流者、花畑に眠る
* マリアンナの戦い *
シュッドの森の奥から紫黒が染み出している。
具象化した闇が景色を傲慢に喰い散らかし、花々を醜い不遜の眷属へと堕としてゆく。
「魔法の雑巾!!」
魔術の布で肩口の傷を押さえ、応急的に止血する。
孵化した悪夢の卵が、ここまで凄惨なものだとは思ってもみなかった。
鶴翼陣形の右からも左からも戦慄の叫びが漏れはじめている。
「錆び落とし!」
回転をかけた鉄のヘラが眷属をかすめ、おどろおどろしいスワロンドの羽が花畑の宙に飛び散った。
闇の第二波を纏ったウルフニードルが森の中から疾駆してくる。
木々の下草を蹴散らす足音の数が尋常じゃない。
……つたない『清掃士』のスキルじゃ、これ以上もたない。
「転職、『清掃士』から『農産師』へ!」
手にした冒険の職歴書がブルンと震えて、操作を実行する。
その刹那、ドンと鈍い音がして背後から押しつぶされた。
くっ……
膝をついて持ちこたえ、前面に罠スキルを繰り出す。
「……虎ばさみ」
振り返ると、草の上に転がったタイガが白目を剥いていた。
いったい何が起こっているの!?
干し草用フォークを操りながら、何とか冒険の職歴書を左手で開く。
「兼職、舞踏師!」
これでもう一息、凌げるはずだけれども……。
跳ね回るウルフニードルに右翼が破られ、崩れた左翼もじりじりと戦列を退きはじめている。
後衛の貴族は何をしているの!? どうして陣形を変えないの!?
舞踏師の職人武具、急所隠防の扇をタイガの周囲に張り巡らすが、強度が心もとない。これではチグリラビットの頭突きは防げても、ウルフニードルには破られるかもしれない。
踊りへの情熱は決して冷めていないのに……
自信をなくしたわけじゃないのに……
それとも兼職の弱点がモロにさらけ出された形か。
「鎌投げ! 防鳥獣網!」
網を軽々と飛び越え、鎌で撃ち漏らしたウルフニードルの生首に、二の腕を赤く切り裂かれる。
針だらけの尾の球が脛をかすめてゆく。
……退きたい。
あと10m、せめて5m退ければ、体勢も陣形も整え直せる。
ここだけが突出してしまっていては、矢面どころかただの的なのに。
『う~~ん……むぐぐぐ』
草の上へ大の字に寝転がるタイガの頬をどれだけ叩いても、意識が戻らない。
防戦しながらでは、足を掴んで数m引きずるのがやっとだ。
ウルフニードルの一匹を串刺しにしたピッチホークが砕け散った。
闇と光の粒子がサラサラと風に舞い、散ってゆく。
同類の断末魔を聞きつけ、闇の狼たちがこちらへ向かってくる。
「職人武具、害獣狩りの大鎌!」
害獣特効を乗せた大鎌を具象化して構えた瞬間、甲高い音が鳴り響き、冒険の職歴書が振動した。
職歴書が熱暴走して警告メッセージを繰り返す。
ウルフニードルとチグリラビットが連携をとりながら、遠巻きに囲んでくる。
右回りに二体、左回りに三体、後ろに大型が一体。
……どっち?どっちからくるの?
些細な足音も聞き逃さぬよう、極限まで集中を高めて大鎌を握り直す。
『警告:損傷甚大、エラーが発生しました』
……くやしい。まだまだやりたいことがあるのに。
『警告:大至急、工房でご修繕ください』
でも、決して簡単にはくれてやらない。
『10秒後に、システムを強制終了します』
タイガは死なせない。
だって、私だって死にたくないもの。
大型ウルフニードルの首を削ぐと同時に、大鎌の具象化が解かれた。
それでも腹をくくったら、もう少しだけやれそうな気がしてくる。こんな体でもまだ舞える。
手探りで出したベリー・ダンス用の模擬ナイフを三本握りしめ、かかとでタイガの脇腹を蹴り飛ばす。
こんな形じゃなくて、もっと楽しい旅の苦労を共にしたかった。
牙の食い込んだ脇腹が熱い。喉の奥から血の味が込み上げてくる。
多勢に無勢、勝ち目は少ないけれど……ウルフニードルの喉にナイフをまとめて突き立てる。
キィンと音がして、模擬ナイフの刃が欠けた。
よかった。背中でタイガが目を覚まし、咳き込んでる。
こんなにボロボロにしてゴメンね……でも、あと一撃だけ持ちこたえて。
……まだ、大事なことを象にしていないから。