第七話 お久しぶりです、お姉様
「ルナ! 合格おめでとう!」
微笑ましい場面を演出するために作られた、ローザの明るい声色。
妹の快挙を心から喜んでいる、優しい姉だと周囲に印象づけたかったのでしょう。けれど、ゆくゆくは王太子妃になる身だというのに、まるで威厳が感じられないのは問題だ。
なぜなら高座にはまだ、国王陛下と王太子殿下が。そして私の隣にも王妃陛下がおられるのだから。妹相手であっても、このように砕けた言葉をかけるべきではなかっただろう。
「お祝いいただき光栄でございます。未来の王太子妃殿下」
対して私は一線をひき、恭しく頭を下げた。もちろん「未来の王太子妃殿下」と称することで、ローザを喜ばせることも忘れない。私の従順な様子に、ローザの口角がにやりと持ち上がる。
「もう……そんな呼び方はやめてちょうだい」
なんて言いながら、満更でもないと顔に書いてある。
しかしその笑顔も、王妃陛下の一言ですぐに失われた。
「そうねローザ公女。結婚式は来年だものね」
「……っ!?」
――あら。これは思わぬ加勢だわ。
ローザが「そんな呼び方はやめて」と言ったのに対して、王妃陛下が肯定なさるなんて。「お前はそんな呼ばれ方をされるべきではない」と警告されたようなものだ。
突然のことに、ローザは言葉を失っている。暇さえあればお茶会やパーティーを渡り歩いていたのだから、話術には自信があるでしょうに。うまくきり返せない無様な姿を嘲笑ってやりたいけれど、思い切り笑うのは屋敷に帰ってからにしましょう。
固まっているローザの代わりに、私が話を繋げる。
「大変失礼いたしました。婚約から随分経つからでしょうか。明日にでもご結婚なさるような気持ちでいたものですから」
「あなたがそう思うのも仕方ないわ。私も当初は、卒業してすぐの建国祭で式を挙げさせたいと思っていたから。もう結婚していてもおかしくなかったのよ」
「さようでしたか……ですが、かえって来年でようございましたね。余裕がありますもの」
「ええ。だからこそ、そのような呼び方はまだ早いと思っているのよ。私もローザ公女もね」
「私が軽率でございました。気が急いてしまったこと、お詫び申し上げます」
「いいのよ。結婚式が待ち遠しい気持ちはよく分かるもの」
頭を下げた私に、寛大な言葉をかけてくださる王妃陛下。よく話を合わせた。あなたと息子の結婚式が待ち遠しいわとおっしゃりたいのだろう。
我々のやりとりをノールズ医師とヘイゼル卿が心配そうに見守ってくださっていたけれど、王妃陛下が望む流れに持って行くために謝罪してみせただけであって、ローザを「未来の王太子妃殿下」と呼んだのがまずかったわけではないのだ。
十四歳で王太子殿下と婚約。そして来年の結婚式に向けて、王宮でもすでに準備が始まっている。ローザが王太子妃になるという未来が確定していると言ってもいい。普通なら。
けれど、王妃陛下から妃教育を受けたのは私だし、婚約している期間が長いからといって、予定通り結婚できるかどうかはまた別の話。だって王妃陛下ご自身も、国王陛下が長らく婚約していらしたお相手にかわって正妃の座に就いたお方なんだもの。
もちろんそのことは、ローザも知っている。とても有名な話だから。
きっと今、ローザは私に対する怒りを必死に抑えている。王太子殿下のことをあきらめるふりをして、私に取って代わるつもりだったんだな、と。
「……うふふ。とても驚いたのよ。試験のこと、何も聞いてなかったから」
体の前で重ねられた両手は硬く握られ、ごまかし笑いでも声の震えが隠しきれていない。王妃陛下はもちろん、ノールズ医師とヘイゼル卿にも、ローザの怒りが十分に読み取れるだろう。医師とギルド運営者。毎日大勢の人と関わるお仕事だから。まずはギャラリーの前で、直接対決といきましょう。
「申し訳ありません。実はこの試験、お姉様の卒業パーティーの日にあったんです」
「あら? あなた、体調が悪いって休んだわよね?」
「はい。お祝いの雰囲気に水を差すのが嫌だったんです。お姉様のことより自分の試験を優先するだなんて……でも結局、気分を害してしまったようですね。申し訳ありません」
怒りで震える姉。申し訳なさそうな妹。
こうして分かりやすい構図を作ってやれば、味方が増えるのは私の方。
早速、ノールズ医師とヘイゼル卿がローザをなだめてくれた。
「……ま、まあまあローザ公女。魔法薬師の免許は、取得がとても難しいのですよ」
「そうです。私なんて三度目でようやくですから。早いうちに受けて正解だったかと」
「おふたりとも誤解なさらないで。私は別に、妹を責めようなんて思っておりませんわ」
そう言うとローザは、吊り上がりかけていた目尻をぐいと下げた。
「もう……正直に言ってくれれば応援したのに。急なことでお祝いの準備もできなかったじゃない?」
――嘘おっしゃい。正直に言っていたら、試験を受けさせてくれなかったくせに。
「ルナが来ないなら卒業式もパーティーも出ない!」なんて言いながら部屋に閉じこもれば、お父様とお母様、お兄様も私を説得したでしょうね。試験は来年もあるけれど、ローザの卒業式は一度きりだからって。そして私は泣く泣く試験を諦め……
ああ、ローザのにやにやした顔が目に浮かぶようだわ。
受験を断念させられて意気消沈している私を、卒業式にきっちり参加させる。そして王太子殿下の隣に立つ姿を私に見せつけて、優越感に浸りたかったのでしょう? そうならなくて残念だったわね、本当に。
あの日、ローザが卒業式に出かけるより前に、支度をした私は窓から外に出て王宮に。
魔法薬師の筆記試験と実技試験を受けた後、周囲の記憶に残るようにわざとパーティーの終わり間際に駆けつけたのだ。仮病を使ったのだと疑われないように、顔色の悪い化粧で。おかげで合格発表まで、ローザを油断させられた。
さも残念そうな顔で、優しい姉を演じるローザ。
私も引き続き、姉を恐れる妹を演じる。
「お祝いの準備だなんて……おめでとうと言っていただけただけで十分ですわ」
「言葉だけじゃ足りないわ。せめてお茶でもどう?」
「お気持ちだけ頂戴いたしますわ。妃教育で毎日お忙しいでしょうに、私に時間を割いていただくわけには……」
お茶を断る私に、ローザの笑みがひきつる。
仕方ない。ローザは私とふたりきりでなければ話せないのだ。
どう出るかと様子をうかがっていると、私の背中にポンと、王妃陛下の手が添えられた。
「大丈夫よルナ公女。気にせず祝ってもらいなさい」
「……よろしいのですか?」
「ええ。少しだけなら構わないわ。こんな快挙、滅多にないもの」
――なるほど。「こいつを短時間で片付けろ」とのご命令、確かに承りましたわ。
ぱちぱちと二連続で瞬きして、理解した旨をお伝えする。妃教育を受けていた時に、王妃陛下と私の間で取り決めた合図だ。
そんなこととも知らないローザはパッと明るい顔になり、王妃陛下に頭を下げた。
「王妃陛下のお心遣いに感謝いたします。行きましょう、ルナ」
「私からも感謝申し上げます。では王妃陛下、お先に失礼いたします」
「ええ。楽しんでらっしゃい」
ローザと一緒に、謁見の間を後にする。
去り際、ノールズ医師とヘイゼル卿に声をかけるのも忘れない。
「おふたりともまだまだお話ししたかったですわ。また近況を教えてくださいませね」
「ええ。もちろんですとも」
「私もぜひ。定期的に情報交換いたしましょう」
「ありがとうございます。ではお先に失礼します」
最後に、高座におられる国王陛下に会釈すると、その隣におられた王太子殿下と目が合った。にこりと笑いかけてみたけれど、ふいっと目を逸らされてしまう。寂しいけれど仕方ない。
――もう少し待っていてくださいね。私の王太子殿下。
あと数か月で周りに知らしめてご覧にいれましてよ。
あなたの隣に相応しいのが私であるということをね。