裏切られ捨てられた竜騎士は天使な美少女に恋をする~ねぇ、これって運命の恋だと思わない?~
◇◇◇
「マリア、結婚しよう……いや、結婚してください、のほうがいいだろうか。それともこんな宝石より騎士らしく剣を捧げたほうがいいのか。くそっ、こんなときどうすればいいのかさっぱりわからん。先日結婚したロイドにでも聞いておけばよかった!」
王城の広い中庭の片隅で。出来上がったばかりの指輪を片手にブツブツ呟いていると、不意に可愛らしい声が響いた。
「いいわよ。私、あなたと結婚してあげる」
「……へっ?」
驚いて顔を上げると、そこにはにっこり微笑む見知らぬ美少女が。
「一緒に幸せな家庭を築きましょうね!」
そのままギュッと抱きつかれてしまったので慌てて距離をとろうとする。誰だ。そして保護者はどこだっ!
何しろ今日プロポーズする相手はこの見知らぬ少女ではない。恋人のマリアはれっきとした大人の女性だし、俺は断じて幼女趣味ではない。ただ、こういったことはからっきしなので、本番前に予行練習をしていただけだ。
それなのに少女は、開けたまま手に持っていた小箱からするりと指輪を抜き取ると、自分の細く小さな指に嵌めて首をかしげている。
「あら、私にはちょっと大きいみたい。すぐにサイズ直しに出さなきゃ」
そういうと、指輪を持ったまますたすたと歩きだしてしまう。
「え、ちょ、ちょっと待ってくれ……」
それはこつこつ貯めた騎士の給料三ヶ月分相当の品物なのだが。
「どう?似合うかしら?旦那様になる人からの初めてのプレゼントだもの。大切にするわ」
どうしよう。こんなに喜んでいるのに返して欲しいと言えば泣くだろうか。子どもの年齢は正直よく分からないが、うちの末の妹と同じくらいの背丈だから多分十歳から十二歳くらいだろう。となれば少し背伸びをして、こういったものに興味を持つ年頃なのかもしれない。
弱きものを守る騎士として、このような幼い少女を泣かせるのは気が引ける。今日のプロポーズは諦めて、ここは引くべきか。できれば給料の三ヶ月分を注ぎ込んだその指輪は返してほしいのだが。
入り組んだ庭園を少女の後を追って歩くことしばし。とそこに、少し後ろから聞き慣れた声がして思わず固まった。
「ふふ。あなたってキスが上手いのね」
「おや、誰と比べられてるのかな?悪い人だ。それより、このままパートナーを放っておいていいのですか?」
「いいのよ。あの人と一緒にいても疲れちゃうだけだから。無骨で退屈な人だもの。それより、ねえ……」
思わず振り向いた先の小さなガゼボで。親密に体を寄せる二人を見て息が詰まる。相手の貴公子然とした男に見覚えはないが、いかにも貴族令嬢の好みそうな優男だ。
「マリア……」
「テオドール様!?」
「おや、これはこれは……」
お互いに見つめ合うことしばし。気まずい雰囲気が流れる中、最初に言葉を発したのはマリアだった。
「……あら、奇遇ですわね。パーティーの最中にわたくしを放っておいて、逢引の最中でしたのね。お見かけしたことはございませんが、ずいぶんと可愛らしいご令嬢ですこと」
くすりと笑ったマリアの視線は、隣に佇む少女に注がれている。だが俺はそれよりも、男の首に絡めているマリアの生々しく白い腕から目が離せなかった。嘘だろう?マリアが別の男と?
「いや、俺は……」
ショックで言葉も出てこない。しかし、
「あなたこそどなたかしら。わたくしのテオドールに馴れ馴れしくしないでちょうだい」
少女がピシャリと言い放った言葉に全員ぴしりと凍り付いた。
「……ふうん。そういうことだったのね」
マリアは何かを悟ったように、ゴミ虫を見るような目で見てくる。そういうことがどういうことなのか、誰か教えて欲しい。
「まぁいいわ。あなたが私の特別だったなんて思わないで頂戴。あなたなんて、ちょっと毛色が変わってて面白いと思った単なる暇潰しの相手に過ぎないのだから。行きましょう、リチャード様」
そう言うとマリアは、相手の男を促し、振り返りもせずに行ってしまう。俺はただ茫然と、その後姿を見送っていた。
終わった。俺の人生は終わった。プロポーズしようと思っていた相手に浮気されてあっさり振られただけでなく、明日からは幼女趣味の変態騎士として陰口を叩かれる日々に違いない。
「もしかして、あんな女が好みだったのかしら。趣味が悪いわ」
ポツリと呟かれた少女の言葉に、苦笑いしか出てこない。パーティーでひときわ目を惹く美しい彼女にダンスを申し込み、相手にされたのが嬉しくて自分なりに尽くしてきた。少しでも喜ぶ顔が見たくて、ずいぶん無理も重ねてきた。
けれど、彼女の微笑みも、喜ぶ顔も、好意的な言葉さえ、きっと取るに足りない俺に対する世辞に過ぎなかったのだろう。簡単に他の男に靡いてしまうほどに。俺には彼女をつなぎ留めておく魅力がなかったらしい。
「いや、彼女は私には過ぎた人だったようだ」
跡継ぎをせっつかれ、なんとか重い腰を上げていまさら始めた婚活は、最初から大いに躓いた。社交界におけるマリアの影響力は大きい。瞬く間に不名誉な噂が駆け巡るだろう。でもそれよりも、
「私に出会う前のことですもの。許してあげるわ。でも、この先浮気したら許さないから」
にっこり微笑まれて戸惑う。この少女は一体何者なのか。よく見ると、見たこともないくらい可愛らしい容姿をしている。すらりと伸びた手足に透明感のある肌とふんわりした薔薇色の頬。そして、ふわふわと光に輝く虹色の髪に、賢そうな蒼碧の瞳。この唯一無二と言える高貴な色彩。何より、王城の庭にいるということは……
「マリアンナ殿下!」
少女の元にバタバタと侍女たちが駆け寄ってくる。
ああ、やはり……
「こちらにおいででしたか!お探ししましたよ!」
真っ青な顔で少女の前に傅いたのは王妃様付きの筆頭侍女だ。
「ごめんなさい。パーティーの様子が気になってお庭からこっそり覗いていたの」
「まあ!王女にあるまじき行為ですわ!」
「でもね、そこで素敵な伴侶を見付けたの。私、あのテオドール・フェルマンにプロポーズされたのよ。素敵でしょう?」
「……はっ?」
そこで初めて存在に気づいたとばかりに目を見開かれる。
違う。違うんだ。プロポーズは勘違いなんだ。
「……テオドール・フェルマン様でございますね」
「……ああ」
どうしよう。侍女達の視線が怖い。
「ほら、もう指輪も頂いたのよ」
誤解だ、と言うより早く、少女の楽しげな声が響いた。少女の指にきらりと指輪が光る。じっと指輪を見ていた侍女は大きく頷いた。
「なんということでしょう。フェルマン様がマリアンナ王女殿下にご求婚!すぐに両陛下にお知らせしなければ!」
◇◇◇
さすが筆頭侍女。恐ろしく仕事が早かった。
翌日あれは夢だと思いたかったが、朝のうちに王城に呼び出され、あれよあれよという間に陛下の御前に拝謁を賜ることに。
「してテオドール。その方、マリアンナに求婚したらしいな?」
にやにやと意地悪く笑う顔を見て肩を落とす。ああ、この顔はもう逃がす気がないのだな。
「この国随一の竜騎士として名高いそなたのこと。我が娘の婿として不足なし。だが、第三王女でも第四王女でもなく、第五王女のマリアンナとはちと意外だったが」
ちなみに第一王女と第二王女はすでに既婚者で国外に嫁いでいる。
「可愛い末娘ですもの。手元に置いておきたかったからちょうどいいわ」
にこにこと微笑む王妃は、王女ばかり五人も産んだとは思えないほど美しく愛らしい。愛妻家の陛下は決して側室を持とうとせず、この国の後継者はまだ定まっていない。そのような中王女に求婚したとあれば、国王の後継者として名乗りをあげるようなもの。それだけは避けたかったというのに。
いや、しかしマリアンナ殿下は第五王女。王位からは遠い……はずだ。だが、そんな希望は次の瞬間粉々に砕け散った。
「実は第三王女と第四王女にもいい縁組があってな。本人たちも乗り気のため、この機会に嫁に出そうと思う」
「ええそうね。本人たちが望む方のもとに嫁ぐのが一番ですわ。立派な後継者もできたことですし」
「ああ、マリアンナは実にいい婿を見つけたな!」
ああ……。だ、だが、マリアンナ殿下はまだ幼い。となれば、大人になる間に気が変わることも。
「マリアンナは来年成人するから婚姻の準備を進めるのにもちょうどいいな」
「そうね」
二人の言葉に思わず顔を上げる。
「えっ、来年成人、ですか」
「うむ。マリアンナはまだ十五歳ゆえな。なんだ、一年も待てないか。我が妻に似て愛らしい姫だろう?あれは、美しくなるぞ」
十五歳……十五歳だったのか……い、いや、マリアンナ殿下が成人前であることに変わりない。変わりないが、ま、まあ、幼女趣味と言われるほどでは……ない、だろうか。
「では、フェルマン辺境伯にして歴代最強の竜騎士と名高いそなたを、マリアンナの婚約者とし、次期ルーゼンダーク国王として指名する!異存はないな!」
「つ、謹んでお受けいたします」
その瞬間、俺の人生は決まったのだった。
◇◇◇
「よお、聞いたぞ。姫さんと結婚するらしいな?」
翌日は仕事を休んだ。馴染みの酒場で浴びるほど酒を飲んでいると、同僚のロイドに肩を叩かれる。
「誰から聞いた?」
「騎士団総長がそれはそれは嬉しそうに発表していたぞ?国内最強を誇る黒龍騎士団団長のお前が姫様と結婚して国王になれば、この国は盤石だとよ」
「そうか……」
「なんだよ、嬉しくないのか?」
こいつは知らないのだろう。恋人の浮気現場に居合わせて手ひどく振られたその日に、初めて会った姫と結婚することが決まった男の気持ちなど。そして、煩わしい政治に関わることなく、弱きを助け強きを挫くただ一人の騎士として生きたかった俺のちっぽけな矜持など、もっとどうでもいいことに違いない。
「正直お前にマリア嬢は似合わないと思っていたんだよな。彼女はあの通り恋多き女性だし、華やかな生活を好むタイプだ。お前みたいに馬鹿正直でつまらない男とは価値観が違い過ぎる」
「馬鹿正直でつまらない男で悪かったな……」
「まあまあ、その点箱入りのお姫様なら問題ないだろう?今から自分好みに育てればいいじゃないか。成人と同時に結婚式だって?来年が待ち遠しいな」
成人まであと一年。この一年の間にマリアンナ殿下の気が変わることを本気で祈る俺は、きっとろくでもない男なのだろう。
◇◇◇
一週間後。マリアンナ殿下のお茶会に招待された俺は、重い体を引きずるようにして王城に向かった。幼い少女とばかり思っていたが、マリアンナ殿下はすでに十五歳。女心も分からず元恋人からも同僚からもつまらない男と太鼓判を押された俺は、もはや彼女の前で何を話したらいいのかすらわからない。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞお掛けになって」
先日逢った時よりも少し大人びて見えるのは、きちんと化粧を施し、年相応のドレスを身に着けているからだろうか。ヒールのある靴を履いた彼女は、まさしくレディだった。先日のようにいきなり抱きつかれることを想定していた俺は、少し拍子抜けしてしまう。
「本日はお招きありがとうございます。先日はマリアンナ王女殿下とは知らず、ご無礼いたしました」
「ふふ、婚約者となったのに堅苦しいのはなしにしましょう。わたくしのことはどうか、マリアンナとお呼びになって」
「……では、私のことはテオドールとお呼びください」
「ええ。先日はいきなりごめんなさい。でも、あのときはああするしか仕方がなかったの」
悪戯に微笑む彼女は、本当にあのときの少女だろうか。あまりの違いに戸惑う。
「仕方がなかった、とは」
「だって、あなたったら、私以外の令嬢にプロポーズしようとしてるんですもの。そんなの、力技で壊すに決まってるじゃない?」
「え、ご、ご存じだったんですか……」
「当たり前よ。初対面の殿方に求婚されたと勘違いするほど子どもじゃないわ」
すっかり幼い少女ゆえの誤解だと思い込んでいた俺は頭を抱えた。では、密会の現場にそれとなく俺を連れて行ったのももしやわざとだったのだろうか。それはちょっとひどすぎやしないだろうか。いや、でも、結果的にはマリアの本性を知ることができて良かった、のか。
「なぜ私なのですか?殿下……いや、マリアンナとは、あのとき初めてお会いしたはず……」
「私にはあなたが必要だからよ」
さらりと言い放つ彼女の言葉に思わず耳を疑った。
「強国に挟まれたこの国が常に微妙な立場であることはご存じでしょう?まして、父には娘しか生まれなかった。お姉さまたちを周辺国に嫁がせて外交に力を入れてはいるものの、後継者の定まらない国の将来は危ういわ。一刻も早く、力のある後継者が必要だった。私が男子ならば良かったのだけど」
ふっと瞼を伏せるその瞳に影が落ちる。
「男でなければ王位は与えられない。第五王女である私には、王になるための資格すらない。勝手だと言うのは分かっているわ。本来王族が担うべき義務を、あなたに押し付けるのだから。けれどお願い。誰よりも力あるあなたに、この国の王となり民を導き守って欲しいの」
マリアンナは目を逸らすことなく真っ直ぐに俺を見つめてくる。
「私があなたにとって取るに足らないような小娘だってことは重々承知しているわ。それでも、私にはあなたが必要なの」
アリアンナの言葉に、その強い眼差しに、俺は思わず心臓を撃ち抜かれた。彼女が騎士としての俺を必要としてくれているのなら。
「分かりました。私の騎士としての忠誠を貴女に捧げます」
その場に跪いて剣を捧げる。
「ありがとう」
ふわりと微笑んだあどけない顔に、俺は再び心を奪われたのだった。
◇◇◇
それからの俺は、婚約者として、また彼女の専属騎士としてマリアンナと多くの時間を過ごすことになった。
マリアンナは幼い頃から国政に関心を持ち、国が発展するために必要なインフラの整備や、商業活動の活性化、流通の確保、教育と医療の充実、特産品の生産などに力を注いでいたらしい。
ただ、魔物の出没地域における被害が毎年甚大であることに頭を悩ませ、騎士団に目ぼしい人材を探しに行ったところで俺の評判を聞きつけたとのことだった。
「いい年をして色めいた噂のひとつもない、生真面目で最強の竜騎士」
その評判は男としてどうなのかと思ったが、マリアンナにとって理想的な伴侶として映ったらしい。彼女の聡明さと思慮深さには舌を巻くことが多かったが、それ以上に年相応の愛らしさと明るさが、俺の荒んだ心を慰めてくれた。例えこれが、期間限定の関係だったとしても。
マリアンナの真の願いは、自身が女王となりこの国を導くことだ。そのために俺は、彼女の剣となり、盾となる役割を与えられた。婚姻はそのための手段に過ぎない。彼女は女王としての資質を兼ね備えているし、俺は剣を振るうしか能がない男だ。どちらが国を治めるのにふさわしいかは分かりきっている。
俺はひとつの課題を自分に課すことにした。結婚までに彼女が王となるための地盤を作ること。それが叶えられれば、無理に婚姻を結ぶこともない。俺自身の忠誠はすでに彼女に捧げている。マリアンナ女王の治世を、俺は俺の全力をもって支えるつもりだ。
時折何故か胸が痛むのは、きっとただの感傷に過ぎない。
◇◇◇
第五王女と婚約し、次期国王として注目されたことで、あえて名乗らなかった辺境伯としての立場も社交界で知れ渡ることとなった。
婚活をしてもちっともモテなかった俺が、今や令嬢たちに囲まれ、その誘いを断ることに忙しい有様。
騎士は常に危険と隣合せ。伴侶として選ぶには、貴族令嬢にとってリスクの高い職業なのだろう。一方で、領地持ちの貴族は安定した領地収入があり、夫に万一のことがあっても路頭に迷うことがないため、人気が高いらしい。
だが俺は体面的にはいずれ国王となる身。それほど旨味がある相手ではないだろう。そう思い戸惑っていたら、ロイドに鼻で笑われた。
「馬鹿だな。王女の手前側室を持つのは無理でも、あわよくば王の愛妾となって権力を持ちたいと思う令嬢は後を絶たないさ」
「そうか……」
マリアンナが、浮気は決して許さないと言っていた真意はここにあったようだ。確かに傀儡の王が好き勝手に愛妾を持ち、その女に権力を与えてしまえば国は簡単に傾くだろう。王族の血筋でない俺が王として求められるのは、王族の血筋を残すことでもある。
マリアンナと俺の子ども……
このまま結婚してしまえば、それはいずれ叶う夢かもしれないが。好きでもない男の子を産み育てるよりも、マリアンナには真に愛する男と一緒になって欲しい。
令嬢たちの相手をするのにも疲れ、後はロイドに押し付けて王宮の庭を一人散策する。しっかりと手入れされた庭園は、咽るような薔薇の香りに包まれ、月明かりに美しく映えている。
「テオドール様」
聞き慣れた声に振り返ると、マリアが立っていた。
「お久しぶりですわね。お元気でしたか?」
かつて求婚しようと思うほど焦がれていたはずの彼女を前にしても、驚くほど心が動かない。
「聞きましたわ。王女殿下とのご婚約のこと。まさかあのときの幼気な少女が王女殿下とは思いませんでしたが」
いきなり抱きついてきて指輪を奪ったマリアンナ。あのときの彼女は本当に幼い少女のようだった。
「てっきり幼い少女にしか関心がない方かと思ってましたけど、政略結婚なら頷けますわ。あのように幼い方なら、殿方を満足させることなんてできませんものね。それで、私に近づいたのね?」
「い、いや俺は……」
「あなたが望むなら、私、秘密の恋人になってもいいわ。ねぇ、私が欲しい?」
むせ返るような薔薇の薫りに目眩がする。毒々しい棘のある薔薇だ。ひたりと腕に絡まる手を、思わず振りはらった。
「やめてくれ。俺は君を愛していない」
マリアは口の端を吊り上げて薄く笑う。
「あら。愛していなくても。殿方は愛でることができるでしょう?」
クスクスと笑うその声すら、耐えきれないほどに耳障りに感じてしまう。
「俺は違う。失礼する」
あんな女を生涯の伴侶にと考えていたなんて。俺は本当に見る目が無い。
しかし、突然背後からけたたましい声が響いた。
「イヤァァァァ!やめて!助けて!!!誰かっ!誰かぁぁぁ!」
ビリビリとドレスを破るマリアを呆然と見つめる。
「……何をしてるんだ。やめろ!」
しかしなおもマリアは声を上げ、髪をグシャグシャに掻き乱す。
「やめろと言ってるだろ!仕返しのつもりか!こんな騒ぎを起こせば、君のほうが取り返しの付かないことになると分からないのか!」
俺に対する当てつけにしては常軌を逸している。
「ふふ。アハハハ!構わないわ!あなたには、この子の父親になって貰わなければ」
「なっ、腹に子が、いるのか」
相手はあの優男か。まさか未婚の令嬢に手を出すとは。
かつて社交界の華としてあれ程気位の高かったマリアの、なりふり構わない姿に衝撃を受ける。
「相手の男は……」
「消えたわ。懐妊したと伝えたその日にね」
「最低の屑だな」
吐き捨てるような言葉にマリアは力なく微笑む。
「だが、こんな真似をしてなんになる。君の評判を落とすだけだ」
マントを脱ぐと、マリアの肩にそっと掛けた。腹に子がいるならなおさら、このような醜態を周囲に晒すわけにはいかない。
とそこに、バタバタと衛兵が駆け付けてきた。マリアの先程の悲鳴を聞きつけてやって来たのだろう。
「どうされましたか!」
俺は一瞬言葉に詰まった。マリアをどうするべきか。このまま衛兵に突き出すこともできる。けれど、そうなればマリアの令嬢としての人生はどうなる。ぐるぐると考えが纏まらない。
「こちらの令嬢は虫に驚いてパニックになってしまったらしい」
苦しすぎる言い訳に衛兵が疑惑の目を向けてくる。
「本当ですか?」
マリアは俯いたままコクリと頷いた。
「失礼ですがお名前は?そちらのご令嬢は……」
「俺は黒竜騎士団のフェルマンだ。こちらの令嬢は俺が責任を持って屋敷まで送る。お前たちは持ち場に戻れ」
「フェルマン様でしたか!失礼致しました!」
衛兵がバタバタと立ち去る姿を見送った後、マリアに声を掛ける。
「……家まで送ろう」
◇◇◇
どんなに隠そうとしても、人の口に戸は立てられないとは良く言ったものだ。夜会での密会、別れ話のもつれなどと、マリアとの醜聞が瞬く間に社交界に広がった。その中には、俺に対する明らかな悪意を感じるものもあった。
だが、それについて俺は一切の弁明をしなかった。下手に理由を話せば、マリアの秘密が白日のもとに晒されるかもしれない。俺は嘘があまり得意ではないから。
マリアもまた屋敷に閉じ籠もり、あれ以来社交界へも出ていないらしい。マリアの腹の子はこれからどうなるのだろうか。マリアはどうするつもりだろうか。考えないようにしても、頭から離れなかった。
「困ったことをしてくれたな」
陛下の言葉に深く頭を垂れる。
「このような醜聞で世間を騒がせてしまったこと、申し開きもできません」
俺の言葉に陛下は軽くため息を吐いた。
「お前は本当に馬鹿みたいに真面目だな。そこがいいと思ったが、過ぎると厄介だ」
自分の不甲斐なさに言葉もない。衛兵に厳しく口止めするなり、もっと上手い言い訳を思い付くなりしていれば、こんなことにはならなかっただろう。
「それで?どうするつもりだ?」
「こうなっては、マリアンナ殿下との婚約は、解消させて頂きたいと思います」
「お前はそれで本当にいいのか?」
最初から、婚約するつもりはなかった。なにかの間違いであって欲しかった。言われなくとも、時が来たら、婚約は解消するつもりだった。
なのに何故だろう。どうしようもなく胸が痛むのは。彼女を永遠に失うと考えただけで、吐き気がしそうなくらい胸が苦しい。
いつの間にか、こんなにも掛け替えのない存在になっていたのだ。彼女の笑顔が、言葉が、頭に焼き付いて離れない。
ずっとずっと、彼女の笑顔を守りたい。
そう思ったとき、ああ、これが恋なのだとようやく腑に落ちた。報われない恋がこんなにも苦しいものだとは思わなかったが。
「全く、馬鹿め」
陛下の言葉に顔を上げると、そっとマリアンナが部屋の隅から近付いてきた。
どうしてここに。
頭の中が真っ白になる。今の話をずっと聞いていたのだろうか。
「テオドール」
澄んだ声で呼び掛けられ、思わず肩が跳ねる。
「あなたとの婚約、破棄はしないわ」
婚約は破棄しない。その言葉が何度も頭の中でリフレインする。
「マリア嬢のことは何か理由があるのでしょう?貴方が話したくないならそれで構わないわ」
「マリアンナ、俺は……」
「私はあなたを信じてる」
揺るぎ無く言い切った彼女の言葉に、胸が熱くなる。
「俺は、決してあなたを裏切らない」
絞り出すように言った言葉にマリアンナは天使のような笑顔で頷いた。
◇◇◇
成人前のマリアンナは舞踏会に参加することはないが、王宮行事や奉仕活動には積極的に顔を出すようにしていた。
俺もまた、マリアンナの参加する行事には、必ずパートナーとして参加するようにしている。しかしあれ以来、俺に向けられる周囲の目は冷ややかなものだった。
俺個人に向けられるのは構わないが、マリアンナに対しても不躾な視線を向けられるのは我慢ができない。だが、そんな俺の心配を他所に、彼女は変わらぬ天使の笑顔で、瞬く間に周囲を魅了していった。
一度でもマリアンナの声を聴き、話に耳を傾けたものは、その聡明さに舌を巻いた。誰よりも賢く光り輝くような美しい王女。そのただ一つの欠点は、男を見る目がないこと。そう陰口を叩く者たちは後を絶たなかった。
「王女様みたいに聡明なお方でも、恋はままならないものですのね」
「移り気な婚約者を持つと気苦労も多いですわね」
そうした嫌味にも彼女は笑って答えるのだ。
「テオドールほど信頼できる誠実な殿方はいませんわ。彼はまさしく高潔な騎士ですもの」
揺るぎ無いその言葉は、意地悪く微笑んでいた御婦人方をも黙らせた。
俺は本当にこれでいいのか?マリアの名誉を守るために、マリアンナの名誉を傷付けることになっても?
何度考えても、答えが出なかった。そうこうしているうちに数ヶ月が経ち、遂にマリアの懐妊の噂が社交界に広まった。
「お相手は誰かしら」
「やはりあの方では」
「結婚前にすでに隠し子が?」
「姫様があまりにもお気の毒だわ」
憶測が憶測を呼んだ。マリアの相手は俺であると、誰もが信じて疑わなかった。
「マリアンナ、すまない。やはり、婚約の話はなかったことにして欲しい」
これ以上は耐えられない。彼女の曇りない人生の汚点になりたく無かった。
「テオドールは本当に女を見る目が無いのね」
けれども、彼女には、彼女にだけは本当のことを話しておきたかった。
「俺が愛しているのはマリアンナ、あなたをおいて他にいない。生涯あなただけだ」
この言葉には、一点の曇も無かった。
「テオドール。その言葉、信じてるわ」
ふわりと微笑むと、マリアンナは一枚の手紙を差し出す。
「私が何も手を打ってないとでも思った?」
手紙には隣国の王家からの署名が記されていた。
「放蕩者の第三王子が我が国の貴族令嬢に対して不埒な行いをしたこと。また、責任を投げ出して逃げたこと。その責任の所在を明らかにしなければ、国として直接抗議をすると脅したの」
「は?」
「隣国から、マリア嬢を正式に第三王子妃として迎えると返事が来たわ。大恋愛の末懐妊した恋人を安定期に入るまで待ち、その後国に連れて帰って大々的に発表するつもりだったと言ってきたの」
「調子のいいことを!」
それが事実なら、マリアに手紙の一つも残したはずだ。あれほど精神的に不安定になることはなかっただろう。
「あちらとしてもこれ以上王家の恥を晒したくないのよ。そういうことにしておきましょう。妊娠中の女性が精神的に不安定になるのは良くあること。たまたまその場に居合わせたテオドールが、紳士的に対応したに過ぎない。そうでしょう?」
「最初から、何もかもご存知だったんですね」
「この王宮で、私に隠し事ができると思ったの?」
クスクスと微笑む顔は、相変わらず天使のようにあどけなく美しい。けれども彼女は、したたかに賢いのだ。
「あちらの王家には一つ貸しを作ったわ。テオドール、あなたはマリアだけでなく、隣国の王家も醜聞から守ったの。自分の評判を地に落としても。あなたの騎士道精神は本物ね。……あのとき、妊娠中のマリアを衛兵に突き出すような男だったら、幻滅していたわ」
「マリアンナ……」
「それに、もし腹の子の父親があなただったら、許すわけないわ」
横目でちらっと視線を寄越すマリアンナに俺は慌てて首を振る。
「そんなことはありえない!」
マリアンナと出会ってから、マリアンナ以外の女性に目を向けることなどできなくなっていた。だが、続く彼女の言葉に息を呑む。
「浮気は絶対に許さないから。愛する殿方を他の令嬢に奪われて泣き寝入りするほど、私は弱くないわ。徹底的に潰すから覚悟しておいて」
「あ、愛する……俺のことを!?」
「本当に、鈍い人ね」
マリアンナは俺の前に爪先立ちをすると、チュッと軽くキスをした。
「愛してるわ、テオドール。強くて素敵な騎士のあなたに、ずっと憧れていたの。精一杯背伸びして、ようやく大人になったのよ。一途にあなたを愛してる、私を愛してくれるでしょう?」
これが夢なら、どうか冷めないで欲しい。したたかで愛らしくて、どうしようもなく愛しい俺の天使。
「ねぇ、これって運命の恋だと思わない?」
◇◇◇
隣国から大々的に迎えが来て、マリアの名誉は瞬く間に回復し、強国の王子と熱烈な恋に落ち、恋愛を成就させたシンデレラストーリーとして話題になった。それと同時に、俺の醜聞は根も葉もない噂だったとされ、俺の悪評も晴れた。
放蕩者の第三王子は、生まれた姫の顔を見るや人が変わったように真面目になり、妻と娘を溺愛しているとか。意外と子煩悩ないい父親になっているらしい。社交界の華として君臨していたマリアのこと。隣国でもなんとか上手くやっていけるだろう。
「テオドール、疲れたわ。抱っこして」
「おや、そんなに子どもじゃないとおっしゃっていませんでしたか?」
「子どもっぽいと嫌いになる?」
「俺があなたを嫌いになることなんてありえません」
そして俺の姫は、本当は最初に出会ったときの姿が素の姿に近いのだと悪戯に微笑んだ。マリアの姿を見て、俺に興味を持ってもらえるように精いっぱい大人ぶっていたのだと。
そんな彼女の嫉妬すらどうしようもなくうれしいと思ってしまうのだから、恋とは本当に厄介なものである。きっと何年経っても、この想いは色あせないのだろう。だってこれは、運命の恋なのだから。
おしまい
読んでいただきありがとうございます
(*^▽^)/★*☆♪
下のほうにある☆☆☆☆☆を★★★★★にして、応援して下さるとすっごく嬉しいですっ♪