魔者戦はつらいよ
俺と会う直前、アンナはどこにいたのか?
――聖蹟・アジジの泉だ。
ならばアンナが体に『聖』の気を帯びているのは、聖蹟で入浴していたからだ、と考えるのが一番合理的。
俺はマリアンナの懐に飛び込み、両腕を掴んだ。
彼女の纏った瘴気がじんわり伝わり、背筋が寒くなってくる。
『邪魔しないで……怒らないで……』
掴まれた腕を振りほどこうと、マリアンナがもがき始める。
これでも食らえっ!
見えない第三の手を肩掛け鞄に突っ込み、温泉卵をマリアンナの口に押し込んだ。
殻から飛び出した半熟の卵は、予想通り金色に光り輝いている。
瘴気の癒えたマリアンナは、ペタンと膝を折って尻もちをついた。
まるで糸の切れた操り人形のように。
「タイガ……わたし負けちゃった……」
「負けたら負けたで、そっから出直しゃいいだろ?もういっぺん、自分の踊りを踊り直しゃいいだけだろ?」
「強くなったんだね、タイガ」
「ったりめぇだろ?あれから何日たったと思ってるんだよ」
めばえ公園から爆発音と火の手があがっている。
「おいっ、アンナ……あれ?どこ行った??」
「タイガ、もう行って。あとは自分でなんとかするから」
「わかった。でも無理すんなよ?」
「無理を通して道理を引っ込めてみせるの」
肩も借りずに自分の脚で立ち上がったマリアンナは、しっかりとした足取りで狂った父親と対峙した。
めばえ公園は、眷属と化した衛兵がぞろぞろしていた。
そして俺が言ったせいだろうか。
王子は剣を抜かずに『癒水如雨露』で応戦しているが、一方的な防戦を強いられている。
親衛騎士団は何をしているのか。
ガザニアの騎士たちは万年樹の向こうで、禍々しい気配を取り囲んでいる。
一目でわかった。あれが魔者の本体だ。
俺はひとまず王子に駆け寄り、眷属化した衛兵らの脚を払ってなぎ倒した。
ブムォオオ!オタスゲヲ~
『鈍足旋風!』、『金縛眼!』
「余計な真似を……」
「お宅と違って、『借りは作るな』が家訓なだけですよ」
王子の癒水如雨露を受けて癒された衛兵らが、正気を取り戻して王子の周りを固め始めた。
それでも数としては五分と五分、まだまだ気は抜けない。
「こんな時こそ『拡散の癒水如雨露』でしょう?」
「うるさい。ボクのは違うんだよ!」
そうか。王子の花葉装飾師は、職人武具に別のスキルを固定してあるのか。
「だったら『水拡散』と『癒水如雨露』を併用すれば……」
「ボクを愚弄するのか?水拡散ならとっくに使っている!」
しかたない。一か八かでやってみるか。
「なんでもいいから『聖』のスキルを、俺のに上乗せして下さい!」
「なんだって???」
「3……2……1……『冷水噴爆』!」
「おいっ……ちょっ……『チグリの聖土』!」
激しい濁流がうねり、眷属化していた衛兵らを押し流した。
…………巻き込んでしまった正気の衛兵のみなさん、すんません。
それにしても腐っても王子だ。チグリの聖土だなんて聞いたこともないスキルを持っていやがる。
瘴気を洗い流しさえすれば、衛兵たちは勝手に自分でなんとかしてくれるだろう。
最後に泥水を自分で被り、俺は魔者本体へ向かって疾駆した。
「気でも狂ったのか?」
「しかたがないでしょ?俺『聖属性』のスキルを持ってないんですから!」
王子と競い合うように辿り着いた万年樹の根元で、ガザニア親衛騎士団は苦戦を強いられていた。
あれが悪夢の卵に取り込まれた者のなれの果て、『魔者』なのか。
すでに陽は沈んだというのに、濃い黒紫色の瘴気が誰の目にもとまるほど、はっきりとほとばしっている。
なるほど。それで騎士でもうかつには近付けないのか。
「王子……こいつ、先日の『盗賊』です!」
「なんでだよ?二週間前に倒したばかりだろ??」
「違います、衛兵隊本部の牢獄に捕えていた方の奴です」
俺が捕縛した盗賊なのか、王子が捕縛した奴なのかは分からない。
というのも、盗賊はすでに人の形を失い始めていたからだ。
筋肉が異常に盛り上がり、牙が生え、おまけに毒霧まで噴いてやがる。
……人の道から外れるっていうのは、こういうことなのか。
どこからかアンナが飛び出し、上段に構えた剣を全力で振り下ろした。
やったか!?
……いやダメだ。白刃どりされた親父譲りの剣が、ボロボロと腐食して消えた。
鉤つきの長い棒を具象化し、アンナの服を引っかけてこちらへ引き戻す。
「死ぬ気か?」
「だって誰も動かないんだもん」
「馬鹿、そりゃ間合いをはかってるからだろ?」
アンナに次いで騎士の突き出したランスが一撃、魔者を突貫した。
やったか!?
魔術師風のローブ男が『火炎噴爆』で追い打ちをかけるが、あまり効いている風でもない。
騎士のランスも魔者の体から抜くことができず、先端から黒く錆び、崩れ落ちてゆく。
「虫だ!ストリング・フェスミーダが大量に現れたぞ!」
こんな時にどこから?
東の空から飛来した虫が、あちこちの建物の壁や屋根に落下してくる。
小さい…………もしかしたら、この間討伐したストリング・フェスミーダは、すでに産卵済みだったのか?
こんな時に限って悪い知らせが続く。
「王子、チグリ大サーカスから猛獣が逃げました。眷属化しています」
使者を待たせたまま、王子は汗を拭って魔者と睨みあう。
王子は前線で指揮をとる役なのか、剣術で切り込んでいく役なのか、ハッキリしないと、この急襲のネックになりそうだ。
もし反王子派が、そこまで狙って王子を誘き出したのなら、かなりやっかいだ。
王子の剣が、鋭く伸びた魔者の触手と切り結び、火花が散る。
すかざず騎士が触手を切り落とすが、水芸の騎士の追撃は咆哮一発で吹き飛ばされる。
「グロリオサ様、矢面は私たちに任せて、少し引いた位置でご指揮を……」
「うっ、うるさい」
ウォマェヲ……コロゼナカッ……サマニ……ガッ……
魔者の口からベッチョリした粘液が、王子に向けて吐き出された。
『急所隠防の扇!』
こいつ……王子ばっかり執拗に狙っていないか?
精核になった盗賊の恨みが増幅されてるんじゃないのか?
「王子……アンタ、盗賊に恨みをかってるんだから、下がって指揮に回ってくれよ!」
「なんでお前なんぞに……ボクを誰だと思ってるんだ?」
「アンタが指揮できる権力を持ってるからこそ、言ってんだよ!」
ドナの手で道化士の『進言』をONにして怒鳴った。
あー。これで負けたらいよいよ断頭台いきだな、俺。
「グロリオサ様、口は悪いですがこの愚民のいう事も、もっともであります」
愚民はムカつくが、もっと言ってやれ。
王子をかばいながらじゃ、動きにくいから下がれ!……くらい言ってやれ。
王子は返事もせずに後ろへ引いた。
駆け寄った火魔術師が一人、王子と話して衛兵たちを引き連れてゆく。
魔者と張り合う力量がないなら、足手まといになるより虫や獣の制圧に向かわせたほうがいい。おおかたそういう判断なのだろう。
王子の御守りがなくなった騎士たちが、少しずつ力を発揮し始める。
満面で悔しがる王子には悪いが、恐らくあと5年分ほど若いのだ。
本来ならば25年周期でやってくるはずの逢魔の年は5年後、その頃にピークがやってくるように育てられていたはず。
しかも口うるさいランキフォウ爺さんから離れ、東国の遊学で甘やかされたのだろうな……。
ランキフォウの爺さんも、リリベル姫も、こんな時に何をやっているんだ?
まさか二人ともお出かけ中、なんて話じゃないだろうな?
「じゃーん!お待たせー!」