プロローグ
「…ねぇ、この学校にも七不思議あるらしいよ。茨木さんは興味ない?」
「興味以前に建設されて十年程度の新設校には七不思議自体がないと思う」
「………」
今の状況は、こんな会話から始まった難癖からの嫌がらせである。
茨木那和の通う『誠新学園高等学校』は、まだ創立十年そこそこの新設校だ。
創立年度からの数年間は、学校理念に掲げられてもいる、略して“チャレンジ精神上等!どんとこい!!”みたいな、新しいことに挑戦しよう。やる気あるなら応援するよ?的な教育方針ほどには特筆する生徒が出るわけでもなく、学校名鑑の中に埋もれていた。
三年して、学園初の卒業生たちは、本人たちの知らないところでも様々な思惑による期待を背負わされて見送られた。
……で。
その卒業生たち。約二百名の進学先や就職先から、ポツポツ『才能』と云われるモノを開花させる人物が出てきたのだ。
学園に在学中、『…何?やりたいことあるの??いいよ。やってみな?後で途中経過含めてレポート提出よろしく!』なんて感じで、比較的軽く“挑戦”が出来たので、ノリのいい生徒から始まって、思ったより本格的に支援してくれるんだとわかった生徒が後追いで色々やりだした。
もちろん他の学校みたいに、勉強や成績に愚痴を言いながら部活で青春を謳歌する生徒たちの方が多かったし、ときたま喫煙が見つかって指導室送りになる生徒も出た。
それでも、支援を受けて学生なりの成果でも出せた生徒たちは、より積極的に物事に取り組むようになっていたので、卒業後、まずは周囲の様子を窺ってから行動する人が多い中でそそくさと準備を整え、他の人より一歩も二歩も早くやるべき事に着手していく。
元々の成績も手際も悪くなかった彼らは、結果として生まれた時間の余裕を違うことに費やすことが出来たのだ。
大学というところは、中学や高校と違って自分の選択が物を言う。
企業はもう少し複雑だが、人間関係も含めて上手く立ち回った人の中から、教授や主任といった上役の目に留まる人物の多くが、『誠新学園高等学校』の卒業生であった。
卒業生が輩出されるようになって、更に二年。
たった三年の内に、誠新学園高等学校の生徒は優秀であると囁かれるようになった。
……あくまで噂。入試を始めとした試験は平等に行われる。
進学、就職で有利になった訳ではないが、その噂によって、入学希望者がどんどん増えていったのだ。
茨木那和が入学した年は、私立の中でもかなりの倍率を誇る人気校になっていた。
茨木那和は、他より人間不信が強い以外は普通の女の子である。
その原因は家族関係にあり、それをあまり表には出していなかった。
何でも率先してテキパキ動くような積極性はないが、黙って自分の席で本を読んでいるような物静かさもない。
親しい友人もいて、時折鋭い意見が口を突いて出る。
そんなところが目をつけられたのかも知れない。
那和に突然『学校の七不思議』なる話題を振ってきたのは、学期始め、クラスの自己紹介どきに、
『両親と同じ外科医を目指しています』
と言った、先日の定期考査で、全教科平均学年三位には入っていたはずの女子であった。
名前は『荒垣 希』。
出席番号は前後で、今は違うが席も最初は前後ろだった。
因みに順位は予想である。
誠新学園高等学校では、試験において個人の順位を貼り出したりはしないが、生徒全員に配られる、十点ごとに人数が記された点数の棒グラフを見れば、大体の順位は予想可能なのだ。
荒垣希はその中で、トップのグループに属していた。
茨木那和もそうだったのかと問われれば、そうではない。
点数平均を見れば、棒グラフ三本目。平均よりは上でもそれなりの人数がそこに属している。
なら、那和の何が荒垣希の勘に触ったのか?
それは、那和が数Iで満点を取っていたことに起因する。
誠新学園高等学校では、二学期制を採用している。
三学期制と違って定期考査の回数は減るが、その分テスト範囲が広くなる。
だから、一教科といえども満点を取れる可能性は、一年生最初の中間考査。授業内容がまだ易しく、新入生特有の行事によって必然的に試験範囲が狭まるこのときが一番高い。
荒垣希は全ての教科において高成績を収めたが、どれも凡ミスなどが重なり満点は一つも無かった。
対して那和は、数Aは計算間違いで問いを落としていたものの、数Iを完璧に仕上げていたのだ。
百点の棒グラフが立っていたのは、数Iと生物だけ。
生物には三人と記されていたが、これに那和は入っていない。
数Iは那和一人。
答案用紙の見せ合いをした訳ではなく、数Iを担当する教師が、授業時間内にテストの間違った箇所を直させてノート提出させたことでバレただけであった。
平均点においてはかなり下に位置する那和が、トップ争いをする自分より良い点数を取っている科目がある。
このことが、たった一教科であったとしても、実際にその人物を近くで見たことによって、荒垣希のプライドをいたく傷つけたようなのだ。
荒垣希が向けてくる視線が鋭くなったことには気づいていたが、那和は素知らぬ振りで学校生活を過ごしていた。
荒垣希からも視線以外では何もなく、席替えしてからもその状態が続いていたのだ。
キッカケは、夏場によくする怪談話。
那和が委員会を終えて荷物を取りに来た教室には、荒垣希とそのグループの女の子たちの他には、数人の男女しか残っていなかった。
彼女たちの揶揄いに素っ気無い返事をして帰宅しようとした那和を、荒垣希が呼び止めた。
「そんなこと言わないでさ?面白そうじゃない??
増える階段とか、踊る人体模型とか、ひとりでに鳴るピアノとか?
確かめてみたくならない?」
「……階段はわからないけど、模型は魂が宿るって疑うほど古くないし、ピアノも逸話なんかないよ?新品だしね。あと二、三十年経ったら真実味が出てくるかも知れないけど、今の時点では無いわね」
好奇を滲ませた期待の眼差しには答えず、淡々と帰宅の準備を終えた那和がカバンを持って教室のドアを潜ろうとした、そのとき。
「…ノリ悪いなあ。ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃない。
ねえ…みんな?」
ねっとり纏わりつくような声音に振り返ると、済まなそうな顔で頷くクラスメイトに、荒垣希を筆頭にニヤニヤ見つめてくる集団。
逃げられなくなったことに内心舌打ちをした。
(このまま断って帰ったら、明日からイジメの標的だわ)
ないことないこと好き勝手に言われることを思ったら、適当に付き合って揶揄された方が被害が少ない。
既にこれもイジメっぽいけど、日は長いし、取り敢えず、倉庫にだけは閉じ込められないよう注意しよう。
そう、ひっそりと決意した。
『じゃあ茨木さんは増える階段の検証ね!
私たちは他のとこ回るから、明日みんなで成果を話し合おう。約束だからね?』
『………』
『……ああそうそう、階段の話。日付が変わる頃、って噂だから、頑張ってね?』
あははははは
もう溜め息しか出なかった。
心底楽しそうに笑いながら集団が出て行ったら、残っていた生徒たちも気まずそうに会釈しながら帰って行く。
……高校生にもなって、こんなあからさまな嫌がらせをされるとは思ってなかったけど、彼女たちはそういう意味で目立つ。どちらにしろ笑い者にされることは決定事項になったのだから、とことんやってやろうと踏ん切りがついた。
夜中…。
取り敢えずは学園の許可がいる。
即座に担任を探し出し、スマホに録音した音声を提出。
幸運なことに担任は素早く状況を理解して、自分が責任者となる許可を出してくれた。
……一応の体裁のために、くっっっだらなくなる予感しかしないレポートを書いて提出しろと。
別に相談に来た生徒の味方をした訳でなく、これに味をしめて同じことを起こさせないようにするためだそうだ。
ついでに被害者(仮)の名誉も守ってしまおう、ということらしい。
……流石『誠新学園高等学校』。
先生方もくせ者揃いである。
担任との話し合いが終わったのは、荒垣希たちと別れてから一時間以上が経っていた。
先生と話している途中に彼女たちと思わしき集団が、窓から見える校門へと歩いて行く姿を見て、やっぱり、と落胆に似た気持ちが湧き上がってきたが、それだけだ。
学園長に事の次第を報告して、深夜に校舎内へ立ち入る許可を正式に取ってくると、慌ただしく出て行ったが、本当にこんなくだらないことで許可が取れるのかと不安になった。保護者への説得と言うか、『学校特別検証講習』と無理矢理銘打った報告をするために、一度帰宅しなければならなかったので、担任がイタズラっぽく言ってきた、
『どうせなら証人でも確保しとけ。親だと呆れられそうだから、なるべく家族以外がいいが、いないなら仕方ないから『先生立会いのもとに』、でもすれば良いけど、多分贔屓と取られる可能性が高いぞ?』
との言葉に、今もそれなりの付き合いがある幼馴染みに連絡することにした。
高校生になったときに父から買い与えられたスマホから、今年念願の大学、しかも志望どおりの学部に入って学生生活を謳歌しているはずの幼馴染み、『香月 翔』の自宅に電話を掛けると、翔だけでなく、電話を取り次いでくれた翔の母親も、このくだらない理由に苦言を呈することも無く協力を約束してくれて、こちらが拍子抜けしてしまった。
『あの学園らしいな。そういうのは発覚した時点で潰しに走るのが特徴だぞ?
何度も起きれば醜聞になりかねないからだ。一年ならまだ無駄に粋がってる奴はいる。先生にバラしたのは正解だったな。後の面倒を考えたら、出鼻から叩き潰して早期に矯正かけた方が、生徒としても学園としても良い方向に向かう場合が多い』
と当たり前のように言われて、
ああ、そういえば翔も誠新学園高等学校の卒業生だった。
と今更ながらに思い出して脱力した。
……どおりで、協力的な訳である。
三年間通って、学園の方針をしっかり理解してるんだろう。
彼女たちの処遇がどうなるのかは知らないが、翔の様子を鑑みるに、こちらが余計な労力をかけるだけの価値を持たせるように仕向けるとみた。
まだ学園をよく知らないひよっこへの試練なのだそうだが、被害者として見ても哀れになる。
翔も許可証片手に帰ってきた担任も、酷く楽しそうだった。
自業自得とはいえ、彼女たちの外堀は確実に埋められている。