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Maximum of the streets / page1

「また、えっれえところに来ちまったもんだ」

 と、ぽそっとささやく日本人が、ひとり。

 ニュージーランドの片田舎、ギリアンという町。町は山に囲まれ、三階建ての役場以上に高い建物もない。小鳥のさえずりや、風のささやきでも耳にそっと入ってきそうな、この閑静な田舎町に。

 今は爆音が轟いている。

 爆音はくうを揺るがし、どこまでも広がる夏の青空までもかち割らんがばかりにあたりいっぱいに響きわたる。

 道路では、ハイチューンを施されたバイクがハイスピードでかっ飛んでゆく。一台や二台ではない、ざっと数えて三十数台。思い思いに彩られたカラフルなバイクたちが、ライダーたちが、町の道路をフルスロットルくれて気合一杯に突っ走る。

「すわっ、暴走族!」

 と、思わず叫んでしまいそうだが。これらは暴走族ではなく、道端の警官は腕を組んでそれを静かに見守っているばかりか。時折同僚に、

「あいつ下手だなあ」

 とか。

「あの赤い56番、ドリフトしてコーナー抜けてったぜ。上手いもんだ」

 とか言っている。住人たちも思い思いの、安全な場所で、このバイクが飛ばす様をながめ。

「Yeah!」

 だの、

「Go!」

 だのと好き放題なことを言ったり叫んだりして、やけに盛り上がっている。仲には親子連れの家族に、どう見ても地元の人間ではない観光客、それのほとんどはバイカーたちで、バイクの走る様をにこにこ嬉々として眺めていたり。

 なかにはハーレーダヴィドソンにまたがるヘルズ・エンジェルズそのもののバイカーもいて、女性メンバーか、腕や背中のタトゥーも誇らしげにさらした露出の多いレザースタイルで決めて、マシンサウンドをBGMに自分のバイカー哲学を仲間に熱く語っている。

 その町の片隅に、テント村が立ち並んでいる。テント村横の駐車場には、数十台の輸送用トラックが立ち並んで。

 そこにも人が数十人、バイクをトラックから出してテント村へ運びこんで汗だくになってメンテに神経を注いで。

 まるで、このギリアンの町そのものがサーキットになったようだ。

 それもそのはず、このギリアンの町では年に一度のビッグイベント、


 Maximum of the streets


 が開催される。

 町の道路を閉鎖して、バイクのレースイベントが開催されるのだ。

 危険と思われるところには藁束や土嚢を敷き詰め、ところによっては金網も張って、コースアウトしたバイクが建物や人に当たらないようにし。ぐるぐると何週でも回れるサーキットリンクのように右に左に曲がるコーナーも設けてコースが決められていた。

 まさにこのギリアンの町は、レースが開催される一週間はバイクウィークとなり、遠方よりバイカーたちが集い地元の人々もにわかバイカーとなってレースを楽しみ。また町の名産やレースグッズの小店も軒を連ねて、またカフェやレストラン、はてはスーパーマーケットに散髪屋までが今こそ書き入れ時とばかりに売り上げを伸ばす。

 ここは、まさにバイクの天国出現といった趣。

 町おこしの一環として十年以上続いているというが、こんなの日本じゃ考えられない。日本で公道レースなど、危険すぎると反対の嵐にあって頓挫するのがおちであった。

 が、ここでは開催されている。これは、ニュージーランド人がおかしいのか、日本人がかたすぎるのか。

「おい」

 と呼ばれて日本人、十河隼人そごう・はやとは振り向いた。そこはテント村。目つき鋭く無精ひげもいかつく、それでいてどこか素朴さを匂わせ、侍というより浪人といった方がしっくり来そうだ。

 青と黒の二色がデザインされたレザースーツを身にまとい、手には黒いアライのヘルメット。マシンサウンドを耳に、周囲の熱くも揺れる空気に静かに触れていたのが呼ばれた声に覚まされたように、メカニックのジェフに振り向く。

「ハヤト、マシンは出来たぞ。さあ、行った行った!」

 ジェフは青と黒の二色に彩られたヤマハYZF-R1を押してくる。隼人はこくんとうなずき、ヘルメットを被るとジェフからYZF-R1を受けて跨れば。

 ハンドルグリップを握り、左足を左ステップに乗せてニュートラルに入っていたギアを2、3速へと入れる。

 そのマシンのテールをジェフが押して、押し掛けしてエンジンをかければ。

 YZF-R1は目覚めの雄叫びをあげた。

「よし!」

 まずはゆるゆると前にころがしてゆくと、コースの手前で赤旗を掲げる、蛍光色の黄色いジャケットを着たオフィシャルの前で十数台のバイクが並んでいる。予選が始るまでここで待機。今走っているのは別のクラスのバイクだが、それも終わって各自ピットインでテント村に帰っている。

 隼人が参加するのは1000ccスポーツマシンを対象としたClass Maximum-クラス・マキシマム。このレースイベントの目玉クラスだ。

 極限までハイチューンを施されたエントリーマシンは1000ccにして皆200馬力を越え、最高時速も300キロを越える。はっきりいって公道ではその性能を持て余してしまう。が、だからこそ見応えたっぷりのレースとなる。

 奔馬のごとく暴れるマシンを押さえ、人間・マシンともに極限の状態となって、サーキットのように逃げ場のない公道という危険な場所で繰り広げられるギリギリのバトルは、見るものの心をとらえて離さない。

 幸いにしてこのレースイベントでは死人は出てはいないが、他の公道レースでは、やはりというか残念ながら死亡事故がある。それでも、この広い世界のどこかで、危険な公道レースが開かれ、そこに自分を見出したライダーたちはまさに命がけで今も公道レースを戦っている。

 隼人は日本人であるせいか、公道レースに対して少なからず恐怖もあった。しかし、

(結局オレには、これしかねえんだ)

 と自分の心の奥底にあるものを手でなぞって確認するように、待機の間瞑想にふけっていた。


 思えば、生まれ故郷の四国は香川県から本土に出てレースをはじめ、アマチュアからこつこつと努力をつづけ、大手レーシングチームと契約し、ようやく全日本選手権への出場を果たした。

 だが出る杭は打たれるとでもいおうか。その昔暴走族に所属していたことがあり。その暴走族チームが他チームと暴力沙汰の抗争を繰り広げた上に、その抗争で死者が出ていた……。

 隼人自身手を下してはいないが、チームメンバーとしてその抗争の場にいて。警察の厄介になっていた。という過去が暴かれた。

「人殺しの暴走族がレースに出る資格はない」

「神聖なレースを汚すな」

 という烈しい批判が巻き起こった。

 だが監督は胆のすわった人で、

「結果で見返せ!」

 と戸惑う隼人に喝を入れてくれた。隼人もその言葉に応えようと頑張った。だが、人の世に情けはあっても運命に容赦はなく。満足な結果を残せずに終わった。

 それが批判を一段と高めた。

「所詮暴走族にレースは無理」

「せいぜい木刀の素振りでもしてろ」

 などなど……。批判やむことを知らず。無論批判はチームにも飛び火し。それをいやがったスポンサーが、隼人を降ろさなければ契約を打ち切るとまで言い出した。

「今年が駄目でも来年がある!」

 と、監督は隼人を励まし続けたが、ここまで来るともうこれ以上かばいきれず。

「すまないが……」

 と、チームからの放出を決定した。

 警察の厄介になり、自分のしていたことのおろかさをさとり。人生をやり直そうと立ち直ろうとし、やはりバイクが好きだから、自分の居場所をサーキットレースに求めた。才能はあったのだろう、たちまちのうちに速くなり、監督に見出された。

 監督は隼人の過去を知り、彼を一人前のレーサーはもちろん、社会人にもなれるよう協力を惜しまなかった。それが大人の責任だと思ったからだ。

 隼人もいたく感謝し、期待に応えようと死に物狂いに必死だった。

 だが周囲はそんな隼人たちの努力よりも、隼人の過去のみに注目し、批判し、たたき出そうとした。

 もとより隼人も、迷惑をかけまいと、もうレースをやめるつもりだった。結局は自業自得であると、言い訳はしなかった。なにより、結果を出せなかった。これでは、監督に合わせる顔もない。

「悪いのは自分ですから」

 と、頭を下げた。

 監督は無念そうだった。何かあればいつでも相談してこい、と言ってくれた。が、何かはっと思い至ったか、チームを離れて数日後、監督の方から連絡があり会ってみると。

「ニュージーランドに行ってみないか!」

 と、嬉々として言うではないか。わけを聞けば、知り合いがニュージーランドでバイクショップを経営しており、レースにも出ているが、所属していたライダーが怪我で戦線を離れたため粋のいいやつを欲しがっている、ということで。

「走る場所は日本だけじゃない。世界は広いぞ。ニュージーランドで、もう一度やり直してみないか!」

 と口角泡を飛ばして隼人に言った。

 この突飛な提案に目玉が飛び出すほど驚いた隼人だったが、ニュージーランドなら自分の過去を知る者もない、まっさらな、十河隼人としてレースが出来るだろう。なにより、バイクレースへの情熱やはり尽きることはなく、居場所を失った苦しさに悶えていたところだったので、そこに一縷の望みを見出し。

「はい、ありがとうございます!」

 と、深々と頭を下げてニュージーランド行きを快諾した。

 が、いざ行ってみると、まあまあなんと予想をはるかに上回ることか。

「こんな世界があったのか!」

 と、日本では考えられないこのレースに対するカルチャーショックが大きかった。公道のレースというだけでも隼人は驚き、あるいはびびりまで感じたが、他のエントラントは慣れたものでコーナーの電柱すれすれに突っ走ってゆくなど朝飯前。

 別のクラスでは、なんと改造ハーレーで走っているライダーもある。アップハンドルで低いシートのハーレーダヴィドソンのライダーが、コーナーをハングオン気味の姿勢で攻める姿はテクニックの理屈云々を超えた何かを感じさせるものだった。

 そのほかを挙げればきりがないが、隼人がこのマキシマム・オブ・ザ・ストリーツに度肝を抜かれたのは確かだった。


 他クラスの予選は完全に終了し、コースはクリア。オフィシャルは「行っていいぞ」と赤旗を振って道を開けると、ハイチューンもハイチューンドなクラス・マキシマムのモンスターマシンたちが続々とコースインしてゆき。

 隼人のマシン、ゼッケン10のYZF-R1もその中に混じってコースインしようとする。

 今か今かと低くうなるマシン。油断をすればその唸りに心を潰されそうなほど、低い回転でゆっくりころがしてもそのマシンサウンドは威圧的にライダーを挑発する。

 開けっ放しのヘルメットバイザーを閉じ、さあコースイン。というとき、脇を真っ黒なスズキ・GSX-R1000が割り込むようにして抜き去ってゆく。隼人慌ててよける。下手をすればぶつかっていたというのに、GSX-R1000は知らぬ顔の権兵衛でコースインしてゆく。

「野郎」

 なめた真似しやがって。と、隼人はGSX-R1000の後を追うようにコースインし、後ろにつける。

 それに気づいたか、GSX-R1000のライダーが後ろを振り向く。が、また前に向き直る。隼人とYZF-R1など眼中にない、と言わんがばかりだ。

 やつのゼッケンは13。キリスト教圏で不吉を現す数字をゼッケンにつけるとは、いい根性をしているというか。それともデスメタルをよく聞く悪魔崇拝者なのかどうか。それはさておき、黒にシルバーのワンポイントを数箇所あしらったレーシングスーツにシャーク(SHARK)のヘルメットのいでたち。GSX-R1000は両側二本出しマフラーから火でも噴くような勢いで、隼人とYZF-R1を引き離そうとする。

「丁度いい、道案内でもしてもらおうか」

 ゼッケン13。そうだ、やつは昨年の優勝者、アンソニー・ウルフ。誰も寄せ付けない、黒き嵐のごとき烈しい走り。人は彼を、デモンズストームと呼ぶ。これほど道案内に適したやつもいないだろう。

(オレも暴走族じゃ『特攻屋郎』と呼ばれた男だ。悪魔なんざに負けるかい)

 キャリアの差も考えず、隼人は目の前のマシンを追いかけることだけを考えた。

 ペースは速めだが、やはり最初はウォーミングアップで余裕を持って走るので、隼人もアンソニー・ウルフについていけた。

 この市街地コースは全体的にフラットで、上り下りの坂はさほどではない。凸の形にコースがとられており、レイアウト自体は単純でそれほど難しくない。が、それだけに腕の差がモロ出てしまう。ちなみにコーナーはすべて交差点が使用され、アウト側にはコースアウトを防ぐ藁束が高く積まれている。しくじれば、その藁束に「特攻」だ。

 まず両側四車線の、1キロにおよぶ長い直線の、役所前メインストレートを抜けると第一コーナーの、右直角コーナーがある。メインストレート以外は両側二車線とな狭くなる。

 第一コーナーを立ち上がりながら加速をしてその勢いに乗りながら右にバンクしてハイスピードで抜けてゆく高速の右コーナー。

 そこを抜ければ左の直角コーナーがあり、それから右直角2つを抜ける。凸の上の部分だ。そこの最初の一コ目のアウト側には、唯一この街で役所と同じ高さの建物である教会があり、コースを攻めるレーサーたちを見守っている。コーナー名はチャペルという。

 アンソニー・ウルフはチャペルを抜けるとき、何を思うのか。

 それからも同じく、左と右の直角コーナーを抜けて、メインストレート。

 第二コーナーを除くほかすべてが直角コーナーという、ストップアンドゴーのシケイン、マシンと人間ともに、加速とブレーキングでの高い技術が要求される。が、無論第二コーナーをいかに高い速度でクリアできるか、という技術も問われる。コンマ一秒を競うレースでは、ちょっとしたポカミスが命取り。レースというものは、その差が十分だろうが、コンマ一秒だろうが、差は差であり、勝ちは勝ち、負けは負け、なのだ。

 さて二つもいっぺんにとるのは難しいもので、ストップアンドゴーをメインにセッティングするか、それとも第二コーナーにすべてを賭けるか。

 レーサーとしての経験とカンに、第六感の働かせどころだ。

 先のフリー走行で練習しマシンセッティングも施し、この予選でもセッティングを仕上げる、が完璧に仕上げられるのはまずいないだろうし。セッティングに神経質になるあまり走りがおろそかになっては間抜けそのものである。

 それはともかく。デモンズストームことアンソニー・ウルフは最初の数週を淡々と走っている。それに付き従う隼人も同じで、早いうちから調子に乗っているライダーたちにばしばり抜かれてゆく。

 この様子を見る壮年の男性。隼人のチーム「ジャクソン・モータースポーツ」のチーム監督、シンスケ・ジャクソンは苦々しくつぶやいた。

「まじいぞ、ウルフのやつなんかにかまわず、自分のペースで走ればいいものを」

 シンスケ・ジャクソン監督は母親が日本人のハーフで、シンスケは漢字では慎介と書く。

 テント村はコースからやや離れたところにあり、そのためレース中レーサーに情報を伝えるサインボードは役所前の歩道を利用した特設ピットで出す。

「仕方ねえ、ボードに My pace と出してやれ」

 クルーは指示通り My pace とボードに記して、隼人に見せた。


「マイペースで走れ、ってか」

 アンソニー・ウルフの後ろにつき、そのおかげでいいペースで走れてはいる。このペースなら間違いなく予選に通るだろう。

 ただ問題は、クラス・マキシマム仕様のYZF-R1を限界まで使い切っていないことだろう。予選前の練習走行でいくらか流したとはいえ、初めてのマシンでいきなり本気は出さず様子見でかるく流して感触を確かめた程度だった。

 メカニックの腕の良いおかげで、なかなかよく出来たマシンなのは確かだ。軽く流す程度なら、なんら問題なく楽しく走れる。ただ、勝ちを狙い抜きつ抜かれつのドッグファイトを繰り広げながら、マシンの限界をギリギリまで引き出すとなると、果たして、どうか……。

 下手をすればロデオよろしくマシンに吹っ飛ばされてしまう。

 隼人自身、その内に潜むポテンシャルの高さは感じていた。同時に、計り知れない怖さも。

「……」 

 このギリアンのレースに出ることになったのは、単純にタイミングの問題で、隼人が来てすぐにあるのが、このマキシマム・オブ・ザ・ストリートだったのだ。

 ニュージーランドにももちろんサーキットはあるし、ジャクソン・モータースポーツももちろんサーキットのレースにも参戦している。

 予定の組まれている正式競技としてのレースである以上、走り屋のように好きなときに好きなだけ、というわけにはいかない。限られた機会を、最大限に生かさなければいけない。そのためには、参戦できるレースには参戦して、とにかく上を、勝ちを狙うのだ。

 隼人も、ただお情けでこのチームにいるのではないことはわかっている。勝ちを狙えるライダーだと期待されているから、いさせてもらっているのだ。

「了解、っと! これがオレのマイペースさ!」

 と叫ぶ直前、アンソニー・ウルフの背中から、何かがほとばしり出たような気がした。それと同時に、GSX-R1000の雰囲気も変わり。マシンサウンドも一段と高らかになったようだ。

「!!」

 それ以上に、ペースが上がり、アンソニー・ウルフもGSX-R1000もひと回り大きくなったようだ。

(まさか)

 と思いつつも、そう感じずにはいられなかった。さっきより差がひらいているのに。

(おもしれえ。見せてもらおうか、マキシマムってやつを!)

 大きく深呼吸し、全身全霊を駆けて隼人も本気モードに入り、YZF-R1を鞭打つ。

 メインストレートを駆け抜ける。壁となって立ちはだかる風を、空気を打ち砕く。気がつけば六速はレッド。そこからブレーキング、シフトダウン。減速感が腹を押さえつける。

 第一コーナーがせまる。

 GSX-R1000はかるくケツをふりながら右にバンク。隼人とYZF-R1もつづく。目はアンソニー・ウルフの背中を凝視している。

 イン側の奥に電柱がある。安全のためにクッションが巻かれている。アンソニー・ウルフのヘルメットが、肩がそれに触れそうだ。と思う間もあらばこそ、あっという間に電柱をかすめながら立ち上がり、マシンをバンクさせたまま加速。YZF-R1も目一杯叫んでGSX-R1000を追うが、いかんせんまた差がひらく。

 隼人はコーナーに突っ込みきれず、ややふくらみ気味にクリア。

 そのためさっきまでバイク一台分の差だったのが、今は三台分くらいか。いやもっとか。

 このお、と思いつつ隼人はマシンと一体となってアンソニー・ウルフを追うが、高速コーナーでタイヤがスライドしながら、パワーでフロントが持ち上げられてウィリーをしようとする。ドリフトウィリー状態になる。

 が、それだと上手くパワーが路面に伝わらずにタイムロスになるので、微妙にアクセルを戻し開けてし安定を図る。

 それは向こうも同じようだが、ペースはさほど下がってないようだ。ようやく前後輪地に足つけて高速を抜けたときには、アンソニー・ウルフのGSX-R1000は直角左を抜け、チャペルに迫っていて。さしずめ教会に襲い掛かるデモンズストーム。

 ちらと見えたギャラリーは、

「Go go demons storm!」

 とやんやの喝采。美髭公よろしく濃い髭伸ばしたいかついハーレー乗りのおじさんたちでさえ、口笛吹いてもろ手を挙げての大声援。

 健気にそれを追う日本人なんかにゃ目もくれない。

 なめんなよお、と意気込み左直角を抜けチャペルに迫るも次第に嫌なことに気がつきだす。ビビリミッター(ビビリ・リミッターをあわせた造語)が胸のうちで自動起動している。軽く流すときと違い、本気で攻め始めたときに本性を現そうとするマシン。

 少しでも気を抜けば、

「この下手糞めがッ!」

 と暴れて投げ出されてしまいそうだ。そしてYZF-R1自身はごろごろと転がり木っ端微塵。公道で持て余すポテンシャル。だがそのポテンシャルを公道で発揮させなければいけないという、矛盾した現実。

 狂気の沙汰だ。

 メインストレートでは何キロ出てた? トップエンド、六速レッドだ。六速レッド。

 などと今さら思いながら、隼人は思わぬ雑念に襲われながらも、YZF-R1を走らせチャペルを抜けた。

 アンソニー・ウルフは、もうはるか向こう。

「ちっきしょう」

 やはり着いていく事は出来ないか。ニューカマーと昨年のウィナーとでは、その差は歴然、といったところか。だが敗者のくそ落ち着きとでもいおうか、引き離されたことで、はっとまてまてと自分をふみとどめて、今度こそ本当に自分のペース、マイペースで行こうと腹を据えることが出来た。

 チャペルを抜けてから、最終コーナーにいくまで呼吸を整える。ほかのエントラントのマシンは、アンソニー・ウルフについていってたおかげか前にはいない。クリアラップ、邪魔者なしの状況でコースを走ることが出来る。

 最終コーナーに入り、クリアして立ち上がり。町のメインストリート、1キロ長い直線。

「いったらあー!」

 はるか向こうに見える第一コーナー。アンソニー・ウルフがその向こうへと消えてゆこうとする。

「日本の暴走族を、なめんなよ!」

 デモンズストームがなんぼのもんじゃい! 立ち上がり加速を決め、フルスロットル。思わず上がる前輪を落ち着けながら、遠のいたアンソニー・ウルフに、追いつけ負いこせ、と自分とマシンにハッパをかける。

 YZF-R1もそれに応えるように唸りを上げる。

「お、来たぞ、来たぞ」

「指示通り、ウルフとは離れたようですね」

「っていうか、離されたんじゃないかと、オレは思う」

 ジャクソン監督はクルーとそんなことを話しながら、いい音させて目の前をかっ飛んでいく隼人のYZF-R1を見送った。

 すさまじいスピードだ。何かにつけてウィリーしようとして、そこのけの勢い、マシンサウンドも高らかに響かせ、あたりの空気がぶるぶる震えている。ジャクソン監督はにっとほくそ笑んだ。いいヤツが来たもんだ、と。

 クラス・マキシマムのマシンは半端なチューンじゃない。そこらのスピード狂に乗りこなせない、ばかりか一度乗れば二度と乗りたくない、と思わせるくらいのポテンシャルがある。ようするに、とんでもないじゃじゃ馬だ。

 それを威勢よくフルスロットルくれるとは、見所のあるヤツではある。

 が、隼人とYZF-R1が目の前を駆け抜けるやいな、ぞぞぞ! と背筋の凍りつきそうなのを感じた。

 隼人の背中からえもいわれぬ何かを感じたのだ。

(あんの野郎、無茶してバイク壊さにゃいいがな)

 どうやら本気の本気でタイムを縮める気で攻め出したようだ。が、まさか隼人の背中を見てそうなるなど夢にもジャクソン監督は思わなかったので、びっくりした。

 そんなことなど露知らず、隼人は目をぎんぎらぎんに光らせてアクセルを開ける。YZF-R1は雄叫びをがなるだけがなりたて、ついに六速トップエンド。速度は300は越えている。

 全身針に刺されるような緊張感が、身体中を包み電流となって駆け巡る。

 第一コーナーが迫る。ブレーキング。シフトダウン。今までのGが今度は前から押し寄せるようだ。

 それを跳ね返すように踏ん張り、マシンをバンクさせコーナーに突っ込む。コーナーの一番奥、クリッピングポイントのところにある電柱に頭と肩がかすれたかかすれなかったか。

 と感じる間もなく、立ち上がってアクセルを開ける。それからもコーナーは続く。ゆるいコーナーなので、アクセルを開けながらも、マシンはバンクさせ次のコーナー向かって飛ばす。YZF-R1は叫ぶ。

 隼人の気合を込められてか、いったらあー! とYZF-R1まで叫んでいるようだ。

 で、タイヤが滑る滑る、スライドするスライドする。なにせ公道なんで路面のグリップはサーキットに比べすこぶる悪く、コーナーはまずことごとくドリフトを強いられる。が、割り切ってドリフトでいく。無理にグリップさせようとしたらそれこそタイムロスだ。

 大きく息を吐く。ハンドルグリップを握る手も力強く。全身はマシンとリンクして。自分の血流がYZF-R1にまでいっているように感じる。

 割り切りドリフトのおかげかグングンと前に前にすすんでいく。前輪は相変わらず浮こうとするのを落ち着けながら、コーナーを駆け抜け、YZF-R1駆け抜けるところ、ブラックマークがなぞられる。

「Wooo!」

「It cool!」

 隼人のドリフトを見たギャラリーは、いいもん見れたぜとやんやの喝采。

「ところで、ゼッケン10のヤマハって誰だっけ?」

「えーと。ハヤト・ソゴウ? こいつ、日本人だぜ」

「Jap!」

このレース、どころかこの町で日本人を見るなど希なせいか、ギャラリーはものめずらしさも手伝って、にわかにハヤトファンクラブが結成され(?)。

「Go Hayato Sogo!」

 という声援がこだました。

 そうとは知らない隼人は高速を抜け左直角を抜け、チャペルに迫り、

「アーメン!」

 とおどけた。それはさておき、敗者のくそ落ち着き効果は絶大だったようで、思った以上にクールになって、ホットにコーナーを攻め切れる。

 チャペルも抜けて、凸の上の部分から右の部分へとかっ飛んでゆき最終コーナー、脳味噌に何テラボルトと言うくらいの電流が流れアドレナリン沸騰ものの、鬼突っ込み。

 後輪がこんこんと少し浮いては、右に左にゆらゆら。

 が慌てない、クールにマシンをコントロールしドリフトで最終コーナーを抜けメインストレート。

(いけぇッ!) 

 アクセルフルスロットル!

「あ、あいつぅ~!」

 ジャクソン監督と仲間たち、怒涛の勢いの隼人とYZF-R1を目にしぶるぶる震えて、じっとそれを凝視すれば。

 ぶっ、ん!

 と突風打ち砕くマシンサウンドの雄叫びと怒涛の走りで目の前を駆け抜け、

「OH GOD!」

 とタイム計測してたクルーは叫んだ。それと同時に、

「おおーっと。今年初参加のニューカマー、ハヤト・ソゴウ、トップの『デモンズストーム』アンソニー・ウルフに次ぐ二番時計! こいつぁすげえ。……」

「ウオー!」

 アナウンスに混じってジャクソン監督ら大はしゃぎの叫び。

 まさかあの日本人、いきなりここまでやってくれるたあ、夢みてえだぜ、と。

 ノリノリの隼人、自分がアンソニー・ウルフに次ぐ二番手の予選タイムを出したなど知らず、まだまだ、と果敢なアタックを続ける。

 が、しかし。

 第一コーナー突っ込み、300キロオーバーの六速トップエンドからの烈しい減速、いったるぜ、と意気込みすぎてかどうもブレーキを弱くかけてしまったようで。スピードは高いまま第一コーナーに入った。

 すると、さっきのようにうまく走行ラインに乗れず、そこから外れてどんどん膨らんで、アウト側の藁束が迫ってくる。

「じょんならん!」

 思わぬミスに思わず出る地元の讃岐弁。ちなみに、シャレにならん、という意味だ。

 と叫んび終わったかといううちに、YZF-R1、すてーんとタイヤがスリップしてこけてライダーを放り投げる。

 YZF-R1はざざざー、と滑って、藁束にぶつかってとまり。隼人は路面をごろごろと転がって、気がつけばコースの真ん中、他車が慌ててて隼人をよけてゆき。オフィシャルは慌てて、クラッシュあり注意せよ、と黄旗を振る。

「おっとっと」

 隼人も慌てて立ち上がり、こけたYZF-R1のもとまでゆく。エンジンはとまり外観は傷だらけ。それを起こそうとする。

「Are you OK?」

 駆けつけたオフィシャルがそう声をかけて、マシンを起こすのを手伝ってくれる。そのおかげで早く起こせて、ついでに後ろから押してもらい押しがけでエンジンをかけようとするが。果たしてかかるかどうか。

 という心配は杞憂に終わり。

 はあー!

 と大きく息をつくように、YZF-R1は目覚めの雄叫びを上げた。

「ラッキー! サンキューサンキュー!!」

 隼人はオフィシャルに感謝し、手を振ってコース復帰し、ピットに向かう。すると、ぼんッ! と風が爆裂するような爆音と打ち砕かれた烈風の破片が叩きつけられ。

「うおぉっ!」

 と思わずうめく。

 隼人とYZF-R1の脇を、アンソニー・ウルフのGSX-R1000がかっ飛んでいったのだ。わざわざ、そばをぎりぎりで。

(な、なんて野郎だッ!)

 挨拶のつもりでしたのかどうか、だがヤツは振り向きもせずいってしまった。

 だがその走りと、威圧感。まさに、悪魔の嵐、デモンズストーム。

 たまたまチャペルのところで、ちっと舌打ちしながらその背中を見送っていると、何を思ったかヤツはペースを落しチャペル向かって十字を切ってゆくではないか。

 悪魔が、神に祈りを捧げるのか? 明日のレース、勝たせてください、と?

 ふんっ、と荒く息を吐くと、

「南無妙法蓮華経ッ!」

 と強くつぶやいた。なんであろうが、ヤツが悪魔のクセにキリストを信じているというのなら、オレは仏様だい、と変な強がりが顔を覗かせる。

 それから仏様の功徳か、転倒から復帰して無事に何事もなく最終コーナー手前のピットロードに入り、町の外れにあるテント村へと向かった。


 オフィシャルからの知らせを受けて先にテント村のチームテントに戻っていたジャクソン監督は、ジェフとともに目をいからせ隼人を待ちうけ。傷だらけのマシン、YZF-R1がテントに入るや否や。

「What a dumb f○○k!」(大馬鹿野郎!)

 と大声上げてどなりつけた。

(うわー、やべえ監督怒ってるよ)

 そりゃそうだ。ダメージを受けたマシンを直すのは手間も暇も金もかかり、いいことなしだ。日本でも、こけて帰ってくれば同じだった。

 しかも、スピードの乗る第一コーナー立ち上がりからの高速コーナー。となれば心配もよりでかくなるってもんで。

「オレがお前に指示したのはてめえのペースで走ってタイム出せ、で、こけろ、じゃねえんだよ。てめえチェーンソーでぶった切ってやろうか、ええ、おい、ハヤト! 頭かち割って脳味噌食わせてやろうか! てめえの脳味噌はさぞかしアドレナリンまみれで糞不味い脳味噌なんだろうなッ!」

 と、カンカンにおかんむりだ。ジャクソン監督、普段は普通の人だが、怒ると滅茶苦茶なことを言う。

 が、顔を真っ赤にして身振り手振りも大げさなその姿は怖さよりも滑稽さを感じさせて、隼人やジェフたちは笑いをこらえるのに必死になっている。ジャクソン監督、そうと気づかずなお真っ赤。

「ソーリー、ソーリー」 

 まさか、こらえきれずに「ぶわっははははは!」と笑ってはまずいから、怒りを鎮めてほしくて、隼人しきりに謝る。そこへジェフが、

「まあまあ、ダメージはさほどでもなさそうですし、まずは直るかどうか試してみましょう。怒るのはそれからでも遅くはないでしょう」

 と助け舟を出してくれた。ジャクソン監督、それも一理あると怒りを鎮め、ふん、と荒く鼻息をつく。

 すると、テントの前を、すう、と黒いGSX-R1000が通りすぎてゆく。アンソニー・ウルフだ。

 ヤツも予選を走り終えて戻ってきたらしい。

 隼人はYZF-R1をジェフに託すと、メットを脱いで「はあ」と吐息をつき、隅の折りたたみ椅子に座った。

「ったたた」

 今になって、肩やわき腹が痛み出し、じんじんしだす。やはりこけたときに打ったようだ。それから、また今になって、背筋が寒くなる。

 顎を上げて目を閉じ、肩の力を抜きながらそれらを抑える。ジェフも、さすがのジャクソン監督も何も言わない。

(しかしよくもまあ……)

 あんなコースを本気になって攻められたもんだ。

 コースは公道だけに路面はグリップが悪くタイヤが滑りやすい。速度が増せばコースを囲む建物が吹っ飛んでいき、幅を狭めて、かつ向こうから迫ってくるように見える。マシンはモンスターで、ちょっとアクセル開けると雄叫びあげてウィリーやスライドしようとし。へたすりゃ投げ飛ばされる。もしくはコースアウトし、藁束か土嚢、あるいはコースを囲むように張り巡らされた金網に突っ込み歩道の観客を巻き込みかねない。

 昔取った杵柄というか、少年時代、郷里の香川県は高松市の街道を馬鹿みたいに、いや実際馬鹿だから、かっ飛ばしていたものだった。何かの歌じゃないが、盗んだバイクで走り出し、胸にうずくまる何かをそれで振り払おうとしていた。

 思えば、そんな過去があったから、今ニュージーランドの公道レースに出ることになったのだ。人生というのは、わからないものだった。

 だがそんな思い出はすぐに胸のうちにしまいこんだ。

 仲間が、ライバルチームとの抗争で命を落としてしまったのだから。

 思い出すんじゃなかったと悔いて、歯を食いしばった。

 ともあれ、街道を暴走していた経験が役に立ったのか、数週するうちに慣れててきて、結構本気で攻められたものだった。

 しばらくして、予選終了のアナウンスが流れ。予選タイム一位、ポールポジションは予想通りアンソニー・ウルフだった。で、それに次ぐ二番時計は、

「Hayato Sogo!」

 というアナウンス。

 それを聞くや否や、痛みも悔いも吹っ飛んだか、がばっと椅子から立ち上がった。

「何ッ!」

 オレが、予選二位!?

「あ、そうだった。ハヤト、お前デモンズストームとタメだったんだよ! わりぃわりぃ、忘れてたぜ、がはは!」

 転倒の怒りも、予選二位という予選結果で吹っ飛んでジャクソン監督さっきとはうってかわって超ご満悦の様子。ジェフたちも、マシンを直しながらにこにこしている。

 そういえば、こけたことで頭がいっぱいになって、隼人自身も予選タイムのことを忘れていた。が、二位とは思いもよらなかった。それだけに喜びよりも意外感に打たれた方が大きかったりした。さらにジェフの喜びのひと声も加わる。

「監督、マシンもそんなにダメージ食らってないようですし、明日の決勝もばっちり走れますよ!」

「おお、そうか。で、ハヤト、お前は身体大丈夫なのか」

「え、ああ、大丈夫っすよ」

「グレイト! さっきは怒鳴って悪かったな、がはは!」

 知り合って間もないとはいえ、監督のこの変わりようは、見ていて面白く。油断をすれば、笑い出してしまいそうで、こらえながら。

「いえいえ、ノープロブレムノープロブレム」

 と応えた。

「おお、すまんなあ。まあ、なんだ、念のために病院にいって診てもらえ。それでホントに大丈夫だったら、自由にしていいぞ。町のカフェで、他のクラスの走りを眺めるのも一興だろう」

(そうだな、日本を出てここに来てからというもの、どたばただったからなあ)

 ちったあ落ち着いてコーヒーすすっても罰あたりゃしねえだろう、と隼人は監督に言われたとおりテント村横のトラック群の中のチームのトラックに行き、その中で着替えてから病院に向かった。

 レーシングスーツから、Tシャツ、ジーパンに着替えて身も心も軽くなる。

 病院はもちろん町の病院のことで、役所の裏手で赤い十字のマークも誇らしげに白亜の二階建ての建物が聳え立つ。

 レースには万一のことがある。その万一に備え、救急医療体制は田舎町にしては立派なものだった。また日常でもこの緊急医療体制が生かされてきて、この町の医療事情はレースによって引き上げられたところもあった。

 またサーキットに比べて悪いと言えど、町の道路はレースに備えてつねに整備が欠かされない。

 そういったことがあるので、やはり住民の中には反対意見を唱える者もあるが、それでもレースが開催されるのは、単に経済的な面だけで続けられているのではなかった。

 病院で身体を診てもらい、大丈夫、明日の決勝はいける、と医師から太鼓判を押してもらえた隼人はすっかり安心して、どこかコース沿いのカフェに入ろうかと、歩道をほっつき歩く。

 歩道はレース観客がごったがえしていて、気をつけないと肩と肩がぶつかる。それだけならまだしも、悪乗りの観客にからまれたり、スリに遭ってはたまらない。

 そうでなくても、いかついヘルズ・エンジェルズ風の、レザースタイルで決めたおにいさんやおねえさんが肩風切って歩道を練り歩いたりしている。

 コースでは、クラス・マキシマムの次に行われる他クラスの予選が開始され、カラフルなマシンたちがコースいっぱいにかっ飛んでゆく。

 それを横目に、財布の入った腰ポケットに手を突っ込み、手っ取り早く近くのカフェに飛び込んだ。看板には「kiwi」(キーウィ・ニュージーランドに生息する鳥の名)とあった。

「うひゃあ」

 思わず声が出る。

 カフェも人でいっぱいだ。まあ、予想はしていたが。が、幸いにも隼人が入ると同時に一服終えて店を出ようとレジで支払いをしているカップルがテーブルを空けて、素早くそこにさっと飛びつき椅子に座った。

 誰も隼人に目もくれていない。さっきのクラス・マキシマムで予選二位なのに。それもそうだろう、アンソニー・ウルフのような古株ならまだしも、今年初参加のルーキーの顔など誰もほとんど知らないようだ。

 でも誰か一人くらいは、

「あ、あんたは!」

 と声をかけてくれてもいいんじゃないか。

(寂しいなあ)

 とおどけてそう考えて、腰を落ち着けコースを走るマシンをちらと見やったが、視線はすぐにそれて、注文を取りにきたウエイトレスのおねえさんに目をやった。

(ほほう、これはこれは)

 碧い目に高い鼻の、ショートブロンドのクール&スマートな印象の、美人のおねえさんだった。グレイのワンピースが身体にフィットして、スマートなボディラインを描き。カフェを歩く姿は、この憩いの場に華を添えた。

「何飲む?」

「ん、そうだなあ、コーヒーを一杯」

「OK。……あなた東洋人?」

「そうだよ」

 ウエイトレスのおねえさんは、隼人を見て、何か勘付いたような顔をする。

(なんだ? 東洋人が好みか? オレそんなにいい男かな? )

 忙しさにかまけて、ろくに髭剃りもできず無精ひげをはやしていながら、そんなふてぶてしいことを思う。

「レモン&パエロア(ニュージーランドのソフトドリンク)もあるわよ」

「え。お勧めなのかい?」

「そうよ、観光でしょ。なら飲んでおかないとね」

 思わず隼人は苦笑する。レースに出てるレーサーなのに、それがわかってもらえず観光客と間違われるとは。だけど、さっきのはなんだったのだろう。が考えてもはじまらないので、

「OK。じゃ、レモン&パエロアを」

 まあいいか、と観念しておねえさんのお勧めの一品を頼んだ。

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