第一話 腹黒姉としばしのお別れ
私、ルナ・イーリス公女と姉のローザ・イーリス公女は容姿がそっくりな年子。
幼い頃はローザお姉様のほうが少しだけ背が高かったけれど、成長が緩やかになるにつれてその差もすっかり埋まった。
赤薔薇のような瞳に、薄紫色の髪。髪型や好きな色、ドレスの趣味も似ているので、示し合わせてもいないのに毎度同じような格好になってしまう。声や喋り方まで瓜ふたつなものだから、会う人会う人に驚かれるのにも慣れてしまった。
入れ替わっても気づかれないほど、そっくりな私たち。
けれどひとつだけ。私とローザお姉様に明確な違いがあるとすれば、それはお姉様がこの国の王太子――ウィクトル・アルクス・アウレウス殿下の婚約者であるということだ。
王太子殿下と同い年のローザお姉様は、王立アカデミーで殿下と共に学び、殿下に次いで優秀な成績をおさめた。卒業パーティーの翌朝には、どの新聞を見ても「お似合いのふたり」だとか、「王国の未来は光に満ちている」なんて見出しが並ぶほど、周囲から祝福されている。
そして今日は、ローザお姉様をお見送りする日。ウィクトル王太子殿下と結婚するまでの間、妃教育に専念すべく王宮へ移り住むことになったのだ。
出発前にご挨拶をと思って部屋を訪ねると、お姉様が侍女たちを全員下がらせた。
「皆、少し席を外してくれる? お別れの前に、可愛い妹とふたりきりで話したいのよ」
「かしこまりました」
侍女たちがぞろぞろと出ていき、ローザお姉様とふたりきりに。ソファーに向かい合わせで座る。
「ありがとうルナ。今まで私のために頑張ってくれて」
「いえ。ローザお姉様のおかげで、私も良い思い出がたくさんできましたので」
「うふふっ。そうよね。だってルナは、私の婚約者が大好きだものね?」
お姉様の言葉にうつむくと、大きなため息が聞こえてきた。
「はぁ……かわいそうに。けれど今さら、どうにもしてあげられないわ。他ならぬ王太子殿下が、私のほうをお選びになったんだもの」
「よくわかっております。初恋は叶わないものだなんて言いますし……」
「そうそう。落ち込んでばかりいては駄目よ」
向かい側に座っていたローザお姉様が席を立ち、私の隣に腰かけた。そして私の両手を握り、じっとこちらを見つめる。
「よく聞いてルナ。私たちが入れ替わっていたことは一生の秘密。そうしなければ私たちはふたりとも、王族を欺いた罪に問われてしまうわ」
「心得ております。もし明るみになれば、我々だけでは済まないでしょう。お父様とお母様、ロイドお兄様も……」
「そうよね。家族のためにも、お墓まで持って行きましょう」
「わかりましたわ」
私がしっかりと頷くのを見て、ローザお姉様がにこりと微笑む。私もお姉様に笑みを返し、馬車までお見送りした。
「じゃあねルナ。もし誰か、あなたに合いそうな殿方が居たら紹介するわ」
「そんなことまで気にかけていただいて……どうか気になさらないでください。王宮でもお元気で」
馬車に乗り込んだお姉様に手を振り、自分の部屋に戻った。
窓の外に目をやれば、お姉様を乗せた馬車が。王宮へ向かう道を走っていくのが見えて、涙が頬を伝う。
「ルナお嬢様。お茶がはいりましたよ」
「お嬢様が大好きな苺のケーキとチョコレートも……」
「ありがとう。でもごめんなさいね。少しだけ、ひとりにしてくれるかしら。後でいただくから」
「……かしこまりました」
部屋からそっと出ていく侍女たち。滅多に泣かない私の涙で、彼女たちを心配させてしまったようだ。
大丈夫。私は悲しくて泣いている……わけではない。
――うふふっ。ここまでは順調ですわ!
そう。ただの嬉し涙である。腹黒ローザが屋敷から居なくなって清々しいこと。お姉様思いの妹を演じるのも当分おやすみだ。
開放感から、私は勢いよくソファーに腰掛けた。そしてお行儀悪く、背もたれに体重を預けて体を伸ばす。
「まったく……ローザったら。何が『お墓まで持って行きましょう』よ」
口止めしたいだけなのが見え見えで、笑いを堪えるのがどんなに大変だったか。
私に合いそうな殿方を紹介すると言ったのも、善意からくるものではない。王都からできるだけ離れた場所に私を追いやりたいだけ。社交界で私が発言力を持たないよう、辺境にでも嫁がせるつもりなのだろう。
――まあ、入れ替わりをばらされたら一番困るのはローザだものね。
入れ替わりというのは、ローザが自分の代わりに私を王立アカデミーに通わせ、妃教育まで受けさせていた件だ。
ウィクトル王太子殿下の婚約者になったローザは四年間、アカデミーで勉学に励みつつ、王宮にも通って妃教育を受けることに。
そこでまず問題になったのが、講義中の小テストや学年末試験の成績。お茶会ばかりで勉強をおろそかにしていたローザには講義が難しすぎたようで、内容がまったく理解できなかったらしい。
しかしローザは焦らなかった。
なぜなら、私が居たから。
「ねえルナ。あなた、一年早く王立アカデミーで学びたくない?」
初めて講義を受けて帰ってきたその日。ローザは私にそう提案した。勉強熱心な私を利用して、自分の成績を良くしようという魂胆だと、すぐにわかった。
「お姉様の代わりにですか? そんな、周りを欺くようなこと……」
ローザは王太子殿下の婚約者。講義や試験を別人に受けさせて、本来より良い成績を装うなんて不正、周りを騙すだけでなく、王族相手に詐欺をはたらくようなものである。
しかし私が難色を示しても、ローザは悪びれる様子なく尤もらしい理由を囁いた。
「欺くだなんて大げさよ。妃になる私の成績が悪いと、王太子殿下が周りから批判されてしまうでしょう? 殿下のためにするのだから、ばれたところで罰せられないわ」
少し考えただけで「いや牢屋行きだろう」と分かってしまう、稚拙な唆し。けれどローザには、自信があったのだ。入れ替わってもばれない自信。そして「殿下のため」だと言えば、私が絶対に断らないという自信が。
だから私はローザの思惑通り、唆されてやった。
「……わかりました。そういうことでしたらお引き受けしますわ」
そうして私は、殿下の同級生に。平日はアカデミーに通い、ひとつ年上の皆さんと勉学に励んだ。
休日は自由に過ごせるかと思いきや、王妃陛下の厳しいご指導に耐えかねたローザから、妃教育も代わってほしいと泣きつかれた。なんでも、王宮に住むようになったら自由がなくなるから、アカデミー生のうちに羽を伸ばしたいとのことで。結局、妃教育まで私が受けることになって、あっという間に一年が過ぎ去った。
本来入学するはずだった年に、私はローザのふりをしたまま二回生に進級。それと同時に、ローザが私のふりをして入学してきたわけだけれど……成績は散々。
必修科目の小テストは、記名だけして白紙。レポート未提出。進級がかかっている学年末試験に至っては仮病で欠席。再試験だけ私本人が受けて、どうにか落第は免れた。
それでも世間からの印象は「優秀なローザ公女」。私の頑張りのおかげで、さすがは王太子殿下のご婚約者だと褒めちぎられている。
対して私はというと、優秀な姉とかけ離れた「ダメな方の公女」として悪名を馳せている。ローザのせいで。
こんなに怠けていれば、いつか両親からこっぴどく叱られるだろうと思っていた。けれど日中、出来の悪い妹として生活していたローザは、両親にたしなめられても上手くかわしていた。
「ルナ。一体どうしてしまったんだい?」
「お父様もお母様も心配しているの。今のように遊んでばかりじゃ、素敵な旦那様が見つからないわよ?」
「構わないわ。ふたりとも、お姉様ばかり褒めるんだもの。でも私、気づいたの。怠けていれば私のことも気にかけてくれるんだって」
「おや。それでわざと手を抜いているのかい?」
「ええ、賢いでしょう? お姉様が嫁いだら、今度は私がお父様とお母様を独り占めしてやるんだから」
「まあ確かに、この頃はローザを褒めてばかりだったか……すまないなルナ」
「いいのよ。でも、たまには私のことも思い出してね」
「もう、ルナったら。誰がかわいい娘を忘れるものですか」
「うふふっ。ふたりとも、大好きよ。いつまでもね」
……という感じで、お父様もお母様もすっかり騙され、ローザの手のひらで転がされていたのだ。手のかかる子ほど可愛いということなのだろうか。
そんな中、唯一まとも(?)だったのが、跡継ぎのロイドお兄様だ。
「お兄様、おかえりなさいませ」
「ただいまローザ。疲れてないか? アカデミーと妃教育で大変だろう?」
「ええ。ですが、王太子殿下に相応しい伴侶になるためには必要なことですわ」
「お前は努力家だな。それに引きかえ……ルナ。後でゆっくり話をしようじゃないか」
「……はい」
たまにロイドお兄様が早く帰宅すると、晩餐の後で執務室に呼び出された。
「父上と母上はお前に甘すぎる! 王宮でローザがどんな教育を受けているか知っているのか?」
「ええ、存じております」
「お前な……その苦労を知っていて、どうしてこうも怠けられるんだ? アカデミーに通いながら妃教育も完璧にこなすなんて、尋常じゃない努力なんだぞ?」
「そうですね。それはもう大変で」
「だろう? それがお前の悪評で台無しになるんじゃないかと思うと……本当に、ローザに迷惑をかけるのだけはやめてくれ」
もちろん、妃教育で苦労していたのはローザのふりをした私。
城で働くお兄様とすれ違い、その度に労わられていたのも私。
そしてお兄様に叱られるのも、ルナに戻った私。
まったくもって解せなかったが、お兄様の見当違いなお説教とも今日でお別れだと思うと、なおのこと感慨深い。
――待ってなさい、ローザ。
忘れもしない、私が復讐を誓ったあの日。私の初恋の人まで欲したあなたに、とうとう愛想を尽かした。もう随分と前から、あなたを姉だなんて思っていないのだ。
侍女が淹れてくれたお茶が十分に冷めているのを確認して、一気に飲み干す。
「ふー……うふふっ。可愛い妹だなんて。何もかもそっくりなのに、そんなわけないでしょう?」
タイムリミットまであと一年。ふたりが結婚する前に、必ず復讐を成功させる。
あのお方こそ、国王陛下の跡を継ぐにふさわしい。
そして私こそ、あのお方の隣に立つにふさわしいのだ。