第九話 お兄様と私
魔法薬師の免許を授与されてすぐ。
私は「ルナ・イーリス魔法薬研究所」を城下町にオープンした。
アカデミーから徒歩で来られて、かつ研究に集中できる環境が欲しかったのだ。
研究所には魔法植物を育てる栽培室、魔法薬を調合する研究室、そして作った魔法薬を販売するスペースを設けた。販売で得た利益は、研究費と研究員へのお給料にあてている。
魔法薬師としての活動実績を作ること。
前期卒業のために卒業研究をすすめること。
人々に魔法薬を使ってもらい、便利さを広めること。
そして何より、ルナ・イーリスの評判を良くすること。
ローザが油断しているうちに、この四つを同時にすすめようという作戦だ。
目まぐるしい日々を過ごし、オープンから半月。
恵みの雨が降る季節がやってきた。
石畳の道を雨が濡らす中、今日も私は研究所とアカデミーを行き来する生活を送っている。私の隣を早足で、しかし転ばないように歩いているのはデイジー……いや、今は「デイジー研究員」ね。一緒に研究すれば魔法薬師の試験対策になるし、研究員としてお給料もあげられるからと、研究所に誘ったのだ。
「天の恵みはありがたいけれど、足元が悪いのがどうもね」
「そうですよね。私も傘がなければもっと早く歩けるのですが」
「うふふ……楽しんでくれているようでよかったわ」
「はい! 本当に、研究所に行くのが毎日楽しみなんです」
この頃は講義の合間と放課後を研究に費やし、アカデミーが休みの日も朝早く家を出て、日が暮れるまで研究所に入り浸っている。もちろん、デイジーも一緒に。
「あっ! ルナ様、ウルフさんがいらっしゃいます」
「あら大変。お待たせしたかしら」
ドア越しに常連客が見えて、慌てて傘をたたむ。魔法薬作り自体は禁薬を除いて誰でもしていいのだけれど、販売は魔法薬師の免許がないとできない。つまり、私が店に居ない時はお客様が来ても何も買えないのだ。
ちなみに、デイジーとはさらに距離が縮まり、名前で呼び合う仲になった。礼儀正しい子だから、さすがに「様」は外してくれないけれど。
店に入ると、立派なあごひげをたくわえた白髪の老剣士が私にニカッと笑いかけてきた。常連客のウルフ・バーンズ卿だ。
「ようお嬢ちゃん!」
「いらっしゃいませウルフさん。長くお待ちになりました?」
「五分だけだ。回復薬を八つ頼む」
「はい、ただいま」
王都ギルドで最も難易度の高いクエストのみを受注するパーティー『爆炎狼』のリーダーで、その日のクエストが終わると、こうしてメンバー八人分の回復薬を補充にいらっしゃる。
先月までウルフさんの顔に「あった」大きな爪痕。王都を脅かしたドラゴンを倒した時につけられたという古傷が彼のトレードマークだったのだけれど、研究所のオープン初日。うちの回復薬できれいさっぱり治ってしまった。
翌日の新聞で「爆炎狼のリーダー、貫禄なくなる」なんて報じられてしまったけれど、おかげでうちは大繁盛。ギルド登録者はもちろん、平民の客も多い。
「では毎回の説明ですけれど、回復薬は擦り傷、切り傷、火傷等に塗布することで治癒の効果が。それから、布に含ませて十五分ほど患部にあてると」
「打撲と筋肉痛にも効くんだろう?」
「うふふ。もう覚えてしまいましたね」
「そりゃ何度も世話になってるからな。ありがとよ!」
「はい。またよろしくお願いします」
取り急ぎの接客を終わらせて、売り場の隣にある研究室に声をかける。
「フレイ夫人、マリー夫人。ただいま戻りましたわ」
「おお! おかえりルナ。頼まれていた材料、育てておいたぞ」
「ありがとうございます! すぐに確認しますわ」
「確認できたら教えてね。はいこれ、おやつのビスケット」
「うふふ。後でいただきますわね」
貴婦人にはめずらしい、短い赤髪に凛々しい口調のフレイ夫人。そして金髪をゆるやかに結い上げているのがマリー夫人。おふたりとも、元王宮魔女だ。
跡継ぎが結婚し、夫人としての仕事も嫁に引き継ぎ終わったおふたり。
これからのんびりと余生を楽しもうというところでしょうに、お母様が主催するサロンでどう見ても退屈そうにしておられたので、「私を手伝ってくだされば堂々とサロンを辞められますよ」とお誘いしたのだ。私とデイジーだけでは魔法植物を育てる魔力が足りないのでとても助かっている。
それから、研究員ではないけれど重要なお仕事を担ってくれているのが、そこの止まり木にいる白くてモフモフな美男子。
「ホー?」
「お手紙は大丈夫よハニー。のんびりしててちょうだい」
「ホホー!」
きりっとした眉のような模様と、蜂蜜色の瞳が印象的なミミズク。魔法薬師の同期、ヘイゼル卿が合格祝いにと贈ってくださったのだ。西部ギルドへの手紙を数日で届けてくれる働き者。瞳の色にちなんでハニーと名づけた。
以上、フレイ夫人とマリー夫人。デイジーと私。そして伝書ミミズクのハニー。四人プラス一匹の小さな研究所だ。
フレイ夫人に育てていただいた魔法植物を確認し、マリー夫人に乾燥と粉ひきをお願いしているうちに、デイジーが倉庫から商品を補充してくれていた。
「ルナ様、減っていた分を取ってきました!」
「ありがとうデイジー。あとは私がやるから、あなたは自分の研究をしていて」
「はい! ではお言葉に甘えて……」
今販売しているのは回復薬、中級回復薬、高級回復薬の三種類。魔法薬が便利なものだと浸透させるために、安全で誰にでも効果が分かりやすいものを選んだ。
最初は半信半疑だったお客様も、実際に回復薬を使ってたちどころに傷が治ると、とても喜んでくださる。四人で研究の報告をしあうのもすごく楽しい。おかげで、卒業論文用の魔法薬がもうすぐできあがりそうなのだ。
事前に注文されていた、本日受け取りの品を準備していると、入口のベルがカランカランと鳴った。ノールズ医師だ。
「いらっしゃいませ。ちょうど注文分を詰めていたところですわ」
「ありがとうございます。まさか自分で調合する手間が省けるとは」
「どういたしまして。お役に立てて嬉しいですわ」
日々の診察と治療でお忙しいノールズ医師は、休憩の時間に魔法薬を取りにいらっしゃる。彼自身が魔法植物を育てたり魔法薬の調合をするとオーバーワークになってしまうので、協力を提案したのだ。
これまで魔法薬は医療薬と違って「病には効かない」とされていたけれど、ノールズ医師のお話では効き目のある疾患もあるとのこと。例えば胃痛には中級回復薬。体の内側から治癒の効果をもたらすので、慢性的なものでなければ一度の処方で治るのだとか。
それから、不眠症には眠りの魔法薬が抜群に効く。これまで使われていた不眠症用の医療薬より効き目が強いのに副作用がない。ただし、飲んですぐ眠ってしまうところが危ないので、うちではノールズ医師だけに販売している。誰でも買えるようにしたら犯罪に使われかねないと思って。
そして何より便利なのが、病巣を取り除く手術の後。縫合の代わりに回復薬をかければすぐに傷を閉じられるので、入院患者さんの回復が段違いなのだそう。
「私の話を聞いて何人か、今年の試験を受けると言い出しまして」
「それはようございましたね。ノールズ医師の思惑通りではありませんか」
「ええ。ヘイゼル卿もお元気そうですか?」
「はい。昨日お手紙がきて、西部ギルドでも回復薬を売り始めたそうですわ。今月は神殿に頼らなくて済みそうだとか」
「それはよかった。ではまた」
「はい。足元にお気をつけて」
いい同期に恵まれたものだなと思う。しかし気になるのは、私も含めて合格者がたったの三名だったこと。年に一度しか試験がないのに。とにかく今年の試験、デイジーに頑張ってもらおう。
そんなことを考えていると、また入口のドアがカランカランと鳴った。今度は王宮騎士の制服に身を包んだ青年が二人。部下と思わしき騎士と一緒に入ってきたのは……
「ルナ。真面目にやっているようだな」
「いらっしゃいませ、ロイドお兄様」
イーリス公爵家の跡取り。
そして早く帰宅した日には決まって私を呼び出す、お説教が長い兄である。
「発注してあった品を受け取りに来た」
「はい、こちらに。念のため本数をご確認ください。高級回復薬が十本。中級回復薬と回復薬を二十本ずつですわ」
「……ああ。確かに」
「では卿、そちらの箱にお入れします」
「はい。お願いいたします」
部下が持ってきた箱に大量の回復薬を一本一本、割れないように詰めていく。
「それにしても、お兄様にわざわざお越しいただくなんて……配達もできればよかったのですけれど」
「いや、それには及ばない。俺が直接取りに来たほうが、途中で奪われたり中身をすり替えられたりする心配がないからな」
なんておっしゃっているけれど、おそらく私の様子を直接ご覧になりたかったのだ。だって取りに来るだけなら、一緒に来ているそこの部下に任せればいい。
――これはやはり、ジェシカ卿がお兄様に報告してくれた効果よね?
魔法薬師の免許を授与された日。ローザの怒鳴り声を外へ漏らすために、意図的に防音結界を解除した。ジェシカ卿の働きに期待していたけれど、どうやら私の思った通りに動いてくれたらしい。
お説教ばかりだったお兄様が、急に優しくなって。ルナ公女がローザ公女にこき使われている。次期当主として早めに手を打つべきだ、なんて忠告されたのかしら。
私の前では何でもないお顔をなさっているけれど、さぞ困惑しているでしょうね。イーリス公爵家の足を引っ張っていたはずの私が急に真面目になって、完璧だったローザが王妃陛下に毎日叩きのめされているんだもの。
「お待たせしました。今のところ、王宮騎士団が一番のお得意様ですわ」
「だろうな。本当に、ここで回復薬を売ってくれて助かってる」
「王宮の薬師部は研究が主目的ですものね。仮に回復薬を作ったとしても、近衛騎士の分で手一杯だと思いますわ」
「それがなぁ……」
「あら? 何か面白いお話が聞けそうですわね」
お兄様が部下にちらりと目くばせすると、彼が一歩後ろに下がった。私と自分だけを囲むように防音結界を張られたので、私も念のため、その内側にもう一枚結界を。二重結界だ。
「……ここだけの話。回復薬みたいに便利なもの、国主導で大量生産すればいいじゃないかって意見が議会にあがったことがある」
「あら? そんな話、初めて聞きましたわ」
「一回きりで終わったからな。それも三年前に」
「まあ……議会の雰囲気はどうだったのです?」
「第一第二とも、騎士団は賛成した。だが『治癒は神殿でもできるのだから、王宮ではもっと有意義な研究をすべきだ』と言った者が居てな。王妃陛下も同感だとおっしゃって、それっきりだ」
「その意見、どなたが?」
「わざわざ言わずとも、見当がつくんじゃないか?」
――ああ。私を試すおつもりなのね。
やはりジェシカ卿がお兄様に忠告してくれたとみて間違いない。彼女の言ったことが本当なのか、ご自分で確認なさりたいのだ。こういう話をする相手だったローザが、実際はローザではなく、私の方だったのだと。
「もっと有意義な研究をすべき、とはよく言ったものですわね。私からすれば、身の危険が伴う騎士団の意見を押さえつけて、神殿の肩を持っているように聞こえますけれど」
「それで、誰だと思う?」
「オルビス公爵では? 王妃陛下の兄君ですし、三年前でしたらちょうど、二番目の令息が神官になった頃と重なりますもの」
私の回答に、ロイドお兄様が短く溜息を吐いた。
「……ご名答だ。本当に、ここだけの話だが」
「貴重なお話をありがとうございます。お兄様のおかげで、回復薬を販売する意義が大いにあるとわかりましたわ」
「ああ。引き続きよろしくな」
結界を解くなり、部下と足早に店を後にしたロイドお兄様。あのご様子では、しばらく悩まれそうだ。けれど心配はしていない。少なくとも、ローザの味方になることはないだろうから。
だってロイドお兄様は、私とよく似ている。
国のためとあらば、身内であろうと容赦なく切り捨てられる。そういうお方だ。
――さあローザ。お兄様も気づいてしまったわよ?
復讐計画は順調。
このままじわじわと周囲を固めて、王宮に乗り込むとしましょう。