笑顔の未来
警察の聞き取りが終了した晶は、外で待っていた慎沢に順番が来たことを伝えると、7警察署に来た記念品も兼ねて玄関ロビーに置かれた自販機で缶入りの緑茶を買う。プルタブをひいて飲もうとしたとき、背後から声がかかった。
「氷上さん、ちょっといいかな」
振り向くと、先に聞き取りを終えた鏡が立っていた。
「どうしたの? 鏡くん」
「謝りたいことがあるんだ」
謝りたいこと、なんだろう? 鏡にいざなわれるままにロビーに置かれた長椅子に座る。
長椅子は背中合わせにふたつ置かれていて、晶の反対側に鏡が座る。
数秒の沈黙のあと、鏡が口を開いた。
「おれは嘘をついた。自分自身の能力について」
それは、どんなことだろう? 心の声を届けると、彼はつらつらと語りはじめる。
「おれの能力で、たくさん傷つけちゃったから」
そんなの、晶だって一緒だ。むしろ自分のほうが強く傷つけた。 それを読み取って、鏡は続ける。
「氷上さんは能力を使わないように必死に毎日を生きてた。それをおれが壊したんだ。勝手に舞い上がって、能力を使って、信頼されようとした。きみの気持ちを知っているのに、知らないふりをしたんだ」
――自分が楽になるために。そう結んで、鏡は口を閉じる。
晶は困惑し、どう答えていいかわからなくなる。でも、心のなかで言語化されていない言葉がうごめいていることはわかった。
胸に手を当てて、いろいろなことを思い出す。鏡がショッピングモールで親子を見つめていたときの笑顔。晶を抱きかかえたときの悲しげな顔。今日屋上でみた、彼の泣き顔。
そして、それぞれをみたときに感じた、自分の感情を。
始まりはどうであれ、過程がなんであれ、いま晶はとても穏やかな気持ちだ。それはきっと、鏡英人が隣りにいるから。だから、晶は彼にこの気持ちを渡そうと考える。思考を読み取れるなら、言わずとも伝わるはずだ。
――言葉で伝えると、なんだかうまく伝わらない気がするから。
晶は後ろに体重をかける。すると、こつん、とふたりの後頭部がぶつかった。それを受けて、鏡は椅子の上で体を跳ねさせる。
いまなら、少しだけ彼の心がわかる気がする。彼は、他人の痛みに本人以上に敏感なのだ。
それは能力の関係ない、本人由来の資質なのだろう。困っている人を放っておけない。単純だが、変えの効かない才能だ。それに惹かれて取り巻きができるのも無理はない。
だが、その思考を読み取った鏡は自嘲する。
「そんな崇高なもんじゃないよ。雑音が嫌いなんだ。つらい気持ちとか、マイナスの感情が奏でる音楽が」
「例えそうだとしても、あなたは助けることをやめなかった。いろんなことを諦めていたわたしとは違う。――ねえ、なんでわたしに関わろうと思ったの?」
心が読めていれば、晶が頑ななのはわかっていたはずだ。むしろ、晶を刺激することで未来が乱れる、つまり思い通りの結果を導けなくなる可能性だってあった。
でも、そんな晶の疑問を、鏡はくすりと笑っただけで流す。怪訝な表情になった晶に対し、彼は少しだけ呆れた雰囲気をまとう。
「きみは自分の魅力をわかっていない。――初めてきみをみたとき、不思議な子だなって、思ったんだ。わざと他者との関わりを絶とうとするし、妙な白昼夢をみているから」
妙な白昼夢、というのは未来視でみえるビジョンのことだろう。たしかに、妙な妄想だと思われても仕方ない。
苦笑いを浮かべながら、晶は鏡の声に耳を傾けつづける。
「それが未来視だってことを、最初は信じられなかったよ。でも、きみの動向に気を配るうちに、それが本当だってわかった。それからはもう、囚われっぱなしさ」
囚われる、その言葉に隠された意味を、晶はなんとなく感じ取る。でも、それを言語化することができない。それを語る言葉を、晶は持たない。
その意味をしりたくて、どうしても後ろを向きたくなった。でも。してはいけないということは分かっていた。
「わたしは、あなたのことを正直面倒とさえ思っていた。いきなり人混みを纏って現れたようにみえた。話す気もなかった」
「そう考えると、本当に不思議だね」
「ホントにね」
自分勝手に生きていた数日前とは違いすぎて、夢のなかにいるようだ。
慎沢はもう聞き取りを終えている頃だろうか? ロビーにある時計をみると、晶の聞き取りが終わってからまだ五分位しか経っていなかった。温くなり始めた缶が、時間間隔を鈍らせたのか。
時刻はもう昼前で、今更学校に行ってもやる気は出ないかもしれない。適当な理由をつけて休もうかと考えると、胸が高鳴った。それにはきっと、ズル休みをする緊張感以外の感情も含まれている。
うしろで合成皮革のこすれる音がして、晶は振り向く。するとそこには鏡の顔があった。
瞬間、重なる視線。そして晶は、彼の未来をみて微笑む。
これから先の未来にいる自分が、幸せそうに笑っていたから。
「あの日、きみが新藤さんを助けようとしたとき、おれは救われた気がしたんだ。痛みに耐えて、誰かを助けようとするその姿が、とてもきれいだったから。隠れてみてようと思ったんだけどね。無理だった。今までの人生の中で一番ダサかった」
あんまりな言い方に、晶は笑ってしまう。あのときの彼は、あまり余裕がなかったと思うとおかしくて仕方がない。そのとき、ある事実に思い当たる。
「もしかしてショッピングモールに誘ったのも……?」
鏡は頷く。
「普通に話して、いいところをみせたかったんだ。それなりにカッコつけれたから良かったけどね。その後はもうコントロールもできなくて、あんな感じだよ」
慎沢との口喧嘩や、今回の騒動のことは完全に事故だったようだ。結構猪突猛進というか、いきあたりばったりだ。
「いろんなことを間違えるんだ、嫌になるくらいに」
鏡は困ったように眉尻を下げてから、やがて一転し決意した表情になる。
彼はまっすぐ晶をみつめて、言った。
「氷上さん。やっぱりおれにはきみが必要なんだ。許されるのならきみの心の声だけ、聞いていたいよ」
その顔は冷静そのものだったけど、声色には希うような感情が込められていた。鏡は、その瞳に複雑な色を灯しながら続ける。
「一方的に伝えるばかりで、本当にごめん。でも、強い力に引っ張られるみたいに止まらないんだ」
その気持ちは、よく分かる。大河の流れに小魚が逆らえないように、彼もまたどうしようもない流れに巻き込まれて、ここにいる。少し前までは晶もそうだった。心に振り回されて勝手に傷ついて殻に閉じこもり、目を閉じていた。
でも、鏡がそんな晶の心を理解しようとしてくれたおかげで、いま笑顔を浮かべることができている。
晶も、鏡のことをもっと知りたかった。自分を救ってくれた彼のことを、知らなさすぎる自分から脱却したい。彼の心からの笑顔をみたかった。
ならば、答えはひとつしかない。
たとえ心が筒抜けでも、言葉で伝えたかった。晶は鏡に向かって未来視でみた世界のとおりに微笑み、そしてひとつのことを決める。
「わたしも、あなたの声を聞いていたい。たったいま決めた。わたしはこれからずっと、あなたのためだけに、未来視を使う。だから、そんな不安そうな顔しないで。笑って?」
これくらいしても、足りない。鏡は晶を助け続けてくれた。だから今回は自分の番だ。
喋っている最中、未来をみるような真似はしなかった。だからこれで未来は変わるのか、それとも悪い方向に向かうのかはわからない。でも、鏡の表情をみると、そんなに悪いことは起きなさそうな感覚がした。
鏡は、涙の色を声に滲ませながら言う。
「あはは……やっぱり氷上さんは、すごいや」




