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第39話  尊厳ある者

勝成は言葉を失った。

「無論僧侶だけではあるまい。農民や商人にも武と言う規範を教え、狡猾さや怠惰を許さずその身分に合った生業を懸命かつ清廉に励むことを要求していくのだろう。言わずもがな我ら武士は全ての人々の規範たるべくこれまで以上に武への精進が求められるに違いない。そしてこれを怠るもの、未練卑怯は振る舞いをした者は容赦なく断罪されて行くのだろうな」

「傲慢です!思い上がりもはなはだしい」

勝成は思わず叫ぶように言った。

「人の心を支配し、導くことが許されるのは万物を創造し支配するデウスとその子であるキリストのみです。殺戮に明け暮れる武将に過ぎない人物にそのような真似が許されるはずがないではありませんか」

「キリストの教えか」

薪をくべながら賦秀は苦笑したようである。

「高山右近殿から伴天連にキリストの教えを聞くべきだとしつこく言われて正直迷惑に思っていたのだが、そちやオルガンティノ殿からであれば聞いてみても良いかも知れんな」

主君がキリストの教えに興味を持ったことは素晴らしく喜ばしいことであるが、今はそれ以上にノブナガが志す支配のやり方の方が気になった。

「真にノブナガ殿はそのような……」

「当たらずとも遠からずと言ったところではないかな。少なくとも先の世において乱世を平らげて武士が支配する世を作った源頼朝、あるいは足利尊氏よりも強力で尊い支配者を志しておられるのは間違いないであろう。ただ乱世を制するのみならず、この国の人々の心の在り方も変えて行きたいという……」

「トノはそれでよろしいのですか」

勝成はノブナガ麾下の武将であり、その義理の息子である賦秀にそう問わずにはいられなかった。

「ノブナガ殿の己の思うままに人の心をも支配することを欲し、その為には罪の無い女子供をも惨たらしく死に至らしめるというやり方をお認めになるのですか」

「全てを認める訳ではない」

賦秀は毅然として答えた。

「大殿の乱世を鎮め、真に世に安寧をもたらす為には人の心の醜い部分を滅ぼし、武によって磨き鍛えねばならぬという考え自体は正しいと私は思う。だがその為には見せしめの為の虐殺もやむを得ないという姿勢には断固として反対だ。今回は止められなかったが、もうこのようなことは二度と起こさせない。必ず止めてみせる」

「トノ……!」

勝成は歓喜の声を上げた。

(それでこそ我が主君。誰よりも強いと同時に、慈悲の心も持っておられる。ノブナガよりもこの御方が天下の主になられた方が、ジャッポーネの人々も幸せになれるのではないか)

そこで勝成にある考えが閃いた。まさにそれはまさに霊感であり、神の啓示であると勝成は受け止めた。

(そうだ、ノブナガがこの国におけるカエサルならば、我が主君蒲生忠三郎賦秀がもうちゅうざぶろうやすひで様こそがアウグストゥスとなるべき御方なのではないのか)

ローマ帝国初代皇帝であるアウグストゥスの名はラテン語で「尊厳ある者」という意味で、その本名はオクタヴィアヌスである。

かれはカエサルの姪の子として生まれ、後にその後継者として指名された。

そしてカエサルが暗殺によって斃れた後内乱に勝利して地中海世界を統一し、帝政を創始してその寛容を旨とする政策でいわゆるパクスロマーナと呼ばれる平和な世を築き上げたのである。

(オクタヴィアヌスは若いころは冷酷で残忍な面も持っていたようだが、後に寛容な性格になっていったと歴史書で読んだ。だが我が殿は若くして既に寛容さと尊厳をもっておられる。そう言う意味ではオクタヴィアヌス以上の人物に違いない)

そう思うと賦秀とオクタヴィアヌスは色々共通点があるように思える。オクタヴィアヌスは均整の取れた体格の稀に見る美男子であったらしいが、賦秀も充分そう評してよい美丈夫である。

(そうだ、天におられるデウスは俺にこの御方をジャッポーネにおけるオクタヴィアヌス、アウグストゥスとするべく使命を与えたのだ。そうに違いない)

勝成はかつてない魂の高揚を覚えずにはいられなかった。

(そしてやはり俺が成し遂げねばならないのはブルトゥスとしてカエサルであるノブナガを暗殺することなのだ)

だがブルトゥスは結果としてオクタヴィアヌスと一時的に同盟を組んだアントニウスの軍によって包囲されて自害するという末路を辿った。

(ならば俺もトノに滅ぼされることになるか。まあ当然そうなるだろう。主君であり義父であるノブナガを暗殺した者をトノがお許しになるはずが無い)

賦秀の強烈無比な剣技によって一刀で斬り殺される己の姿が脳裏に鮮明に思い浮かび、勝成は蒸し風呂によって火照っていたはずの五体が一瞬で凍り付くような悪寒を覚えた。

(俺はブルトゥスのように自害するわけにはいかぬ。キリスト教徒にとって自殺は神の教えに背く大罪だからな。だがトノの裁きによって命を落とすのならば悔いはない。トノがジャッポーネを支配する偉大な王、この国における尊厳ある者アウグストゥスになってくれるのであれば……)

「今日はお前の働きに対する礼代わりのもてなしなのだ。堅い話はこの辺でやめておこう」

勝成の思い、覚悟など知る由も無い賦秀が陽気に言った。


風呂から出て客間に通されてくつろぐ勝成に賦秀は自ら膳を運んで来た。恐縮する勝成に賦秀は酒を勧める。

ジャッポーネの酒はヨーロッパのワインとは違い米で造られたものである。

勝成は肴として出された味噌を(はし)でつまみながら小さな杯を舐めるように呑んだ。

勝成の箸の使い方は完璧であった。この時代のヨーロッパでは食物は手づかみで食べるのが一般的であったが、来日前にオルガンティノから、

「食べ物を手づかみで食べれば、ジャポネーゼは貴方を完全に野蛮人と見なして軽蔑し、まともに相手しなくなるでしょう。それ程ジャポネーゼは食事の作法に対しては厳しいのです。ですから箸の使い方は必ず習得してください」

ときつく言われたからである。

そして冬姫が現れ、勝成に戦の話を聞かせてくれとせがむ。

勝成は心地良い酔いも手伝って陽気に、時には気迫を込めて荒木軍との戦の様相を、マルタ騎士団に所属していた時に経験した戦と比較しながら話した。

冬姫は目を輝かせて食い入るように聞いている。

(いや随分と大人っぽく、美しい女性になられた。これ程の女性はヨーロッパにも滅多におるまい)

勝成は思った。初めて会った時はほんの子供としか思えなかったが、冬姫は既に数え年で十九歳。

その振る舞い、表情には以前と変わらぬ子供らしい無邪気さも残っていたが、その透けるように白い肌から大人になりつつある女性としての成熟さ、におい立つような色気も充分に感じ取れるようになっていた為、勝成は不覚にも胸がときめいてしまった。そしてすぐ別の感情に囚われてしまった。

(俺がノブナガを暗殺したら、当然この女性から父の仇として憎まれることになるのだな……)

「どうしたのじゃ、山科)

先程まで陽気に戦話をしていたはずの赤髪緑眼の武士の表情に突然深い陰影が浮かび上がったのを見て、冬姫は怪訝そうに言った。

「流石に酔ってしまったか?まあ、風呂上がりに杯を重ねたらそうなるのも仕方あるまい」

主君の言葉に勝成は我に帰った。

「はい、どうもそのようです。トノ、ヒメ、今日は本当にありがとうございました。私はもうこのへんで失礼させていただきたく思います」

勝成は居ずまいを正して主君とその妻に深々と礼をした。

(どうも今日の俺はあまりに先走った考えをしてしまっている。殿のもてなしへの喜びと酔いのせいであろうな。御二方とも鋭い御方故、俺の胸の内を読まれてしまうやも知れん)

「うむ、そうか。気を付けて帰るがよい。ああ、それから……」

賦秀は笑顔で応じながら、ふと何かを思いついたような表情をした。

「私と姫は大殿に会いに安土城に行くことになっておる。そちも供をせい。大殿に引き合わせてやろう」

賦秀の言葉で勝成の五体を満たしていた心地良い酔いが一瞬にして消し飛んだ。

(遂にこの時がきたか……!)










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