涙色の未来
晶は待ち合わせに指定された広場にある時計で時刻を確認してから、まず自分の服装を周りと比べる。
「いざ来てみると、結構気にしちゃうな……」
デニムのショートパンツに白いTシャツ、上着には薄手のカーディガン。迷いに迷った末のシンプルイズベスト。
自信があるわけではないが、広場のなかを行き交う人達は、自分と違ってとてもファッショナブルにみえる。広場を出て少し進めば大きなショッピングモールがあるから、そこのお店の紙袋を下げている人も見かける。
スカートくらい履いてきたらよかっただろうか? 今更ながら後悔しはじめたとき、耳に聞き慣れた声が飛び込んでくる。
「氷上さん。こんにちは」
声のする方に顔をやると、こちらにやってくる鏡の姿がみえた。パーカーの上にジャケットを着る定番ファッションも、彼がするとどこか特別な気がする。顔の良さに騙されているような気もするけれど。
「待たせちゃった?」
眉尻をさげて覗き込んでくる鏡に、そっと首を振る。そもそも未来をみていつ彼が現れるか知っていたのだから、待ちようがない。
「待ってない。それよりも、言われたとおりここからの未来はみてないからね」
ちょっと刺々しくなってしまっただろうか? 毅然とした言葉とは裏腹に、不安が心のなかに現れる。表情に出ないようにしていると、鏡はにっこり微笑む。
「うん。知ってるよ。ありがとう」
彼の柔らかい言葉に少しだけほっとすると、同時にずっと心に張り詰めていた緊張もほぐれていく。晶は思考が顔に出ないよう、ポケットのスマホをお守り代わりに握りしめた。
「それよりも、ここからどうするの? 私、なにも聞いてないし」
「うん。それも知ってる。今日は行きたいところがあって。ついてきてくれる?」
そういうなり、鏡はさり気なく晶の手を握って歩き出す。
晶はいきなりのことに目を大きくした。
「な……なに!?」
「お腹空いたでしょ? ご飯食べに行こう?」
一歩先にいる鏡に引きずられるように進む。プリントを拾ったときのようにその手は冷たくて、優しい力で手を繋がれている。意識せず安心感を覚えた晶は、はっとなって警戒心を抱き直す。
同じ歩調で歩いているのに、どこか引きずられているような気がしながらたどり着いた場所は、ショッピングモール内に最近できた人気のパンケーキチェーン店だった。
店には既に長蛇の列ができていて、二人は向かい合って最後尾に並ぶ。
「ちょっと強引すぎ!」
果たしてパンケーキはお昼ごはん足り得るのかとか並ぶ女性客が全員おしゃれすぎるとか、全てひっくるめて小声で怒りを露わにしながら、晶はつながっていた手を振りほどいた。すると鏡は不思議そうに首をかしげた。
「え? 氷上さんもここ来たがってたよね?」
「うぇえっ!?」
その何気ない一言に、晶はうろたえた。確かにここ行きたいなとか、なに頼もうかなとか夢想しながら勝手に友達と行く計画を立てていたのは事実だ。実行できるかは別にして。
どうしてそれを――と言いたくなったが、途中で合点する。彼が未来視能力者なのだとしたら、こちらに能力を使わないでと言ったことにも辻褄が合う。未来を自由に操ろうとする際、まず第一の障害となるのは自分自身あるいは未来を知っている人間だ。
非難の感情を込めながら鏡をみた。すると彼は困ったように笑う。まただ。受け流すような笑顔にすべてさばかれてしまう気がする。
「鏡くんのせいで昨日大変だったんだから」
放課後話をつけようとしたら待ち合わせ時間と場所を言っただけで帰ってしまうし、刺々しい視線と好奇の視線に当てられながら一人帰ったあとだって大変だった。
晶の能力は鏡越しにも効果を発揮する。それは鏡を使って自分と目を合わせた場合にも効果があるということだ。
それで当日の鏡の反応や、なにをするのかを探ろうとした。でも、未来のなかで出会った鏡は開口一番こう言ったのだ。
『氷上さん。お願いだよ、この未来をみないでほしい』
いくら不安でも、最低なことをしていると気付かされた。だから未来視を使うのをやめたのに、まさかの展開だった。いや、可能性にはとっくの昔にたどり着いていて、知らん顔をしていただけか。
こんな恥ずかしい思いをするくらいなら、無視して未来をみればよかった。みるだけならなにも変わらないのだから。こちらが手玉にとるぐらいの気概をみせなければならなかったのだ。
鏡くんと関わると、恥ずかしいことばっかり起きる。そんな理不尽な怒りを打ち消すために、カーディガンのポケットからスマホを取り出す。液晶画面にウェブサイト等を表示していれば、自分の目をみることはない。瞳が認識できなければ、この能力は使えない。
本当にいい時代になったと思う。昔は何気なくものをみるということすらできなかった。できるとすればぼーっと空を眺めるだけだ。
でもいまはこうやってスマホさえあれば普通の女子高生に擬態できる。どこみてるか分からなくてキモいとかも言われない。
液晶にうつる不機嫌そうな口元をかき消すように電源を入れた。パンケーキ屋を検索し、どんなメニューがあるかを調べていたら、鏡が戸惑ったような声色で話しかけてきた。
「えっと……怒ってる?」
「……別に」
「それ絶対怒ってるやつ!」
たしかに腹いせではないと言ったら嘘になる。でも晶のなかではこの行動は自分を平常化するための儀式に近い。おろおろする鏡を尻目にメニューを眺める。
そうしていると、いつまでたっても申し訳なさそうにする鏡のことが、ちょっと気になってくる。
未来をみているのなら、こうなることはわかっていたはずだ。これ含めて演技だと考えると、彼には役者の才能がある。
晶は顔を上げて、不安そうな表情をしている鏡の眉間をみた。
「泉くんさ」
「は……はいっ!」
キャラが変わっている気がする。ゆっくりと動く列に従いながら、晶は言葉を続けようとした。
でも、途中で口を閉じた。きっと自分が言いかけてやめるのも、鏡の計画の中に入っている。彼がなにをしようとしているのかはわからないけれど、計画している以上、それに乗ってやればいい。それが自分にできるたった一つのことだ。望む未来を得ようと動く者への誠意だ。
「ひ……氷上さん?」
「たぶん私のことわかってると思うから、言わない」
「それは……そうだけど……」
まだ彼への警戒が解けたわけではないけれど、なにか考えがあるとわかっているだけで安心できる。自
分で未来を変えたときとは違う、絶対的な安心感が晶の心を包む。
「あのさ……氷上さん、誤解なんだ」
列の流れに身を任せていると、鏡はおずおずと口を開いた。
いくら未来が決まってるとはいえ、不思議に思う気持ちを止めることはできなかった晶は、疑問を口にする。
「どうしたの?」
「あのさ……おれ、実は……」
すると、なにかを言いかけていた鏡の口が歪み、痛みに耐えるように頭に手を置いた。その次に、彼は正面から左に顔を向ける。その表情はいつになく真剣だ。
晶は未来を見ようかとも思ったが、とりあえず言葉で聞くことにする。
「もしかして調子悪い? 並ぶのやめてどっかに座る?」
すると鏡は、左手を顔の横に掲げてものを押しとどめるようなポーズを取る。頭がズキズキ痛むのだろうか、どんどん険しい顔になっていく。
心配なので瞳をみようとした瞬間、鏡は列を抜け出して走り出した。
「氷上さんは先にお店入ってて! ちょっと用事思い出した!」
「え……ちょっ! 鏡くん!?」
後ろ姿に手を伸ばすが、彼は風の子みたいに駆け出してしまって、あっという間に遠くなる。
どういう意図があってこの行動をとるのか、晶にはわからなかった。でも、走り出す際の彼の顔はどうみても演技にはみえなくて、
「……ああもう! 待ってよ!」
感情には逆らえず、氷上も走り出す。
走る鏡を追いかけるが、フィジカルで女子が男子に勝つのは難しい。明らかに本気走りなのも相まって、すぐに見失ってしまう。
晶はモールの案内板に手をついて、肩で息をしながら悪態をついた。
「早すぎ……っていうか危ないし! 迷惑! もうちょっとゆっくり走ってよ……!」
しょうがないので晶は案内板に備え付けられたフロアガイドを手に取り、カーディガンのポケットからスマホを取り出す。
こんなことでと言われるかもしれないが、どうしても心配だ。
「ごめん鏡くん。約束破る」
右手にフロアガイド、左手に画面の電源を落としたスマホを持ち、深呼吸する。
心を落ち着かせた晶は、黒い液晶を覗き込んだ。
*
「ここにいたんだ」
自分でも機嫌が悪いのがわかった。できるだけ語調が乱れないように気をつけながら、晶は二階にある本屋前の通路にしゃがみこんでいる鏡に向かって話しかける。
すると彼は晶の声を聞いて、気まずそうに顔をあげた。
「氷上さん……どうやってここに?」
「どうやってって、おんなじ施設の中なんだから。それに……」
フロアガイドとスマホをみせると、鏡は合点したのか頷く。
「結構マジで走ったんだけど、見つかっちゃったね」
「次はちゃんと理由を言ってから走って」
晶も同じようにしゃがみこんだ。そして、眼の前にいる『男の子』に話しかける。
「きみ、お母さんは? はぐれちゃったのかな?」
鏡が走り出した理由は泣いている子供を助けるためだった。
ほっぺたを真っ赤にしながら涙を流している五歳くらいの幼児に向かって、できるだけ優しく声を心がけた。
小さな男の子は、見知らぬ少女に向かってこくりと頷く。晶は微笑んでで、男の子の頭をなでた。それで少しは安心したのか、男の子のしゃくりあげる頻度が減る。
「そっかそっか」
言いながら考える。普通なら迷子センターに連れて行くのが正解だろう。そう思いながら鏡に顔を向けると、彼は意図を察したのか口を開く。でも、次に出てきたのは予想を大きく裏切る言葉だった。
「あのさ、探そうと思うんだ。この子の親」
普通は施設内のサービスを利用して効率的に人探しをこなすべきではないのか? そう思いながら視線をやると、彼は追求をそらすように頬をかいた。
「いやだってさ……ここに効率化の化身みたいな人がいるんだし」
険しくなる視線から逃げるように首を回す鏡の声色には、真剣さはあるが罪悪感はない。数秒彼を睨んだ後、表情をほぐれさせてから顔を男の子の方に戻した。
そして、内心ため息をついた。
「わかった。――でもさ、鏡くんだったら自力で探せない?」
自分と同じ未来視を持っているのだから、こっちに意味ありげな視線を送らずともいいような気がする。
「あー……それについてなんだけどさ、とりあえずお願いできない?」
もしかしたら複雑な制限がある能力なのかもしれない。一人納得した晶は「ちょっと待っててね」と男の子に言ってから立ち上がる。そして、同じように動いた鏡と目を合わせた。
でもいざ能力を使おうとすると、鏡は視線をあっちこっちに飛ばしてしまって、なかなか力を発動できない。
「ちょっと……見辛いかも」
「ごめん……やっぱり意識すると緊張してきちゃって」
気持ちはわかるが、必要なことだ。しびれを切らした晶は鏡の頬を両手で挟む。鏡の体がこわばるのが手のひらから伝わってきたが、お構いなしに顔を近づけて瞳の中を覗き込む。
そして次の瞬間、頭の中に流れ込んでくる未来のビジョンを晶はコントロールする。脳内映像のスピードを落とし、一つ一つを確認していく。適度に自分の瞬きで読み取る時間を切り替え、いつどこでどうやって行動を変えれば目的にたどり着けるかをシミュレーションした。
しばらくして、必要な未来を見終えた晶は鏡を開放する。
顔が離れた途端に、鏡は大きく深呼吸した。
「なんかごめん」
「えっ!? いやこれは別に体臭とかそういうわけではなくて!」
わかっているとは言え実際されると謝りたくなる。未来視で相手の感情まで知ることはできない。
鏡が後ろを向いて息を整えている間、晶は腕時計で時間を確認した。
「オッケーおちついた」
手で顔を仰ぎながら振り向いた鏡に近づき、小声で未来を伝える。
「いまから五分後に、一階のおもちゃ売り場に不安そうに周りを見回してる若い女の人がいるから、その人が母親。子供服と靴の袋を手に持ってる。すぐにわかると思う」
「ダッシュ?」
晶は首を振る。女性はそこで四分間子供を探すから、ゆっくり歩いても間に合う。うずうずしている鏡を半目でみると、彼は小動物のように肩をしょんぼりさせた。
「この子をそこまで連れて行こうと思う」
「おれ泣き止ませられるかな」
その点は心配ないと思いたい。一応どれが一番効果的かは確認済みだ。晶は二人のやり取りをぽかんと眺めていた男の子に向き直り、視線を合わせた。
相手が安心できるよう微笑み、小さな肩に手を置く。
「いまからきみのお母さんを探そうと思うんだけど、手伝ってくれるかな?」
言いながら晶は男の子の頬にできた涙の筋を拭う。泣き疲れて腫れた目をしょぼしょぼさせていた男の子は、晶の提案にゆっくり顔を上げる。
「おかあさん。さがせる?」
「うん。一緒に探そ?」
頷いた男の子に笑いかけてから、晶は鏡の方を向く。
「じゃあ、あのお兄ちゃんに肩車してもらおっか? 上からのほうが探しやすいし」
鏡に目配せすると、彼はそっと頷いて姿勢を低くした。
「大丈夫だよ」
男の子に向かって、鏡は柔らかく微笑む。その姿に、晶は安心を覚えた。なんというか、彼の笑顔は心にすっと入ってくる。心のなかにある辛い部分を鎮めてくれる。昨日も思ったが、これが彼の才能なのだろう。
男の子は鏡の肩にまたがると、表情を少しだけ笑顔にした。
「よし! じゃあお母さんを探しに行こう!」
絶対に普段しないような明るい調子を装いながら、鏡はえいえいおーのポーズをとる。それに男の子もぎこちなく続く。
イメージとかけ離れた鏡の様子を眺めていると、彼は意味ありげな表情を向けてきた。
なにをしてほしいのかはわかる。晶は呆れたように鼻から小さく息を吐き、内心少しウキウキしながら小さく拳を突き上げた。
「おー」
そして、行き先を知っている晶を先頭にあるき出す。目的地まで距離は近いし、それほど時間はかからない。程なくして男の子の悲しみは癒えるだろう。
エスカレーターに乗って下の階に降りている最中、男の子の丸っこい声が聞こえてきた。
「ありがとう、おにいちゃんとおねえちゃん」
「どういたしまして。お母さんをみかけたら教えてね」
「知らせるときはこのお兄ちゃんの髪の毛、引っ張ってあげてね」
「うん! わかった!」
「ちょっと氷上さん……って引っ張らないでね!?」
ささやかだけれど、和やかな時間が流れた。晶は一階に降りると、おもちゃ屋さんに向かって歩いた。
そして目的地の近くまで来ると、腕時計をみる。
あと二分ほどでおもちゃ屋の入口に母親が現れる。それを見計らって動けばいい。
もうすっかり明るくなった男の子をあやす鏡をみていると、未来を変えたことを少しだけ肯定できる気がする。
――鏡くんって、こんな楽しそうに笑うんだ。
未来がみえるわりには、みえていないことばかりだ。こんな暖かな気持ちになるなんて。この気持ちを過去の自分に伝えられないのが少し悲しいけれど。
二人を眺めていると、ふと何かに気づいたみたいに鏡がこちらをみた。
「氷上さん、楽しそうだね」
「えっ……!? そ……そんなことないって」
「そう? 見間違いかな? ちなみにおれは氷上さんと一緒にいられて楽しいよ」
「ふぇえっ!?」
いきなり出てきた口説き文句のようなセリフに、晶は目を白黒させた。鏡はきょろきょろと周りをみる男の子に合わせて体を動かしながら言う。
「怒って帰っちゃうかもって不安だったんだ。でも来てくれた。おれ、いますげぇ嬉しいんだ」
「あんなしんどそうにされたら誰だって心配する。そういえば列に並んでるとき、頭痛そうだったけど大丈夫なの?」
ちょうど晶の正面に体を向けた鏡は、困ったように眉尻を下げた。
「うん。まだちょっと痛むけど、これくらいなら平気」
「調子悪いなら言ってくれればいいのに」
教えてくれれば、もっとスマートに動くこともできたのに。そんな気持ちが言葉に現れていたのだろう。彼は少し焦った声を出す。
「ちゃんと説明する。――もうそろそろじゃない?」
鏡の言葉で、もう一度腕時計をみる。そして次に目的の人物を探すため首を動かした。
でも一番最初に気づいたのは、肩車されている男の子だった。
彼は今日一番の笑顔になったかと思うと、自分の母親がいる方向に鏡の髪の毛を引っ張った。
「あ! おかあさん!」
「あいったた……! ま……待って! 引っ張らないで! 抜けちゃうっ! 髪の毛抜けるっ!」
「おかーさーん!」
声が投げかけられた方向をみると、こちらに走ってくる女性がみえた。両手に子供服と靴の袋を持って窮屈そうにしている、間違いなくこの人だ。
鏡は男の子を肩から下ろし、母親に駆け寄る姿をじっと眺めていた。その横顔には、爽やかな笑みが浮かんでいる。
「無事に見つかってよかった」
「氷上さんのおかげだよ。ありがとう」
晶はそっと首を振る。
「別にわたしはいてもいなくても良かった。鏡くんだけでも見つけられたし、ちょっと時間を早めただけ」
「でも、その分だけ悲しみが減った」
鏡が顔をこちらに向ける。晶は目が合ってしまわないように、視線を下に落とした。
「あのふたりが流す涙が、その分だけ世界から消えた。それができたのは氷上さんのおかげだから」
確かにそうかもしれない。でももしかしたら自分が動いたせいで誰かが不幸になっているかもしれない。そう考えてしまう自分がいることに、晶は嫌になる。きっとどれだけの人を笑顔にしても、この心に刺さった棘は消えないのだろう。
「それに、ひとつだけわかったことがあるんだ」
「……なにが分かったの?」
「やっぱりおれにはきみが必要だ」
それを聞いた瞬間、晶は息をつまらせて、むせた。
「あれ? 未来で見て知ってたんじゃないの?」
「知るわけないでしょ! 必要最低限の未来しか見ない!」
全く未知の領域だ。晶は心を落ち着かせるためにわざとらしく明後日の方向をみて嘆息した。
「それいまここで言う?」
「うん。楽しそうにしてたから」
「もう最悪」
すると鏡は小さく吹き出す。普段はそんな笑い方していなかった気がして見てみたくなるが、意地で踏みとどまった。
更に彼は続けた。
「おれのそばに居てほしい」
鏡の意図が、晶にはみえなかった。純粋に必要性がないような気がしたのだ。未来を知りたいなら彼ならやりようはいくらでもある。人間的に惹かれる要素を晶がみせたわけでもない。
「鏡くんだって未来視を持ってるんでしょ? 色々おかしくない?」
結構雑な扱いもしたし、今でも警戒心の針を向けている。能力だけ利用するつもりならわからなくもないが、彼は自分と同じように未来を変えることができる。人一人が好き勝手するには十分に思えた。
尋ねると、なんでか鏡は頬をかいた。そして視線を数秒泳がせてから、おずおずと口を開いた。
「あーあの……それなんだけどさ……実はおれの能力、未来視じゃないんだ」
「……へっ?」
思ったよりあっさりと彼の口から飛び出た言葉は、晶の想像を遥かに超える衝撃的な事実をはらんでいた。
あ然とした表情で固まった晶に困ったような視線を向けながら、鏡は言う
「ずっと言おうと思ってたんだけど、言わないほうが都合が良かったから。氷上さんの近くにいたかったし」
「えっ……じゃあ鏡くんの能力って……」
晶は考えた。未来視能力者ではないのに、確定した未来を改変することができる能力。そんなもの存在するのか?
でも、晶は一つの可能性に思い至ってしまう。それは自分が考えうる中でもっとも可能性が高く思えて、かついちばん信じたくないものだった。
胸が一転してドキドキしはじめる。彼が未来視能力者ではないとするなら、自分の考えているとおりなら、今日一日の自分の言動は『イタすぎる』。晶は彼の言葉が嘘であってほしいなんてありえないことを考えながら、顔を上げた。
「ま……まさか……」
未来をみれば正解か不正解かなんて一瞬でわかる。でもいまはそれをしたくなかった。だけど、相手の顔を見ずに正解を知ろうなんて都合が良すぎる気がして、晶は鏡の眉間の辺りに視線をやる。
すると鏡は晶の思いを『知った』のか、そっと頷いた。正直叫んで逃げ出したい気持ちでいっぱいだったけれど、罰だと思って素直に受け入れる。
そして、運命のときがやってくる。鏡は少しためらったあと、申し訳なさそうに口を開いた。
「おれの能力は未来をみるものじゃなくて、ある程度の範囲の思考を読み取るものなんだ」
それを聞いた瞬間こみ上げてくる納得と、圧倒的な羞恥心。晶は、みるみるうちに自分の頭に血が登って、顔が赤くなっていくのがわかった。
「えっと、大丈夫……?」
その気遣いが、いまはとても苦しい。たまらず晶は手で顔を隠し、しゃがみこんだ。
「――っ! ――っ!!!」
「えちょっ! 氷上さん! 氷上さん!?」
もういっそ殺してほしい、それか死ぬまで放っておいてほしい気持ちだった。でも、こんな思考さえ筒抜けなのだと思うと余計恥ずかしくなってきて、無限ループに陥ってしまう。
「ひ……氷上さん! 大丈夫だから! 特になんとも思ってないし! 服似合ってるよ!」
鏡のフォローが更に傷をえぐった。服装選びの際に悩みに悩んで結局これになったことも、バレているのだ。
「あの、どうかなさったんですか?」
「おねーちゃん、だいじょうぶ? ないてる?」
お礼を言いに近づいてきた親子の、心配そうな声が聞こえてきた。
「え……あー……なんでもないです。はは……」
困り果てた鏡の声が、ショッピングモールの喧騒の中に虚しく響いた。