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第38話  蒲生風呂

山科勝成ことジョバンニ・ロルテスは主君蒲生忠三郎賦秀がもうちゅうざぶろうやすひでの屋敷に招かれた。

「先日の荒木摂津守討伐においてのそなたの働き、まことに見事であった」

賦秀は紺色の小袖、茶色の肩衣というこざっぱりとした姿ながら、威厳と親しみさが見事に調和した態度で賞賛したため、勝成は誇りに満たされながら丁重に礼をした。

「勿体無い御言葉でございます。これからも蒲生家の名を汚さぬよう、励んでいく所存にございます」

武士としての礼式にすっかりなじんだ勝成の様子に満足げに頷きながら賦秀は続けた。

「そなたの武勲に相応しい報酬を与えてやりたいところだが、残念なことに今の当家にはその余裕は無いのだ。せめてもの代わりに酒と馳走でもてなしたい。まずは風呂に入ってくるがよい」


勝成は蒲生家に仕える奉公人に風呂間へと案内された。服を脱いで(ふんどし)姿となった勝成に奉公人は麻の単衣を渡した。湯帷子(ゆかたびら)と呼ばれる入浴用の服である。

湯帷子を纏った勝成が扉を開けると、目の前にはもうもうと湯気が立つ大釜があった。

風呂間を密封されている為に蒸気で満たされている。

勝成は教えられたように敷いてあるスノコに胡坐をかいて体を蒸して激しい戦働きで五体にたまった脂を溶かし、垢を摺り落とした。

「ジャポネーゼは無類の風呂好きだと聞いていたが、成程相当なものだな。ヨーロッパとは偉い違いだ」

ヨーロッパでは十四世紀にペストが大流行してしまったが為に、ルネサンス以降は入浴そのものが病気の根源と見なされて入浴の習慣はすっかり廃れてしまった。

その為に体臭を消す香水が発達したのである。

「古代ローマも殊の外風呂を好んだらしいが……。ジャッポーネと古代ローマは不思議と色々共通点があるかも知れん」

キリスト教が国教となる前のローマ帝国は多神教で様々な神々を崇め、外国人が信仰した神々をも取り込んだというが、これはジャポネーゼが土着のカミだけではなくインドの地で生まれたホトケをも同等の存在として尊崇している姿勢と酷似していると言っていいだろう。

さらに古代ローマはギリシア文明を師とし、その哲学、古典作品を懸命に学んだが、ジャポネーゼもかつては古代のシーナの文明を師として学んだという。

遣隋使、遣唐使と呼ばれる使節をシーナに派遣し、その先進文化を学んだ。

その後シーナを支配していた唐朝が衰退すると遣唐使は停止され、ジャッポーネは唐より学んだ文化を継承しつつ、国風、国ぶりと呼ばれる独自の文化を発展させた。

そもそもローマ帝国の母体であり勝成の祖国であるイタリア半島とジャッポーネは地質的にもよく似ていると言っていいだろう。

どちらも南北に長く、火山が多くて地震が頻発する。

「ローマが多神教を捨ててキリスト教を国教としたように、いずれこのジャッポーネもカミやホトケの信仰を捨ててキリスト教の王国となるに違いない」

勝成は期待を込めてそう思った。勝成は蒲生家の武士として過ごすうちにカミやホトケへの信仰もある程度理解するようになっていたが、それでもやはり万物を創造し支配しているのは唯一絶対のデウスであり、キリストの教えこそが真の信仰であるという考えは揺るがなかった。

「どうだ、湯の加減は?もっと熱くして大丈夫か?」

大釜の向こうから聞きなれた声がした。仰天した勝成は慌てて声がした場所へと向かった。

するとそこには顔や体を(すす)で真っ黒くしながら(まき)をくべている主君蒲生忠三郎賦秀の姿があった。

「ト、トノ!高貴な御身分な御方が何故そのようなことを……!主君たる者がすべきことではありませぬぞ。奉公人に任せればいいではありませんか」

勝成の言葉に忠三郎は煤だらけとなった顔に力強い笑みを浮かべながら応じた。

「命がけの働きに対するせめてもの気持ちだ。こんな事しか出来ぬが許してくれ」

主君の真心がこもった言葉が勝成の胸を打った。そしてその双眸からは湯に負けぬ程熱い涙が溢れかえった。

このような心のこもった感謝の思いを受け取ったのはこれが生まれて初めてである。

マルタ騎士団の騎士として、その後は傭兵として抜群の働きをし、その武勇、胆力を絶賛されたことは無論幾たびかあった。

しかし上辺だけの賞賛ではなく、心からの感謝を言葉ではなく行動で示されたことは皆無であった。

サムライとは、ジャッポーネの大名、主君とは皆こうなのだろうか。

(いや、そうではあるまい。この御方だけだ。今の世において家臣にこれ程まで真心を込めて接してくれるのは唯一、この御方だけなのだ……)

涙を流しながら言葉を失っている勝成に賦秀は優しく言葉をかけた。

「さあ、向こうで汗を流して戦で疲れた体を癒すがよい」


スノコに胡坐をかいて垢をすり落とす勝成に再び忠三郎が大釜の向こうから言葉をかけてきた。

「七つ松の処刑場に行ったそうだな」

それまで主君の心づくしのもてなしを存分に堪能していた勝成ははっと我に帰った。

「申し訳ございません……。勝手な真似をしてしまい……」」

「謝らずともよい。咎めているわけではないのだ。凄惨な有様だったそうだな……。お前は何を思った?」

勝成は偽りなく主君に答えるか否か、迷った。だが覚悟を決めて答えた。

「罪の無い女子供達の死にざまが今も脳裏から離れません。私は上様の、ノブナガ殿の為されたことを決して許すことが出来ません」

「そうか……」

賦秀は深沈とした声で応じた。その声には家臣の|僭越《せんえつ》な言葉に怒る響きはない。

勝成は主君の反応に勇気を得て続けた。

「荒木の者共の恥知らずな行いがどうしても許せなかったというのは分かります。為政者としてあのようなことが二度と無いよう、見せしめが確かに必要だったのかも知れません。しかしいくら何でもあれはやりすぎです。あのような虐殺を神がお許しになるはずがありません」

「確かに我らから見れば上様のやり方は余りに過酷やも知れぬ。だがあの御方には我らなどには見えぬものを見て、我らなどには考えもつかぬことを考えておられるのだ」

「……」

「天下布武」

賦秀はもうもうと立ち込める湯気を切り裂くような烈々とした声で言った。

「私はその言葉が意味する所は武でもってこの乱世を鎮めるものと単純に考えておった。だがおそらく上様はそれ以上のことを考えておられるに違いない」

「それは一体何なのでございましょう」

勝成の問いに賦秀はしばらく沈黙した。まだ賦秀にもノブナガの考えの全ては掴めていないに違いない。

だが勝成を相手に問答することによって改めて主君であり義父である人物に対する理解を深め、その進もうとする道の先に何があるのかを把握しようとしているらしい。

「上様は遍く天下を治めるのみならず、この国に住む全ての人々、武士以外の身分の者の心までをも武で磨き、鍛え上げようとしているのではないのか」

「それは……」

困惑を露わにする勝成に構わず賦秀は続けた。

「あの御方は未練、卑怯、因循、姑息、傲慢、怠惰、貪欲といった人の醜さを極度に御嫌いになられる。出来ればそういった醜い行いを悉く滅ぼし、人の世から永遠に消し去ってしまいたいと考えておられるのではないか。強大な勢力、神聖な権威を持つ本願寺には殊の外厳しく、果敢に戦を挑まれるのもおそらくその為。仏に仕える僧侶でありながら有り余る財と武力を持って驕り腐敗し、政にも関与する俗物に成り下がった彼らがどうしても許せぬからだろう。神仏に成り代わって彼らを懲らしめ、御仏に仕える者としての正しい姿に戻してやろうと考えておられるのではないか」








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