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26.不穏なイタズラ

(……あっ、やっちゃった〜)


心の中で希への愚痴を呟きながら作業してたので、忘れてた。

最初に理科室から準備室への扉を開いた際、由利恵が普段学校で出入りしている扉よりずっと、開閉するのに力を込めないでいいことに戸惑ったのだ。

…多分、経年劣化による寿命で、ドアクローザーがキチンと機能していなかったことが原因と思われる。

扉を開いたときの手応えの軽さと、扉自身の自重で急激に閉まろうとするだろう予感に、希を気にしていた由利恵が意識して、扉が閉まりきる最後まで、その取っ手に手を掛けさせていたのは、ほんの十数分前のことである。


……それを忘れていた。


引き摺られている途中の不安定な状態で立っていた人体模型に、空を切って戻ってきた扉が直撃し、間に上手く挟まって、扉が閉まり切るのをつっかえ棒のように防いだ。

鈍い音が幾つかと、その中には“破損”を連想させる嫌な音も混じってはいたものの、


『バッターーーン』


という深夜には間違っても耳にしたくない爆音一発と比較して、どちらがマシかと聞かれたところで、返答に詰まるところではある。


扉の勢いにドキッとしてから、数瞬。


違う意味で高鳴った胸の鼓動が落ち着きはじめた頃には、床に叩きつけられた人体模型から弾け飛んだパーツだけでなく、何処かが欠けたんだろう歪な破片を、視界に入る範囲で一つ二つ見つけてしまって、暗闇に慣れた目と、我に返ってしまったことに心底後悔した。



「ちょっ、すごいヤな音してたけど大丈夫?

ガラスとかの器具、割ったりした訳じゃ無いみたいだけど…?」


ガラララと遠慮無く廊下への引き戸を開けて中を覗き込んできたのは、この学校の校長が見回りに来たときに、そそくさと何処かへ逃げて行ってしまっていた、先程ぶりの男子生徒二人だ。


「〜〜やぁ、さっきは悪かったな!

あの後、校長室までアリバイ作りに行ってみたんだけどさ。今度は校長先生の方がなかなか帰ってこねーの!

代わりに俺たちの知らない人がいてさ?

多分同年代の男だと思うんだけど、俺もこいつも全然覚えの無い顔だったから、君らのお仲間?

そのまま先生が帰ってくるの待とうかとも思ったんだけど、話振っても相手何も喋んないもんだから、会話が続かないんだよ!

空気重いし居心地悪いしで、も一回見回りしてくるって言って出てきちゃったんだ?

…そっちはまだかかりそうだね?

……そういえば、もう一人の子はどうしたの??」

「…あぁ、うん。その男の人は、希が付き添い頼んだ学校の先輩。…多分?

希は…、つまんなくなっちゃったみたいで、勝手にどっか行っちゃったよ…」


懐中電灯の光に酷く安心して、その眩しさに目を細めながらも二人のところへ近寄る。

途中、上靴へ床に散らばった人体模型のパーツらしきものが当たったが、拾い上げたりはせず、足で横に避けておいた。

もう一人の男子生徒が、小さいボトルのような容器を振りながら、明るく声を掛けてきた。


「それは大変だったね!

折角また会ったことだし、一人じゃ大変だろうから、俺たちも少しは手伝ってあげるよ。…片付けとか、さ?

それよりも喉乾いてない??

何か声掠れてる…、貰い物で悪いけど、よかったら飲む?」


そう言って手渡されたのは、何処にでもある、普通のペットボトル。…但しラベルは貼られていなかった。

近くで懐中電灯が点灯しているとはいえ、中身が何かまではわからない。

容器の形状からするとお茶の可能性が高いし、目を凝らして見た中の液体にも、薄っすらと色がついているように見える。

モノが何かわからないため、飲むか迷った由利恵だったが、『貰い物』と言っていたところをみると、学校部外者の夜間監視、なんて面倒ごとを頼まれたくらいなのだから、飲み物の一本くらい渡されていても不思議じゃ無い。

むしろ報酬としては少な過ぎるくらいだ。

……それに、教師から頼み事をされるってことは、少なくとも普段の学校生活において、模範的な生徒だという証なのだから。

実は…、という猫かぶりは何処にでもいるけど、今回に限って言うなら、最終的に校長先生が由利恵たち五人のことにも責任を持たないといけない。

だからそうそうおかしなことは出来ないだろうと納得して、有り難く頂いたボトルのキャップに手を掛けた。……のだが、


カチッ


となる筈の音がしない。

未開封のペットボトルを開けるとき、キャップを回した瞬間に、カチッと音がするか、手に開封を知らせる振動が必ず伝わる。

目の前の男子生徒から貰ったボトルにはそれが無く、困惑した顔で見返しても、にこにこしながら微笑まれただけ。…無言のまま、数秒。

そんな二人に、もう一人も気になったのか視線を向けてくれば、一口も飲まないままでいることは、出来なくなってしまった。


……微笑みが『飲め!』という圧力に見えてくる。


「…あ、あの」

「ん?」

「その…、コレ、キャップ開いてた、んだけど……」

「・・・えっ、え、あ?ああっ!ごめん!!

飲もうと思ってキャップ捻ったときに大きな音聞こえてこっち来たから、開けてたことすっかり忘れてた!液漏れとかして濡れたりしなかった?」

「えっ、ううんそれは無い。ちゃんと閉まってたよ」

「そっか。良かった〜!

俺は飲んで無いけど、開いてたの気になるようだったら返してくれればいいよ。気持ち悪いもんな?」

「…んーん?そういう理由だったら大丈夫。

埃舞う中で作業してたから、ちょっと喉の調子もおかしかったの。でも飲み物とかは置いてきちゃったから…。ありがとう、貰うね?」

「ラベル、剥がしちゃってたのも悪かったな?

今って紙だのプラだの、分別分別うるさいだろ?

手っ取り早くプラゴミんとこ放り込んできたんだよ!でも確かに、ラベル無いと中身わかんなくて不安になるよな?」


んふ。


鼻を鳴らし、態とらしく肩をすくめてみせた、男子生徒のおちゃらけた仕草が、少しだけ緊張を孕んだ空気を物の見事に和らげた。

彼が言ったように、封を切っただけで、誰も口をつけていないだろうことは、ボトルの内容量が未開封品と比べて変わりなく見えることからも伺える。

不安でついボトルを握り締めてしまっていた手の力を、彼らには気付かれないよう抜いていき、今度こそキャップを回し切って、その飲み口に口をつけた。


(…!?)


舌に液体が触れた瞬間の違和感を無視して、ボトルの中身を口内へ流し込むと、既に生温くなりきっていた水が、ほんの少しの粘り気を帯びて粘膜を包み込む。


………味蕾(みらい)が捉えた『味』を由利恵が認識したのは、ちょうど喉が一口目をコクリと飲みくだす直前で、舌根を押し上げ、滑り落ちていく液体を口内へ押し戻そうと試みるも、一口の半分は間に合わず、気管へ入り込ませないためには、もう飲み込むしか方法は無かった。


飲み込んでしまった分だけ減った液体を含んだまま飲み口から口を離し、すぐ側のシンクへ中身を吐き出す。

呼吸を再開してしまったことで嫌な臭いが鼻を抜けていき、ますます水の『味』をしっかりと味わう羽目になってしまって、込み上げてくる吐き気を堪えながらも、自らの判断ミスを心底後悔した。


多少嘔吐(えず)きながらも、粘り気濃く湧き出してくる唾液で口内を拭いながら、何度も唾を吐き捨てる。

手探りで探し出した蛇口を思い切り捻って出てきた水が、陶器に跳ね返って服を濡らしていることにまで気を回す余裕は無く、ただひたすらに片手で勢い付いた流水を掬っては、未だ味覚を突き刺してくる『味』の残滓を刮ぎ取ることに全力を尽くした。


ジャバジャバと鳴る水音は途切れず、吐き出しては新しい水で口内を洗い流す行程を繰り返すこと、十数回。

嗅覚の捉える臭いが、シンクの下から上がってくる薬品臭になってやっと、由利恵は一連の動作を緩慢な動きで終わらせた。


由利恵が一人でバタバタと慌てている間、元凶の男子生徒は声をかけるでも無く、元いた場所に佇んだままだ。

暗さのせいでたった数歩の距離にいる彼らの表情を見ることは叶わなかったが、由利恵の尋常で無い様子を見ても動かずにいる彼らから伝わってくる雰囲気に、心配の色があるようには思えない。

希で多少の理不尽に慣れているとはいえ、こんな悪意満載の所業に黙っていることは出来ず、文句の一つくらい言ってやろうと乱暴に足を踏み出したら、


ちゃんぷん


とすぐ側で小さく水音が鳴った。

……蓋が開けられたままで、由利恵に握り締められているペットボトルからの音だ。

肝心のキャップは、…と言うと。

……蛇口を回して流水を掬っていた手の中に、あった。

その内側は、あの気持ちの悪い液体が触れていた場所で、由利恵の行動からとっくに洗い流されてしまった後ではあったが、ソレを持っていること自体が嫌で、容赦無く床に叩きつけてしまう。

プラスチック製の小さなキャップは、


カカン


と軽い音を立てて、何処かへ跳ねていってしまった。


腹立たしさは収まらなくても、汚水を投げ捨てるまでにはいかなくて、二つのシルエットを睨みつけながら、まだ満杯に近いペットボトルをシンクの上でひっくり返す。

排水管へ流れていくボコボコという水音が、しばらくの間唯一の音として奏でられていた。



ケホッ


…未だ僅かに残る後味の悪さに咳き込みながら、まだ纏わりついている気がしてならない臭いを、濡れた手の甲で鼻を拭うことで取り除く。

胸底に溜まった鬱憤が爆発しないよう、努めて深く息を吐き出しながらも、こんな仕打ちを行った二人の男を、由利恵はキツく睨み付けた。

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