瘴気がつらいよ
少女の馬は、すでに谷間を走り始めていた。
『猛疾駆★★★★』『超跳躍★★★』『乗獣』
アクテイブ・スキルですかさず追いつき、そいやっと背中に飛び乗る。
「はうっ?何?誰?」
俺は魅了眼系シナジーの載った『獣なだめ★★★★』で腰をさすってやった。
「急で悪いけど、一緒によろしく」
「あぁ、父ちゃんと一緒にいた兄ちゃんか」
「おうっ、タイガだ。よろしくな」
この娘……もしかして森での共闘を覚えていないのか?
「アタシはアンナ。さすらい孤高の美少女・剣術師だよ」
とりあえず受け流し、軽く尻を叩いて先を急がせなきゃだな。
俺は操獣とヒールで馬をなだめすかしながら、全速力以上で走らせた。
「王都に悪夢の卵が出たって何時?どうして判った?」
「ついさっき。聖蹟が王都の黄昏ノ禍時計に呼応して知らせてくれたの」
マジャーレから王都へは早馬でとばしても一時間はかかる。
騎士団もいることだし、到着時点ですでに討伐完了の可能性が高いけれども。
「アンナちゃん……俺の蹴球士、王都のジョブ屋に売った?」
「なにー兄ちゃん、きこえないーー」
おい。自分のジョブを買い戻すのに15万も出したんだぞ。
赤毛少女が『異母妹』でなければ、全額・速攻・弁済させてやるのに。
「ごめんねー兄ちゃんー!」
この『あんちゃん』という響きがちょっと心地いいから、許してやるか。
「他のは全部、自分の職歴書に入れちゃったーー」
絶対に許さん!着いたら直結で全部取り返してやる!!
「うちお金ないし、戦い用のジョブは母ちゃんに怒られるから、天のお恵みかと思ったのー」
……まぁ、ジョブの種類次第では大目にみてやろう。
なにせストリング・フェスミーダの節腕から救出してくれたのは、他でもないこの少女だったのだし。
一度手にしたジョブの返上が、どれだけモチベーションを下げるかは、自分自身で体験済みだから。
黄金色からキツネ色に変わってゆく麦畑を突っ切り、俺とアンナは全速力で王都を目指した。
王都の城壁と北の山から生えた城の尖塔が見える頃には、すでに日が沈みかけていた。
チグリガルドの黄昏刻だ。
別名、逢魔の刻。チグリガルドでも魔の差しやすい時間帯であることに違いはないのだが。悪夢の卵と重なった場合の惨劇は、俺の想像の域をかるがると超えてしまう。
なにせ山ほどの人が住み、激しい浮き沈みの起こる王都だ。
今回『精核』として卵に取り込まれるのは、間違いなく『人間』だろう。
王都南の正門は、今まさに閉じられようとしていた。
木材の簡易な一次柵の、狭い出入り口につめかけた人々が、脱出を阻む衛兵と押し問答をしている。
くそったれ。
都民の避難より、魔者の逃走阻止を優先させてやがるのか。
「兄ちゃん、やっていい?」
「おっおう、やるしかない」
この突撃娘のことだ、やるなと言ってもやるに決まっている。
ならば思う存分にやってもらうのがいい。
「どけどけどけー!」
身の危険を感じた群衆が、慌てて木格子から飛びのいてゆく。
「せいっ!」
親父がアンナに渡した『古びた装飾つきの剣』は、一層目の柵をいともたやすく切り開いた。
早馬に乗ったまま正門を突っ切ると、髭のブロサラブ新隊長がアゴで『行け』と合図してくる。
隊長になってしまったからこそ、今まで以上にやりにくい面もあるのだろうか。
「タイガ!責任は自分持ちだぞ!」
さすがは笑う子も泣かす新隊長殿。いきなりハシゴを外してきやがった。
まぁいい。あんたに尻を拭いて貰うのも今日で卒業だ。
「兄ちゃん、どうする?」
「このまま新王通りを直進よろしく!」
「あいあいー」
進むにつれて避難民やら負傷者らの数が増え、どうにも馬では進めなくなった。
道端に座り込んだ人たちは、体のそこかしこに瘴気の斑点を浮かばせ、沈み込んでいる。
『癒水如雨露』のない今、悪いが救護は後回しだ。
逃げ惑う人並みが途切れ、かわりに武装した衛兵の姿が増えてくる。
こりゃ中央広場が戦場になっているに違いない。
…………!!
「マリアンナ!!なにやってんだよ!!」
広場の片隅でマリアンナが衛兵と闘っていた。
扇を複数だし、『急所隠防』で攻撃を逸らす彼女の体が、かすかに紫色の霞をまとっている。
しかもだ。
背にして守っているのは彼女の親父さんで、金貨を数えながら怪しげな歌を歌っている。
「綺麗さっぱり燃え尽きろ~魔王の時代よやってこい~借金取りも王族も~根こそぎ燃えて灰になれ~」
「マリアンナ!なんでお前が卵に取り込まれてるんだよ!」
彼女が投擲してくる扇から『眼力耐性の空間棒』で衛兵を守りつつ、『冷水噴爆』を浴びせてやる。
けれども彼女は正気に戻る気配はなく、涙を流しながらナイフを具象化させた。
「なんで絶望してんだよ?なんでこんな親父に負けて夢を諦めたんだよ?」
「兄ちゃん、危ない!」
振り上げた剣でナイフを弾き飛ばし、アンナが俺を引き戻す。
「この人『魔者』じゃないよっ!ただの眷属!」
眷属なら……くそっ。こんな時に癒水如雨露さえあれば……。
「アンナ、瘴気治癒のスキルは?」
「あたし『聖属性』のスキル持ってないー」
「斬ればいいだろ」
聞き覚えのある声が脇に立ち、細身の剣を抜いた。
グロリオサ王子だ。
「王子!アンタがいながら何で王都がこんなことになってるんだよ?」
「うるさい、偽情報に誘き出されて今戻ってきたばかりなんだよ」
噂の反王子派の策略か。思ってた以上に傾いてるんじゃないのか?この王国。
王子に向けて投げられたナイフを『鍋』ではじき返し、同時に王子の剣を棒で抑え込む。
「頼む。いや、お願いします王子様!俺の命の恩人なんです」
「いい歳して甘いこと言わないでほしいな」
「王子が国民をバサバサ斬ってたら、ますます反王子派が増えちまうでしょうが!」
「だったら自分で好きにすればいい」
王子は剣を収めて鼻を鳴らした。
怒号の上がりはじめた『めばえ公園』へ向け、親衛騎士たちを連れて王子が動き始める。
「王子!」
「なんだよ?まだ何かあるのか?」
「…………『癒水如雨露』を貸して下さい」
「ふざけるな。無礼に加えて嘆願とは、図々しいを超えてあさましいぞ」
「『惜しみなく収税し惜しみなく施せ』の王家訓に免じて何とぞ!」
「やなこった。施し担当はリリベルだ。自分の連れに頼めよ」
「えっ?あたし? 持ってないよ聖属性」
「嘘つけ、体が光ってんだろうが?もういい、皆の者、行くぞ!」
王子の言葉は嘘や言い逃れではなさそうだった。
目を凝らすと、確かにアンナ体からかすかに金色の湯気が光っている。
「本当に『聖』は持ってないってば!」
だとすれば、親父譲りの剣が『聖剣』で、武具特効が載っているのか。
……違う。
『鑑定』を使ってみたが、剣に『聖』の属性はついていない。
じゃあ何故だ??
アンナの『聖』はどっから沸いて出てきたんだ?
…………そういうことか。
予想が外れていなければ、幸運の女神は本日、俺の貸し切りだ。