夢を追うのもつらいよ
チグリガルドへ漂泊してから、かれこれ12日。景色もろくに観ずガムシャラに走り続けてきた。
けれども、どこにも行けなかった。
とつぜん放り込まれた異世界で、リリベル姫を希望にしてきたけれど、気がつけばどこともしれない水路脇の路地で彼女の背中を見送っていた。
……結局いつもそうだった。
陽が高く昇り、赤く染まって沈むのを眺めた。
べつに袋小路というわけじゃないし、絶望なんかしていない。
ただただぽっかりと、頭も心も腹もからっぽにしていたかった。
どれだけ頭と心と腹をからっぽにしようとしても、あとからあとから沸き起こってくる。
もう残り香すらかき消された後だというのに。
絶望なんてしてない……絶望なんてしてない……絶望なんて。
黄昏どきが過ぎ、緑白い満月が昇るのを眺めた。
浮流士の防寒衣が消えたことにも気づかず、もう二度と戻れないだろう世界を思い浮かべた。
熱々の味噌汁をすすりたくなった。
何の約束もしていなかったが夜遅く、ジミュコーネ師匠の部屋を訪ねた。
師匠は「お帰りなさい。お城でのこと聞きました」とだけ口にして、あとは黙ってスープを温め直してくれた。
ババイモと七色マメのスープを口に運び、俺はソファで眠りに落ちた。
*
朝の花屋のバイトを解雇された。
花葉装飾師を失った俺の、将来性が見限られたのだ。
「タイガさん。よかったら暫くうちの実家で修行してみませんか?」
「実家ってサーカスでしたよね?」
「シュッドの森を超えた南の国境近く、デルジョ川の上流の『レボート』という町なのですが」
チグリガルドの観光がてら行ってみようか。
でも、そんなノリで行って何をどうする?という躊躇いが腰をズッシリとベンチに縛りつける。
「少しだけ考えさせてもらっていいですか?」
「そうですね。気が向いたらハンターセンターに来て下さい」
活気づいてきた市場の人声と、増え始めたお参りのカップルから身を隠すように、俺は万年樹の裏側に陣取って寝転んだ。
メグと放したあの幼虫。元気にしてるだろうか?
無事に羽化して飛び立つ頃、俺は何をしているのだろう……
* * *
急転直下。
滑り落ちた沢の木陰で息をひそめ『地図士』のスキルを発動する。
「癒水如雨露、沈痛薬」
リリベル姫がヒールを注いだ俺の左腕から、血と共に毒気が洗い流され、痛みが引いてゆく。
「リリベル、活力発奮剤を」
「あんまり無茶しないでください」
「いいから早く。ここが勝負どころなんだよ」
トカゲ山の頂上からホット・サラマンドルの合図を交わす鳴き声がこだましてくる。
アヴァンチュールで尻尾の丸焼きを食べ過ぎたせいで、恨みでもかっているのだろうか。
「もう少しだけ動ける?あと10分も走れば山小屋に届く」
「行けます。タイガさんと一緒なら」
具象化した活力発奮剤を自分で半分飲み干し、リリベルが器を俺に差し出した。
「じゃあ、息が整ったら行くよ。途中で苦しくなったら教えて。あと手を絶対に離さないように」
「はい、わかりました」
俺は軽業師の『手繋ぎ』をアクティブにし、リリベルの華奢な手をしっかりと握った。
上気した手のひらがしっとりと、俺の手を握り返してくる。
リリベルは深呼吸を繰り返しながら『防虫スプレー』を具象化した。
「ちょっと待って。先に『使い蜂』を山小屋の方に飛ばすから」
残力を消耗しきらないように数匹だけ蜂を飛ばして、狩猟士の『獣気検索』を再びアクティブにした。周辺警戒用の蝶も飛ばしておくか。
「きゃんっ!」
リリベルの悲鳴に一瞬遅れて、足元の地面がめくれ上がった。粘着力のあるアゴ髭が法衣から覗いた白い素足に絡みついている。
「タイガさん!」
「ふんばって!」
大人でも丸のみにしそうな口を開け、巨大なミミズがにゅるにゅると這い出してくる。
左手でリリベルを引き寄せながら、『ドナの手』で職人武具を装備する。
怪力の旗から、すかさず害虫駆除の小刀。
ミスリル化したナイフを先端に複合させた即席の『薙刀』でミミズを袈裟斬りにした。
鉛色の体液がどろんと溢れ、胴体が素早く地中に引き返す。
アゴ髭が緩んだすきに呑まれかけたリリベルを取り戻したが、切り落とした頭部が再び蠢き始める。
「輪切りじゃ駄目みたいです。分裂しています!」
「ガッテン!!」
振り下ろす薙刀に見えない第三の手を添え、こんどはミミズを縦に真っ二つ。
ふぅうう。今度こそ息の根が止まったか。
抱き起したリリベルにしがみ付かれ、ほのかな花の香りにしばし痛みを忘れた。
「リリベル……うなじの痣が……」
「大丈夫。まだまだ平気です」
「あんまり無茶するなよ?」
「いいから早く行きましょう。ここが勝負どころです」
リリベルを抱きとめながらの休息もつかの間、哨戒中の蝶が舞い戻ってくる。
ちっ。ここからがいい所なのに見つかったか。
ホット・サラマンドルが枯れ葉を踏む、微かな足音が二つ接近している。
「俺が弓を出すから、リリベルが矢を引いて」
「アレをやるのですね?」
「やらいでか。いい所を邪魔してくれた礼を、たっぷり弾んでやる」
俺は急所射撃の狩猟弓を構えて手に手を添えた。
サラマンドルの一匹に狙いを定め、放った瞬間にリリベルが叫ぶ。
「百花繚乱!!!」
木立をかわして葉を散らし、無数に分かれた追尾矢が、三つの急所に射線を絞り込んでゆく。
「そこだっ!!」




