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第三話 だって本当なんだもの

 清々しい朝。

 私は一限が始まる随分前に、王立アカデミーのクラスルームに居た。


 今日から四回生。ようやくルナ・イーリス本人として通学できると思うと感慨(かんがい)深い。今までは授業も試験もローザ・イーリスとして出なければいけなかった。私がルナ本人としてアカデミーに来たことがあるのは、ローザが仮病で休んだ学年末試験の再試験と、ローザの卒業パーティーだけだったから。


 誰も居ない、静かな教室。朝の新鮮な空気を味わいながら本を読んでいると、男爵令嬢のデイジーが鼻歌とともに現れた。


「ふふーん♪ 今日も私が一番乗りねー……ってひいぃ⁉」


 栗色の三つ編みがいかにも機嫌良さそうに揺れていたのに、まるで幽霊でも見たような反応。何を驚くことがあるのかと首を傾げていると、我に返ったデイジーが私に向かって勢いよく頭を下げた。


「た、大変失礼いたしました! おはようございます公女様」

「おはようデイジー。いい朝ね」

「ええ。その……めずらしいですね?」

「何が?」

「こんな時間に公女様がいらっしゃるのがです」

「そうだったかしら?」

「ええ。『必修の講義がない日は出席表を頼むわ』と私におっしゃって。といいますかここ三年、ずっとそうしておりました……よね?」


 デイジーの首がぎこちなく傾いていくのを見て、なめらかに話を合わせる。


「ああ、そうだったわね。今までありがとう」

「ということは……」

「ええ。今日からはもう気にしないで。今度お礼をさせてちょうだいね」

「はわぁ……お気遣いなく! 男爵令嬢の私が公女様のお役に立てただけでも光栄でしたので!」


 そう言うとデイジーは、私から随分と離れた席にそそくさと座った。


――なるほどねぇ……


 彼女のおどおどした反応。「男爵令嬢なら自分に逆らえないだろう」と思って、出席表の記入を無理やり頼んでいたのだろう。ローザめ。我が姉ながら、本当に自分勝手な人だ。


 しかしひとつ引っかかる。それならなぜ、いつも私と同じ時間に屋敷を出ていたのか。アカデミーの前で馬車を降りて私とわかれた後、教室に行っていなかったということになる。


 アカデミー内のどこかでのんびり過ごしていたのだろうか。講義中に教室の外をうろうろしていたら他の先生に見つかって面倒なことになるだろうけれど、そんな話は一度も聞いたことがない。考えているうちにだんだんと教室がにぎやかになってきた。


「……あら? ルナ公女だわ。めずらしいこと」

「こんなに朝早くにどうしたのですか?」


 後ろから親しげに声をかけられて振り返ると、侯爵令嬢のバーバラと、伯爵令嬢のクラリスが居た。ふたりして目を丸くしている。


「おはようふたりとも。教室に私が居るのってそんなにめずらしいことかしら?」

「おほほ。これはまた、面白い冗談を思いついたものですね」

「冗談ではなくてよ。教室に入ってきた子たちが皆驚くんだもの」

「何をいまさら。ルナ公女が我々と居るのはランチとお茶会くらいでしょうに」

「……うふふ。そうだったわね」


 調子を合わせつつ、そういうことなら驚かれても仕方ないなと納得した。

 つまるところ、ローザは私の代わりにアカデミーに行くふりをして、毎日のように講義をさぼっていたということだ。もしかするとアカデミーを抜け出して、そこの城下町で遊んでいたのかもしれない。


 予想外の事態だけれど、慌てるほどのことではない。むしろ私の計画にはプラスに働くだろう。もちろん、地の底まで落ちた私の評判を回復させる手間はかかるけれど、講義をさぼり倒していたならローザはきっと今頃、王宮で大変な目に遭っているはずだから。


「ところであなたたち、卒業研究は何にする予定?」


 私の両サイドに座ったバーバラとクラリスに四回生らしい話題をふってみたが、ふたりはそんなことどうでもよかったようで。


「そんなことより、次のお茶会の相談をいたしませんこと?」

「そうですよ! 春の花も咲いてきましたし、ガーデンパーティーはいかがです?」


 ローザお姉様が大喜びしそうな話題に溜息が出そうになるのをぐっとこらえ、申し訳なさそうな顔を作った。


「ごめんなさいね。私、当分お茶会に行けそうにないのよ」

「「えっ……⁉」」


 しばし固まるふたり。そしてバーバラが私の手首で脈を取り、クラリスが私の後頭部におそるおそる触れた。


「様子がおかしいと思いました。どこが悪いのです? 脈は正常ですね」

「交際を断った殿方に花瓶で頭を殴られたとか? ここ、痛みますか?」


 さすが「ダメなほうの公女」として名を馳せてしまっただけある。何かの病にかかったか、誰かに後頭部を殴られでもしないかぎり、お茶会に参加する人間だと思われているらしい。


「落ち着いてふたりとも。私は至って元気よ。つい先日、お姉様が王宮に移り住むことになってね。とうとう私も(なま)けていられなくなったのよ」


 私の説明を聞いて、ふたりともようやく手を放してくれた。


「ああ……ご結婚まであと一年ですものね」

「そうなのよ。私も式に出席するでしょうから、ご迷惑をおかけしないよう真面目に勉強しないと」

「いいことですよね! 寂しいですけれど……」

「わかってくれてありがとう。気にせず私抜きで楽しんでちょうだい」


 とりあえず面倒そうなお茶会仲間をふたり処分できた。だが、おそらく彼女たちは氷山の一角。今日は一日、お茶会の誘いを断るのでつぶれそうだなと思っていると、教室に先生が入ってきた。


 きつく結われたお団子に、端のとがった細い眼鏡。()(ちょう)(めん)に赤く塗られた唇と爪。そして(えり)の大きな漆黒のローブが、彼女の厳格さを際立たせている。鉄壁の魔女――カメリア・アイアンズ。王立アカデミーの副学長だ。


「ごきげんよう皆さん。最終学年の一年間、私が皆さんを担当します。どうぞよろしく」


 自分が誰か名乗らずとも、知らない者は居ないだろうという簡単な自己紹介。普通なら四年間、学年担当は変わらない。そして副学長は教務以外で多忙を極めているので、滅多に学年を担当しない。けれど最終学年でわざわざ、このクラスを担当するということは……


「まず、前学年の学年末試験の結果ですが……」


 私がカメリア副学長をじっと見つめていると、案の定目が合った。


「……学年一位はルナ・イーリス公爵令嬢でした。拍手」


 教室が拍手に包まれる中、副学長は私にひきつった笑みを向けた。 


「いやはや。さすがイーリス公爵家のご令嬢ですねぇ。一体どんな方法で勉強なさっているのか、ぜひ教えていただきたいものです」

「ありがとうございます副学長。お褒めに預かり光栄ですわ」


 ローザが演じたであろう「ルナ」らしく、嫌味に気づかないふりをして満面の笑みを返す。拍手がまばらになり、後ろから令嬢たちのどよめきが聞こえてきた。


「講義に出てないのにどうして……試験だって休んでたじゃない」

「お姉様に再試験をお願いしてるとか?」

「見分けがつかないくらい似てるものね」

「あとは再試験の日までに試験の答案を手に入れてるとか……」

「アカデミーにお金を積んでる線はどう?」


 聞こえないふりをして黙っていると、バーバラが机の下で私の手にそっと触れてきた。


「……ルナ公女。好きに言わせておいてよろしいのですか?」

「ええ、構わなくてよ」


 まったくもってこれで構わない。彼女たちには盛大に、好き勝手言ってもらわなければ困るのだ。最前列に座っている私に聞こえるくらい、大きな声で。


 次第に騒がしくなる教室。

 教卓を見れば、カメリア副学長の口元がわなわなと震えている。


「……誰ですか!? 本学を侮辱(ぶじょく)する発言をしたのは!」


 狙い通りの展開に、笑いを噛み潰す。彼女たちがカメリア副学長の神経を逆撫でしてくれるのを、私は待っていたのだ。


 端が尖った眼鏡の奥。元々冷たい顔立ちのカメリア副学長が目尻を吊り上げれば、その迫力はなかなかのもので。瞬く間にざわめきが静まり、副学長もすぐに落ち着きを取り戻した。


「よろしいですか? いくらお金を積もうとも、試験の結果は変えられません。神聖なる王立アカデミーで姑息(こそく)な手段は通用しないと、よくよく肝に(めい)じておきなさい」


 険しい顔で教室の隅々まで見回す副学長。そして最後に、私のところで目が留まった。


「……ルナ公女。昼休みに教員室に来てください。試験結果についてお話したいことがありますので」

「かしこまりました」


 そこから一限、二限と講義を受け、ランチの前に教員室を訪ねた。


 私が来るのを今か今かと待っていたようで、私が教員室に入った瞬間、カメリア副学長に手(まね)きされて連れていかれたのは面談室。学生のプライバシーを守るという名目で防音魔法がかけられており、どんな大声を出しても誰にも聞かれない。別名「説教部屋」だ。


 面談室の席に着くなり、副学長が早速話を切り出した。


「……いさぎよく認めてはどうです?」

「何をですか?」

「再試の件です。学生たちが話しておりましたが、お姉様に頼んだのでしょう?」


 こころなしか、普段より声が低い。

 そして音が漏れないのをいいことに、副学長は声を荒げた。


「他人の目は誤魔化せても、この私の目は誤魔化せません! 私はローザ公女を四年間担当していたのです。あなたの学年末試験、再試験に来たのは間違いなくローザ公女でした!」


――さすが副学長。鋭いわね。


 惜しい。実際は逆だ。

 けれど、副学長の勘違いは仕方のないことなのだ。


 だって彼女が四年間担当していたのは、ローザと入れ替わった私。妹の再試験に来た私を見て、「ローザ公女が来た!」と思ったということは、ちゃんと見分けられているのだ。私を。


 だからこそ私は堂々と、本当のことを言えばいい。


「いいえ、副学長。間違いなく私、ルナ・イーリス本人が、自分で試験を受けた結果です」

「神に誓って、ですか?」

「ええもちろん。誓いますわ」

「……わかりました。でしたら、これを飲んでみますか?」


 そう言いながら副学長が懐から取り出した、頑丈そうな箱。

 その中から取り出された小瓶を目の前にぶら下げられた。


 魔力を感じる。そして虹色の光沢を帯びた、透明な液体。

 中身が何なのかすぐにわかり、私は興奮を抑えられず立ち上がった。


「……なんてこと! それ、真実の魔法薬ですわね⁉」

「おや! 一見してわかるとはさすがローザ公女の妹ですね」


 (けわ)しかったカメリア副学長の顔が一瞬ほころんで、すぐにひきしめられた。油断してしまうのもわかる。持っているだけでも誇らしい。これはそのくらい貴重な魔法薬だ。


 材料は魔力の結晶であるマナ石に根を張っているところを発見された、真っ白な花。北部の地下神殿で初めて発見された魔法植物だ。


 神殿の壁画に描かれている「真実の花」そのものの形をしていたことから、壁画に描かれていた手順通りに薬を作ったところ、薬を作った者に対して飲んだ者が嘘をつけなくなる非常に有用な魔法薬ができあがり、「真実の魔法薬」と名づけられた。


 誰もがこぞって欲しがるであろう薬だけれど、王宮の薬師部ですら栽培に成功していないため、今のところ自生する真実の花を見つけて作るしかない。


 しかし、これまで見つかった真実の花はたった三輪。


 最初の一輪は壁画の再現と魔法薬の実験に使われ、残りの二輪は片方を保存用に、もう片方は栽培実験に使われたが失敗。幸い、乾燥させておいた花びらから真実の魔法薬を一本作ることができ、それは国王陛下が所有しておられる。つまりこの薬は、副学長自ら作った物ということだ。


「虹色の光沢をもつ魔法薬は今のところ真実の魔法薬だけですもの! それにしても素晴らしいです! まさかご自分で真実の花を見つけたのですか⁉」

「もちろん。地下神殿に近いダンジョンを片っ端から。マナ石が豊富な地層まで潜ったのです」

「あらまあ……ここからでは行くだけでも骨が折れますのに」

「ええ。長期休暇を七年も費やしてようやく……」

「献上は考えなかったのですか? 見つけた者たちは国王陛下から莫大な褒賞を(たまわ)ったと聞きましたが」

「もちろん考えました。しかし研究者として、この手で色々と試してみたかったのです。しかし私では力及ばず。栽培できなかったので残った花びらを薬に……いや、そんな話はどうでもいいのですよ」


 あら残念。ものすごく興味があったのに。


「さあどうです? この薬の前には、どんな嘘も通用しませんよ?」 


 にたりと笑いながら、薬瓶を横に振ってみせる副学長。

 私の方はこくこくと首を縦に振ってみせた。


「飲みます! ぜひ飲ませてくださいまし!」

「……えっ?」


 副学長が切れ長の目をまん丸にしている。驚いて当然だ。だってこんな貴重な薬、学年末試験の替え玉受験を吐かせるために使うなんて馬鹿げている。でも飲むわ私。本当に真実しか喋れなくなるのか、ぜひ身をもって体験したいもの。


「副学長は私を疑っていらっしゃるのですよね? 悪名高い私がどういうわけか、学年末試験だけはずっと満点を取っている。姉のローザが私の代わりに、再試験を受けているのではないかと。そうお考えなんでしょう?」


 机を挟んで対峙(たいじ)していたところから歩みだし、副学長に一歩、また一歩と近づく。嘘がつけないと分かればあっさり認めるだろうと思って真実の魔法薬をちらつかせただろう副学長は、そんな私に少し動揺しているように見える。


「そ、そうです。ローザ公女も自分の試験がありますからね。だからあなたは毎回仮病を使って学年末試験を休み、後日、再試験の日には姉君を寄越(よこ)した。違いますか?」

「では聞きますけれど。そんなことをして、私の姉に何の得があるんですか?」

「ありますとも。ローザ公女は未来の王太子妃。その妹がアカデミーの落第生では外聞が悪いではありませんか」

「なるほど。副学長は、未来の王太子妃であるローザ・イーリスが、自分の評判のために卑怯な真似をする人間だと、そうおっしゃりたいのですね?」


 (あお)るような発言に、カメリア副学長がまた声を荒げた。


「いいえ! あなたが無理に頼んだのでしょう? かわいそうに。ローザ公女はきっと、良かれと思ってやったのです。なぜならば断ったが最後、あなたは落第して家門に泥を塗る。それはイーリス公爵家の令嬢を婚約者に選んだ、王室にまで恥をかかせることになってしまうのですから」

「筋は通りますわね。ですが私、姉に入れ替わりを頼んだことなど、ただの一度もないのです」

「なんて(おう)(じょう)(ぎわ)が悪い……この薬を飲めば、あなたの嘘が白日(はくじつ)の下に晒されるのですよ⁉」

「ですから、飲ませればよいではありませんか。私が嘘を吐いているのかどうか、確実にわかりましてよ?」

「くっ……!」


 長い沈黙の後、カメリア副学長が唇を噛みしめながら薬瓶のふたを開けた。


「……そこまで言うなら仕方ありません。ローザ公女には申し訳ないですが、入れ替わりが発覚した(あかつき)にはあなたを退学に(しょ)します。さあ飲みなさい」

「ありがとうございます! いただきますわ!」


 挑発は大成功。副学長の気が変わらないうちに、私は薬瓶を受け取った。


 こんなに貴重な魔法薬を自分で飲めるなんて機会は滅多にないので、飲む前にすかさず匂いを確認。魔法薬なら何にでもあるだろうという、薬草を煮たような香りがわずかに感じられる程度。お茶に混ぜられたら気づかずに飲んでしまいそうだなと思いつつ、ゆっくり飲み干した。


「味はいかがかしら?」

「わずかに苦いですわ。甘味と辛みもありませんし、ほぼ無味無臭と言っていいかと――」


 話の途中で、自分の魔力が何かに縛られるのを感じた。


「……効いたようですわね。魔力による拘束を感じますわ」

「くくっ……私も感じます。あなたが嘘をつけばすぐにわかるでしょう!」


 あんなに渋っていたのに、いざ私が飲んだら副学長も興味(きょうみ)津々(しんしん)である。


「さあ副学長。私になんなりとご質問くださいませ」

「ではまいりましょう。ルナ・イーリス公爵令嬢。あなたの学年末試験の再試験を受けたのは、姉のローザ公女ですね?」

「いいえ。私、ルナ・イーリス本人が間違いなく、再試験を受けましたわ」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべるカメリア副学長。しかし私の体には何も起こらない。副学長の笑みが徐々に薄くなり、顔が青ざめていく。


「どうです? 何も起こりませんでしょう?」

「そんなっ……そんなはずが……」

「逆も試してみましょうか? 壁画には天から雷が降るような描写があるのですよね?」

「え、ええ。嘘をついた者には天罰が下ると。ぜひお願いします」


 副学長の望み通り、今度はわざと嘘をついてみる。


「申し訳ありません副学長。私、ルナ・イーリスは、学年末試験の再試を姉のローザに頼みまし――くっ……うっ……!」

「ルナ公女⁉」


 私が嘘を吐く寸前、喉を絞められたように声が出なくなり、目の前がゆらゆらと揺れ始めた。息が苦しい。誰かに心臓を(わし)(づか)みにされているようで、とても立っていられない。


 床に崩れそうになったところを副学長に支えられ、傍にあった椅子に座らされた。


「あなた、大丈夫なのですか⁉」

「い、いや……これは想像以上にっ、苦しい、ですわ……!」

「なんと貴重な! あなたの魔力が何者かに乱されているのが私にもわかります! どのように苦しいですか⁉」

「くっ……は、肺が急に、働かなくなったような……それでいて、体内をめぐっていた魔力が、勝手に心臓をしめつけているような……それから、視界が左右に揺れて……」

「ほうほう! 血圧と体温を測らせていただいても⁉」

「どっ、どうぞ!」


 本来の目的をしばし忘れて、真実の魔法薬の効能をつぶさにメモするカメリア副学長。


「なるほどなるほど。壁画にある天罰がくだるような描写は、命を落とすほどのものではないのですね。しかしあの可憐(かれん)な花にこのような力があるとは驚きです。このレポートは王宮の薬師部に共有して……はっ!」


 副学長が満足する頃には魔法薬の効果も切れ、苦しみから解放された。あまりの苦しさで薬の効果に感動する余裕すらなかった。しかし間違いなく、私の人生でもっとも貴重な体験をさせていただいた。


「これでわかっていただけましたでしょう? 副学長が作った魔法薬に問題があるとは思えませんし」


 椅子からすくっと立ち上がった私に、副学長が渋々(しぶしぶ)といった様子で頭を下げた。


「……ルナ公女。疑って、申し訳なかったです」

「うふふっ……わかってくだされば結構でしてよ。副学長が費やした長期休暇七年分に免じて、私を疑ったことは誰にも口外いたしませんわ」


 私がそう言うと、副学長の表情が少し和らいだ。しかし、彼女の瞳にはまだ疑念が見て取れる。


「あなたが嘘をついていないことはわかりました。しかし……」

「まだ何か?」

()に落ちないのです。ローザ公女に引けを取らない学力をもちながら、なぜあなたが怠けているのか」


――ああ、きっとたずねてくださると思っていたわ。


 四年間、みっちりとお世話になった恩師にヒントを差し上げなければと、私はあからさまに驚いてみせた。


「あら? 私、アカデミーに入学してから一日たりとも怠けた覚えがありませんけれど……?」

「そう……ですか?」

「ええ。明日からも無遅刻無欠席をお約束いたします。それでは、ごちそうさまでした」


 首を傾げているカメリア副学長を残し、面談室をあとにした。


 あれだけ言っておけば、副学長はきっと自分でたどり着いてくださる。自分が四年間指導していた優等生がローザ・イーリスではなく、妹のルナだったのだと。


 もしかすると、もう気づいてしまったかもね?

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