ゆずき
軽い冗談の応酬は挨拶代わり、我が事務所では朝礼のようなものなのだが、まだ、やるのかっ!
「ちなみに僕は、猫の国の王子、なんて言ったっけ? ルなんとか、から直接猫語も習っているのだよ。にゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ〜ご」
ゆずきとの長い付き合い会得した、こういう時は平然と答えるのがコツだ。
「ちょっと待ってください……。今日は14時から葛西臨海公園でフォンテーヌ探しです」
「え! 君、猫語、分かるの?」
勝った! なんだか俺も楽しんじゃってるよな?
「とっても手間のかかる、ごく一部の猫に限りますが……。フォンテーヌは九歳。二日前、何の前触れもなく、自宅から忽然と姿を消したそうです」
「猫の特徴は?」
とはいえ仕事は、仕事、ゆずき、ちゃんと切り分けて探偵の顔になったのだが……。
「いえ、今回は、好奇心旺盛なフェレットちゃんです。ちなみに九歳は、かなりのお婆ちゃんらしいですよ」
「いいよ、いいよ。イタチだろうが、スカンクだろうが、イグアナだろうが、どんとこいだ! でも、フェレットって、結構、臭うんじゃないの」
さすがの、ゆずきもペット探しだらけの依頼には、辟易しているんじゃないのかな?
「肛門腺を取る手術は済ませているようです」
俺はさっきWikiで調べたばかりの豆知識を披露する。
「うむ、ならば、先日開発が終わったばかり、嗅覚探知ドローンの出る幕はないということか!」
「ああ、それは、国土交通省に出した飛行申請が承認されておりません」
「トウヤ君、なかなか、やるようになってきたね。でも、ここまで来ると、やはり、事務所の商号変更登記が必要だと思わない? 『山猫探偵事務所』とか、どうかな」
「分かりやすく『にゃんにゃん探偵事務所』で、いいんじゃないですか? さやかに、マスコットキャラ、描いてもらいますよ」
さやかというのは、俺の妹、河合さやかのことだ。専門学校でトリマーの資格を取得し、近所のトリミングサロンで働いている。
昔から器用な子だったのだが、絵を描くのが趣味で、液タブとフォトショップを使い、ちょっとしたキャラデザくらいなら、あっという間に仕上げてしまう。
「いやいや、トウヤ君、山猫、というのは、山猫軒のこと、彼の宮沢賢治先生から拝借した由緒正しい名前なのだよ」
うーーむ、今度は青空文庫かな?
「なるほど、人を食った所長がいるってことですかね?」
「いやいや、ホント、うまいこと言うね。ところで、トウヤ君、綺麗に掃除してもらったばかりの事務所を早々に散らかしちゃって、どうしたの?」
って、あのなぁ! まぁ、ゆずき、推理に関しては超一流だが、どこかアナログ人間だ。俺のやっている作業を今ひとつ理解していないように思う。
「仕事も増えてきましたし、全ての書類を電子化してしまおうと思いまして」
「おおお! さすがトウヤ君、ハイテクだねぇ」
ハイテク! もはや死語じゃないの? というか、俺は書類をせっせとスキャンしているだけなのだが。
「だけどさぁ〜 どんなに当事務所のIT環境が充実しても、このところの忙しさを考えると、やっぱり人手不足じゃない?」
「そりゃ、そうですが」
「なので、ジャ、ジャーーン! アルバイトを雇うことにしたぁ」
パソコンの画面を見ながら話しているということは、メールが来たのだろう。
「アルバイト応募者からの返信ですか?」
「水面下での交渉が実ったのだよ。今夜、面接に来てくれるらしい。さ、商店街に行って歓迎会の準備だ!」
いや、待て、待て、今夜、面接なんだろ? まだ採用も決めていないアルバイトの歓迎会? 早急過ぎだろ!
そもそも、ゆずき、俺は慣れているからいいのだけれど、他人に対して心の機微を理解せぬ行動や物言いをしてしまうことがある。大丈夫なのか?
「はい、はい、行くよ、さっさと支度して!!」
ゆずきは、俺のジャケットをハンガーから外し押し付けて来た。
「いや、だから、14時からフォンテーヌちゃん探しがあるんですって」
「それは明日にしよう。ま、夏にはまだ早いし死ぬことはないよ」
肛門腺のことは知らなかったくせに、フェレットが暑さに弱いという点は押さえてるわけ? 確かにフェレット28度を超える気温となると、熱中症でダウンする危険性がある。
ともあれ、もう十年を超える付き合いになるが、ゆずきという男、その明晰な頭脳とのギャップ萌えということかな?
どんなに振り回されても、どこか憎めない、傍にいてやらねならぬと思わせる、とっても魅力的な男なんだけどねぇ、けどねぇぇぇぇ!!
「しょ、所長!!! 待ってくださいぃ」
俺は、事務所の施錠もせず小走りで飛び出して行く、ゆずきの後を慌てて追いかけた。




