「魔王を倒した暁には褒美として我が娘をくれてやろう」と国王がほざいたせいで凱旋した勇者と結婚しなきゃいけなくなったがどうにか拒否したい
魔王を倒して帰ってきた勇者が私の夫になることになった。
全ての発端は、父が旅立ちの際に勇者に言い放った言葉。
「魔王を倒した暁には、褒美として我が娘をくれてやろう!」
一人娘の姫である私も実際にその場に立ち合わせていたが、何勝手なこと抜かしているんだと激昂し、思わず悠々と玉座につく親の首を絞めそうになった。
だが、「どうせあんな子供に魔王など倒せっこない。旅先で野垂れ死ぬのがオチだ」と後で半笑いで説得されたので、それもそうだと納得し、怒りは静まった。
魔王の住む魔界から遠く離れたこの国では、魔王など異国の住民と同程度の認識であり、何の影響力もないものであるし、魔王の支配下にある魔物も、それほど脅威ではない。国の外をうろつく魔物は、大人の男が力を合わせれば討伐できるほどの存在であり、恐れるに足りないのだ。
とはいえ、いくら魔物が誰でも対処可能だからと言って、あんな地味で取り立てて特徴のない、どこにでもいそうな村の少年に長旅などできまい。
国を出て盗賊か何かに襲われて息絶えるだろう。
そんな予想は、見事に外れた。
勇者は、戦士、魔法使い、僧侶、盗賊という四人の仲間と共に、次々に国を渡って行った。
そして、出発して五年も経たないうちに、魔王を倒した。
私達はすっかり白けてしまった。
他国から逃げてきた者達が皆必死になって魔王の恐怖を訴えるからどんな傑物かと思えば、たかだか成人もしていない少年に打ち滅ぼされるとは。
害獣と変わらぬ危険度の魔物に、少年の一行に倒された魔王。
やはり、大したことなかったのではないか。
それと同時に、あの約束が現実味を帯びてしまった。
魔王を倒せば、あの少年は私の夫となり、ゆくゆくは王となる。
そんなふざけた婚姻があるか。
私は父親に食ってかかった。
あんな少年と結婚しろというのか、お前のせいで私は世界一不幸な花嫁になってしまうではないか。
たじろいで王は、しばらく考えていた後、ニヤリと笑った。
「そうだ。勇者を、姫の伴侶としての教育と称して、お前と同じ学校に入れよう。そこで身の程を叩き込んでやれば良い」
「まあ、流石はパパね!早速打ち合わせしてくるわ」
王族と貴族が研鑽を重ねるこの国最大の学園。そこにいるのは、私と同じく将来国の中枢に位置する者ばかり。
つまりは、全員が私の味方なのだ。
勇者が多少強かろうが、所詮は人間。多勢には敵うまい。
私はすぐさま同士達を集め、今度から編入してくる勇者に貴族としての「心得」を教えてやってほしい、と命じた。
彼らは当然賛成し、「野蛮人に礼儀をご教授しよう」と笑みを浮かべて頷き合った。
そして、勇者がやってきた。
その少年は、以前見た時と全く印象が変わっていなかった。
どこにでもいる髪色、どこにでもいる目の色、どこにでもいる村人といった風体。あだ名をつけるとしたら「お人好し芋」。
格上を敬う常識も持たず、柔和な笑顔でこちらを無遠慮に見つめてくる。
「王様に言われて入ることになりました。僕はユーゴです。よろしくお願いします」
勇者が一礼し、席に座ろうと辺りを見回す。しかし、席などない。
あるわけがない。
そんな権利が自分にあるとでも思い上がっているのだろうか。
「何をしておる。さっさとしたまえよ」
「先生、あの、僕はどこにいればいいんですか」
「教室の後ろが空いておるだろう。目も見えんのか?」
失笑が漏れる。
ヒソヒソクスクスする生徒達に、勇者は顔を赤くして怒鳴ることも眉を下げて泣き出すこともせず、しずしずと後ろに向かった。
私の視線に気付いたのか、勇者の瞳が私の顔を捉える。
何を考えているのか分からない、茫洋とした目。
だが彼は何も言わずに私の後方へ消えていった。
あっという間に一月が経った。
勇者への「教育」は四六時中、学校中の生徒から行われている。
それなのに、彼は逃げ出すそぶりがなかった。
私達は皆団結している。大人も子供も皆等しく、奴を排除しようと動いている。
それなのに、だ。
何を気にすることもなく校内で過ごし、席もないのに立ったまま授業にも参加している。
なんと厚かましい人間だろうか。
もし勇者がいなければ私の婚約者となっていたはずのノーマン、親友のアメリアとお茶をしながら愚痴をこぼし合った。
「あいつ、一体いつになったら音を上げるんだ。腹が立つな、あの図太さ!」
「本当、場違いってことを自覚してほしいわ。ああ、可哀想なクレア!でも大丈夫、私達が救ってあげるわ、あの薄汚い魔の手から!」
ありがとう、と二人に返す。
日に日に焦りが募る。もし奴が心折れぬまま、このまま居座り続けたら、私は結婚しなければならない。仮にも公式な場で王が宣言してしまったから。全く、父の浅慮にはうんざりだ。
「ねえ、そもそも魔王を倒したことがそんなに偉いの?魔物だって、うちの父が討伐を見学した時も、短時間で済んだのよ」
「その通り、勇者なんて称号、不相応にも程がある!だって俺も倒したことあるんだぜ、魔物」
「えっ、本当!?」
「ああ、仲間数人でな。軽く小突いてやったらあっさり死んだよ。その魔物の王を倒したとしても、全然、全く、ちっとも!偉くなんてないさ」
「やっぱり異国の難民は大げさだったのね。それとも、私達の国があまりにも強大だったか!」
二人が国自慢で盛り上がる中、ふと、私はある話を思い出していた。
魔王が倒される前、国に這いずるようにやって来たボロボロの旅人の話だ。
「あんたらは幸せだな。ああ、何も知らないってのは、こんなにも幸福なことだったのか。オレもここで生まれてのんびり育ちたかったもんだぜ」
そう言い残して旅人は事切れたという。
頭のおかしい人間の話として門番から聞いたものだが、妙に頭から離れなかった。
心に残ったのは、自分が無知であるわけがないという憤りから、かもしれない。
何にせよ、私は姫だ。難癖をつけてそこらの村人の首を跳ね飛ばすくらいの権力は持っている。
その私が、勇者などという得体の知れない存在より格下なわけがない。
そのはずだ。
「お前、何なの?」
「…ああ、えっと…お姫様?どうかしたんですか」
私が尋ねると、中庭で突っ立って花を見ていた勇者は小首を傾げた後、柔らかく微笑んで手招いた。距離を空けつつ、隣に並ぶ。
「お前が逃げないから、私達は随分と迷惑を被っているわ。どうして堂々とここにいられるわけ?」
「王様から言われましたから。この学校で教養を身につけろって」
「それは建前よ。パパも私も、早くお前に消えてほしくて仕方がないの」
勇者が花から目を離し、こっちを向いた。私は目を合わせずに、言葉を募らせる。
「目障りなのよ。さっさと消えて。私はお前と結婚なんてしたくないの。絶対に、死んでも嫌なの」
「死んでも?」
「そうよ」
「じゃあ、殺してみますか」
何を告げられたのか、一瞬理解できずに息がつまった。
勇者はじっと私を見つめていた。
「僕を、殺してみますか」
「…馬鹿にしているの!?」
「いいえ。僕を殺したら、死体は教会に預けて、職員のソーラに連絡を入れてくれると助かります。そうしたら僕は密かに国を出ていきますから」
「な…何を言っているの!?」
淡々と、流れるように説明されても、思考が追いつかない。
勇者はどこからか取り出したのか、剪定用のハサミを私の手に握らせた。
「頭でも胸でも喉でも、どこでもいいですよ。やりやすいのは喉かな。どうぞやってみてください」
「ふ、ふざ…」
「ほら、力を込めて」
いつの間にか、刃先が彼の喉に突き付けられていた。私の手を、まるで自分の手のように操って彼は自らを殺させようとする。
私は抗った。反抗した。それでも力が足りなかった。
ずぶり、と音がした。
それだけだった。
「…ああ、やっぱり駄目か。ごめん、失敗した」
何故か、勇者は無事だった。
無傷だった。
確かに、刺した。私の手には感触が残っている。
なのに、ハサミは根本から曲がって、地面に落ちている。
私も腰を地に落とした。
「怖がらせてごめん。やっぱり、僕を殺せるのは、セルジか、マリーンか、ソーラか…トウガンは直接的には無理かな。とにかく、僕の仲間しかいないみたいだ」
「…化け物…」
「うん、そうだね」
勇者は怒らない。罵倒されても、拒絶されても、迫害されても、彼は一切手を出さなかった。ただ静かに佇んでいた。
彼は腰を抜かした私に手を貸そうとして振り払われ、困ったように眉を下げ「大丈夫?」と質問してきた。
耐えられない。何なのだ、こいつは。
「お前、何なのよお!」
「僕は勇者だよ。魔王を倒した化け物だ」
「嘘つかないで!どこから見ても人間じゃない!」
「うん。僕も、旅に出る前は普通の子供だったよ。この国は、大陸の中では魔王城から一番離れたところにある。だから丁度良かったんだ」
「何が!?」
「順当に、正当に強くなっていくこと」
勇者は私から目を逸らしてくれない。
私は地面に転がっていたハサミを手探りで掴んで、もう一度対象に向ける。攻撃ではなく、防衛のために。
彼はそれでも怒らなかった。
「この国の周辺にいる魔物は、弱い。魔王と距離がありすぎて、魔力の供給が少なく、知能も低いんだ。だから、僕がこの国に生まれたのは幸いだった。
魔王に近く、魔物が強く、過酷な土地に生まれたせいで、心を奮って退治に出かけても帰らなかった先人は、大勢いた。僕達は道中その人達と出会うこともあったし、遺体を発見することもあった」
勇者はただ語り続ける。
「弱い僕は、この辺りの弱い魔物を仲間と協力して倒し、力をつけ、少し進んで少し強化された魔物を倒して、強くなって、また道を歩んで魔物を倒して、力を上げて、どんどん旅を進めて、魔物を倒して、殺して、ずっと繰り返して、反復して、学習して、負けて、学んで、再戦して、死んで、生き返って、倒して、油断して、敗北して、焼き殺されて、生き返って、仲間が嬲り殺されて、生き延びて、生き返らせて、戦って、勝って、襲われて、飢えて、食って、乾いて、絞り殺して、勝利して、歩いて、出会って、また死んで…そうして僕達は強くなっていったんだ。最終的に、化け物である魔王を殺せるくらいにね」
違う。勇者は私を見ているのではない。目は合っている。でも、勇者は、私を見ていない。
「化け物を殺した僕達には、化け物以上の力がある。だから恐れられても仕方がない。
でも、やっぱりこの国の人達は優しいよ。魔王に近い国の人達は、魔物の恐怖を芯から刻み込まれている…だから、魔王を倒した帰りに立ち寄った時、僕達にも恐れを抱いていた」
もっとも、そうでない人もたくさんいたけどね、と勇者は微笑んだ。
単純に魔王を倒してくれてありがとう、これで魔物は弱体化して世界は平和になると抱きついてくる人もいたし、たとえお前らの力が異常でも、お前らは無闇に人を傷つけるようなことはしねえって分かってるから怖くねえよ、と笑い飛ばす人もいた。
そういう人達がいたから、僕達は諦めず、戦い続けることができたんだ。
勇者はそう独白して、ハサミを私からそっと奪い、柔和な眼差しを細めた。
「心配しないで。僕は、結婚する気はないよ。ごめんね、気づかなくて。
王様が学校に行けって言ったのは、王様になるための勉強をしてこいって意味だったんだね…結婚の約束なんて、すっかり忘れていたよ。そういえば、そんなこと言われたなあ」
勇者の雰囲気は変わらない。ずっと優しく、穏やかなままだ。
迷惑かけたね、と頭を下げて、彼は背を向けた。
「…どこに行くの?」
「ここをやめるよ。僕は王様になる気はないし、貴族になる気もない。これ以上ここにいる意味はないだろう。お金も地位もいらないしね」
「だから、どこに行くのよ!」
「とりあえず、仲間のところかな」
帰郷も終わったからね、と勇者はゆったりと告げて、歩き去っていく。
そのまま行かせてしまえばいい。そうしたら、「勇者は婚姻を断った」という事実が残り、私は晴れて自由の身になれる。
けれど、私は呼び止めた。
「待って!」
「どうかした?」
勇者はのんびりと振り返り、何事もなかったかのように問いかけてくる。
「だから、その…!続きは!」
「何の?」
「話のよ!い、今のじゃ大まかな流れしか分からないじゃない!」
勇者は初めて、きょとんとした顔を晒していた。
瞬きをして、ふっと、彼は微笑みを浮かべた。
「あんまり気分のいい話じゃないよ。それに、とても長くなる」
「構うもんですか!いい?別にお前に興味があるわけじゃない。私が知らないことがあるっていうのがむかつくから、話すのを許可してあげるってだけよ!」
「うん、分かったよ。それじゃあ、もう少しここにいる」
あっさりと、彼は了承した。
「クレア、一体どういうつもりなんだ?あんな腰抜けに…」
「うるさいわね。黙ってなさいよ、ボンクラ」
「んな…」
移動中、廊下で話しかけてきたノーマンは絶句し、かなり衝撃だったのかふらりと体を傾けて目を回し、取り巻きの連中に騒がれていた。
まあ、そんなことはどうでもいい。
今では教室に席も用意され、放課後には私と中庭で会話するようになった勇者の件は、学園の皆が困惑している。排斥筆頭だった私が勇者に近づいているから戸惑っているのだろう。度々「お加減は大丈夫ですか」と心配される。
それもどうでもいい。
私が現在気になっているのは、勇者、ユーゴの記憶だけだ。
「こんにちは、クレア」
「御託はいいから早く話しなさいよ」
「うん、ハーシー村の次に僕らが辿り着いたのは…」
まだ序盤も序盤、この国を出て隣の国に進み、その最果ての小さな村を出立した後の話であり、未だに勇者は魔物一体にも苦戦している。
この国を出た時、ユーゴには二人の仲間しかいなかった。僧侶ソーラと、戦士セルジだ。ソーラはユーゴと同じくらいの歳の少女であり、セルジは一つか二つ上なものの、頭が残念なのでよく騒動を起こしていた。
が、トラブルを持ってくる割合としては、ソーラも変わりはなかった。彼女は好奇心が強く、何にでも首を突っ込まずにはいられない性格だったのだ。
だから、ユーゴ、セルジ、ソーラの三人の旅は、いつも波乱に満ちていた。
序盤だからそれほど血生臭くもなく、胸躍る冒険譚の始まりといった具合だった。
「…そうして、僕達は二手に別れて…」
「ちょっと、もう日が暮れたわ。速度が遅いのよ。とろとろとろとろ、これじゃあ一生終わらないんじゃないの」
柔らかい声と口調も相まって、ほのぼのとしたおとぎ話にも聞こえてくる。そんな綺麗な旅でないことは、既に彼の口から明かされているのに。
「ああ、ごめんね。次からはもっと端的に…」
「それじゃ意味ないわよ。詳細に話しなさい」
「分かった、頑張るよ」
本当に、彼は怒らない。何を言っても、無茶な要求を受けても、穏やかに、泰然と構え、こちらを責めてくることはない。
私と同年代に見えるが、その中身は、全く違う。
当然ではあるが、私と彼の間には大きな溝がある。
こんなに近くで話していても、私では決して近寄れないのだ。
魔法使いのマリーンは、ほんの少し魔法を使えるだけの、ごく普通の村の少女だった。
彼女は村を訪れたユーゴ、セルジ、ソーラの三人に感化され、魔物に脅かされる故郷の実態を嘆き、魔王を倒し平和を得るべく同行した。
彼女は実戦の中でめきめきと魔力を高め、ソーラと教え合って洗練し、心強い仲間となっていった。
盗賊のトウガンとも出会い、仲間となって五人で旅を続ける途中、ある情報が入ってきた。
マリーンの故郷が、魔物に襲われ、占拠されている。
それを聞いたマリーンはグッと唇を噛みしめ、「今は魔王を倒すために前に進むべきだわ」と提案した。
魔王さえ倒せば、魔王から魔力を供給されている魔物も無力化する。
彼女の意志を尊重しようと彼らが旅路を続行しようとしたところで、待ったをかけたのはセルジだった。
「このまま進んだって間に合わないぞ。魔王に届く前に確実に、あの人達は殺される。でも、今戻れば、村は、お前の家族は助けられる」
セルジのやけに重みのある言葉に、まずユーゴが「そうだね」と同意した。
「マリーン。あなたにはせっかく家族があるのです。守れるものなら、守りましょう」
「そうっすよ、失ってからじゃ遅いんす!オイラ達の誰も、マリーンの姉御の大切なものを取り返すのに反対はしないっす!」
ソーラもトウガンも、異論は出さなかった。
マリーンは泣きながら「ありがとう」と頭を下げ、彼らは全速力で来た道を辿った。
彼らを出迎えたのは、異変の全く見受けられない、平穏な村だった。
それをきな臭いと感じ、トウガンは村に入る前に彼らと別行動で探ることにした。
温かな村人達に歓迎され、マリーンはほっと息を吐いたが、すぐに気づく。
両親の姿がどこにもない。
加速する鼓動を悟られないようにマリーンは平静に村人に尋ねた。
「お父さんとお母さんはどこ?」
「ああ、マリーン…こっちだよ」
村人は、笑顔で彼らをマリーンの生家に招き入れた。
そこに魔物と、村人数名と、彼らに囚われた血まみれの両親がいた。
悲鳴を上げるマリーン、即座に臨戦態勢に入るユーゴ、セルジ、ソーラ。それらを魔物は嘲笑った。
「さあ魔法使いの娘よ、親を殺されたくなければ、そこの仲間達を殺せ」
できない、と震えながらマリーンは答えた。
マリーンの両親は苦痛に顔をしかめつつ、それでいいのだ、と優しく頷いた。マリーンが生きて、魔王を倒して平和をもたらしてくれるなら、我らは喜んで礎となろう。だからこれでいいのだ。
村人は良くなかった。いいはずがなかった。
彼らは魔物に脅されていた。マリーン達を殺さなければ、自分達が殺される番だった。
焦りを募らせ、どうにか生き残る術はないか、どうすればマリーンを殺せるかと、悩んだ末に村人らはマリーンの両親の首に、胸に、腹に短剣を突き刺した。
「マリーン!お前のせいで両親は死ぬぞ!これでも」
「馬鹿野郎ォ、人質を殺す奴があるかァ!」
魔物は勝手に動いた村人らに怒り、彼らを噛み砕いてあっという間に息の根を止めた。
その瞬間の勇者達の行動は早かった。
ユーゴとセルジは魔物を、ソーラは両親の蘇生を試みた。
魔物は呆気なく力尽きたが、両親はどうにもならなかった。その頃のソーラの力では、魔物による負傷に慣れておらず頑強な肉体を持っているわけでもない両親を呼び戻すことはできなかった。
力なく首を横に振るソーラに、マリーンは縋り付いて彼女の肩を涙で濡らした。
だが、悼んでいる時間はなかった。
外に待機していた村人は、この惨状を覗き見て戦慄し、早くマリーンを殺さなければまた魔物がやってきてあの哀れな村人らのようになってしまう、と恐怖に震えた。
彼らは協力し、村の出入り口を全て封鎖、勇者が決して外に出られぬよう、見張りをつけた。
が、勇者達はあっさりと、その日のうちに村を脱出した。
まんまと勇者を取り逃した村人がその後どうなったかは、知らない。
マリーンも、知りたくはないと拒否した。
けれども彼女は、必要以上に村人を恨まなかった。
彼女は呟いたのだ。村から逃げ去る際に、一言。
「絶対に魔王を許さない」と。
トウガンがいなかったらきっと僕達はあそこで魔物に捕まって全滅していたよ、と一通り話し終わったユーゴは静かに笑った。
彼が村人の目を盗み、抜け穴を用意して助けに来てくれなかったら、どうなっていたことか。
誰が欠けてもこの旅は成り立たなかった、と締めくくる。
「…もし、そこに役立たずな…世間知らずで、自己中心的なお姫様がいたら、旅は失敗していた?」
「うん」
ユーゴは躊躇もなく首肯した。
怒りは湧いてこなかった。
そう、と相槌を打って納得することしか、私にはできなかった。
その日は、アメリアに捕まって、中庭に行くのが遅くなった。
どれだけ遅刻してもやっぱり彼が怒りを表すことはないのだろうと思いつつも、早足で向かう。
だが、アメリアはしつこくついてきた。
あんな奴に割く時間が勿体ないとか、早く追い出すべきだとか、正気に戻ってよクレアとか。
うんざりする。
爆発しそうになるのを、ここで喚き散らせば彼の話を聞く時間がもっと短くなると、グッと堪える。ただでさえユーゴの語り口がトロいから、昔話は終盤にも差し迫っていない。仲間は全員揃って幾多の死戦をくぐり、あるいは命を落として復元されているけれど、まだ魔王城にも到達していない。
無視して、中庭に到着する。
けれど勇者は、そこにいなかった。
どこにもいなかった。
「何故俺を責める!?俺はクレアのために」
「黙りなさい!!」
目の前にあるのは、炎だ。
火元は敷地内の端っこ、庭師が寝泊りしている小屋。
ノーマンはそこに勇者を呼び出した。
お前のせいでクレアはおかしくなったのだと散々に殴り、蹴り、罵声を浴びせ、小屋に閉じ込め火をつけた。
俺が痛めつけたから、動けはしまいとノーマンはほざく。
そんなわけがあるか。
お前のその腕で、勇者に傷をつけることなど、できやしない。
轟々と燃え盛る炎を前に、危険を全身に感じながら、私は一歩を踏み出す。
「ユーゴは生きてる!こんなので死ぬもんですか」
「馬鹿なこと言うなよクレア。小屋はとっくに燃え尽きてる。あいつも灰になってるさ。ああ恐ろしい、こんな火事だぞ」
ユーゴの話を思い出す。
火を吹く魔物との戦闘中、回復役のソーラが酷い火傷を負って、戦線が崩れた。戦士セルジは仲間を庇って魔物の攻撃を一手に引きつけ、魔法使いマリーンは彼を援護し、ユーゴは盗賊トウガンと一緒にソーラをどうにかしようとして、広範囲にまかれた炎に焼かれて死んだ。
その後、半死半生のマリーンと全身火傷のトウガンが力尽きた仲間を抱えて最寄りの町まで逃げ延び、どうにか町で回復したソーラの手によって、ユーゴとセルジは生き返った。
生き返りの術は、側から見れば容易い。奇跡の力だ。
だが、それは治癒ではない。
治療しているのではなく、死ぬ前の体に、時間を戻しているのだ。だから生き返る際には、死んだ時の苦しみがもう一度逆再生されることになる。これを使えるのは僧侶であるソーラと、数多の魔物を滅ぼし魔を祓う聖なる力を会得した、勇者ユーゴ本人。
ソーラは一度しか死んだことはないが、ユーゴもマリーンもトウガンも片手では足りないほど死んでいるし、盾役のセルジなど二桁超えているという。
恐ろしい話だ。
でも、聞いていて良かった。
教会のソーラに連絡を取り、ユーゴを生き返らせてもらう。
文にすると狂気じみているが、もうそれしかない。
まずはこの火を、どうにかする。
「クレア!そこに近づくなよ、死にたいのか!?唯一の王位継承者であるその身を」
「黙れ、お前の話など聞きたくもない!」
叫ぶと、水気のない空気が入ってきて喉が痛くなる。
足がすくむ。手が震える。
炎を目前にするだけでも人間は無力になるのに、勇者達はそれを大幅に上回る存在を乗り越えた。
間違いない。
彼らは化け物だ。
けれど、死なせたくない。
まだ、続きを話してもらっていないから。
「クレア、戻ってきて!」
アメリアの金切り声が耳に突き刺さる。
ノーマンの怒声も、その他の野次馬の喧騒も。
でも誰一人として、私を体を張って止めようとはしない。
私を追いかけて、手を掴んで引き戻そうとしてくる人間はいない。
そんなものだ。私の人望なんて。
すぐそこに、高熱が揺らめいている。その中に、ユーゴがいる。
私に手を貸してくれる者は、私の味方はここにいない。
だから私がやらなければならない。
「…死んだって、助けるわよ!」
「死なないよ」
ばきりと、何かが壊された。
「残念だけど、これじゃ僕は死なない」
無傷だった。
服はボロボロに焦げているが、肉体に異変はなかった。
異常だった。
化け物だった。
「戦う度に強くなる。毒を浴びる度に強くなる。炎に焼かれる度に強くなる。経験した痛みの耐性を得る。馬鹿馬鹿しいけど、そうやって積み上げて僕らは魔王を倒したんだ。まるで、何かに導かれるみたいに」
小屋を粉砕し、抜け穴をくぐって、勇者はそこにいた。
群衆が悲鳴を上げた。
炎の中から生還を果たした生物に、我先にと逃げ惑う。
そんな中でも、ノーマンは立派だった。
「この、死に損ないが!どうやって逃げたか知らないが、脱出し隠れて機会を伺っていたんだな!?今ここで俺が殺してやる!何が勇者、何が魔王!所詮誰にでも討伐できる存在だろう!」
持ち出したのは、剣。ノーマンの腕前は貴族の子息の中でも上位に位置する。
真っ直ぐに、勇者の心臓目掛けて飛び出した。
がちん。
根元からへし折れた。
「…は」
「ごめんね。それじゃ僕は殺せない」
折れた剣。今し方、自分が恐れていた炎の中から堂々と現れた少年。火傷も、怪我もない体。殺されそうになったのに、申し訳なさそうな顔つき。格下、すなわち身代わりとなるものは逃げ去り誰もいない現場。
積み重なる事実に耐えきれず、ノーマンは呆気なく失神した。
「…化け物ね」
「うん。この小屋、壊してしまったけど、大丈夫かな」
「別にいいわよ小屋なんて。いくらでも建てられるんだから」
ユーゴはそっか、と呟き、小屋を手で仰いだ。
すると、突風が吹いた。
火が消えた。
「…化け物ね」
同じ台詞を口にすると、あのままだと危ないから、と返される。そういうことではない。
「クレア。悪いけど、僕はもう行くよ。お話の続きは、そうだな…手紙を書くよ。それで許してくれるかな」
「何故急に。何があったの?」
「セルジとマリーンが皆で世界一周旅行を考案したんだ。さっきそれをソーラが通信してきてくれて」
「…それも魔法?」
「うん。トウガンを迎えに行かなくちゃ」
なんてこともないように、勇者は微笑む。
焦げ臭い空気の中、服とも呼べない服を身につけている少年は魔王を倒したようには見えない。
決して人目を引かない、どこにでもいそうな素朴な顔に、どこにでもいそうな地味な雰囲気。柔らかい笑顔は優しい印象を与えて、静謐な眼差しは戦意を削ぐ。
彼がこの国を一人でも滅ぼせるような力を持っていると、誰が想像できるだろう。
「…ごめんなさい」
今までずっと、これまでの人生においてもずっと言えなかった言葉が、すんなりと外に出た。
「どうかした?」
「私は、何も知らなかった。酷いことをした。ユーゴ達が辛い旅をしている傍ら、私は散財して遊んでいたわ。魔王がどれほど人々を苦しめていたか、魔物がどれほど凶悪か、知らずに。助けを求めて逃げてきた難民を鼻で笑っていた」
「そんな人はこの世にいっぱいいるよ。クレアが謝ることじゃない。だって僕らは、何も知らないクレアのような人達のために戦っていたんじゃないから」
それは、聞きようによっては、冷たい答えだった。
が、相応しかった。
「僕らが戦ったのは、非力を嘆いて僕らを頼って、僕らを助けて無事を祈って、戦いに行く僕らを支えて、ずっと願っていてくれた優しい彼らのためだ。魔物に虐げられ、魔王に怯えて、それでも絶望せず希望の光を探していた人達のためだ。世界を救い守るべく旅に出て、力及ばず倒れた先人のためだ。
そして、僕ら自身のためだ。
故郷を滅ぼされたセルジの、孤児で居場所がなかったソーラの、絶望に屈した人間に親を殺されたマリーンの、襲撃で財産も何もかも失ったトウガンの、仲間達の全てにけりを付けるための戦いだ。
僕は皆に、勇者という称号を託された。魔王に立ち向かい、打ち倒すべき存在の名を委ねられた。意志を繋いでくれた彼らに応えるために強くなって、魔王を殺した。ただそれだけの話だよ」
だから、地位も名誉も必要ない。彼らに報いること、それが自分の目的だったから。
語るユーゴは微笑を崩さなかった。
きっと、誰にでもそうなのだろう。たとえ悪意を持った人間でも、蔑んでくる人間でも、誰にだって、彼は優しく、穏やかに相手をするのだろう。
仲間である彼ら以外には、平等に。
「…私はこの国にいるわ。手紙も楽しみに待っているけど…ユーゴは…また、ここに来る?また会える?」
「うん。ここは僕の故郷だからね」
少年はゆったりと笑って、瞬きをする間に、姿を消した。