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第15話  ダリオ友照

「父上……」

ジュスト右近の顔貌が驚愕に凍り付いた。

「これは、ダリオ殿……」

オルガンティノも同様の表情であった。

(ではこの方が、ジュスト右近殿の父、ダリオ殿か)

勝成は突如現れた老武士にその生命力に満ちた若葉を思わせる緑の瞳を向けた。

憤然とした表情であるがその顔貌そのものは端正であり、長い年月で培った修養の深さが自ずと伝わって来る。

年齢も六十歳に達しているであろうがその体つきはたくましく武芸の鍛錬は欠かしていないことが容易に見て取れた。

「右近よ、開城は断じてならぬぞ。我ら父子はデウスの教えを奉ずる武士としての規範とならねばならぬ。一戦も交えず開城などという怯懦(きょうだ)な振る舞いは断じて許されぬのだ」

「……」

宣教師と信者の命を守る為に開城する決意を固めたジュスト右近であったが、デウスの教えを奉ずる武士として怯懦な振る舞いは許されぬという言葉、そして父への孝心から再び苦悩の沼へと身を沈めてしまったようである。

「ですが、ダリオ殿。ノブナガ殿に抵抗すれば、この高槻にいる信者と宣教師がことごとく処刑されてしまのですよ」

オルガンティノがなりふり構わず懇願すると、流石のダリオ友照もその老顔に苦し気な表情を浮かべたが、すぐに決然として言い放った。

「その方々は殉教者に列せられ、この国の人々に真の神への信仰を呼び起こす契機(けいき)となり、(いしずえ)となることになるだろう。そして我々も。そうなれば本望ではないか、右近よ」

高山飛騨守(ひだのかみ)、ダリオ友照は誠実な武士の鑑として多くの人々から尊敬を集めているというが、老いの一徹であろうか、明らかに常の思慮深さと冷静さを失っていた。

また口が裂けても言葉にしないだろうが、人質となっている娘と幼い孫を案じているのだろう。そのことが余計にダリオを頑なにしている様である。

老いた父の心情が手に取るように分かるだけにジュスト右近は抗弁する言葉を失っている。

「……」

勝成もまた苦悩した。己はオルガンティノの護衛に過ぎず、この二人のサムライとは初対面である。口を挿むべき立場には無いのは明らかだ。

しかしキリストへの信仰を心の拠り所にして戦場に臨む戦士として強く共感を抱いてしまった為、やはり言わねばならないと思った。

「ダリオ殿。非礼なのは承知で申し上げる」

「貴殿は……」

ダリオ友照の瞳は勝成の鮮やかな赤い髪、そして緑の瞳にくぎ付けになった。

「私は蒲生家に仕える山科勝成と申す者。かつてはキリスト教徒を保護する為に結成された聖ヨハネ騎士団の騎士ジョバンニ・ロルテスとして異教徒との戦いに身を捧げました」

「おお、それは素晴らしい」

ダリオ友照、そしてジュスト右近は己の苦悩を一瞬忘れ、正真正銘のキリストの戦士への敬意と憧憬に満たされたようである。

「私たち聖ヨハネ騎士団はロードス島で圧倒的な勢力を誇る異教徒の軍勢と戦い、そして多くの同胞達が殉教しました。それはひとえに刃を持たぬ、戦う力が無い民衆を守るという使命を全うする為だったのです」

「……」

「しかしダリオ殿。貴殿は己の武士としての意地を貫き通す為に、刃を持たぬ宣教師や民衆を殉教へと追いやろうとしている。それはデウスへの信仰を守る戦士として道を違えた行為と言わざるを得ません」

「それは……」

ダリオ友照は絶句した。倍以上の年月を生き、駆け巡った戦場の数も、殺めた敵の数もダリオは勝成を遥かに凌駕しているだろう。

だが真にキリストの教えを守る為に戦った経験という点ではダリオ友照は皆無であり、ジョバンニ・ロルテスこと山科勝成は地上の誰よりもその誉と栄光を得ている。

経験の浅い若造として「黙れ!」と一喝することは不可能であった。

「私は騎士からサムライになってわずか一年程に過ぎません。ですが蒲生家にお仕えして自分なりに武士とは、サムライとはどうあるべきか分かったつもりでいます。何よりも武勇と名誉を重んずるサムライたる者が一戦もせずに城を明け渡すなど言語道断だというダリオ殿の仰ることはもっともだと思います」

「……」

「ですが、貴殿が真にデウスへの信仰を貫いて生きたいのであれば、今はその猛き心を抑えねばなりません。己の名誉よりも弱者を保護することを優先する。それがキリストの教えを奉ずる戦士としての精神なのです」

勝成は出来るだけ冷静に淡々と語るつもりであった。しかしありし日の異教徒との死闘が自然と思い起こされ、またこの国のキリスト教徒の中心になるであろうダリオとジュストの親子を

正しい方向に導かねばという使命感から、表情と声に烈火の気が満ちていた。

「むう……」

己の半分も生きていない若者に諭されるという屈辱、だが真のキリストの戦士による反論の余地などあるはずも無い堂々たる正論に打ちのめされてダリオ友照は呻いた。

「……だが荒木摂津の元には人質がいるのだ。我が娘と幼い孫が……」

そう呟いた後、ダリオは愕然とし、蒼白となった。

「このわしがこのような未練を口にするとは……!何たる無様、何たる恥辱。もう生きておれぬ。潔く腹を切る!」

ダリオは決然として叫び、脇差を握った。

「おやめください、父上!自害することは神の教えに背く大罪です」

ジュスト右近は老いた父の腕を抑えた。その悲憤が露わとなった表情。本当は己もこの苦悩から逃れる為に今すぐにでも腹を切りたいが、それは断じて許されぬのだという苦衷がはっきりとにじみ出ていた。

「どうすればいいでしょうか、勝成殿……」

オルガンティノが勝成にすがるように言った。

(この三人はあまりにも純粋で、己の立場に囚われすぎている)

勝成は思った。オルガンティノはこの国に真の神の教えを根付かせ、宣教師と信者の地位を向上させることに。そしてダリオとジュストの父子はジャポネーゼのキリスト教徒としての模範となることと武士の道を貫くことを両立させねばならないということに。

(それ故彼らは物が見えなくなり、考えに柔軟さが完全に失われてしまっている)

それに比べてこの山科勝成はどうであろう。かつて異教徒との戦いで大いなる武勲を立てながら騎士の位を返上して傭兵となって薄汚れた仕事もこなし、さらにサムライとなって蒲生家に仕え、今この時はオルガンティノの護衛の任に就いている。

この流浪の日々、目まぐるしいまでの立場の変遷が視野を大いに広げ、思考に柔軟さを与えたように思える。

(ここは俺が何とかしなければならないのだろうな)

勝成の脳裏にある考え、窮余の一策が閃いた。そしてジュスト右近の白い顔貌を凝視した。このサムライが持つ稀有なまでの潔癖さ、私欲の無さに賭けるほかないのではないか。

「ジュスト殿。貴殿は宣教師と信者を守る為、全てを捨てる覚悟はありますか?」

ジュスト右近は一瞬茫然となったが、すぐに決然とした表情を浮かべながら力強く頷いた。






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