13.ソレは心強いこと
「失礼しました」
緊張した面持ちで、頭を下げて校長室から出て行った山南穂花の後ろ姿を、何とはなしに見送る。
一先ず体育館の怪談『検証』が終わったとかで、鍵の返却に訪れていた。
少し疲れたような顔を見せていたが、外は暗いし一人だしで、心細くなるのは仕方ないから、その様子は妥当だろうと思う。
『…どうでした?何か気になることはありましたか?』
などという、校長先生からの意地悪な問い掛けには、
『いえ…、何も、無かった、です。でも、人がいて驚きました』
と返してきた。
彼女の言葉に片眉を跳ね上げた校長に弁解するように、
『いや、こっそり練習してた生徒だと思うんですけど。
私が来たのに気付いて逃げちゃって。長い髪の毛を括ってなかったから女の子だと思います。バスケの、シュート練習かな?真っ暗な中でよくシュートが決まるなあと。私も音が聞こえてきてびっくりしてたら、いつのまにかいなくなってました!』
他に変なことは無かったです。放り出されたボールだけ、倉庫に戻しておきました。
両手を前に出して振りながら、早口で捲したてているのを見て、かなり慌てたんだろうな?とは思った。
後は。
もう一つの担当場所。トイレについて?
今まで何か変な事件が起きなかったかどうかを、遠慮しつつもこしょこしょもじもじ聞いていたけど、呆れたと言わんばかりの溜め息と、
『怪談などという噂を間に受けてやってくる人がいるという事実が、一番とてもおかしな事件ですよ……』
との返答に黙り込んでしまった。
……実に気まずそうだった。
『……何か言い忘れたことがあるなら追い掛けますけど?』
そんな空気に耐えられなくなったのか、視線を彷徨わせながらもそそくさと退散していった彼女が消えたところを見つめたまま、しかめ面を崩さない校長先生を疑問に思って声を掛けると、
『……………いいえ。少しだけ、疑問に思ったことがあったので』
『?』
『…数年前に老朽化した体育館を建て替えたのですが、同時に新設されたテニスコートが好評で、ソフトテニス部に女子生徒が殺到しましてね。
試合できるだけの部員が集まらなくて、女子バスケ部は廃部になったのですよ。
……一体誰が練習などしていたのでしょう?』
そう、心底不思議そうに呟く。
聞けば、そのとき在籍していた生徒たちは、全員が既に卒業してるそう。
……つまり、態々こっそり隠れて練習する程、バスケ部に思い入れのある生徒はいない筈なのだ。
正直…、喉もとにつかえるような気持ち悪さが沸いてきて、聞かなければ良かったと後悔した。
***
荒垣希が連れてきた先輩は頼りになさそうだし、校長先生からは迷惑そうな顔をされるしで、散々。
体育館に無断で生徒が侵入していたことを話しても、怪訝な顔をされただけで、直ぐに動いてくれる様子は全くなかった。
誰だか知らないけど、次に行かないといけない野外トイレのことで怖い話を聞いてしまったから、無理だろうなと思いつつ、せめて先輩が付いてきてくれたらいいのにと窺い見ても、我関せずといった様子で気にもしてくれない。
借りて持ち込んだのか、校長室には不釣り合いな学校机が置かれた隅に座って紙に何か書いていたが、その一番上に『怪談検証に於ける報告』の文字が読めてしまって、急いで目を逸らした。
肝心のトイレで起こったらしい事件のことは答えてもらえず、それどころか嫌みを言われて逃げてしまった。
………校長なんて役職に就いてたところで、面倒ごとを嫌う大人は、問題をなあなあで片付けたがる。
どうせ、『そのような事実は確認出来ませんでした』ってことになってる気がする。
……大人なんて信用出来ない。
………教師なんて信用出来ない。
……………最低限のことだけ済ませて、だけど、最後の『階段』や『鏡』検証が出来る時間は作らないようにして、さっさと終わらせてしまおう。
そう思いながら、余計不気味に思えるトイレのところへ、重くなる足を叱咤して、スマホのライト頼りに近付いていった。
場所が場所だけに真っ暗で、古く打ちっ放しのコンクリが月明かりに浮かび上がって不気味なので、着いて即照明のスイッチを入れる。
女子男子両方の電気を点けたら、少し気分が落ち着いた。
直ぐ近くにある検証場所の一つ。『階段』に、校舎内を担当してる筈の三人の気配は無かった。
もうその場所を終わらせたのか、先に他の検証を優先したのかはわからないが、せめてお互いの検証時間が重なれば、こんなにも怖い思いをしなくていいのに、と詮無いことを考える。
気は進まないけど、こんなところに長くいるのはもっと嫌で、動悸をどうにか宥めながら、先ずは女子トイレの中を見てみることにした。
設備は古くても、その割に清掃はちゃんと行われている個室内を見て回る。
多少キツい臭いはしても、それ以外で気になるところはなかった。
流石に一人きりの状態で、扉を閉め鍵を掛ける勇気までは無くて、恐る恐る中を覗いては次に行くことを繰り返し、計三つの個室と掃除用具入れの確認を手早く済ませる。
体感時間は長かったけど、外に出てスマホの時間を見てみれば、ここに着いてからまだ十分も経過していない。
深く息を吐き出しながら、今まで入ったことの無い男子トイレに目をやって、更に大きな溜め息を吐いた。
「やっぱ此処にいた!やっほ、さっき振り?ちゃんと先生には私のこと内緒にしてくれた?」
調子は明るいが、突然声を掛けられて、穂花の肩が可哀想なほど大袈裟に跳ね上がる。
軽い足取りで現れたのは、ついさっき体育館で別れたこの学校の女子生徒。
膨らんだ有名メーカーのスポーツバッグを肩に掛け、上下灰色のジャージを身に纏っている。
昼にすれ違った何人かが着ていたものとは違うので、多分彼女の私服だろう。
髪は相変わらず下ろされたままだった。
「…ごめんごめん。ビックリさせちゃってごめんなさい。
さっきも一人っぽかったし、余計なこと教えちゃったしで悪かったな〜?って思って。こっちにも一人でいたら、作業してる間くらいは話し相手になってあげようと思って来たの。
こんなとこ女の子一人でいたら怖いからね〜」
「………さっき、の。……びっくりした〜〜」
「だからごめんって!いた方がいいでしょ?私」
「…うん。お願い!」
「おっけ〜〜」
名前も知らない子ではあるけど、一人じゃ無くなった安心感からか、体が急激に弛緩する。
穂花の作業を手伝う気は無いらしく、バッグを肩に掛けたまま近くに寄ってきて喋り始めた。
……遠慮がまるで無い。そして緩い。
それでも誰かがいることで、変な不安と心細さが綺麗さっぱり無くなったので、穂花にとっては非常に有り難かったのだ。
スマホのメモに女子トイレの結果を書いて写メも何枚か撮っていく。
あまりに普通で意味の無い報告書になりそうなので、画像をベタベタ貼り付けて誤魔化す予定である。
それが終わってしまって男子トイレに足を向けると、驚くような声が上がった。
「えっ!?女の子しかいないのにそっちもするの??」
「……だって検証場所は此処のトイレ全部だもん。やらなきゃ駄目でしょ?」
「えー?男子トイレなんか女子なの理由に無理でしたって言っとけばいいじゃん。『検証なんだから女子でも男子トイレに入るべきだ!』なんてこと言ってくるヤツいないでしょ?」
「………」
「えっ、いるの?マジで?
でもしないといけなくてしょうがなくしても、逆に変態とか、ビッチとか、しょーもないこと言い出す連中出てこない?」
「………あっ、その可能性もあるのか」
「そうそう!だからしないほうがいいって!
面白がっておかしな噂流されるほうが、後々のダメージデカいもん!
辞めときな?」
「……でも、一緒に来た子たちに何て言われるか。どうしよう…」
ただでさえ、茨木那和より後れを取ってることに苛立ってる希のことだ。
思い通りになってなければ八つ当たりがくる。
運が悪かったとはいえ、絶賛ターゲットにされている現状では、これ以上彼女の気分を損ねることはしたくないのだ。
……因みに?
茨木那和が学園へ提出した報告書には、
『他校、検証のためとはいえ、男子トイレに女子が一人で入って様々な作業を行うことは、倫理的によろしくないと校長先生より指摘を受けたので、トイレ検証は女子トイレに留めることとする』
という文言が記載されていることを彼女は知らない。
辞めときなよ。でも。だって。
そんな応酬を暫く二人でしていると、含み笑いを押し殺したような声が耳に届いた。
それは話をしていた相手にも聞こえていたようで、同時に顔を上げて声が聞こえたほうを向く。
言い合いに夢中で気付いてなかったけど、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた男子生徒が二人。学校指定のジャージ姿で近付いてきていた。
「へぇ?ホントに他校生が来てんのか。ウチは古くてボロいからくだんねー怪談とかたくさんあるけど、マジにとってるヤツがいるとか思わんかったな」
「やめてやれよ〜。本気で信じてるヤツに失礼だろ〜?って、じょーだんじょーだん!
そんなん堂々夜遊びするための口実に決まってんじゃん?なあ?
しかも女子だけでくるとか!都会人は色々溜まってっから遊びに来てんだよな?
じゃなきゃこんな田舎に来ないって!何かあっても一夜限りの過ちってな?
次に会うことなんてねーもんよ。顔合わせなきゃ気まずくもならねーだろ?
青春の1ページ。思い出づくりってか?
俺たちが協力してやるって!顔も可愛くて俺好み!
人数もちょうど二人ずつだし?お誂え向きに人が来なくて隠れてデキる場所あるし」
さっそくいこーぜ!
とか言いながら、馴れ馴れしく肩を抱いて、入るかどうか迷っていた男子トイレに入らせようとする。
引き摺られるようにして歩かせられながら隣を見ると、さっきまでの明るい表情とは打って変わって、途轍もなく不機嫌な顔の女子が、背中に流れる長い髪を梳いている男子生徒の手を思い切り叩き落とした。
「痛っ!何すんだよ!」
「それこっちのセリフ!私もあの子もアンタたちの相手なんかしないから!」
「ああ゛?そんなこと言っていいのかよ。こんな夜更けにコソコソしてるのチクられたら、大変なことになんのお前らだぜ?
夜の学校に不法侵入?いいのかよ、停学とかになるかもな?
俺たちと一緒に遊んでもらう代わりに黙っててやるって言ってんだよ!」
「はっ!そっちこそ何言ってんの?アンタたちにはくだらなくても、本気で幽霊とか怪異の研究してる人だっていんのよ?UFOとかその筆頭じゃん!
他校の人間がこんな時間にウロウロしてるのは、当然学校の許可が出てるからに決まってんでしょ?
そのために校長先生は責任者として学校に残ってるし、終われば報告して最後は点検しに回ってくんのよ?
手分けして回ってるから、こっちはココが最後なの!
責任者が時間かかり過ぎなのスルーしてくれるといいわね?問題起こったのかとか心配して様子見に来るかもよ?
そっちこそいいの?停学で済むといいわね?」
「なっっ!マジかよ!オイ!」
「チッ、女が何粋がってんだか?怪談の検証とか、頭おかしいんじゃねーの?
お前たちなんか誰も好き好んで相手しねーよ、ドブスども!」
さっきまでとは反対の暴言を吐きながら、二人してそそくさと退散していく。
心持ち周囲を気にしてるように見えるのは、校長先生による見回りを恐れているからだろう。
こんな時間に見つかれば、彼女の言ったようにまではならなくても、説教と生徒指導室行きは確実だ。
保護者に連絡入れられたら、それこそ目も当てられない。
悪態を吐きつつも素直に逃げていったのは、彼らもそのことを理解しているからだ。明らかに分が悪い。
立場的には彼女も彼らと同じ筈だが、両手を腰に当てて、フンと鼻を鳴らす様子は実に得意げである。
「ハッ、この程度で逃げるなら、最初からカッコつけんなってーの!」
「………あ、あの。ありがとう」
「いーのいーの!アイツらだって、自分が女子にモテないから態々こんな時間にこんなとこまでちょっかいかけに来てんのよ。アンタが気にする必要ナイナイ!
それよりも…、今のことは校長先生に言っといたほうがいいけど、私のことはホント内緒にしといてね?マジヤバい」
「……わかった。助けてくれたし絶対言わない。約束する!」
「ホント!?ありがとう!約束ね?」
「うん。約束!」
穂花より高い背を折り曲げて、顔の正面で拝むように懇願する様子に笑ってしまった。
身の危険を感じて強張っていた体の緊張が解れ、二人顔を見合わせて笑い出す。
彼女の体が揺れるたびに長い黒髪も一緒に揺れて、照明の光による鈍い逆光に映えて見えた。
「…ね?こんなこともあるからさ。男子トイレは辞めときなよ」
「そうする……。流石に今から中入る気にはならないよ」
「そーそー。さっきのこと話して怖かったって言ったら、文句なんか言われないって!」
「そうだね。そうする。ところでさ、バスケしてたときから思ってたんだけど、髪、括らないの?運動部って、みんな邪魔にならないように括ってたと思うんだけど……」
「……あーコレ?私の髪質って、ストレートでサラサラなのよね?
練習前は纏めてたんだけど、途中で無くなっちゃって。ホラ、照明点けずに練習してたから」
「落としたの見つけられなかった?細いゴム使ってたんじゃない?直毛でサラサラだと取れやすいよ?
なるべく太いゴム使うとマシになるかも……。そうだ!私今持ってるのあげるよ!助けて貰っちゃったし?こんなのでお礼にはならないと思うけど」
「えっ、いいの?ありがとう。有り難く貰っちゃう!
そっか〜太いの使えばいいんだ!
細いののほうが色んなことに使えるし、同じ値段でたくさん入ってるからよく買ってたんだけど、今度から太いのにする」
「学生っていつでも金欠だから仕方ないよ!はい、コレ」
「ありがとー!……………お〜ほんとだ。滑りにくい気がする〜〜」
「でしょ?」
穂花から手渡された髪ゴムで慣れたように髪を纏めたあと、何箇所か確かめるように触れたり引っ張ったりして感触を確かめ、ゴムが緩んで落ちてこないことを確認すると笑顔になった。
もっと早く知っとけば良かったと愚痴を言う女子に、自分はくせ毛だから羨ましいと漏らすと、面倒くさくて切ってなかっただけでお洒落で伸ばしてるんじゃないと返される。前はもっと長かったけど、長すぎて問題が起き始めたので最近になって切ったのだと。
「えっ!?今でも充分長いけど。前はもっと長かったの?どれくらい??」
聞けば嫌みもなく、普通に答えくれる言葉のキャッチボールが楽しくて、むくむく沸いてきた好奇心に押し勝てず、更に踏み込んで聞いてしまった。
……だって、友だち『グループ』内の会話は、いつも大体荒垣希のことが最優先で、他の子たちは聞き役に徹することが殆どだったから。
「髪の長さ?…う〜ん。くるぶしくらいまであったかなあ?」
「えっ!?くるぶし?ココ??」
精々腰や太腿くらいだと言われると思っていた穂花は、自分の足首と彼女の髪を交互に見ながら驚愕の視線を向ける。
「そ、そんなの見たことない!
漫画の中くらいじゃなかったの?それか昔、十二単とか来てた姫とか?
いいなぁ。長くてサラサラだったんでしょ?どうして切ったの?」
「何となく切らないうちに伸びちゃったの。
そしたら切るの惜しくなっちゃって。でも、その長さのときはすっごく大変だった。
枝毛はめちゃくちゃ出来るし、しかも二つ三つ裂けてる程度じゃなくて、ススキみたいに十とかそれ以上に裂けて箒みたいになってるの!
他にも気を付けてないとあちこち絡んで大変なことになるし?」
「……例えば?」
「自転車に乗るとき!
気付かないで漕ぎ出したら、後輪のチェーンに巻き込まれた髪に引っ張られて首が仰け反る!」
「ああ!それは大変!」
上を向いて『グェ』と呻く演技をした彼女と目を合わせ、また笑った。