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第25話  細川親子

「何、加茂砦が荒木摂津の夜討ちを受けて、炎上しただと!」

一月二日早暁、塚口城の蒲生陣営に報告がもたらされ、蒲生忠三郎賦秀は血相を変えた。

合戦場以外の場では常に沈着な賦秀らしからぬ慌てぶりであるが、無理も無いと言えるだろう。

ノブナガの娘、冬姫を娶っている賦秀にとって、秋田城介信忠あきたじょうのすけのぶただは義理の兄なのである。

本来は謹厳で温厚な性格ながら、覇王の後継者の名に恥じぬようにとひたむきに努力を重ね、着実に武勲を立てている信忠には一人の人間として敬意と好意も抱いていた。

「城介殿は御無事なのか」

近江衆、美濃衆共に多くの者達が討たれたようだが、幸いな事に信忠は無事であるらしい。

賦秀はすぐさま支度を整え、勝成や喜内を引き連れて信忠が保護されている細川藤孝の陣中に赴いた。

「おお、これは忠三郎殿。わざわざ来てくれたのか、申し訳ない」

「義兄上、御無事でよかった」

賦秀は信忠が負ったのは軽傷に過ぎないのを確認し、心からの安堵の表情を浮かべた。そして信忠の側に控える細川兵部大輔藤孝ほそかわひょうぶだゆうふじたかに敬意のこもった礼を施した。

細川藤孝は武勇に優れるのみならず、当代における最高の文化人、教養人として知られていた。

この時代のジャッポーネを彩る文化、すなわち茶の湯、蹴鞠、連歌、猿楽、囲碁、料理などに精通し、さらにはこの国における文化の精髄、背骨とも言うべき和歌の伝統を受け継ぐ尊い存在として多くの武士、さらには公家と呼ばれる貴族階級からも尊敬を受けている人物である。

和歌を嗜む賦秀も当然、藤孝を師と仰いでいるが、今は親しく言葉を交わせる状況ではない。

信忠は肉体の傷は浅くすんだが、精神に受けた衝撃は深いものがあるのは一目瞭然であった。

謀反人の夜襲を受けて多くの兵を空しく死なせ、荒木村重の武名を高める結果となってしまった。

人一倍責任感が強く、潔癖な性格な信忠であるから、

「これでは父に合わせる顔が無い。腹を切って詫びるしかあるまい」

と言い出して短刀を握りかねない。

誰よりも鋭敏な藤孝も当然それを察し、言葉を尽くして信忠を慰め、今も側を離れないのだろう。

藤孝が無言で己を見つめる表情で、彼が何を言いたいか賦秀は察した。

義理の弟であり、先程野戦で見事な戦いぶりを見せた賦秀に慰められるのはかえって辛いであろうから、今は控えておけと言う事なのだろう。

賦秀は信忠と藤孝と差し障らぬ会話をし、すぐにその場から立ち去った。


「加茂砦を検分しておくか」

賦秀はそう勝成と喜内に語り掛けた。そこに軽やかな足取りで蒲生家の主従に一人の若武者が近づいてきた。

「これは蒲生殿。不覚を取られた城介様を慰めに参られましたか」

「おお、与一郎殿か。しばらく見ぬ間に(たくま)しくなられたな」

細川藤孝の嫡男、細川与一郎である。福福しい丸顔が印象的な父には似ず、細面で白皙の顔立ちの中々の美男子である。

だが十代後半の少年らしい幼さは無く、その眼光には触れれば切れるような刃の如き鋭い気が充満していた。

「先年元服いたし、城介信忠様より偏諱(へんい)を受け忠興(ただおき)を名乗ることになりました。これからも何卒宜しくお願い致しまする」

そう言って見事と言うしかない典雅な礼を施した後、細川与一郎忠興の眼は勝成に向いた。

つい先ほどまでの敬意のこもった若々しい態度とはまるで別人のような、高圧的で無遠慮な表情であった。

「噂には聞いていましたが、本当に南蛮人を武士に取り立てて仕えさせていたのですか。蒲生殿らしからぬ軽率な振る舞いですな。ただの酔狂なのでしょうが、止めた方がいいでしょう。天下に勇猛名高い蒲生家の名に傷がつきますぞ。この緑の瞳と言い、赤い髪と言い、同じ人間とは到底思えぬ」

そう言って勝成を汚らわしいと言わんばかりに睨み付けた。

「……」

異国人に対する不信や嫌悪の視線を受けたのは無論幾度もあったが、面と向かってここまで露骨に侮辱されたのはこれが初めてだろう。

だが勝成は意思を振るって怒りと屈辱に耐えた。細川の陣営に到着する前に横内喜内よりあらかじめ釘を刺されていたからである。

「細川家の嫡男、与一郎殿は高慢な性格で一切の遠慮もなく率直な物言いをする御方だ。異国人のお主を侮辱するやも知れんが、どうか耐えてくれ。あの御方はまだ年少の身ながら、恐ろしく気性が激しい。現に気に食わぬ家臣を手打ちにしたり、降伏した敵も容赦なく斬り捨てることが度々だと聞いている。もしお主が怒りを発したら、即座に斬りかかるだろう。無論黙って斬られるようなお主ではないだろうが、そうなったら蒲生家と細川家の間で禍根が生じる。それだけは避けねばならぬのだ」

喜内の言葉が心の内に鳴り響き、勝成は何とか己を抑えようとした。しかしそんな勝成を見て与一郎忠興は嘲笑を露わにした。

「どうした、抜け。その腰間の太刀は飾りか?やはりサムライの真似事をしているだけの南蛮人には武士の魂たる刀など扱えぬのだろう」

「……!!」

怒りで勝成の五体が灼熱し、脳内を駆け巡る血がマグマのように沸騰した。だがそんな勝成の緑の瞳に朋友と主君の姿が映った。

横内喜内はどうか耐えてくれと必死の表情で訴えている。一方蒲生忠三郎賦秀の表情は到って平静であった。

「抜きたけば抜け。私はお前を咎めぬし、後のことは私が責任を取る」

そう言ってくれているようでもあるが、同時に、

「この程度の侮辱に耐えれぬようでは、所詮真の武士にはなれぬぞ」

と厳しくたしなめているようでもあった。

主君の寛容さと厳格さが一つとなった顔貌を見て、勝成は冷静さを取り戻した。そして主君の妻、冬姫と他の蒲生家の武士の面々を思った。

(そうだ、俺は蒲生の御家を守らねばならぬ。それこそがサムライとして成さねばならぬこと……)

勝成は四肢の力を抜き、与一郎に向かってあえて余裕の笑みを浮かべて見せた。

「ほう、堪えたか」

与一郎はそう呟いて先程までの敵意に満ちた酷薄な嘲笑を消し、賦秀に向き直った。

「蒲生殿は案外良い拾い物をしたやも知れませぬな」

「全く、相変わらず与一郎殿は人が悪い」

賦秀は苦笑を浮かべた。

「この者を試されたか」

「いかにも。腕が立つのは分かりますが、主君や御家に考えが及ばぬような者を取り立てるのは蒲生殿の為にならぬと思いましてな」

そう言って再び勝成に視線を向けた。その瞳から異国人に対する生理的な嫌悪、警戒心が完全に消えたわけではないが、とりあえず敵意と殺気は抑えられているようである。

「異国人に日の本武士たるもの者が貫かねばならぬ道が真に理解出来るとは思えぬが……。まあ、とりあえず蒲生殿の側で武士の何たるかを必死に学べ。蒲生殿は今の世で信長様に次いで私が真に認める稀有な御方だ。蒲生殿の真似をしている限り、おかしな真似はするまい」

そう言い捨てると、賦秀に向かって優雅さと毅然さが完全に調和した惚れ惚れする程見事な礼を施し、歩み去って行った。

(十代の少年の身でありながら、凄まじいまでの鋭気と才気。全く末恐ろしいというしかないな)

勝成は思わず己の顔に伝わる緊張の汗を拭った。細川与一郎忠興は勝成を試したと言ったが、もし勝成が怒りに身を任せ腰間の太刀に手を掛けたら、幾人もの家臣や捕虜を斬り捨てたという手練の抜き打ちを実際に浴びせて来ただろう。

そうなったら、おそらく勝成は太刀を抜くことも出来ずに一刀で斬り殺されていたのではないか。

「どうだ、面白い男だろう与一郎殿は?」

主君に笑いかけられ、勝成は返答に窮した。

(到底好きにはなれぬ御仁だが、もしかしたらその智勇は我が殿に匹敵する傑物やも知れないな)

そして勝成が辛くも命の危機を脱したのを充分理解していながら、全てを飲み込み何事もなかったように平然と振る舞う我が主君に改めて途方も無い大器を見た。

(全く面白いな、この国の人間、サムライという生き物は……)

そして勝成は安堵のため息をつく横内喜内の肩を陽気に叩き、微笑みかけた。


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