第10話「貧民街と仲介人」
「多いわね」
「はい」
できるだけ質素な服を身につけて、街に出てきました。
今日はメイドのナタリーとクロエも一緒です。
本当は三人で行くつもりでしたが、シュナーベル卿だけでなくマース伯爵も大反対。
『この頃、バンベルグでは令嬢の誘拐事件が相次いでいます。女性だけでの外出は、厳禁です!』
と釘を刺されてしまいました。
『私のような粗野な女を誘拐する人がいるかしら?』
と言い返してはみましたが……。
『どうして、そんなにも自覚がないのですか!」
と二人のメイドにも叱られてしまいました。
自覚と言われても……。
仕方がないので、シュナーベル卿にも普段着を着て同行してもらっています。
「ここは首都バンベルグ。他の地域からも、孤児や貧民が集まっているのでしょう」
ナタリーが教えてくれます。
彼女の父親は首都を中心に商いを行う大商人。彼女自身も、首都の事情にはたいへん明るいのです。
「表通りは華やかですが、一本裏に入ればご覧の通りです」
裏通りには、酷い身なりの人が溢れています。
特に小さな子供の多さには驚きました。
「孤児院はないのですか?」
「もちろんあります。郊外の教会が運営していますが、とても手が回りません」
「予算が足りないの?」
「それもありますが、人数が多すぎるんです。食べるのにも困った子供たちが、こうして首都に集まってきています」
帝国は豊かな国ですが、戦の多い国でもあります。
東方のフェルメズ王国だけでなく、北方も西方も国境地域では戦が絶えません。
豊かさは格差を、戦は戦災孤児を産みます。
「彼らは、どうやって暮らしているの?」
「貴族や富裕層の施しがほとんどです。首都では『奉仕活動』が流行ですから」
「流行……」
「言い方は悪いですが、悪いことではありませんよ。そのおかげで、彼らは飢えずに済んでいるのですから」
「そうね」
「『貧民街』に行ってみましょう。お探しの人が見つかると思いますよ」
『貧民街』
その呼び名の通り、貧しい人たちが肩を寄せ合って暮らしている街。
かろうじて屋根があることを除けば、住環境としては道で暮らすのとそれほどの差はありません。
「あの人ですね」
「知っている人?」
「はい。実家に出入りしているのを、見かけたことがあります。『仲介人』の中でも、かなりまともな人です」
クロエは『貧民街』の様子に怯えて、私の腕を掴んだまま。
ナタリーは慣れた様子で狭い路地を進んでいきます。
「こんにちは」
先ほどナタリーが指し示したのは、若い青年です。
路地の脇で座り込んでいました。
まだ幼さの残る顔立ちですが、その鋭い目線が私を見上げます。
「……誰?」
「私はシーリーン・アダラート。お話、よろしいかしら?」
「忙しいんだけど」
「お仕事のお話なのだけど」
「それを早く言えよ!」
『お仕事』と言った途端、青年の態度が変わりました。
親しみのある笑みで先を促してきます。
「私の屋敷で働いてくれる人を探しているの」
「それなら女だな。何人?」
「ちょっと待って」
「何?」
「屋敷の仕事といっても、色々とあるのよ?」
「そんなの知らないよ。俺は手数料もらって人を連れてくだけだ」
「それじゃあ、話にならないわね」
「え?」
「他の『仲介人』を当たるわ」
私が踵を返すと、青年が慌てて追い縋ってきました。
「ちょっと待てよ! 何が不満なんだよ」
「あなたがきちんと仕事をしないことが不満なのよ」
「きちんと?」
「そうよ。私は客なのだから、もっときちんと要望を聞いていただかなければ」
「ようぼう?」
「『どんな仕事をさせたいですか?』とか、『どんな年齢の人が必要ですか?』とか。もっと言えば、『どんな技術を持っている人がいいですか?』とか」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
「どうしたの?」
「今まで、そんなこと言う客はいなかった!」
「そうなの?」
これはナタリーに向けた問いです。
「はい。この手の『仲介人』は、とにかく人を連れて行くことが仕事です。その中から使える人間を選ぶのは、客がやります」
「それじゃあ、お互いに無駄じゃない?」
「ええ。質を求めませんから手数料も賃金も格安です。それも『奉仕』の心で払うものです」
「買い叩かれている、ということね」
「おっしゃる通りです」
「それじゃあ、人材は育たないのじゃないの?」
「育てる必要はありません。彼らには、彼らにできる仕事しか頼みませんから」
「本当にただの『奉仕』ね」
私が考え込んだのを見て、青年が不安そうな顔で覗き込んできます。
「ごめんなさいね。私が間違っていたわ」
「それじゃあ、女だな。何人?」
にこやかに笑った顔で先ほどの問いを繰り返す青年に、ため息が漏れました。
「まずは、あなたの教育から始めなければならないわね」
「お嬢様!?」
驚いた声は三人分。
青年は訳が分からず首を傾げています。
「私は、ただの労働力が欲しいのではないのよ」
「じゃあ、何が欲しいんだよ」
「私の望む仕事をしてくれる人。そのために必要な努力をしてくれる人よ」
「……よくわかんない」
「そうね。ちゃんと教えるわ」
青年はまた首を傾げました。
「明日、同じ時間に『仲介人』の仲間を集めてくれる?」
「えー、みんな暇じゃねえよ」
「私に付き合ってもらった分は、ちゃんとお給金を支払うわ。食事もつけましょう」
「わかった」
お給金と言った途端、二つ返事で請け負ってくれました。
青年は嬉しそうに仲間の人数を指折り数えています。
「あー、あいつらはどうする? あんたは、良い貴族様だろ?」
「あいつら?」
青年が、手招きします。
それに従って四人で耳を寄せると、少し驚いたようですが小さな声で続きを話してくれました。
「小さな子供を拾って、売ってる奴ら」
その言葉に、血の気が引くのが分かりました。
「それは、この国では禁止されていないの?」
「人身売買は厳しく禁じられています」
シュナーベル卿が声をひそめて言いました。
「重罪ですよ」
クロエが続けます。
「売った側も買った側も鞭打ちのうえ、うなじに烙印が押されます」
この場合の『烙印』は汚名を被ると言う意味ではなく、文字通り烙印という意味──鉄製の印を熱して身体に押し当てること──でしょう。重い刑罰です。
「俺らはやらないよ、絶対に! でも、街の西の方でやってる連中がいるんだ」
屋敷の人手不足を解消しつつ、困っている人を助けようと思い立ってここに来ました。
ところが、そもそも貧民には労働に見合った賃金が支払われていないこと、働くために必要な教育が行き届いていないことが分かりました。働く場所を探す手段も、杜撰であると言わざるを得ません。
さらに、人身売買とは……。
「お嬢様、これ以上はいけません」
ナタリーがしかめ面で言いました。
「これ以上は、マース伯爵様に叱られますよ」
「そうね」
「では」
「でも、私に『やりたいことをすれば良い』と言ってくださったのは、マース伯爵よ」
誇り高く生きたいと言った私を、肯定してくださったのもマース伯爵です。
「私は、私のやりたいようにやらせていただきます」
私は私の生き方を貫きます。
それが、私のわがままです。
 




