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闇色の未来

 週明けの教室は妙な雰囲気に包まれていた。晶は入ってきた瞬間体を包んだ異様な雰囲気を気持ち悪く感じつつ、自席に近づく。

 すると、先に教室に来てプレイヤーで音楽を聞いていた鏡が閉じていた目を開け、曖昧な微笑みを浮かべながら挨拶してきた。


「おはよう氷上さん」

「お……おはよう」


 どうしても先週の土曜日のことを思い出して、気まずく感じてしまう。あれからなんとかパンケーキ屋に行けるまで復活したが、結局味の分からないパンケーキを食べ、逃げるように帰宅した。控えめに言って大失敗だ。

 でも、ひとつだけわかったこともある。彼の能力は広範囲に渡るテレパス能力で、発動すれば周りに居る人間の頭の中身を自分の頭に写し取ることができる。モールでの迷子捜索は、あの男の子の頭の中にある悲しみの思考を感じ取ったから。

 効果範囲は本人曰く広すぎて測定したこともないらしい。ショッピングモール全体をカバーできていた気もすると言っていたので、それが本当ならとてつもなく強力な能力だ。だけどデメリットもある。オンにすると際限なく思考が流れ込んでくるし、能力の中心から離れれば離れるほど、思考は読み取りづらくなるそうだ。

 晶は視線を下に向かって泳がせながら言う。


「土曜日のこと……」


 でも、最後まで言わせずに鏡は優しい声色で応える。


「おれはあれでも十分楽しかったから。それに、おれも悪いし」


 その気遣いが嬉しくもあり、同時に怖い。相手の真心に真摯に対応することは、思っているより難しい。胸の奥にチクリと生まれた棘と相まって、どう接したらいいかわからなかった。


「ありがとう。次はもっとちゃんとする」

「え! 次あるの!?」

「た……例えばの話だからっ!」


 頬が暑くなるのをごまかすように急いで言い直し、勢い良く自席に座った。そしてスマホを使って後ろの様子を伺うと、さっきよりも嬉しそうな表情になった鏡が、顎に手を当ててなにかを考えていた。

 その様子を液晶越しにじっと眺めていると、鏡が何かを言いたそうな顔になった。


「氷上さん」


 晶は振り向いて尋ねる。


「どうしたの? 鏡くん」


 心が読めるなら会話なんて必要ない気がするけれど、それはきっと甘えだ。苦い思い出が早くも胸に蘇る。


「今日の昼休み、屋上でご飯食べようよ。ふたりで」


 鏡は『ふたりで』の部分をやけに強調して言った。ざわつく周りにうんざりしながら、晶は頷く。強調したい気持ちはわからなくもないが、賛成はしたくない。

 自分の能力を利用したいから近づいてくるのだろうか? ふとそんな考えが頭をよぎり、晶は慌てて思考を切り替えた。そんなこと、考える時点で最低だ。

 視線を鏡の眉間からスマホに戻し、体を正面に向けようとしたとき、クラスの女子がヒソヒソ会話する声が聞こえてきた。


 ――なにあれ、鏡くんが話してるのに。態度悪くない? ありえないんだけど。

 ――ちょっと構われてるからって、調子乗ってるんじゃない? ないわー。


 首筋の辺りがぞわぞわした。背中にナイフを当てられているような懐かしい感覚。昔いじめられていた頃の記憶を思い出しそうになるが、晶はスマホの待ち受け画面に設定した猫の画像をみることで平静を保つ。

 このどろどろした気持ちも、鏡には伝わっているのだろうか? 後ろをみないと真実はわからない。でもその勇気はない。


 ――鏡くん、いま能力使ってるのかな……?


 スマホをハンドミラーがわりにしてみても、その実態はつかめない。聞く勇気もなく、気力もない晶は表情を曇らせた。


  *

 

 昼休み、晶は女子トイレの洗面台の前で深呼吸する。


 ――なんでこんなに緊張してるんだろう。ただこの前と同じで、食事をするだけなのに。


 やけに胸がドキドキする。心の中をすべて見られてしまったような気がするからだろうか? それとも何か別の感情が生まれている?

 考えても答えは出ない。もしかしたらこの感情も読まれていると思うと、なんだか気持ちが悪い。束縛されている気がする。でも、そう思うたびに晶は男の子を助け出したときの鏡の顔を思い出す。何故か彼は能力を自分のために使わないような、そんな気がするのだ。

 雨に濡れた大地の匂いみたいな、少し悲しい雰囲気をまとっているからだろうか? 自分だけが秘密を知っているという優越感からだろうか?

 でも、こんなことをいくら考えても意味はない。内心自分たちふたりは関わるべきではないとすら考えている。

 この考えが鏡に知られていないことを願いながら、トイレから出ようとした。すると、扉が開き、中に一人の女の子が入ってくる。


「……あれ? 晶じゃん」

「あ……槙沢さん」


 先週の金曜日、晶に指すような視線を送っていた少女が、そこにいた。

 慎沢と呼ばれた少女は背中の真ん中くらいまで伸ばしたつややかな黒髪を手ぐしで伸ばしながら晶の隣の洗面台の前まで来る。


「どうしたのこんなところで。鏡くん楽しそうに屋上行ったよ?」

「ちょっと考えごとしたくて」

「なに? 鏡くんとのこと?」


 反射的にどうしてと言いたくなって、やめる。少し考えればわかることだから。


「案ずるより産むが易しって言うくらいなんだし、さっさと行けばいいのに」

「なに話せばいいのか、わかんないの」

「うわっ贅沢」


 ふと顔を横に向けると、大きな闇色の瞳がこちらをみつめていた。この前と同じ、品定めをする瞳で。

 だけど、口調は楽しそうなまま。まるで、獲物が踊っているさまを眺めているようだ。晶は素早く眉間から視線を外した。すると彼女は、こちらに一歩近づいてくる。


「氷上さんってさ、絶対に目を合わせてくれないよね」


 『氷上さん』の部分を強調する、嫌味な言い方をされて、晶は背中がむずむずした。


「そんなこと……」

「ある。不思議だったんだ。どうしてって、思ってるよ」


 もう一歩、ずい、と近づかれる。薄々わかってはいたけれど、この人は自分を狙い撃ちにしに来たのだ。

 慎沢は書いたように整った眉を寄せて、晶の瞳を必死に追いかける。傍から見れば挙動不審な女の子を観察しているようにみえるだろう。


「こっちみてよ」

「無……無理だって」


 一歩離れようとしたところを、両頬を手で挟まれて阻まれる。ぱちん、という軽い音とともに甘酸っぱいシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。女の子の、慎沢の匂いだ。

 吐息がかかるくらい接近する。晶は突き飛ばしてでも逃げたかったが、そんなことをしても意味はない。自体が悪化するだけ。ならもう飛び込むしかない。

 送り込まれる未来の映像は、言わば早送りのビデオテープだ。垂れ流したまま置いておけば『死』という結果で止まる。精神的負担を抜きにすればテレパスよりは楽だ。

 晶はずきずきする頭を抑えながら慎沢との会話に臨む。


「なんで鏡くんが女の子に人気なのか、わかる?」


 晶は思い浮かべる。魅力的な容姿、積極的な性格、話していると気持ちいい。そんなところだろうか。

 それを言おうとする前に、慎沢は口を開いた。


「見た目のいい男子なんて吐いて捨てるほどいるし、普通同級生に熱を上げることなんてないわよ。一人や二人ならともかく、あんな大人数で取り囲むほど鏡くんが人気になった理由は、彼がとてつもなく聞き上手だから」

「聞き上手……」


 晶はオウム返しにつぶやく。たしかにそうかもしれない。

 慎沢は続けた。


「最初は転校生で、顔もいいし性格もよさそうだったからちょっかいかけようと近づいただけだった。でも話してみて、自分の足りないところを埋めてくれるような気持ちになったの。今彼の周りにいる女の子は、みんな彼と話して虜になった子たち」


 人との接触、つながりを必要最低限にしか保ってこなかった晶は気づかなかった。あの取り巻きにそんなバックボーンがあったなんて。

 そして、少しだけ胸が痛む。自分にも同じ経験があったから。彼と話して、問題を解決して、自分を肯定された。じんわり温かい、言葉の魔法にかかったのだ。決して複雑な言い回しが効果的とは限らない。あの子供っぽい直接的な言葉が、晶の心の傷に暖かく覆いかぶさった。

 言葉をつまらせた晶をみて、慎沢はクラスでしているような淡い笑みではなく、唇の両端をはっきりと釣り上げて笑った。

 それは同志をみつけたときのようであり、嘲笑するようでもあった。


「それに彼は、困っている人を見逃さない。どうやってるのか知らないけど、助けが欲しいとき必ずそばにいて、手を差し伸べてくれる。知ってる? 男子の取り巻きだっているんだよ? 女の子の勢いが強すぎて、端に追いやられてるけど」


 きっと彼は、能力を使っているのだ。困っている思考を読み取って、助けに行く。かつて晶がやろうとして、できなかった生き方。

 頭のなかが混ざりあう。現在と未来も、すべてが。

 言いたいことがあるならはやく言って終わってほしい。クラスメイトの寿命なんて知りたくもないし、だからといって未来の一端を何度も繰り返しでみるのも嫌だ。

 感情の整理が追いつかなくなりつつあった。自分勝手にならないよう、目をつぶって浅く息を吐く。まぶたを上げると、変わらず超至近距離に慎沢の顔があった。大人びた雰囲気を持つ少女。今まで会ったどんな女の子よりも、彼女は美しい。

 心を読んで、自分の周りの人間がこうなっているのを知っているはずなのに。鏡はなにがしたいんだろう。ハーレムでも作り上げるつもりなのだろうか。

 胸に刺さった棘が大きくなり、それに押し出されるように口から言葉が出た。


「私に、どうしろっていうの……?」

「氷上さんはさ、鏡くんのこと、好き?」


 直接的な質問に、足元がぐらついたような気がした。精神を強く持たないと、能力で自分を見失ってしまう。

 短い間に一六歳から六〇歳までの一六〇六〇日分のビジョンを送り込まれてくらくらし始めた頭をどうにかしたかった。終わらせるなら未来視をつかって相手の行動を操ればいいだけだが、それをするのは最低だ。彼女はきっと、いろんなものをかなぐり捨ててここにいる。だから晶もノーガードで応える。


「聞いたところでなんだって言うの? 未来は変わらないよ」


 思った以上に挑発的な言動になったけれど、どうしてそんなことを言ったのか自分でも理解できない。もう感情を整理するのに疲れつつある。

 晶は慎沢が怒るかと思ったが、彼女は意外にも満足したように数歩後ずさって、体を離した。


「彼のこと、好きなんだ」

「どうしてそうな……」

「私は鏡くんのことが好き。転校してきてまだ日は浅いけど、どうしようもないくらい好き」


 晶の発言を遮った慎沢は、髪をふわっと手ぐしでなびかせる。


「ライバルには、宣戦布告したくなるもんでしょ」

「意味わかんない。別に好きでもなんでもないし」

 すると慎沢は、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「そっけないね。構われてるうちが華じゃないの? 彼を狙ってる人は沢山いるよ。気づいたときには彼の興味が他の人に移ってたりして」


 まるでこちらが悪いと言いたげだ。頭の中はごちゃごちゃしていたけど、自分がイライラしはじめたのはわかった。


「どうしてわたしにそんなことを言うの? 鏡くんを狙っている人は沢山いるんでしょ?」

「鈍感なの? それとも気づかないふりをしているだけ? そんなの言わなくてもわかると思うんだけど」


 自然と眉根が寄る。珍しく感情を表した晶をみて、酷薄な笑みを浮かべた。


「へぇ、そんな顔するんだ。氷上さん」

「……っ! なにが……くッ!」


 反論しようとしたとき、頭をかき混ぜていた未来視が終了する。頭の中に真っ暗な領域が生まれ、その衝撃に晶は弾けるように顔をそらした。


「……? どうしたの」

「なんでもない……」


 怪訝な声で尋ねてきた慎沢に、荒い息を吐きながら晶は応じる。よろめいた体を洗面台を掴んで安定させると、蛇口をひねって水を出した。

 その様子に心配になったのだろう、慎沢が声をかけてくる。


「ねぇ……本当に――」

「なんでもないって言ってるでしょ! 用がないなら一人にさせて!」


 感情のまま大声を出すと、慎沢は「なんなのよ、もう……」と呟いてトイレから出ていく。

 それを横目で確認すると、晶はふらつく体を両腕で支えながら、か細い声を喉から発した。


 ――やっぱり、死をみるのは辛いな。


 眼の前が滲んだ。こんなことなら、逃げればよかった。鏡からも、慎沢からも。なにもかもから。

 この能力に一番振り回されているのは晶だ。一定の流れに沿って進む時間の中で、自分だけが仲間外れでいる。だからいるだけで周りに不幸を撒き散らす。そしてそれに、読心能力をもつ鏡も影響を受けてしまう。

 生きている限り付き合い続けなければならない不治の病。それが超能力だ。

 トイレの外を誰かが走る音が聞こえた。その足音は女子トイレのドアの前で止まり、次に蝶番と木が軋む音が響いた。振り向くと、ちょうど焦ったような表情の鏡の顔がみえた。


「氷上……氷上さんっ!?」


 女子トイレのドアを開けて中を覗き込んだ鏡英人は、晶の姿を確認すると、ドアを大きく開けて中に踏み込む。

 彼は晶の肩を掴むと、自分の背中にもたれさせる。細身ながらもがっちりとした体格に支えられて、いくらか立っているのが楽になる。


「来ないから心配で……大丈夫!?」

「女子トイレのなかにまで来ないでよ……」


 ちょっとキモいと言いかけて、やめた。そんなのわかりきっている。イケメン無罪だといいのだけれど。

 晶はわざと考えた。彼はなぜ、自分に関わってきたのだろう? 未来視能力が欲しいから? 能力者仲間が欲しいから? わからない。未来をみても、感情を知ることはできない。彼が無尽蔵に交友関係を広げている理由だって不明だ。


「氷上さん……おれ……おれ……っ!」


 なんでこんなに泣きそうな声を出すのかも。


「ごめん鏡くん。きっと辛いこと、考えさせたと思う」

「そんなことどうでもいいよ……!」


 鏡は腕に力を込めた。


「みつけるのに時間がかかってごめん。全部おれのせいだ……!」


 顔に悲しみを刻みながら、彼は言う。


「氷上さんが言いたくないことだって、わかっちゃうんだ。最低だ」


 きっと声と同じで、瞳も泣きそうになっているんだろうか? わからない。あの優しげで、どこか複雑な瞳が単純な感情に支配されているさまを、みてみたくはあるが。


「しょうがないでしょ? それが鏡くんの能力なんだから」

「いや、おれはうそをついた。本当は――」


 言いかけた言葉を飲み込んで、彼はうつむいた。晶の肩に顎が触れる感触が合あったから、間違いない。

 代わりに鏡は、別の言葉をつぶやく。


「おれの言葉なんて、信用するに値しないのかもしれない。でも、おれは絶対、氷上さんの信頼を勝ち取ってみせるよ」


 わからない、なぜこんなに執着されるのか。晶は絶対に他人のために能力を使わない。未来を変えるのは自分のためだ。それはわかっているだろうに、なぜそこまでして。

 そう思っていると、後ろから知らない人の声が聞こえた。ぎこちなく頭を動かすと、開け放たれてそのままだったドアと、怪訝な表情でこちらをみている女子生徒の姿があった。

 そういえば鏡の行動は結構問題視されるものだ。

 心配そうに声をかけてきた生徒に、鏡はさっきとは打って変わった、少しだけ明るい、でも焦ったトーンの声を出す。


「ちょっと……気分が悪いみたいで……っ!」


 同じ方向を向いているせいで、よく表情がみえないが、きっと人受けのいい笑顔を浮かべているのだろう。そこに焦りのスパイスでも効かせれば、きっと完璧な笑顔になる。そして、彼が悪印象を持たれていないのは女子生徒の反応からわかった。

「え……そうなんですか」

「これから連れて行くとこなんだ……氷上さん、いける?」


 顔を向けるが、決して目を合わせない彼の気遣いに感謝しつつ、晶はこくりと頷く。

 この程度でふらつくなんて、何年未来視能力者をやっているつもりなのだろうか。晶は自嘲しながら蛇口を締め、あるき出そうとした。でも、鏡は晶の肩を抱き、つぎに左腕で両足をすくう。

 鏡は晶をお姫様のように抱え上げると、細い体に似合わない安定感ですたすたと進みだした。

 さすがにそこまでしてもらう必要はないと言おうとしたら、それを遮るように鏡が言う。


「気分が悪いのなら、目を閉じてじっとしていて」


 確かに言われたとおり気持ち悪いし、頭は鉛を入れられたみたいに重い。色々考えることすら億劫になった晶は、ゆっくりと目をつぶって頭を鏡の胸に当てる。

 鏡は晶の霞む視界のなかで、悲しげに微笑んでいた。

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