占い師のパラドックス なぜ?自分のことは占えないのか?
皆さんよーく考えてみてください。
世の中にいる多くの占い師たち、
まあごく一部の有名占い師は繁盛して儲けて大豪邸に住んでる
人もいますが
まあ大多数の占い師たちは
貧乏で病気ばかりして
苦労ばかりで一向に開運しない?という
パラドックスがあるというのが実態なのです。
有名占い師にしても
その虚名に?群がってくる無知蒙昧なファン?がいるので
儲かってるだけであり占いが当たっているからではない場合がほとんどです。
熱狂的なカルトファン?というだけでして
まあそこらにいるアイドルファンと同様なんですよ。
当たらなくても?洗脳されて?当たったかのように錯覚させるという
洗脳心理学なんですよ。
例えば当たらなかった場合にも、
「そうですか、いや実はね、わざとあなたの運命の命数が合致するように外しておいたんですよ」
とか、、
どうにでも言いくるめてしまうんですよ。
これでは占いではなくて単なる新興宗教の洗脳カルト?でしょう?
つまり占いなんてまず当たらないというのが真相なんですよ。
まあでも世界は広いですから世界のどこかには
一人くらいは?すごい超能力者がいて
その人なら予言も占いも的中するんでしょうね?
まあでもそれ以外の、そこらのマスコミで話題になってるような
「驚異の的中率」
「神の再来」
「○〇の母」
などというのは
まあ以上のような巧みな
「洗脳」か「話術」か、「思い込ませ」などの心理学的な手法によるところの、
まあ、、ある意味、エンターテインメント、、というか
「マジックショー」「見世物」なんですよ。
つまり娯楽なんですよ。
占いとはそういう娯楽の一種にすぎません。
信じるのが馬鹿ですし、
信じさせる方が一枚上手だというのが真相なのです。
脅かしたり
なだめたり
おべんちゃら言ったり、
ありもしないような幸運を吹き込んだり
とにかくあの手この手で
信じ込ませようとする。
まあ、だから単純な、お人よしなら、信じてしまうでしょうね。
もしも占いが、外れたって、、さっき述べたように、「逃げ道」が「言い逃れ」があるんですよ。
ましてやもしも偶然に?あたりでもしたら、そりゃあもう単純人は完全に信じ込んじゃうのでしょう。
まあ言葉は悪いですがこうなるともう「占い依存症」?ですよね?
いわれるままに鑑定料10万円だってホイホイと出し続けるのでしょう。
でも冷静になって考えてください。
この世にもしも本当に未来が透視できる人がいるとしたら、
その人はですよ、赤の他人の未来をわずかの鑑定料で、占ってあげて、その人の大幸運を手助けするでしょうか?
私だったらまず自分の未来を占いますよ、
だってそうでしょ?
自分が一番大事なんですから。
そうして自分の大幸運を当てて、自分が幸運になりたいですよね。
そんな、赤の他人のことなんか後回しでしょ??
ということは?
世の中のそこらの、無名の占い師というのは
お人よしにも?あえて自分のことは差し置いて?
赤の他人のために自らの超能力未来予知能力を
わずかなお金で、ボランティア?してあげてるんでしょうか?
そんなわけないですよね?
自分は食うや食わずで、
売れない貧乏占い師で
そんな
「他人のこと占ってないでまず自分のその貧乏脱却を占えよ」
と、、
言いたいのは私だけでしょうか?
さて、、
そんな無名の
貧乏な
占い師たちが、、
夜ともなれば繁華街にその街角に、薄暗いランタン照らして
占い師が露店を張っていますね。
はっきり言って貧しそうな、ほかに正業に就けない人が仕方なく食うためにやっている裏稼業?としか見えませんね?
もしこうした夜のうすら寒い街角に、店を張っている
占い師が、本当に予知能力があり、霊能力があるのなら、
なぜこんな冬の寒い街角に凍えながら店を張る、やくざな商売?から、抜け出せる方法を予知、診断、できないのでしょうか?
他人のことなんか悠長に占っている場合ではないでしょう?
まずは、自分の貧しい境遇をまず占って夜の街で凍えながらやくざな占い商売しないで済む方法を考えるべきでしょう?
これが私の素朴な疑問です。
占い師が本当に占えるならば自分のことを占って富と栄光を手に入れたらいいじゃないですか?
裕福になって、夜の街角でなんかつらい商売しないで済むようにして、
そのあとでおこぼれとしてじゃあ、ボランティアとして、庶民たちのことも占ってあげようかというのが筋じゃないですか?
いかにも貧相な、恰好で凍える真冬の木枯らしの吹く夜の場末の街角で占いの夜店を出していても、
その占い師を信じる気には毛頭なれませんよ。
本当に占えるならまず自分が豊かな生活をつかんでみてくださいよ、
そして『どうだね?こういう風に俺は何でもできるんだよ』といってから
私のことを占ってくれるならそれなら信じますよ。
まあ、
結局、開運グッズとか、町の占い師も、何の効力もないくせに、
貧しい人々が食うために作り、あるいは占いを生業として
日々のご飯のためにやっているかと思うと、
はたしてそんなものにの効力があるんだろうか?
と思わざるを得ませんね?
さて、では占いとは完全なるウソ?なんだろうか?
あえて言わせていただくなら占いにも「一分の理」はあると思うのです。
私は占いとか運勢というのは、実は、こういうことだと思うのです。
すなわち、
単刀直入に言い切るならば、見ず知らずのそこらの占い師なんかまったく不要だということです。
問題はあくまでもあなた自身だけです
あなたが主体であり、あなたがどうするか、、
要は、、それにかかっているというのが真相なのです。
例えば、
『イワシの頭も信心から』という昔からのことわざの通りに、
対象は何でもいいのです。
それがすごい開運グッズだと心の底から信じるなら奇跡も起こるのでしょう。
つまりは、「信心の力」です。
信じる思いです。
あるいはそれは「念力」といってもいいでしょう。
例えば、、どんなすごい「護符」にしても全く信じなかったらおそらくは奇跡は起こらないでしょう。
この護符はありがたい、実に尊いすごい護符と心底信じるからこそ奇跡も起こるのだと、思いますよ。
つまり、、、
占いというものの真相も実はそうなると心の底から信じたとき、その通りになるのでしょう。
え?それって
単なる暗示の力?と言ってしまえば、、実もふたもありませんが、、、。
でも、本当に信じる力ってすごいと思いますよ、
潜在意識に暗示を与えることであなたな全意識がその方向に向かった時
あなたはそうです、まさに超能力を発揮するのです。
それは最新の心理学も、そう教えている通りなのですから。
ですから
さあ、信じましょう、
自分の未来は煌々と光り輝いていると。
思うことはすべてかなうのがこの弥勒世界なんだと、
信じて行えばすべてはそうなるのだと。
だから例えばですよ、この開運グッズは絶大な
開運パワーがあると、
あなたが心底信じ切ったとき、
奇跡は起こるのでしょう。
信じなさい。
心の奥底から
私の未来は光り輝いているのだと、
信じる者は救われるのです、
信じたものしか救われないのです。
それがこの世界の最奥の秘密だったのです。
それこそが
人生の
世界の
運命の
トップシークレットだったのです。