ゼントルの仕事
私の仕事は魔王モーン様を起こす為に寝室へ向かう所から始まる。
「失礼致します。」
カーテンの締め切った薄暗い室内への扉を礼儀として声をかけてから開く、何時もの事ながら返ってくる言葉はない。
「今日もまた盛大な悪夢を見られているのですな。」
室内の暗さとは別の禍々しい気配が立ち込めている様子、魔王に課せられた重責の根源がこの気配なのである。
「サド ロド ナスメラス。」
一言の呪文、唱える必要は無いのでありますが唯一使える特技、私も少年時代は憧れもあり何時しか唱えるのが癖になっていたのです、いや、お恥ずかしい限り。
室内の淀む空気が少々薄まり、それを確認後うなされるモーン様を起こしにかかるのが毎朝の日課で御座います。
汗をびっしり顔に浮かべる主を起こすこの瞬間が一番辛い瞬間であります。淀む気配がモーン様に集約され消え失せた所でかの御方が目を覚まされます。
「ゼントル、また今日もか…」
「間もなくの辛抱であります、この業を微力ながら私も背負いますので。」
「すまない、お前が居なければ我はとうに絶望していたであろうな。」
「何を申しますか、私が居なくともモーン様は強く気高くおりますまい。」
共に過ごす数百年、しかし、この方はその何倍もの歳月を重責と苦痛の日々を過ごされた事を私は知っている、記録史にでも数千年前から魔王モーンの名は残されている。
「そんな事はない、お前が我が前に現れた小僧の時から我は希望を見いだせる様になったのだから。」
モーン様の慈悲深さこそ希望であろうに、民は彼の立ち振る舞いを知るからこそ、悪夢の宿命をも受け入れているのだから。
「間もなくです、モーン様が魔王の責務から解き放たれるのも…」
神託、それを私はモーン様の救いが来るものだろうと思ってやまない、どんな結末にしろ生き地獄からは解放されるはずだと。
「それでは、私はこれからトーヤンの見送りに行ってまいります。」
「そうか、トーヤンの奴ももう限界なのか…」
影を落とす表情に一礼し、私は部屋を後にするのだった、唯一出来る事がそれだけであるのだから。
魔城へ続く一本道を通り過ぎ、広がる森林地帯の一角に設営された陣営へと私は足を運んでいる。
「おぉ、ゼントル殿、今日も燕尾服が決まっておるだ。」
「トーヤンお久しぶりですな、貴方が城に居ないと修繕が全く進みませんよ。」
赤い頑丈な外皮に包まれた巨大な体は強靭な筋肉に包まれたオーガ種、強面な顔に似合わず面倒見が良く、周りの若い者達にも慕われた男が出迎えてくれる。
「魔王様はまた顔を曇らせただか?」
「貴方も古株ですからな、嘘をついても仕方なさそうですな。」
「そうだか、申し訳ないだよ、もう持ちそうにないだ。」
黒く漆黒の瞳をしていた彼の目は今は赤黒く染まり始めている。残された時間も少ないのでありましょう、今も止められない衝動により隣に佇む大木へ腕を振り薙ぎ倒している。
「申し訳ないだよ。」
「いえ、良く耐えた貴方は立派で御座います。」
避けられない運命を背負うもの達が集まっている、彼らの衝動はこれから暴走へと変わる、その前に彼らは死にに行くのだ、自らの宿命の為に…。
「トーヤン、貴方に来世の幸せがあらんことを。」
彼に私が触れれば少しばかり赤黒く濁った瞳に理性が蘇る、中和、私の固有能力であり唯一無二の力で彼らを少しばかり癒す、それが私の主な仕事で御座います。
「すまねぇだ、オラが不甲斐ないばかりに、感謝するだ。」
誰が不甲斐ないものか、不甲斐ないのはこの私、彼らに死にに行けと宣告しているのだから、救いにもならない私の力で暴走する前に死ねと言う宣告を与えているに過ぎない。
老害でしかない私に皆感謝を述べる、その言葉を聞く度に自分に憎悪するのだ、一人一人に触れ終われば彼らは旅立つ、少しの人的被害を与え、人類が城に近づけぬ様にしながら、最後は自ら殺されるのだ、数千年続く悪夢、それが魔族として生を受けた宿命だからと。
見送る私に死地へ赴くと言うのに笑顔で手を振る者、深く感謝を表し頭を下げる者、彼らを眺めながら握った拳から血を流し、静かに涙を押し殺すのだった、我が主の変わりに…