切られてしまったら、取返しのつかないことになりまするぞ)

蘭丸はこれまで幾度か光秀の危険性をノブナガに告げようとしたが、出来なかった。

それは寵臣をそしることで主君の怒りを買うやも知れぬと言った怖れからではない。

蘭丸の潔癖な性格故であった。

(主君に近侍する身分で他の家臣の悪口を告げる訳にはいかぬ。それだけはやってはならぬのだ)

ノブナガの為に堂々討ち死にした父より受け継いだ金剛石の如く固く、真冬の滝つ瀬の如き清い蘭丸の忠魂がそうさせるのだった。



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