Maximum of the streets / page2
注文をとり、おねえさんは戻ろうと振り返ったとき。ふとこちらを振り向き、
「そうそう、ここデモンズストームの行き着けだから、運がいいと会えるかもよ」
と言った。
隼人は、「ああ、そう」と言ったきり、ちょっと、呆気にとられてしまった。
なんともまあ、よりにもよってアンソニー・ウルフの行き着けに来ちまうとは、これはどういう巡り会わせだろう。
アンソニー・ウルフの顔は、イベント開始初日のライダーズミーティングで見たのでおぼえてはいるが、向こうは、こっちの顔を、覚えているか。
(たったひとり東洋人かましてたからなあ、目立ったなあ)
物珍しそうな他のエントラントの視線が気になったもんだった。アンソニー・ウルフはこっちに見向きもしなかったが、まあ知らないことはないだろう。
とか考えているうちに、おねえさんはドリンクを持ってやって来て、
「どうぞ」
と、丁寧に日本語で言ってくれて、テーブルに置いた。
「ありがとう」
と隼人はにっこりと返し。喉を潤し、うめえ、と舌鼓を打った。が、しかし。
(このねえさんの入れてくれたコーヒーが飲みてえなあ)
と不埒なことを考えながら、窓から見える外の景色に目をやった。歩道は観客が歩き、その向こうでは、このギリアンの道路のコースをバイクたちがかっ飛んでゆく。
しばしそれを眺める。
ピンからキリまで、みんな精一杯走っている。楽しそうな観客たちに囲まれ、金網に囲まれ、さながらギリアンの道路のサーキットは、こうして見てみると、グラディエーターの闘技場のようだ。
走りの中に自分を見つけたライダーたち。
レースは金もかかるし、勝つことも容易ではないし、下手すりゃ死んでしまう。こうしてレースに出場するだけでも、レーサーもチームも、どれほどの労苦に対し血を吐く思いをしていることだろう。たったいちレースのために、すべてを投げ打つレーサーやチームもある。
それほどまでに、彼らはこのレースというものに対し尽きることなき情熱を、命を火を燃やす。
隼人も今までの越し方を、つい思い浮かべてしまった。どうも、過去にとらわれやすいたちらしい。
ドリンクで喉を潤しながら、外を眺めているときに、いかついバイカーどもがどかどかと足音も高らかにカフェに入ってきたことなど気付かず。
あのおねえさんの、
「なにすんのよ!」
という叫びで、はっと我に返る。
「いいじゃねえか、ちっとくらい遊んでくれたって」
「ふざけないで。女がほしけりゃよそあたって。ここはそういう店じゃないよ」
見れば、若い男たちに、あのおねえさんがからまれていた。気丈にも彼らを振り払おうと粋がるが、いかんせんその細腕、あっけなくバイカーの腕につかまれ逃げることかなわない。
男たちはぱっと見普通っぽいにいさんたちだが、Tシャツの袖からのぞくタトゥーからして、ギャングやマフィアでもないにしても、カタギからも程遠い感じだ。
店のオーナーらしきおじさんが、おろおろと男たちにやめろと言うが、効き目なし。他の客たちは、この突然湧いた騒ぎに驚き、店の中遠巻きにして成り行きを見守っている様子。
「はなしてよ。警察呼ぶわよ」
「へへ、呼べよ。お前を人質にして、サツと遊ぶのも面白そうだ」
「ちょっと、マジで言ってんの?」
「ああ、マジさ。びびったのか」
男たちはおねえさんをとらえて、へらへら笑う。その中の一人の肩を、誰かが叩いた。
「ああん?」
と、振り向いた瞬間。顔面に強烈な拳が炸裂し、やられた男は目に火花をちらしもんどり打ってたおれた。
隼人だった。
「F--k!」
糞ッ! と男たちはおねえさんをはなして、隼人を取り囲む。
隼人臆さず、拳を握りしめ男たちを鋭く見据える。
「ヘイチャイニーズ、カンフーごっこでもしようってか」
ひとりがそう言うとともに、臭い酒のにおいが鼻を突く。やつらはまだ陽も高いというのに、かなり酒をくらって酔っ払っているようだ。それで、このカフェに入り、酔った勢いでおねえさんにちょっかいを出したらしい。
「け、酔っ払いどもが。オレは日本人だぜ」
「カンケーねえ。よくもやりゃあがったな、ただじゃおかねえぜ」
カフェに緊張が走る。
オーナーは警察に電話しようと受話器を取るが、何を思ったかおねえさん、その手から受話器を取り上げて、
「待って、様子を見ましょう」
と言うと同時に、携帯電話で警察に通報しようとする客を見止めて、
「あなたも待って!」
と通報をとどまらせた。客は、無言でうなずくしかなかった。
(何を考えているんだ)
むしろ通報してもらった方が、隼人としても助かるのに。顔が知られていないのをいいことに、警察が来たら、金を残してさっさと逃げるつもりだったのに。
男どもも、これには信じられないと、かえって気味を悪くした。まさか、これ(隼人)のほかに用心棒がいるとでも?
それを察した隼人、彼らがただの酔っ払いであることがわかり、ちょっと、ほっとした。もしバリバリのギャングかマフィアだったなら、けっこうやばかったろうが。それでも、衝動的に身体が動いてしまった自分に、苦笑いする。
(ん?)
ふと、おねえさんの視線が気になった。さっきの、何かを勘付いたような目だ。いったい隼人に何を見たのだろう。
嫌な予感がした。そのとき、
「なんだ、なにがあったんだ」
と言う声。それとともに、
「デモンズストーム!」
と客が言った。
(なんだとッ!)
隼人は驚いた。入り口には、四十を少し過ぎた感じの男がひとり突っ立ていた。
ブラウンの瞳に髪、上下ジーンズのルックスの、どこにでもいるニュージーランド人の男性のようだったが。引き締まった口元に目は、相対する者に静かに威圧感を感じさせるものがあった。
隼人は男どもなど忘れて、じっとデモンズストームことアンソニー・ウルフを眺めていた。
「お、おい、こいつあやべえぞ」
デモンズストームは男どもも知っていると見え、隼人に拳をくらったヤツも慌てて立ち上がって、皆で一斉にわっとアンソニー・ウルフの脇を駆け抜けて、一目散に逃げ出してしまった。
「なんなんだ、ありゃ?」
呆れて見送るアンソニー・ウルフは、今度は店の中がすこし荒れ気味なのを目にして、
「ケンカでもあったのか」
とおねえさんに言った。
「そうよ、ここを売春宿と勘違いした酔っ払いのファ○○なオ□◇野郎がいてね。でも、この人が助けてくれたわ」
と隼人を指差す。
だが、よほど腹を立てているようで、聞く方が恥ずかしいことを吐くように言うおねえさんに、みんな困った顔をした。アンソニー・ウルフも渋い顔で、
「おやおや」
と苦笑する。それから、「おっ」とやや意外そうな顔をして隼人を見た。
隼人も指差されて、アンソニー・ウルフと気まずそうに対峙する。
「お前は、ハヤト・ソゴウじゃないか」
とアンソニー・ウルフが言うやいな、カフェは一気に沸いた。ありがたいことに、顔を覚えていたようだ。
ハヤト・ソゴウ。初参加のニューカマーながら、アンソニー・ウルフに次ぐ二番時計を叩き出したライダー。パンフレットに名前は載ってはいたが、けちなことに写真まで載っていなかったので、その顔を知るものは少なかったが。ここで一気に顔が知れた。
おねえさんも、店のオーナーも驚いて目を丸くする。ことにおねえさんの驚きひとかたならぬものがあった。なんせ隼人を観光客だと思っていたので、正体を隠していたことに対し恥をかかされたやら腹が立つやら。
「あなたが、ハヤト・ソゴウだったの!」
「うん、まあ、そう」
苦笑と照れ笑いをまじえた顔で、隼人はうなずく。すると、おねえさんは何を思ったか目をいからせずかずかと隼人に迫るや、
ばしッ!
と平手を食らわせた。隼人が驚きむかついたのは言うまでもない。
「な、なにしやがる!」
「うるさいわね。よくもあたしに恥をかかせてくれたわね、この、チキン野郎!」
「チキン! あのなあ、さっきの酔っ払いどもから助けてやったお礼がこれなのかよ、ええ、おい!」
「ふん。なにさ、レースに出てるってんなら、そう言いなよ。おかげであたしは、赤っ恥もいいところさ」
それを聞き、それで怒っているのかとようやく合点がいったものの。それでも平手とはひどいじゃないか。と、納得がいかない。
アンソニー・ウルフは置き去りにされ渋い顔をなお渋くして苦笑し、空いているテーブル(さっきまで隼人が座っていたところ)を見つけそこまでいくと、椅子に腰掛け。オーナーに、コーヒーを一杯、と人差し指を立てて注文する。意を察したオーナー、こくんと頷き、急いでコーヒーを立てようとする。
それに気づいたふたり、気まずそうにらみ合ったまま動かず。他の客も、呆気に取られながら成り行きを見守っていたが。
「そうね、助けてもらったお礼はしなきゃね」
と、ふう、とため息をつくと、つかつかとまた隼人に近づく。なんだ、と思い隼人は逃げようとしたが、おねえさん素早くその手をつかむや、一気に顔を迫らせて。
熱いキスを、お見舞いした。
「Yeah!」
カフェは爆裂するかのように、一気に沸き。歓声と口笛がこだまする。親子連れは慌てて子供の目を隠し、自分は目を丸くしてふたりのキスの様を凝視している。
仰天した隼人はおねえさんをふりほどこうとしたが、あにはからんや、おねえさんもろ手を巻きつけ決して逃がしてくれず、さらに圧力を増す。
アンソニー・ウルフは腕を組んで、渋い顔の口もとに笑い窪をつくって「こりゃ面白い」と言いたげにうなずき、ふたりのキスを眺めている。
どれくらいの時間が経ったかも知らず、隼人は狼狽しながら唇の感触をあじわっていると、もういいだろうとおねえさんは離れた。
「あたし煙草を吸うから、煙草の匂いがしたら勘弁してね」
などと言い、おもむろに胸ポケットから煙草を取り出して口にくわえ、ジッポで火をつけ、ふう、と紫煙を吐き出す。
(なんて女だ)
言葉もない。
それより、早くここを出ていきたかったが、アンソニー・ウルフはキスが終わるのを見て、
「ヘイハヤト、こっちに来いよ。せっかくだから、すこし話そうじゃないか」
と言う。
どうしようかと思ったが、あのデモンズストームからのご指名とあっては、断るわけにもいくまい。それ以上に、
「ハヤト・ソゴウ! ここにいて話を聞かせてくれよ!」
「ハヤト、あんたはファ○キングレイト(超すげえ)なヤツだよ」
などなど、様々に絶賛の言葉が隼人に向けられ、尽きることを知らない。このカフェで隼人はすっかりヒーローになってしまった。
しかも、子供がいつの間にやらそばに来たかと思うと、
「サインちょうだい!」
と色紙とサインペンを差し出してくる。
悪口は慣れているが、賞賛には慣れないので、強い照れくささをおぼえずにはいられなかった。
だがおねえさんはクールなもので、
「あなたからはワルの匂いがしたけど、図星だったわね」
と言い。アンソニー・ウルフのいるテーブルに向かう隼人の背中に、おねえさんはそうささやいた。
毒をもって毒を制す。なるほど、隼人があの酔っ払いどもを追い払うのを確信して通報をとめたのか。あの時の、何か勘付いたような顔をしたのは、そういうことだったのか。
しかし、過去を振り払いたかった隼人はこれに、ちょっと、傷ついた。と思ったとき。
「でも嫌いじゃないわ、そんなワル。あたしはカースティ。今夜、このカフェで待ってるわ」
くわえ煙草でぽそっとささやき。それからカウンターの奥に行くと灰皿で煙草をもみ消し、カップを洗い出す。
コーヒーを立てたオーナーは微笑みながら、アンソニー・ウルフのもとまで運び。それと同時に隼人は椅子に腰掛け、飲みかけのドリンクを一気に飲み干す。
カースティの、
「待ってるわ」
と言ったことが耳に残って離れないし、いまだ信じられず心ここにあらずの態だ。
「なんだ、お前もこの席だったのか」
「まあな」
「カースティのやつとは、やけに仲がいいじゃないか」
「よしてくれ。オレはもとからそんなつもりじゃねえ、ただたまたまコーヒー飲みに来ただけだ」
「それは、レモン&パエロアのようだが……」
「カースティのお勧めだってよ」
「ふうん」
「そういうあんたも、この店が行きつけだってな」
「誰から聞いた」
「……。カースティ」
アンソニー・ウルフはふっと笑った。隼人がすでにカースティと「デキて」いるように、にやにやしている。隅におけねえヤツだ、と。
「オレはここのオーナーと昔なじみでな、レースでないときもこのカフェに来ているんだよ。しかし、まさかお前まで来ているとは思わなかったぜ」
「オレも、こんな成り行きになるたあ思わなかったぜ」
「これも、神の思し召しかな」
「……。あんた、ぜんぜん悪魔っぽくないな」
話しているうちに、アンソニー・ウルフが普通の壮年のように感じられてきて。さっきの予選でぶっちぎられたことが信じられなかった。が、確かに、目の前にいるのはデモンズストーム、アンソニー・ウルフなのだ。
そういえば、教会に向かって十字を切っていたっけ。彼は本当に神を信じているのか、ふと気になって聞いてみれば、
「ああ、信じているさ」
とこともなげに言う。それから、お前も信じているのか、と聞いてきた。
「いいや」
「そうか。まあ無神論者も珍しくはないが、長く生きていると神を信じたくなるときがあるものだよ」
「あんたが神を信じているのはわかったが、なんでそれでデモンズストームなんだ。ゴッドじゃまずいのか?」
「そうだな、オレもそう思うが、このあだ名の方が信仰よりも古くてな、捨てられねえんだよ。まわりを見りゃわかるだろう」
周囲の、アンソニー・ウルフをデモンズストームとして英雄視するその視線。なるほど、あだ名の割りにけっこういい人なのが、これでよくわかった。
「ところで」
「ん?」
「お前は、神を信じたくなったことがあるか?」
「……」
しばし沈思する。それから、
「ある」
と言い。過去の、暴走族時代から日本のレース界を出て行かざるを得なかったことまで、洗いざらい話した。隠したところで、何かのきっかけでこのニュージーランドでも広まるかもしれない。なら、機会があれば自分から話した方がいいと思ったからだった。
仲間は、抗争のときにライバルチームのメンバーに追われてバイクで逃げようとしたとき、コントロールをミスって転倒、頭を強く打ち、即死だった。
それを思い出し、胸が痛む。
「そうか、そういうことがあったのか」
「ああ」
「日本人レースファンからすれば、お前は島流しにあったように見えるだろうな」
「そうだろうな」
「だが、ニュージーランドは流刑地じゃねえぜ」
「それは、わかっている。もとよりニュージーランドを流刑地なんて思っていないし、いいところだと思っているよ。なにより、オレは未来を賭けて、ここに来たんだ」
「Good!」
アンソニー・ウルフは、親指を立てて笑った。
「試練は人を強くする。艱難汝を珠にす、だ。確か、仏教でも、ブッダは様々な試練に耐えたのだな。マホメットもそう。いわんや、我々もまた試練を越えねばならん」
「え、あ、ああ、そうだな」
アンソニー・ウルフは神父さんになったかのように、隼人に教えを垂れる。その語り口は熱く、レースとは逆に、神の嵐となって吹き付けてくるようで。隼人は思わず圧倒されてしまうとともに、胸に熱く込み上げるものもおぼえた。
「人間生きている限り、試練は何度でもやって来る。だが、それと同じように何度でもやり直せる。ハヤトよ、オレは、お前のようなチャレンジャーに挑まれたこと、嬉しく思うぞ」
「ウルフさん、あんた……」
「明日のレース、全力を尽くそう。……、カフェのみんな!」
圧倒される隼人をよそに、アンソニー・ウルフはコーヒーカップを持って立ち上がると、カフェの客に呼びかけた。
「明日の決勝、グッドレースとなるよう祈って、みんなで乾杯しようじゃないか!」
「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
カフェの客はもちろん、オーナーに、カースティさえも、アンソニー・ウルフの音頭にのって、乾杯! と手に持つカップをかかげて言った。隼人も、照れをおぼえつつも、遅れて立ち上がり。
「乾杯!」
と言った。
それから小一時間、カフェでわいわい言いながら楽しい時間をすごして、テント村に帰った。
カフェでのことは、ジャクソン監督やジェフらクルーに、こういうことがあったと、正直に言った。ただ、カースティの「待ってるわ」だけは恥ずかしくて言えなかった。
「なんて野郎だ」
ジャクソン監督やクルーは驚くやら呆れるやら。一歩間違えば隼人だけでなく、チームまでがレースを撤退しかねないことだ、それは。
ジャクソン監督は、ふう、と一息つきテント村のコーヒーメーカーで立てたコーヒーを紙コップで飲みながら、また、ふう、と一息つく。どうやらコーヒーが熱すぎらしい。
「まあ、偶然にもデモンズストームの行き着けだったのがよかったな。だがお前、上手くやったなあ」
「へへ、まあね」
「……、言ってはなんだが、日本を出て正解だったんじゃないか」
隼人、それにはやや戸惑いも見せたが、確かに日本にいたままではそんなことはなかったかもしれない。
「まあ、そうだな。監督の言うとおりだよ」
「と思ったが、そう思うのはまだ早いぜ」
「え」
「明日の決勝! その結果次第だ。まだ途中で、いい気になってるんじゃない!」
(おっとっと)
確かに監督の言うとおりだ。
予選はあくまでも予選。予選でいいタイム出しても、決勝でリタイアしちまえば、元も子もない、元の木阿弥だ。
「まあ、お前はルーキーだから少しは大目に見よう。だが、転倒リタイアしたら、ただじゃおかねえからな、わかったか!」
「は、はい!」
大目に見るとはいえ、結果を求められればさすがにプレッシャーを感じずにはいられず、知らず身も心も引き締まる。
ジェフは、YZF-R1を整備しながらクスクス隠れて笑っていたて、
「あ、そうだ。監督、今日の晩飯、隼人の行ってたカフェで食いましょうよ」
と言おうとしたが、はっと思うことがあって、やめた。
(邪魔して恨み買ったらまずいな)
と、思い至ったのである。隼人の浮かれように、何か裏と言うか、秘密がありそうな気がした。
これで終わりではあるまい、と。
もしその予測が当たったら、自分たちはとんだ邪魔になるし、下手をすれば人の幸運を指をくわえて見てるピエロにもなりかねない。そう思うと、隼人と女のことは、そっとしておいた方が賢明だった。
監督、言いたいことも言い終えて、ふう、と。さて、と一息つくと。
「明日の決勝、こりゃ相当覚悟してねえといけねえぞ。デモンズストームがお前をライバルと認めたなら、かなりハードなものになるだろう」
それを聞き、隼人の脳裏にデモンズストーム、アンソニー・ウルフの走りが蘇る。
あの、悪魔の嵐という異名にふさわしい烈しい走り。予選でも、二位とはいえ、置いていかれたのだ。決勝となると、さあどうなることやら。隼人をライバルと認めた以上、本気で攻めにゆくだろう。
カフェでいいことがあっただけに、そのためにかえって明日の決勝で、とんだ恥をかくことになってしまうんじゃないか。
「変なことに体力を使わないで、今夜はモーターホームのベッドでゆっくり休め」
という監督の戒めの一言。
変なこととは、なんだ、と考えるまでもない。どうやらお見通しのようだ。ジェフは危うく吹き出しそうになる。
「……」
隼人無言で頷く。実は、同じことを考えていた。
多少勝ち気でツンデレ気味なカースティでも、知り合ったばかりの男と一夜を過ごそうとするような女性には見えなかった。おそらくあれは、興に乗ってのジョークなのかもしれない。
もし調子に乗ってカフェに来ようものなら、
「あれ本気にしたの!? ジョークがわからないなんて、あたしも安く見られたものね」
とか言いそうだ。
とはいえ、いややはり、案外本気?
(わからんなあ)
女は、苦手だ。と脳裏でつぶやいた。
小さくささやいていたので、このことは、他人は知らない。ふたりだけの約束だ。さてどうしようか。
とあれこれ考えながら、修復されたマシンのポジション合わせをしたり、チームミーティングをしたり、モーターホームで晩飯食ったり。と、なんだかんだで気がつけば夜も九時を回っていた。
「行くか」
監督やジェフらクルーは作業を終えて談笑している。
それをよそ目に、こっそりと町に出てカフェに向かう。
カフェの場所は覚えているので、小走りにかければすぐに着いた。まだ開いていて、ほのかな灯りがともって、少ない客たちをやわらかに包み込んでいる。いくらレース期間とはいえ夜ともなれば客は少ないようだ。
隼人はややどぎまぎしながら、カフェkiwiに入った。
すると、オーナーがにっこりして迎え入れてくれ。カースティは、
「来てくれたのね」
と、嬉しそうに笑顔を見せる。
(本気なのか?)
むずがゆさをおぼえつつも、カウンターの椅子に鼓し掛け、コーヒーを頼めばカースティは手際よくコーヒーを立ててくれる。
ふたりの間に言葉はなかった。
その間に、コーヒーの入ったカップが置かれると、まずカースティから口火を切った。
「明日勝てる?」
「わかんねえ」
「予選二位だったじゃない」
「あれは、まぐれだよ。明日も同じペースで走れるかどうか」
「謙遜は必ずしも美徳というわけではないわよ」
「こりゃ一本取られたなあ」
日本語で、いただきます、と言って。頭を下げてカップを手にとってコーヒーをすする。
「美味い」
「ありがとう」
今夜待ってる、というのは、単純にまた店に来てあたしの入れたコーヒーを飲みに来てほしい、ということだったんだろうか。
と内心ほっとしていると。
「コーヒー美味しいでしょ。来てくれて嬉しいわ。あなたには、是非あたしの入れたコーヒーを飲んでほしくてね」
と言った。その笑顔は、どこかいたずらっぽく感じられる。案の定、というところか。
「お得意様になってほしかったのかい?」
「そうよ。レースのトップライダーがふたりもうちの店に来てくれるなんて、こんな嬉しいことはないわ」
隼人は思わず照れと苦笑いをまじえた笑顔を作る。
「まだ予選二位が一回だけさ。明日の決勝どうなるのかわかんねーし。それからのレースだって……」
「うふふ」
隼人が弱気なことをいうのをおかしがるカースティだったが、その目の中に、灼熱の炎が燃えたぎっているのを見逃さなかった。
隼人、妙にむずがゆいものを覚え、まだいたいような、早く出たいようなという、妙に優柔不断になる。なんというか、心がやすらぎ、そのまま夕日の海に沈むかのように、心がこのコーヒーのほろ苦さにとけこんでいきそうな、というか。
いつまでも、この迷いにひたっていたかったが、レーサーとしての隼人がそれを許さず。
「コーヒーごちそうさん。明日早いから」
と言って立ち上がる。
「グッドラック」
支払いを終えると、カースティはそう言って隼人を見送った。それから、辺りを見回し周囲がこっちに目を向けていないのを確かめると。カウンターに置かれてた、隼人の飲んだカップを洗おうとする前に、口をつけてた部分に、口付けをして。
「グッドラック」
と、ささやいた。
一夜が明けて、ついに来る決勝レース。
朝はフリー走行。町のコースには、隼人の駆るYZF-R1。
朝日が山の少し上から、街を見下ろし恵みの光を降りそそいでいる。
他車との流れに乗りながら、マシンの調子を確かめている。昨日転倒させてしまった影響は、ないようだ。
朝の町には、早くもレース観戦の人々で賑わい、歩道を埋め尽くすばかりだ。
町に爆音が響きわたる。
朝寝坊さんたちはこの爆音にたたき起こされて、目をこすりながら窓から外の様子を伺い渋い顔をしする。
昨日にも増して、町には小物売りのテントがあちらこちらに立ち並んで。レースの協賛スポンサーの垂れ幕や旗が、町を彩りながら風にはためく。
また、ひいきの選手を応援するための、それぞれの観客たちのつくった垂れ幕や旗もコース沿いの歩道で、人だかりの中で花を咲かせる。
最終コーナー立ち上がり、隼人はフルスロットル。
「……」
隼人無言。
前に二台、後ろに一台と、他のエントラントに囲まれている。フリー走行なのでバトルはしていないが、隼人は息を呑んでから吐き出すことを忘れたかのように押し黙って、これらのマシンと一緒になって走っている。
YZF-R1はめいっぱい叫んで烈風を切り裂きギリアンの町役場の前をかっ飛んでゆく。
「ついていくのがやっとって感じだな」
ジャクソン監督がぽそっとつぶやいた。
「昨日いいタイム出しましたからねえ。けっこうマークされてますね」
というジェフの言葉通り、朝フリー走行を走り始めてからというもの、妙に他のエントラントになつかれてか、ぴったりと後ろをマークされたり前につかれたりして、一台マイペースで走ることが出来ない。
これがまたいいペースで走ってくれるもんで、隼人も一苦労のようだ。
前はちょろちょろと後ろを向き、後ろはじっくりと観察と洒落てか引き離されることなくオプションのようにへばりつく。
その間で、隼人はほぼ本気の走りを強いられている。
「もう、うっとうしい」
あやうく切れそうだった隼人だが、フリー走行で無茶してこけてしまえば元も子もない。やむなく左手を挙げて減速するぞと合図を送った上で、ペースを落し、後ろに抜かせた。
サウンドをはじかせ風を切り裂きながら、後ろが追い越してゆく。そのとき、ちらりと隼人に振り向き、ちぇっ、と言いたそうにそのままのペースで走り去ってゆく。
ふう、と一息つき、後ろを振り向き他車がいないのを確かめ、前にも後ろにも他車のないクリアな状態なのを確かめると、自分のペースをつかむため、ギリアンの凸のレイアウトの公道コースを七分の走りで攻める。
アクセルを開ければYZF-R1のサウンド雄叫びを上げ、風を打ち砕き。コーナーでは切れ味鋭いコーナーワーク。丁寧に走行ラインをなぞり、基本に徹した走りをしながら。
マシンとリンクする身体に、心に、何かがインストールされてゆくような感覚をおぼえ。隼人は、己の命あることを感じ、大きく息を吐いた。
空を揺るがすサウンドは、町全体に響き山々にもこだまし、人の心も揺さぶる。そのサウンドをマシンに奏でさせれば、ハイスピードの激流の中、建物は迫り来るように視界は縮まって吹き飛ばされてゆき、観戦の人々も吹き飛ばされてゆくように見える。
コースは町に囲まれ、町は山に囲まれ。その上で果てしなく広がる青空のもと、太陽が下界を見下ろし、たくさんの白い夏の雲が船団を組むようにして空を悠々と泳いでいる。
どんなに走っても、周回数を重ねても、空の上の雲には迫れず。またかわることなく、悠々と空の旅を満喫している。
走っているときでも、そんな空の雲を見るたびに、隼人は人間の小ささを思わずにはいられなかった。
ふと、黒いマシンが見えた。ゼッケンは13の、GSX-R1000。デモンズストームことアンソニー・ウルフだ。で、さらにふと気付く。
丁度、凸レイアウトの右側、最終コーナーとそのひとつ手前のコーナーをつなぐ短い直線の内側の通りにある、カフェkiwiの前だ。
面白いところで面白い人と出会うものだ。
カースティは、今どうしているだろうか。
今もカフェで、マシンサウンドをBGMに、客にコーヒーを立てているのだろうか。
後ろの気配に気付いたアンソニー・ウルフは、ちらと振り向き隼人が迫っていることを知ると、ふっと笑った。
「来るか」
それまで軽く流していたが、そろそろ本気をだしてもよかろうと、最終コーナーから途端にペースを上げる。
「おうおう、やるかあ」
フリー走行だというのに、ふたりはまるで決勝レースのように飛ばす。
一通り走ってコース状況は確認し、危ないところやいけるところは掴んだ。さてそれから、どこまで攻められるか……。
ゼッケン13のGSX-R1000とゼッケン10のYZF-R1が、役所前通りのメインストレートを風を切り、駆け抜けてゆく。
ジャクソン・モータースポーツのクルーやアンソニー・ウルフのいるチーム・ドラゴンのクルーらは、真剣な眼差しで二台を見送った。ちなみにアンソニー・ウルフのチーム監督はアンディ・ローソンといい、チームは共同で設立している。余談ながら、WGPで活躍した往年のライダー、エディ・ローソンとは関係なく、たまたま苗字が同じだけだ。
監督の愛娘、クリスタルがヘルパーとしてタイムの計測をしている。ラテン系で、東洋人顔負けの艶のよい黒髪が、マシンの起こす烈風にゆられ。黒い瞳がひときわ輝く。
「パパ、ウルフさん本気でいくみたいよ。さっきと全然雰囲気が違う」
「そのようだな。良きライバルを得た、と彼はとても嬉しそうにしていたが」
「まさかニューカマーの日本人が、そうだなんて。あの人よほどセンスがあるみたいね」
「そうだな。試練を越えようとする者ほど、内から輝くものをもっている。とまあ、あだ名にあわぬ宗教的な表現をつかっていたが、あながち間違いではないようだな」
「あのYZFも、他と違ってGSXと同じようにとても生き生きしているみたい。まるであの日本人、ええと、ハヤト・ソゴウのハートがこめられているみたい」
メルヘンなセンス溢れる愛娘のおとぎ話みたいな言い方に、父のアンディはにこと微笑み、遠くを眺める目で他車駆け抜けるストレートを見守った。
メインストレート、六速トップエンド、オーバー300キロに達成。歩道に人の立ち並ぶ町の周囲の景色は吹き飛ばされるも、空は動かなず、じっと下界を見下ろしている。
叩きつけられる烈風を打ち砕き、アクセルを開ける。マシンは天も砕けよと高らかに叫ぶ。
そこから一気にブレーキング、減速、第一コーナーに突っ込む。
アンソニー・ウルフ、隼人とも、イン側の角の電柱にすれすれで曲がってゆく。
それから第二コーナーの高速コーナー。マシンをバンクさせながらの加速、前輪はパワーウィリーをし後輪はスライドし、難しいコントロールを要求される。
昨日痛い思いをした隼人は、慎重にYZF-R1をコントロールし、ウルフに続く。慎重すぎたか、やや差が開く。
「むむむ」
とひとうなり、さらなる追撃をかける。
そのとき、二台の前にゆっくりと走る赤と白のGSX-R1000。ゼッケンは2000というとんでもない数字。そのライダーの、赤いレーシングスーツの背中にマシンガンをかかえた鮫のコミカルなイラストがはっつけられている。
後ろの気配を感じて振り向き、アンソニー・ウルフと隼人であることを見て、途端にペースを上げ始めた。
が、アンソニー・ウルフの敵ではないようであっさりと抜かれてしまった。隼人もそれに続こうと、ゼッケン2000のGSX-R1000を抜こうとした。が、
「!!」
何を思ったか、隼人に対しては執拗にラインをブロックし、道を譲らない。アンソニー・ウルフに抜かれた途端にペースを下げたのに。
「てめえッ!」
思わず叫ぶ。
このペース、実力のペースではなくどうも意図的なもののようだ。それで、隼人をブロックする。
(何考えてやがる)
そうかと思えば、また途端にペースを上げる。隼人は舌打ちし、2000のGSX-R1000を追撃する。アンソニー・ウルフはもうはるか前だ。
異変を察したアンソニー・ウルフは、隼人がすぐ後ろにいないことに不審を覚え、次に不吉を覚えた。
(やっかいなヤツに捕まったな)
ゼッケン2000のGSX-R1000。ライダーはロジャー・リーマン。昨年、アンソニー・ウルフに次ぐ二位だったライダーだ。
が、勝利への執着心強く、勝つためには手段を選ばぬときもある。昨年ウルフにこのレースで敗れて以来、復讐の心を燃やし続けているようだ。
だがどうして、隼人を狙う?
「嫌な予感がするな」
それから数週走ったが、隼人は転倒していないようで、調子も掴んだしフリー走行を終えて。それから、アンディとクリスタルのいるメインストレートの歩道特設ピットまでいく。
「お前さんのライバル、えらいヤツに目をつけられたぜ」
「らしいな」
クリスタルははらはらし、言葉もない。さっき隼人と一緒に本気になって走り始めたと思ったばかりだったのに。これは一体どうしたことか。
それと同じように、ジャクソン監督が、
「おいなんでリーマンの野郎、ハヤトにからんでるんだ」
とわめいている。ロジャー・リーマンは、どうも良い噂を聞かない。予選の成績は、隼人に次ぐ三位。
「そうか、あの野郎新参者に負けたから腹いせしてやがるのか」
その通り、ロジャー・リーマンは感情のおもむくままに、隼人にからむのであった。
決して遅いライダーではない、それなりに実力を持っているライダーだ。
隼人をブロックしつつも、タイムはまずくない。昨日のアンソニー・ウルフと隼人に迫るタイムだ。
コースを走りながら、隼人は腹立ちつつも舌を巻く思いで。集回数を重ね、知らないうちに熱くなる。
凸レイアウトのコースを、他車をパスしながら、隼人のリーマン追走は続く。
カフェではカースティがマシンサウンドをBGMに、コーヒーを立てている。仕事を抜けてレース観戦するのは、午後の決勝で、と決めている。
が、まさか隼人がいわくつきのライダーにからまれているなど、知らない。
(ハヤトは、何位に入るのかしら。ていうか、完走できるかしら)
とのんびり考えている。
コースでは、隼人がロジャー・リーマンを抜こうとしきりにプッシュをかける。が、リーマンのブロック巧みにして、付け入る隙がない。
どうにかして抜いてやろう、と意気込んでいると、メインストレートでの特設ピットで、アンソニー・ウルフがこっちをじっと見ているのが見えた。
「……」
はっ、とした。
そうだ、今はフリー走行だ。ここで無茶をしても意味がないのに。
そう思い至ると、ペースを下げ。ロジャー・リーマンが行くに任せ。自分はさっさとコースから外れた。
なんだか不完全燃焼なフリー走行で、面白くない気分だった。
この午前のフリー走行で調子を整えようと思っていたが、どうも上手くいかなかった。
YZF-R1をジェフに預け、着替えを済ませチームミーティングをする。そこで、ジャクソン監督から、ゼッケン2000のあいつに気をつけろ、と言われた。いわくつきのヤツだということも聞いた。で、それで、
(なんだ、あいつは)
と怒ったが、前にいるのを幸い、さっさと相手にしなければよかったのだと思うと、挑発に乗りやすい自分のラフさに自分で呆れる思いであった。
こんなことで決勝いけるのか、と。
(日本時代、思えば、このためにタイムを出しても決勝で上に行きそびれていたんじゃないか?)
と思うと、どうしようもなく、忸怩たる気持ちが湧き上がる。
ともあれ、フリー走行を終え、マシンの調子のいいことはわかった。あとは、自分次第。決勝を待つのみ。
ここに来て、プレッシャーを感じる。いかに隼人が胆の太いタイプの男だろうが、やはり決勝を前にすれば緊張は禁じえないもので。サンドイッチのような軽食すら喉を通らない。
予選二位という、予選結果もプレッシャーに重みを加えていた。またこのレースの取材に来ているモーター誌の記者が、脅威の新人として隼人への取材を申し出たが、ジャクソン監督を通じてこれを片っ端から断った。予選二位とはいえ、肝心の決勝が済んでみないと取材を受ける資格があるかどうかわからないから、決勝が済むまで待ってほしい、とまあこれはジャクソン監督の考えた言い訳。
町へ出てカフェに行こうか、と思ったが、やめた。監督も許さなかった。それもそうだ、あと数時間で決勝というときに、ふらりと遊びに出かけるライダーでは困るじゃないか。
これからも隼人がこのチームで走れるかどうかは、決勝の結果にかかっている。悪ければ、お役御免だ。そういう約束で来ているのだから。
集中するために、テント村横の駐車場に停めてあるモーターホームで自分でコーヒーを入れて静かにしていた。大小様々なトラックやモーターホームが駐車場狭しと並んでいる様から、人はここをトラックステーションと呼んでいた。
それはともかく、コーヒーが、不味く感じる。しくじったようだ。
(カースティの入れてくれたコーヒーを飲みたい)
と思った。
そのとき、窓の外で、何かがさっとかすめたような気がした。鳥か虫か、と思ったが妙に不自然に感じられて、外に出ようとすれば。
「あなたたち、何をしているの」
という女性の声が聞こえた。え、と思って外に出れば、黒髪も艶やかなラテン系の少女がいて、それから逃げ去ろうとする男たち。
「あ、あいつら」
あれらは昨日の、あの男たちじゃないか。それが背中を見せてモーターホームから逃げ去ってゆく。お礼参りに来たが、少女に声を駆けられてやむなく逃げ出したようだ。というか、正体がばれたのか。
「あ、あんたは、アンソニー・ウルフの……」
少女の着ている黒いシャツにある、TEAM DRAGON の刺繍。隼人はそれを目にして、はっとする。
少女はにこりと微笑み、
「私はクリスタル・ローソン。クリスって呼んで。で、あなたは、ハヤト・ソゴウね。ウルフさんから聞いているわ。試練を越えようとする者、として」
と言った。
アンソニー・ウルフは、チームのクルーに隼人のことをそう言っていると知り、くすぐったいような、はにかむ気持ちが芽生える。
「たまたまここを通りかかったら、変な人たちが、モーターホームを覗いていたから怪しいと思ったの。残念なことに、泥棒はどこにでもいるから、気をつけなきゃね」
「あ、ああ」
やはり彼らは根っからの不良で、泥棒に来て、そこがたまたま隼人のいるモーターホームだった。……まさかなあ。と不吉な予感が胸をよぎる。しかし、下手をすれば彼女も危険な目に遭っていたというのに、いい根性をしているのかそれとも良くも悪くもナチュラルなのか。
と思ったら、
「OH!」
と声を上げた。
「そうそう、あの人たち、どこかで見たことがあるわと思ったけど……。マシンガンジョーズのクルーだわ!」
マシンガンジョーズ。それはロジャー・リーマンの所属するチームだ。背中のあのイラストの通りの、なんともストレートなチーム名じゃないか。
ていうか、あの不良ども、なんとレースに参加しているチームのクルーだったのか。それが、昼から酒をかっくらって、カフェでカースティにからんで……。
チームは一体どんな人選をしているのやら。
「もともとが暴走族上がりのチームだから、ガラが悪かったけど……。まさか泥棒までするなんて」
「うーむ」
隼人は眉をしかめた。あの不良どもと、ロジャー・リーマン。なにか、パズルが解けそうな気がした。
(こりゃ、決勝は心してかからねえとやべぞ)
しかし、日本で暴走族してたのが、ニュージーランドに来てまた暴走族とからむことになるとは。アンソニー・ウルフが聞けば、神の悪戯か悪魔の業か、とか言いそうだ。
このことを、主催者に告げ口しようか、とクリスタルは言った。
「いや、ああいう連中だから、きっとあんたを逆恨みするだろう。やめた方がいい。それに、そんなことで懲りるようなやつらでもないだろう」
と言って踏みとどまらせた。それに、目的は泥棒ではあるまい。
(おもしれーじゃねえか)
血が、たぎるのを覚える。
(お前らがそういうつもりなら、こっちもそれなりに応えるつもりだぜ)
知らず拳が握りしめられ、それを察したクリスタルは隼人から言いようのない雰囲気があふれ出ているように感じた。
それは、カースティに隼人がワルだったことを気付かせたものだったかもしれない。
そのころ、あの男どもはマシンガンジョーズのチームテントに駆け込み、ロジャー・リーマンに事の次第を語ると、ロジャー・リーマンはせせら笑って言った。
「だから言ったろう。仕返しなんざやめとけ、ってな」
「すいやせん兄貴。オレたちゃどうしても我慢ならねえもんで」
「せめてイッパツくれえはくれてやらねえと腹の虫がおさまらねえ、と思って……」
「馬鹿たれが。だからてめえらは、せこい不良でしかねえんだよ。おとなしく、決勝でオレにやらせりゃいいものを」
「へえ、すいやせん兄貴」
「まあ、済んだことはいいや。さあさあてめえらは、さっさとマシンの整備をしろやい。いいか、手ぇ抜くんじゃねえぞ」
「がってんだ、兄貴」
男どもは意外に上手くマシンのカウルを外し、手際よくプラグを抜いたりタイヤを外したりチェーンのしまりをチェックして、整備にとりかかっている。ウデはいいようだ。
それを、ロジャー・リーマンが腕を組んで、地べたにあぐらを組んで眺めている。
七つの海を渡る海賊を思わせる威圧感のある風貌で、不良どもをまとめるだけはあり、ブロンドの髪はざんばらに、眉太くガンは鋭い。マシンガンジョーズという、はじめは暴走族からはじまったチームを結成し、ついには正式なプロレースに出るまでに上りつめた。
チームテントは他のチームと違い、ここだけ異次元のように雰囲気が違い、男女のクルーたちことごとく不良の匂いが強く、ピットというより「溜り場」と化していた。
これだから、嫌われているのは言うまでもない。しかしワルにとって、嫌われることはステータスでもあるので、おおいに結構と喜んでいる。結果も出しているし、それにともない、取り巻きはもちろん性格はともかくウデのいいメカニックもつき、スポンサーもつき、金も入り。
いつしか、ワルたちのカリスマとなった。
まさにロジャー・リーマンの人生は、ワルのロマンを地でゆく人生ではないか。
あとは、目の上のたんこぶであるデモンズストーム、アンソニー・ウルフを倒すだけだ。だが、思わぬ邪魔が入った。
それが隼人だった。
陽はてっぺんまで昇り、それから徐々に下がってゆく。
決勝レース当日の午後。ギリアンのバイクウィークラストデイ、興奮は最高潮に達していた。役場の屋上にはここニュージーランドをはじめとし、日の丸に星条旗と世界各国の国旗が並べられ、風に乗り威風も堂々とはためいている。
またレース前イベントとして、役場前ストレートで町長や来賓挨拶がありレース開始を宣言する。次に地元のブラスバンドの演奏をバックに女性歌手がニュージーランド国家をうたい。にぎやかなレースイベントにあって、観客たちは厳かに国歌斉唱に聞き入り、この間は厳粛な雰囲気が流れ。
演奏が終わると、観客やエントラントたちは拍手や口笛でもってバンドや歌手たちに喝采を送り囃し立てる。
それらのイベントが終了すれば、さあ決勝レースの開始だ。
まず排気量の小さい他クラスの決勝レースからはじまり。烈しいバトルが繰り広げられ、歩道にひしめく観客たちも、わいのわいのと大はしゃぎ。
町は熱気に包まれ、テンションも上がりに上がっている。
テント村では、レース参加者たちの喜怒哀楽が入り交じる。勝った者、負けた者。完走すら出来なかった者。結果はどうあれ、純粋にレースを楽しんでいる者。
それぞれの感情が、ひとっところに凝縮されて、テント村は感情の坩堝と化したようだ。
それを肌で感じながら、隼人はレーシングスーツを身にまとい、モーターホームを出て、ヘルメットを手にチームのテントに向かう。
空は、にくたらしいほど、蒼かった。蒼天南半球に広がり、隼人はその向こうに己の突き進むべき道を掴み取ろうと心を燃やす。
チームのテントに着けば、ジェフがスタンドに立てられたYZF-R1のエンジンをかけて待っていた。
YZF-R1も、待っていたぜ、と言いたげに低く唸る。
「さあ、行こうか」
隼人はこくりと頷いてヘルメットを被り、YZF-R1に跨ると、スタンドが外され後輪が地に着き。ギアを一速に入れると、ゆるゆると進み始め、コース手前で止まった。先に出ていたエントラントたちが、赤い旗を持つオフィシャルの前で、コースインを待っていた。
マシンたちは低く唸りをあげながら、コースインのときを待っている。隼人も同じように、うなるYZF-R1とともにコースインを待つ。
その横に、ゼッケン13の、黒いGSX-R1000が着く。チーム・ドラゴンのデモンズストームこと、アンソニー・ウルフだ。
「やあ」
アンソニー・ウルフはヘルメットの開けられたバイザー越しに、目じりにしわをつくり、笑みを送る。決勝、いいレースをしようぜ、と。
隼人は決勝前でプレッシャーを感じていることもあってか、やや硬い表情をヘルメットの中でつくっているが、極力表情を和らげ。
こくん、と頷く。それから並んで、コースインを待っていたその後ろに、ゼッケン2000の、赤と白のGSX-R1000が着く。
マシンガンジョーズのロジャー・リーマンだ。
「へい、おふたりさん。楽しく行こうぜ!」
と気軽に話しかける。
隼人は舌打ちし後ろを振り向くも、すぐに前に向き直り。アンソニー・ウルフは、
「ああ、楽しくやろう」
と一言送った。
それから次々とマシンがそろってゆき。オフィシャルは無線で各所と連絡を取り合い時間を確認すると、赤旗を振って道を開ける。そうすれば、マシンたちは唸りを上げながらコースインしてゆく。
歩道の観客たちは、クラス・マキシマムのマシンたちがコースインしてゆくさまを興味津々と見守っていた。
いよいよ始るのだ。最高のマシンによる、最高のレースが。
エントラントは軽く流してコースを回る。
カフェkiwiのところに来ると、カースティが歩道に出て観客たちと共に、これから戦いの場にのぞむマシンたちを見送っている。隼人は、心に花咲くのをおぼえ、左手を上げ親指を立てた。
「Good luck!」
カースティはゼッケン10のYZF-R1を、ライダーを見つめて、そう言って、隼人に手を振った。
町のメインストリート、凸レイアウトの下にあたるメインストレートの真ん中、役場の前のスターティンググリッドまで来て、一列四台、それぞれの予選順位順に並ぶと、一旦エンジンを切る。
最前列には無論ポールポジション(予選一位)のアンソニー・ウルフから順に、十河隼人、ロジャー・リーマン……と並んでいる。
役所前の歩道特設ピットからそれぞれのチームクルーが出てきて、グリッドのマシンに駆け寄り。マシンの最終チェックとライダーとの最後の打ち合わせを行う。つづいて、へそ出しショートTシャツとショートパンツ姿の、レースの協賛スポンサーのキャンペーンガール十数人が傘を持って上位マシンに駆け寄り、広がる蒼天を頭上に臨みながらグリッドのライダーたちの日よけと傘を開いてかかげ、ことに最前列のライダーには数人が取り囲み。
このレースに華を添える。
さすがキャンペーンガールたちは皆キュートでセクシーで。男の観客たちは喜んで口笛を吹き、囃し立て。キャンペーンガールたちも笑顔でそれに応える。いわゆるキャンギャルに慣れていない隼人は、はにかむ気持ちが湧き上がり。ただじっとしていた。
その間、アナウンスがライダーの紹介をする。まずアンソニー・ウルフが呼ばれ、つづき隼人が呼ばれる。隼人ははにかみつつ、左手を挙げて応えた。
「ハヤト、最前列ってなあいいもんだなあ」
ジャクソン・モータースポーツを結成して以来、最前列ははじめてで、ジャクソン監督は興奮を隠しきれない。
その様子を見て隼人はおかしさをおぼえ、やや緊張がほぐれた。これが決勝に繋げられれば、道が開ける。そう思ったとき、一筋の光明を見出したようだった。