別れる理由がわからない!
視点がゆうちゃんからなっちゃんに代わります。
いつも通り。いつも通り。
朝起きる。顔を洗う。
朝食の準備。トーストを焼く。ベーコンエッグを焼く。キャベツの千切り。きゅうりの輪切り。ミニトマトのくし型切り。コーヒーはドリップ式。ヨーグルトはアロエ味。
いつもと違うけど大丈夫。
トーストが真っ黒になったのはタイマーを間違えたのだろう。ベーコンエッグがカチコチに固く焼けることもある。キャベツの千切りが太切りになるのは、一人暮らしを始めた頃はよくあった。きゅうりの輪切りの一箇所が全部つなっがているのも提灯みたいで趣がある。ミニトマトは普通。コーヒーも問題ない。ただお湯と水を間違えただけ。いわゆるダッチコーヒーだ。ヨーグルトも賞味期限が昨日切れているだけ。まだいける。
歯を磨く。化粧をする。
服を着る。白いブラウスに黒いパンツ。靴はローパンプス。高いのは苦手。
家を出る。歩く。電車に乗る。歩く。職場に到着。
いつも通り。いつも通り。
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職場に到着するとナース服に着替える。
朝礼から始まる。食事のチェック。薬の確認。点滴の準備。トイレの手伝い。
問題ない。問題ない。
間違ったら命に関わる。いつもは2回確認する。でも一昨日からは4回確認するようになった。動揺を表に出しては駄目。笑顔を作るのは得意だ。声は明るく。患者さんと接する時は優しく丁寧に、そして確実に思い通りに動いてもらえるように誘導すること。
問題ない。問題ない。
嘘をつくのは得意だ。
「ゆうちゃん。今日暇?」
仕事中になっちゃんが一言。なっちゃんは従姉妹の結婚式が遠方であったので三日ほど有給休暇を取って休んでいた。今日は久々に会う。
なっちゃんとは小学校の5年生のとき同じクラスになったのがきっかけで知り合った。
私の実家、藤原家は名門ではない。でも江戸時代から続く老舗の商家で、明治大正昭和を生き抜き、今や誰もが知っている大財閥。
私は最初『超お金持ち』か『古式ゆかしいご令嬢』しか通えないような小学校に通っていた。そのため、周辺にはハイエナ、蛆虫、腰巾着がうじゃうじゃいた。たかが小学生。されど小学生。友達面して近づいてきて媚をうる。気付いたらお兄様を紹介してとか言っている。私は仲人ではない。
父にお願いして、普通の女学校に転校したのは4年生になったとき。周りにいるのはサラリーマンの娘、自営業者の娘、公務員の娘。さすがに都会なので農家の娘はいなかった。
普通の学校生活を送ることができると思った。
5年生に進学するとクラス替えがあり、そこでなっちゃんと知り合った。
そしてケンカをした。
私はやはり金持ちの娘らしく感覚がかなり一般庶民と違っていたのかもしれない。
その度になっちゃんがいろいろと注意をする。注意自体は間違っていない。私も素直に受け入ればいいのだが、なっちゃんの言い方が気に入らないと反抗を始めた。
優しく丁寧に注意をしてくれていたら、私だって受け入れる。でもなっちゃんは違う。きつく、いいかげんに注意をする。
お互い小学生。大人ではない。相手を思いやるほどの経験も踏んでいない。だから本気でケンカをした。
でもおかげでいい親友になった。本音で話せる。
そして隠し事も出来ない。
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「別れた理由は?」
「仕事帰りにお父さんに会って、車で送ってくれた。」
「ローカルロイス?」
「まさかレサクスだよ。」
3日振りに職場に戻ると親友の様子が変だった。いつもと同じように見えるが確認作業を何回もしている。笑顔で話す。目も笑っているのだが、本当にかすかにふんわりな雰囲気の中に違和感がある。
付き合いが長いからどうしてもわかってしまう。
親友が言うには、車に乗っているところを見られ、更に父親と話しているところも見られたらしい。藤原家の当主を見たことがあった親友の彼氏は、藤原という親友の苗字から、そしてなんとなく感じていた感覚というべきものから、親子だと断定した。そして自分が付き合っている女性がどこにでもいる普通の女の子ではなく藤原という大金持ちのご令嬢であることを知ったのだ。
「僕は藤原家の関係者になれるような器の男ではないと言われました。」
少しさびしそうに言う親友。腹を立ててもいいでしょうか。
「真面目な男だとは思っていたが、ただの馬鹿だったんだな。」
「そうみたい。私は家を出る身だから関係ないのにね。」
空笑いが妙な空気をつくる。
親友は彼氏が大好きだった。結婚するまでは・・などという無茶な条件を呑んでくれる。そんな素敵な男は今時はいないだろう。だから本気になったし、兄弟達への紹介も急いでいた。
親友の家では結婚相手にと思う人は兄弟全員から認めてもらえないと両親に紹介できない。
親友は5人兄弟の4番目に生まれた。下に三男、つまり私の彼氏でもあるそうちゃんがいる。そして、上に長男、長女、次男がいる。
そうちゃんには紹介済み。
次は次男になる『えい君』に紹介する番。実はえい君は一応こっそり見学(という名の尾行及び監察行為)及び接触(とうい名の迷惑行為、変装済)をしており、一応彼氏としての合格はもらっていたのである。あとは挨拶紹介なのだが、浮気まがい事件のため、少し伸びてしまった。
彼氏の脇の甘さは仕方がないが、一般人としては許容範囲とのお墨付きももらった。
しかし、別れたのである。
私はお節介だと思った。余計なことだとも思った。だが、どうしても我慢ならなかったので、こっそり、彼氏に接触しようと思った。
だって、藤原家の関係者になる器とはなんだ。
私だってただのナースだ。母はスーパーのレジでパートタイムで働いているぞ。
付き合うのは好きか嫌いかで決まるが、結婚は違うかも知れないが、器で決めたりするはずはない。犯罪をして、いま逃げている逃走犯でもない限り、借金が1億円ある訳でもない限り、酒乱、ギャンブラー、DV男でもない限り・・・・、つまりそういうことではないのである。
普通に真面目に仕事をして、お酒もほどほどだし、浮気の心配もない。そして、何より親友を好きだという気持ち。これだけで結婚するのに何の問題がある。
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「呼び出すのはいいけど、ゆうちゃんに秘密で?それってかなりお節介だと思うよ。」
三男が言う。わかっている。わかっちゃいるがやめられないのだ。
「じゃあ、いつもの喫茶店に呼ぶね。あそこなら他にお客さん来ないから。でも、僕も同席するよ。これが条件。いいね。」
いいです。充分です。私も正直そんな馬鹿な男と二人きりなんて嫌です。
いつもの喫茶店。街中にあるのに静か。他に客はいない。窓側の席に座って来るのを待つ。カウンター席に三男が座っている。そしてパンケーキを食べている。緊張感なさすぎ。
ドアが開く。
親友の彼氏が入ってきた。
「遅れましたか?」
「いいえ、約束より20分も早く来ています。」
私は店の時計を見ながら言った。実際、私と三男は一時間も前に着いていた。そして親友の彼氏も20分前に来た。
よくよく考えたらおかしいだろうなと思う。ゆうちゃんが呼び出すのではなく、ゆうちゃんの親友が呼び出すのだから。
もしかして何事かと思い警戒して来ないかもと思った。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
「率直に、なぜ別れを口にした。」
私は睨んだ。親の仇かと思うぐらい睨んだ。彼氏は私を見て首を縦にゆっくり振りながら納得したかのような仕草をした。
「そのことか。」
「他に何かあるのか?」
何が言いたい。はっきりしろ。
「いえ、その、もしかして慰謝料とか言われるのかと思って・・。」
私は口をつぐった。そうか。そう思ったのか。完全に相手が大金持ちと思って萎縮してしまったのか。だから来ないという選択肢がなかったのか。
「ちがう。私はゆうちゃんの親友として、なぜ別れを口にしたのか聞きたかっただけだ。理由しだいでは殴りたいが、殴ると犯罪だから殴らない。おせっかいなのは重々承知している。」
「親友か。あなたはどこのお嬢様ですか?」
声色が変わった。その声は馬鹿にしているのか。
「高橋家のお嬢様だ。父は高卒の自衛隊員。母はスーパーのパート店員だ。私はご存知のようにナースだ。」
彼氏は唖然としていた。大金持ちの藤原家のご令嬢の親友が普通のナースであるのは納得できないのだろうか?
「何か文句あるの。父は単身赴任中だが立派に働いている。母はスーパーで働くようになって野菜や果物の新鮮なものの見分け方ができるようになったことを自慢する勤勉家な人だ。今でも夫婦仲はよく、行ってきますのキスは欠かさないぞ。
それとも某財閥系のお嬢様か某会社の社長令嬢とでも思ったか。私達が出会った私立の女学校は普通の家の普通の女の子が通う学校だ。」
彼氏は唖然としたまま。どうも完全に固まってしまったらしい。このままでは埒があかないので、顔の前で手を振ってみた。一瞬、はっとした表情をして動き出した。
「ごめんなさい。そんなつもりではなかったんです。」
「それじゃあ、どんなつもりで言ったの。」
「・・・・」
「世間知らずのお嬢様が、親友の恋愛に口を出した。馬鹿じゃないの。と思ったのかしら。まあ、私のことはいい。話を戻そう。
ゆうちゃんのことが好きだから、1年かけて口説いたんじゃないの。違うの?」
「・・・・」
「なんとなく好きで、結婚までは考えていなくて、次に付き合う間のつなぎ?」
「違う。」
また黙る。腹が立つ。ムカつくぞ。
「じゃあ、」
「怖いんだ。藤原家のお嬢様として今まで何不自由なく生きてきたゆうちゃんが、僕と結婚したせいで苦労することも、いつか僕と結婚したことを後悔して結婚するんじゃなかったって言い出すことも。」
さっきまで私を見ていた目は、今は下を見ている。将来への不安。その気持ちはわかる。
「それならわかる。私もそうちゃんと付き合い出したときは仮だったから、結婚考えてなかった。
でも、今は料理の腕はシェフには負けるけど家庭料理ならなんとかなるぐらいまで頑張ったし、掃除は、多分大丈夫。洗濯は洗濯機がするから問題はないでしょう。
母も料理も掃除も最初から出来なくていいって言っていた。夫婦二人で新しい家庭の味を作るのが大事だと。掃除は分別ゴミさえちゃんとできたら、最悪家の中はお掃除ロボットに任せればいいと言っていた。」
「・・・だからそうじゃなくて、」
「藤原家の跡継ぎは長男。間違いなく次女のゆうちゃんと三男のそうちゃんは家を出ていくの。
これは決定事項。
二人はだから子供の頃から家を出るため料理や掃除や洗濯機の使い方を習っているの。学校を卒業してすぐ一人暮らしを始めたのも金銭感覚と一般人の生活に慣れるため。
あなたはただ、ゆうちゃんを幸せにすることを考えればいいの。
不自由させたくない気持ちはわかるけど、夫婦は一方が一方に寄りかかるものではないと思う。
貴方が気にすることは無収入にならないようにすること。
藤原家のご令嬢と知って近付いてくる金目当ての変な連中に気をつけること。
この二点のみ。
ちなみに変な連中を見つけたら110番ではなくて長男に連絡。(闇に葬り去るから、多分)
戦う必要はない。」
一気に話すと疲れる。アイスコーヒーを一口飲む。
親友の彼氏は・・・・・泣いていた。なんで?
「ゆうちゃんはデート前によく家に迎えに来て僕の部屋を掃除してくれるんだ。
そして、一緒に電車に乗って、美味しいランチの店やファーストフードの店や薄汚れた大衆食堂の店に行くこともある。」
「電車は通勤に使うし、ファーストフードは学生時代よく行った。ちなみに大衆食堂はゆうちゃんのお母さんが好きなの。」
どうしよう。まだ泣いている。
泣きながら話し出した。
デートで行ったお店のこと。
付き合う前の居酒屋での出来事。
部屋でご飯を作ってくれたこと。上手に出来た料理や失敗した料理の話。
夢の国に行ったこと。
雨に降られ、服が濡れた話。
雪を見に行ったこと。
温泉に行ったこと。
山に登ったこと。
海に行ったこと。
鎌倉に行ったこと。
・・・・これはのろけだろうか。
気付けば1時間。
二人のあれこれを聞いていた。ゆうちゃんから色々聞いていた話と重なるのだが、視点が変わると、ものの見方は変わるものだ。
「ゴメン。ゆうちゃんと別れる気ある?」
のろけ話を1時間聞いたせいか少し冷めた声で言ってしまった。
そして、泣きながら、しゃくりあげながら
「本当は別れたくない。でも僕の両親はゆうちゃんちの両親みたいに、・・いや僕から見たら立派な両親だけど、お金持ちじゃなくて・・・」
「何しているのか聞いてもいい?」
「農家です。キャベツ農家。兄が跡継ぎです。」
え?農家?本当?
「むちゃくちゃ立派な仕事だよ。物凄く立派な両親だよ。自慢してよ。ゆうちゃんの両親、感動するよ。勘当じゃなくて感動ね。」
聞いてないぞ。農家とか。
て、いうより農家かぁ。どうしよう。家庭菜園が趣味の次男が聞いたら泣いて喜ぶな。きっとキャベツの作り方を習いに行くな。間違いない。
自宅の家庭菜園で作るだろうな。
想像できる。
美味しいキャベツが出来たら貰おう。うん。うん。
ん?
「ゆうちゃんに、ご両親の仕事はなんて言っていたの?」
あれ、このおいしい話をゆうちゃんが知らなかったのか?
知っていたら次男が早々に味方につくのに。
「田舎で自営業。詳しいことは・・・言ってない・・・。」
「自営業?」
「だって洗練された都会の女の子は農家の息子とか嫌がると思って。大学入ってからはずっと自営業って・・・・。農家とかださいって言われたことあって・・・・・。」
声が小さくなる。確かに普通の都会の女の子なら嫌がるかもしれないね。
「そこはわかる。」
二人揃って黙る。
「盛り上がってお話ししているところ申し訳ないけど、別れるの?別れたくないの?」
突然、カウンターでパンケーキを食べていたはずの三男が割って入ってきた。
今まで全然会話に入ってこなかったのに。
三男登場に親友の彼氏がびっくりしていた。どうも気付いていなかったみたいだ。
親友の彼氏は大きな声で叫んだ。
「別れたくない。」
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「別れたくないって。」
三男はカウンターに向かって大きな声で言った。カウンターにはウエイターとウエイトレスがいるだけ。
じっと見る。そして、今頃になって気付いてしまった。
もしかしてこのウエイトレスはゆうちゃん?
そして、ウエイターは次男??
ウエイトレスが席に近付いてくる。私の横に立つ。やはりゆうちゃんだ。目が少し赤かった。もしかして泣いていたのだろうか。
「お客様。メニューを聞くの忘れていました。お飲み物は何にします?」
そして、今、それを言うのか?
ベタかも知れないが親友の彼氏は、席を立ち上がり、ゆうちゃんに抱きついて、
「ゆうちゃん下さい。」
と言って号泣した。
ゆうちゃんは冷静に答えた。
「ゆうちゃんは飲み物ではありません。食べ物です。それでもいいですか?」
「はい。頂きます。」
ゆうちゃんはウエイトレスの服装から普段着に着替え、彼氏と二人で今後のことを話したいからと言って喫茶店をあとにした。
カウンターにいる次男はまたも紹介なし。
「いいの?キャベツ農家だよ。」
「今度のデートに割り込みます。キャベツ農家のご両親に会いにいく日が楽しみです。」
口角がかすかに上がるだけの笑み。
お前が嫁ぐわけないのだから挨拶に行く必要はないと思うのだが突っ込むのはやめておこう。
趣味の家庭菜園を見事に飛躍し、大学では農学部。その後大学院生。今は大学の研究機関だったかな?よく知らないが将来はご先祖が所有していた田舎の農地を耕すのが夢だそうだ。その前に何処かの農家に武者修行に行きたいと言っていたような気がする。
▼
結論からすると二人は別れなかった。次男には後日無事紹介出来、「キャベツ農家素敵です。僕にとって夢の国です。」とありがたい言葉をもらったそうだ。
「ゆうちゃん。先に謝っとくね。余計なお節介をしてご免なさい。」
「何言っているかわかんなーい。
お節介ありがとう。おかげさまで別れずにすんだ。キャベツ農家と言う新情報も手に入れたし。結果オーライ。」
もしかして藤原家の優秀な執事さんはキャベツ農家のことを調査済みかもしれないが・・・。
今日は親友と二人でいつもの喫茶店でランチ。
「ちなみにこの喫茶店が藤原家の所有で、藤原家の関係者以外入れないってこと、彼氏に言った?」
「まだ。言っていない。だから秘密ね。彼には、ここのマスターは気まぐれ屋で、気分が良いときしか開いていないって言っているの。」
きっとこれからも彼氏は色々藤原家のスケールの違いに驚くんだろうなぁと思いつつ、今日はパンケーキを注文することにした。
ちなみに余談ですが、次男の小学校の頃の将来の夢は「僕は農民になりたい。」です。