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一 : 当主の苦悩(3) - 猿

 夜も更けたが、信長に眠気は訪れない。考えれば考える程に、目が冴えてしまう。一緒に居た濃は欠伸が出たと思うと、すぐに寝所へ行ってしまった。お気楽なものだが、それが少しだけ羨ましく思う。

 宿直の者が寝ずの番をしているので、信長は人目を避けて中庭に面する縁側に腰掛けた。信長付の小姓達には先に寝るよう伝えたので、今は完全に一人である。

 雑念を振り払いたくて一人になったのに、様々な考えが濡れた衣のようにべったりと張り付いて離れてくれない。それが不快でもあり、不愉快でもある。

 じっと暗闇の先にある茂みを見つめていると、不意に闇の中にある茂みの葉が揺れた。

「……猿か」

 信長がぼそりと呟くと、茂みの中から影が現れた。

 小柄な体躯、赤褐色の肌に深い皺が刻まれた顔。一瞬、人の大きさをした猿かと見間違えそうだが、現れたのは歴とした人だった。

「いやー。この時季になるとあちこち虫に刺されて痒い、痒い」

 肌をポリポリと掻きながら言う様は、どこか愛嬌が感じられる。

 この男の名は藤吉郎。尾張中村の百姓の生まれで、草履取りから足軽になった苦労人である。当初は小者として雇ったが機転が利く上に人の何倍も働くので、信長は特に目を掛けていた。

 信長は有能な人物ならば素性を問わず重用したが、その中でも諧謔のある者を好んだ。藤吉郎や甲賀から流れてきた浪人・滝川“彦右衛門”一益などがそうである。

 藤吉郎の取るに足らない話に信長は応えず、扇子を扇いで一時の涼を味わっている。

「ただ、面倒な虫も湧いているみたいで」

 直後、扇子を扇ぐ信長の手が止まる。すかさず藤吉郎は体を寄せる。

「林様、佐久間様の屋敷に素性明らかでない者が出入りしております」

 藤吉郎は織田家に仕える以前は諸国を流浪していた過去があり、その途中で川並衆の頭目・蜂須賀小六と知り合いになった。川並衆は木曽川流域を拠点とする土豪で、平時は水運業等で生計を立てる一方で、有事の際には陣借りとして戦に加わっていた。その性質上、家仕えの武士はやらない裏仕事も引き受けていた。

「間違いないか」

「はい。商人を装っていますが、屋敷で働く者は誰も知らないと言質が取れています」

 武士の屋敷には、武士だけでなく雑用を行う下男や下女が働いている。日の当たらない存在ながら日常的に出入りしている者の顔は覚えているし、屋敷の中の様子も目撃している。そうした所から思わぬ情報が拾えるものだ。

 藤吉郎は身軽な身分であり、気さくで誰とでもすぐに仲良くなれる性格、警戒心を抱かせない外見と様々な要素を持っていることから、相手の懐へ容易に入り込んで機密情報を聞き出していた。ついでに付け加えれば無類の女好きで、外見とは裏腹に細やかな気配りも出来る男でもある。

 生まれが貧しい百姓だったこともあって出世欲は人一倍旺盛で、現状に満足せずさらなる高みを望んでいた。その働きに応じて信長は引き立ててきたが、それを意気に感じて今まで以上に骨惜しみせず働いてくれる。藤吉郎は家中でも珍しい、使える人材だった。

「他は」

「柴田様の所にも接触を試みたようですが、こちらは即座に追い返されたらしいです。引き続き各所に見張りを立てていますので、何かあり次第報せが届く手筈となっています」

 ちなみに家老達の見張りに関しては信長が命じたものではなく、藤吉郎が独断で行っていた。藤吉郎の身分は下から数えた方が早い下っ端なので、明らかな越権行為である。本来なら処罰、最悪打ち首も有り得るが、信長は咎めるどころか黙認していた。

「……また何かあれば知らせろ。些細なものでも構わん」

「承知」

 真面目腐った面構えで応えると、藤吉郎は無言で下がっていった。いつもならば軽口の一つ二つ叩いていくのだが、今夜はそれが無かった。それだけ切迫しているということか。

 再び一人となった信長は、縁側に座りながらじっと暗闇の先を見つめていた。


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