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二日・午後のこと   『好きな子に(彼女同伴で)告白します/雲母坂現として』

 翡翠村から、バスと電車と新幹線を乗り継ぎ約四時間。時刻が正午を回ろうとする現在、俺たちは東京の渋谷区にある某キラキラ大学附属校――つまりは俺や現が通っている高校の前まで来ていた。


「意外だな、暮定は中史だから、てっきり月科に住んでて、芦原高校に通ってるものだと思ってたよ」


 東京二十四区の一つ月科区には、中史本家当主の中史(とき)が理事長を務める芦原高校がある。そのため、月科は魔術師が集う魔術特区などと呼ばれる、日本魔術師のメッカだ。

 中史当主の運営する学校に、中史の俺が通っていると思うのは常世からすれば当然のことだろう。


「確かに本家の中史時とか、四家の人間はあそこに通ってるけど……俺は法術……魔術って言うんだったか? とにかくそっち系からは、距離を置いてたからな。そもそもうちは分家の分家だし」


「中史時って、あの中史時だよね? 中史の人間ってことは、暮定、中史時に会ったことあるの? どんな人だった?」


 やはりというべきか、常世が反応したのはその名前。時代の寵児、絶後の天才、中史時。

 魔術師界では、同年代だと芦田〇菜や鈴〇福と同じくらい有名な人物だ。


 中史である俺は当然、会ったことがある。年に一度、中史の会合があるから、その時に顔を合わせることになるんだ。

 俺はその時の記憶を手繰り寄せて、常世に説明していく。


「……眼が、印象的だったな」


「目? 色が赤かったり、すごく大きかったりしたの?」


 常世があっかんべーの動作で、自分の下まぶたを下げながら問う。


「いや、そういう意味じゃないんだ。そうだな……眼光が鋭かった、っていう表現で合ってるかな。強い意志の籠った眼だったよ。翡翠村メンバーだと、芦花なんかと似てるな」


 彼女を、ただの幼女と侮ることなかれ。幼く純粋であるがゆえに、俺たちみたいな思春期の中途半端な存在がどんなに考えても辿り着けない真理に、いとも容易く至ってしまうスーパー幼女だ。


「芦花? ……あー、なんとなくわかる、ような?」


 分かるような分からないような、といった様子で常世は首を傾げる。


「俺も同じような感覚だよ。なんとなく、そう思っただけなんだ。気にするな。それよりも……」


 と、俺は校舎の玄関口の方に、常世の視線を誘導する。


「……あ」


 常世の表情が、一瞬にして引き締まったのがよく分かった。


「暮定君……と、舞姫様……?」


 そこに立っているのは、白を基調とした清楚な指定セーラー服を纏った女生徒。見かけだけで内面が伴わないどこぞの巫女とは違い、ちゃんと中身までおしとやかな雲母坂現(きららざかうつつ)だった。ダークブラウンのハーフアップがその気品を引き立てつつも、そこに近寄りがたい高嶺の花的な雰囲気は一切なく、男女共にフレンドリーな彼女の人の良さがしっかり醸されているから、不思議なものだ。


「ああ。一日振りだな、現」


 彼女にはそれだけで十分だった。

 その一言で、現は俺が「過去の肯定」をしてやれることができたことに、気づいただろう。昔、誰よりも聡く、誰よりも物事の本質を見通す目を持っていた彼女ならば。


「そう……ですか。暮定君は、自分を許容することができたんですね……」


 驚きは一瞬、彼女は瞬時に俺の変化を読み取り、その経緯にまで想像を及ばせた。

 そんな彼女は優しく微笑んで、言葉を続ける。


「昨日、こっちに帰ってきてからも……ずっとそれだけが、気がかりだったんです。暮定君が、私のことで、過去の自分のことで、思い悩むことがないかどうか、と。でも、あなたはちゃんと帰ってきてくれました」


 現はこちらを見て、やはり笑顔を見せる。そう、彼女は確かに笑っていたんだ。


「お帰りなさい、ですね。私の初恋の男の子、暮定君……」


 だから彼女の頬に光るものが見えたのは、決して悲しみゆえではないのだと信じたい。


「……ああ」


 手放しでは喜ぶことはできない。もともとは俺が巧言令色の八方美人をしていなければ、流れることのなかったものなのだ。だからこれも、俺がこれから背負っていく罪、償うべき贖罪の一つなんだろう。特にこの学校には、そういう相手がたくさんいる。


 ……こんな考え方もまた、俺のネガティブな癖なのかもしれないけどな。人間の性質なんて、すぐには変わるものではなんだと思わされるな、つくづく。

 だから俺は、せめてもう少し前を向いて生きるべきなんだろう。この先一か月、夏の大切な時間を翡翠村で過ごしていく中で、そんな勇気が少しでも涵養(かんよう)されればいいなと、願うばかりだ。



   ☽



 ……と、ここで終わってくれれば、この話は感動的なハートフルラブストーリーだったんだが。


「……それで」


 現が口を開く。

 なぜだか、声のトーンが一段階下がっている気がした。


「どうして、あの村の舞姫様が、暮定君と一緒なんですか?」


 やはり現は笑っていた。笑っていたのだが、笑っていなかった。心の話だ。


「あー、いや、常世はだな……」


 常世相手には散々「一緒に告白するぞ」などと息巻いていた俺も、現の前になるとどうしても同じ調子ではっちゃけることができない。常世の存在をどう伝えようかと、俺は脳をフル回転させ――


「そりゃあもちろん、ボクが暮定の彼女だからだよ!」


 ――その末に、オーバーヒートしてしまった。

 

「…………はい?」


 それを聞いた現は、もう満面の笑みだった。これ以上ないくらい笑っていた。笑うしかなかったのだろう。


 まったくこいつは――一体なんてことをしてくれたんだ。

 常世からすれば、当てつけ的な意味も込めて、新しくできた彼氏を自慢したかっただけなんだろう。だがそれは、現の異常性を理解していないからこそ取れる行動だ。


 現はこう見えて、好きな相手を追って東京から飛行機で一時間半近くかかる村に来ちゃうような、ちょっとヤンデレ成分が入ってるアグレッシブな人間だ。それにこんな、挑発するような行為をしてしまったら、悪い意味でアグレッシブな行動を起こしかねないぞ――!


「舞姫様? 今のは、冗談ではないんですね?」


「本当だよ。ボクと暮定は運命的な出会いをした。共にピンチを乗り越えた。付き合った。キスをした。その後もした! 帰納的思考法! 客観的に見ても、きわめて本当のことだと断言できるよ!」


「そう、ですか……」


 すっ……と、現の表情から、あらゆる感情が抜けていく。それはいくらもしないうちに、昨日常世が被っていた能面よりもはるかに無機質なものに変質していく。


「あ、あれ……? 暮定、ボクなんか選択肢間違えたかな……?」


「大間違いだよ、この淫乱ポンコツ巫覡が!」


 ここに来て常世も、自らの過ちに気づいたようだ。

 しかし、時すでに遅し。


「う、現……落ち着いて聞いてほしい。確かに常世の言ったことは事実だが、それは……」


 俺が必死に説得を試みる。が、現はハイライトの消えた双眸で地面を見つめるばかり。


「となると……ということは……そうですね……なら……」


 そして誰よりも賢い彼女が、なんか本気で頭を働かせはじめてる。限られた情報から、どうすれば自分に有利な状況を作り出せるかどうか、本気で考えてる様子だ。


 その時間は、数秒間にも数時間にも思えた。


「――はい、分かりました」


 脳内で、すべての演算が終了したのだろう。

 にこーっ。笑みを浮かべる彼女は、とても愛らしい。そしてそれ以上に恐ろしい。


「分かってくれた!? ボクが暮定のとってもかわいい彼女だってこと!」


「ここであなたを屠ればいいことが、です」


「えっ――」


 屠る、と来たか。

 なかなか予想していなかった発言だ。

 場に緊張が走る。


「ど、どうしてそんな考えに至るの! よく考えてみてよ。ボクだってこんなこと言いたくないけど、自分の身が一番かわいいから言うよ? 現、もう暮定に振られてるよね? なら、ボクがいなくなったって現は暮定と付き合えないんじゃないかな」


 常世としても、こんな反応は予想外だったんだろう。必死になって弁舌を振るい、現を説得しようとする。


「はい、たしかに私は一度暮定君に告白し、そして振られています。しかし、暮定君自身からその原因が私にはなかったことは、昨日の時点で確認済みです。つまり、私が暮定君と添い遂げるための障害は、ただ一つだったんです。暮定君が、過去を肯定して、前を向いてくれること。そしてそれを、暮定君は見事成し遂げてくれた。しかしそこに、舞姫様という彼女が現れた。……ならば、あなたをこの世界から抹消し、その後に私が暮定君のお眼鏡に適うよう努力を重ねれば、晴れて私の恋は実るわけです」


 現の順を追った、とても論理的な説明に、


「……そう、かもしれない……? ボクは屠られるべきなのかな」


 常世は、すぐにはそれを否定できないでいた。


 まずい。ここにきて、常世の「なんだかんだ文句を言いながらも最終的には場の空気に流されてしまう」という性格が仇になった。


 現は一歩、また一歩と歩みを進め、常世に近づいていく。


「決めてください、舞姫」


 この戦況を、ひっくり返すには。


「ぼ、ボクは常世……戸隠常世だよ」


 この窮地を、脱するには。


「では、常世。あなたに与えられた選択肢は二つ。ここでおとなしく私に屠られるか、命惜しさに暮定君と別れるか」


 本当はもっと、ちゃんとした雰囲気の中で切り出したかったが、仕方がない……!


「それなら簡単だよ。ボクは死んでも、暮定と別れ――」



「――俺と付き合ってくれッ、現! 二股だっ!」


 

 俺の喉と肺が許す限りの大声で、言い放つ。

 あまりに気持ちを込めすぎたためか、言葉に魔力が宿り、それは言霊(ことだま)となって黄色の粒子を可視化させた。


「……へ?」


 ぴたり、と現の動きが止まる。

 先程まで悪逆の限りを尽くしていた彼女はどこへやら、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で俺を見つめている。


 常世の危機は去った。と同時に、俺は気持ちを切り替える。現をしっかりと視界に捉えて、彼女に向き直る。


「……昨日、あれからいろいろなことがあって俺は成長することができた。そのための一歩を踏み出すことができた。そうして落ち着いた心で気持ちの整理をしていくうちに、自分の本当の気持ちに気づくことができたんだ」


「本当の、気持ちですか……?」


「ああ。……俺は、現が好きだ。なんの気負いもない久慈暮定は、雲母坂現に恋しているんだ」


「……っ!?」


 理解が追い付かない、という表情。当然だ。


「信じられないだろう? 昨日あんなにきっぱりと君を振っておいて、急に心変わりして、本当の気持ちに気づいたからやっぱり付き合ってくれ、それも二股だ、なんて。自分でも分かってるよ。最低だ」


 と、永遠に続きそうだった自傷行為をここで止める。放っておいたら、全く学習しない暮定はいつまでも自分を下げ続けていただろうから。必要以上に自分を悪く言うのは良くないことだと、俺は八月一日に学んだはずだから。


「でも、もう自分の気持ちに嘘をつきたくはないから伝える。昨日も言ったことと、変わりはないよ。俺が俺でいるための方法なんだ」


 ひときわ強まった言霊の魔力が粒子となって、現の暗めの茶髪を明るく照らし出す。


「だから現。昨日振った事実は取り消さない。今現在、常世と恋人同士なのも事実だ。その上で、俺は現が好きだということに気づいた。どうか、俺と付き合ってほしい」


 言いたいことを言い切った後も、俺は現から目を逸らさないでいた。それが最低な言動と取っている俺ができる、彼女に対するせめてもの誠意であると思ったからだ。


「あ…………そ、そのっ」


 現は明らかに動転している。彼女の中で様々な気持ちがないまぜになって、いっぱいいっぱいになっていることは、恋愛経験の少ない素の俺でも想像に難くない。


「……少し、考える時間をください……」


「ああ。すぐに答えを貰おうだなんて都合のいいことは、考えてない。現のタイミングで、答えてくれ。俺はいつでも待ってるから」


 突然、悪魔に二つの選択を迫られた現は、そのまま俯いて考え出してしまった。その姿はきっと俺には見せたくないものだろうから、俺はおとなしく夏休みの校舎へと入っていった。



   ☾雲母坂 現☽



 私が好きだった男の子が、いなくなってしまった。

 その時の喪失感は、今でも忘れられないままです。


 名前も満足に覚えていなかったくらい接点のなかった彼に少しでも近づきたくて、たくさん努力したのに。たくさん勉強して、周囲の大人たちから様々な処世術を学んで――そうして学級委員となって、彼に意識してもらいたかったのに。

 

 きっと私は、自分磨きに夢中になるあまり、彼のことを見ていなかった。だから彼が仮面を被りだしたという、たったそれだけのことで、私は彼を見失ってしまったんです。


 そのまま中学生になりました。このくらいの年齢ともなると、私が小学生時代、彼のために頑張って溜めていた努力の貯金、優等生らしく振舞うための貯金はだんだん減っていき、中学を卒業するころには、私はみんなと変わらないくらいの、普通の女子生徒になっていたと思います。この時は私は、彼がいなくなったことをそこまで重く引きずっていたわけではありませんでした。この時点ではまだ、私の彼への想いはよくある幼い頃の失恋話に過ぎなかったからです。ですから中学時代は、それなりに友人に恵まれ、それなりに楽しい平凡な学生生活を送れていたと思います。しかし彼を見失ってしまった私の瞳はどこか曇ってしまって、この世界をしっかりと見つめることがどこか難しくなっていたのも、また事実だったのかもしれません。


 そんなわたしのくすんだ瞳が再び輝きを取り戻したのが、高校の入学式の時です。

 忘れるはずがありません。これから三年間の青春を送ることになる学校の体育館に集められた新一年生。私も新しい制服に包まれて、少なからず胸躍らせていたことでしょう。しかしそんな期待や不安は、直後に吹き飛ぶことになったのです。首席入学を果たし、新入生代表の挨拶のために、檀上に上がった『久慈暮定』という生徒を見た途端。一目惚れ、だったのでしょうか。暮定君が『彼』であったことが起因しているのか、それとも全く新しい恋心だったのか、今では区別のしようがないものです。しかしその時の私は、目の前の暮定君が当時の『彼』だと気づいていなかった当時の私は、自らの気持ちを間違いなく一目惚れだと受け止めていました。なぜだろう、分からないけれど、彼の姿、彼の声、彼の仕草に、どうしようもなく心が惹かれてしまう。

 それなりに距離のある檀上からでもそんな気持ちだったんですから、クラスメイトになってからは、目も当てられないほどでした。この気持ちは、恋心だ。その気持ちが確信に変わってから、まず私は私という人間性を疑いました。一目惚れ、というのは人を顔で判断する、男女の関係に軽薄な人がするものだという認識があったからです。私は世に言う面食いだったのかと、静かにショックを受けていたことは、まだ精神が未熟だった頃の私の、小さな黒歴史の一つです。それから彼に話しかけられる度、彼と距離が近づくたびに、私は顔がどうしても熱くなってしまって、高鳴る胸の鼓動を抑えることができなくなりました。そんな暮定君は、とても優しかった。とても気遣いのできる人だった。だから私が容姿で人を判断しているかもしれないという不安は解消されて、ますます純粋な恋に溺れていきました。むしろ私の目に狂いはなかったんだと、滑稽にも自分の見る目を誇らしく思ってしまったほどです。

 暮定君と、たくさんおしゃべりをしました。一緒に下校したこともあります。勉強を教えてもらったこともあります。私が心を込めて発する言葉が、確かに暮定君の心を動かしている無根拠の確信もありました。だから二年生の夏、私は勇気を出して暮定君に告白しました。……。


「……結局、私ではダメだったということなんでしょうか」


 あの時の衝撃は、今でも覚えている。小さかった頃の喪失感なんて、比べ物にならない。


 だからどうしても諦めることができなくて、せめて私ではダメだった理由が聞きたくて、暮定君のことを追いかけてしまった。


 そうして暮定君を追いかけたその先で、あの村で、私は知ることになった。

 私が恋をしていた暮定君は、小学生の頃の私が、密かに想いを寄せていた彼であったことを。


 私は、恋に恋していただけで、暮定君が何も見えてなかった。だから彼の演技にも気づくことができなかった。ちゃんと目を開いて、彼を見ていれば、それは絶対に気づくことのできるものだったはずなのに。そもそもどちらも「久慈暮定」であることに変わりはなかったのですから、私は、目を逸らしていただけなんです。


 きっとあの頃の暮定君は、私のことなんて、見ていなかった。一緒にたくさんおしゃべりしたことも、一緒に下校したことも、一緒にお昼ご飯を食べていたことも、暮定君はきっと覚えていない。それは今の暮定君でも同じ。全部全部、暮定君にとっては、演技だったから。そうとしか思えなかったから。


「『人気者の自分に好意を寄せてくる、多くの生徒の内の一人』……それが私が暮定君に告白するまでの、暮定君にとっての私の印象」


 私は先程暮定君が通っていった校舎の玄関口を見て、小さくため息を吐いてしまいました。

 それから私の横で気まずそうにしている彼女――暮定君の彼女に目を向けて、口を開きます。


「……常世」


「え、な、なに?」


 名前を呼ばれた常世は、憎いほどにかわいらしい顔を引きつらせて返事をする。

 そう。改めてみても、この舞姫という少女は、本当に美しい。女の私でもそう思うんですから、男の子である暮定君なら、なおのことでしょう。


「さっき、暮定君の声に遮られてましたけど……あなたは確かに言おうとしてましたよね? 死んでも暮定君とは別れない、って」


「あ、聞こえてたの? ……うん。そりゃそうだよ。恋人か自分かなんて、迷うまでもないことだよ」


 迷うまでもなく、暮定君を選んだということです。


「それは、どうしてですか?」


 どうして、そんな風に言えるんでしょう。無性に気になった。どうしても知りたかった。私には、きっとそこが足りてない。私ではダメで、彼女だった理由……もしかしたらそんな都合のいいものは、ないのかもしれません。全部が全部環境と運のいたずらで、成り行きで現在の形に落ち着いているだけなのかもしれない。それでも、なにか理由が欲しくて、聞いてみたくなりました。


 そして、彼女は……驚くくらいまっすぐな目で、私を見て、言いました。


「だって……暮定もボクのためなら命を差し出せるって、信じてるから。一方だけなら偏愛だし、両方が悪い方面に向かっていくなら、それは共依存だけど……お互いがお互いを、自分よりも信じているんだって分かり合ってる関係でなら、それはすごく前向きな愛の形だと思うよ! ……た、多分」


 自分で言っていて恥ずかしくなったんでしょう、彼女は言葉尻を濁してしまいました。


「そりゃあ暮定、ボクには辛辣だし、扱いは昨日会った時から変わらずぞんざいなままだけど……それでも、本心ではボクを大事に思ってくれてるって、なんとなく、分かるからさ」


 そこまで言って、彼女は笑顔を見せました。

 この数十分間で、彼女のいろいろな表情を見てきましたが、彼女の笑顔はひときわ美しいものでした。


「なんとなく、ですか」


「うん、なんとなくだよ」


 そのなんとなくが、私には足りていなかったんでしょうか。それとも、人の感性をそんな風に考えることこそが、無粋なんでしょうか。


 でも、少し安心しました。


 彼女は、とてもいい人です。

 子供みたいに純粋で、人の心に無意識に寄り添える人です。

 

 暮定君とも、似ています。

 きっと、暮定君と同じような経験を、彼女もしてきたのでしょう。

 二人はお似合いのカップルです。

 お互いの弱いところを、お互いが誰よりも分かっているから。

 どんな時でもきっと、支え合って生きていける。 


 そんな彼女なら、大丈夫。

 笑顔の彼女になら、手渡せる。


 戸隠常世になら、私の恋心を――


「えーと……あのさ」


 そんな時、あと少しのところで。

 常世は、やはり気まずそうに口を開きました。


「ボク、舞姫ばっかりやってて、同年代と恋の話とかしたことないから……こういう時どう言っていいのか、よく分からないんだけど……」


 常世は私の目を見て言います。


「ボクと暮定は、視野が狭かったから……内に生まれた二つの自分に対して、どちらか片方しか存在しえないって決めつけて悩んでた。でも、それは間違いだって気づいた。『わたし』も『ボク』も、どっちも戸隠常世。無理にどちらかを否定する必要はない。無理に変わろうとする必要はない。ありのままの自分を受け入れればいいんだ、って。それは、現が暮定に言ったことでもあるでしょ?」


「それは……はい、そうですね」


 昨日、私に素の自分を見せてくれた時の暮定君に、私は確かにそのような言葉を送った。


 でも、それと何の関係が……


「だったら、現だってそうだよ!」


「…………私も、ですか?」


「そうだよ。ボクの村にも、(ささめ)とか沙織とか、普通の女の子だけど同じような悩みを抱えてた子がいたから分かるけど……現の言ったような考え方はなにも、ボクや暮定みたいな特殊な例だけに当て嵌まるものじゃないんじゃないかな。もっと幅広く、誰でも多少は応用できるすごい考え方なんだよ!」


 彼女ののべつ幕なしの弁舌に、私は黙って聞いているしかありません。


「だから現も……無理に変わろうとしないで、今のままでいいと思うよ。今の、ありのままの現を好きだって、暮定は言ったんだからさ。そのままの現を、好きになったんだよ。出会って一日のボクですらわかるくらい、あの告白の時、暮定は真剣だったよ。昔からずっと暮定を想ってた現なら、それが分からないはずないよね?」


「……そう、ですね……」


「なら、それくらいは信じてあげてもいいんじゃないかな。そりゃあ、暮定のやってることは男として以前に人間として最低だし、信じられないけど……そこは、ほら、あれだよ」


 常世の言葉を、私は自分でも驚くくらい自然に引き継ぐことができた。


「……惚れた弱み、ですね」


 口に出すのは、少々勇気のいる言葉でした。


「……ん、そう」

 

 それは彼女も同じだったようです。


「だから、暮定も言ってたけど……すぐに答えを出す必要はないよ。じっくり考えた後でも、遅くないから。むしろ、暮定は何年も待たせてたんだから、現はその倍の時間くらい待たせたって、罰は当たらないはずだよ。舞姫であるボクが保証するよ」


 彼女のような柔軟で大胆な思考は、はい、確かに私にはできないものです。それはきっと、どんなに頑張ったって替えの利かないものだからです。


 だから私は、ありのままの私が考えて、結論を出すべきだ。常世はそう言いたかったんだと思います。


「あ、あと最後に、もし現が暮定と付き合っても、後妻(うわなり)打ちなんてしないから安心してよ? ボクはボクが愛されてて、暮定がボクを愛してることさえ信じていられたら、あとはどうでもいいから!」


 ――――


 ――そんな言葉を残して、その日の午後には、暮定君と常世は翡翠村に帰っていきました。

 私は頭の中で、そして自らの心と向き合って、真剣に答えを出していきます。


 長い長い迷宮を抜けて、私はやっと自らの虚心と仲良くすることができました。

 そうして私は答えを告げに、そしてその先に待つ日々に向けて、再び暮定君を追いかけに行くのでした。

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