Ⅲ-1: ラッシュはつらいよ
「アナタ。皿洗いが済んだらお洗濯ですことよ?」
「はいはい」
「アナタったら『はい』は一回でしょ?」
…………はい? ナニコレ?
「お洗濯が終わったら、おままごとですわよ?」
……すでに絶賛、おままごと中なのだが。
ジミュコ師匠の部屋への居候は昨晩まで、俺は花売りのメグ母娘の家に転がり込んでいた。
別にメグの『将来、結婚ねー』という戯言に応えたというわけではないのだが。
メグはクリッとした緑色の瞳に、旺盛な好奇心と前向きな明るさを漂わせている。
なにせメグ母があれだけの美人さんだ。メグもまた将来の有望株なのかも知れない。
「アナタ、ちゃんと赤ちゃんにミルクあげなきゃだめでしょ?」
…………俺、当面、毒男でいいかも。
鼻をタオルで拭いてやり、本を読み聞かせ、毛布をかけて寝かしつけると、メグは満足そうに眠りについた。
俺は夕方以降の成果を確認するため、冒険の職歴書を手にした。
皿洗士、洗濯士、警備士、保育士、物語士のLVがそれぞれ上がっている。
『トピックス:人形士LV1を獲得しました』
人形士ねぇ……。
夜遅くまでたっぷり飯ごとをしたってのに、『調理士』の新規獲得はならず。まぁ実際の晩飯はメグ母が出勤前に作っていったからな。俺は食っただけ。
メグを満足させても、俺はまだ満足していられない。
ジミュコ師匠からの宿題、花柄の刺繍で裁縫士のLV上げを開始する。
バイト暮らしを抜け出すためには、花葉装飾師のセンスをもっと磨く必要があるからだ。
ちくちくちくちくちくちくちくちく縫っていると、葉模様の一枚も完成しないうちに指先から血が滲み、布に赤い花が咲く。
やってられるか!と刺繍をぶん投げ、歪んだ床にゴロンと仰向けた。
……リリベル姫に会いたい。
……いや。まだ何者にもなれていない、こんな状態で会ってどうするってんだよ。
具象化したスズランの花はこんなに確かな手触りなのに。
会いたい・会いたくない・会いたい・会いたくない・会いたい・会いたくない・会いたい・会いたくない・会いたい・会いたくない・会いたい・会いたいな……
いつの間にか床が花だらけになってしまっていた。
「具象化……解除。」
キラキラと多彩な色の光の粒をこぼして、スズランが砕け散ってゆく。
ロウソクの灯りに照らされた職歴書が、ブルンと震えた。
『トピックス:魔術師LV1を獲得しました』
『トビックス:占い師がLVアップしました』
…………何やってるんだろう、俺?
*
翌朝。
夜勤後でまだ寝ているメグ母を寝かせたまま、俺はメグと花屋へ向かった。
メグは売り物の花の仕入れ、俺は修行を兼ねた朝時間のバイトだ。
「新人君、水やりが終わったら虫取りの後、軽く防虫スプレーしておいて」
花屋の女店主に要領を聞き、丁寧に葉を捲って虫がいないか調べていく。
いたいた。
真っ白なランの鉢植えの一つ、葉の裏っ側に幼虫がついていた。
うねうねと小さな体で、葉の裏を行ったり来たりの大忙しだ。
将来なにに育つのかは知らないが、こちらも仕事だお命頂戴。
防虫スプレーを具象化したまま、俺はしばらく固まっていた。
何度も噴出口に指をかけ、吹きかけようとするのだけれど。
なぜだか最後の引き金が引けなかった。
今にも命を奪わんとする俺の存在など、見向きもせずに知りもせずに。
この瞬間にも幼虫は、葉っぱにしがみ付き悪戦苦闘している。
……これ…………これ…………。
…………………………………………まんま俺じゃんかよ。
俺は、こっそりと葉っぱを一枚むしって瓶に移した。
葉っぱ取を取った詫びとして、ランの鉢の方には花葉装飾師の活力発奮剤をかけてやる。
「ちょっと何やってるの!」
ビクン!?はいっ!!
「出荷は来週なのに活力発奮剤なんか使ったら、一日で咲いちゃうでしょ!?」
「うわぁあ、すみませんでした!!!」
しまった、こういう場合は癒水如雨露だったのか。
……と気づいても後の祭り。
ランを一鉢だめにしてしまったせいで本日の朝のバイト代、ゼロ。
ゼロGですよ!?奥さん!!
「はいはい、奥さんならここですよー」
気がつくと花籠を手にしたメグが、俺の脇に立っていた。籠の中身を見るに売れ行きは好調のようだ。
「オマエさんのことじゃねぇよー」
「オマエって言わないで。ちゃんとメグさんって呼んで」
ったく、どこでこんなの覚えてくるんだ、この幼妻は。
「アナタ、そのお花どうしたの?誰かへのプレゼント?」
……アナタって、オマエと同じ類じゃねぇのか?おい。
「ほら見て! 虫さん、いっぱい食べてるよ!」
幼虫は、むしゃこらむしゃこらガムシャラに、ランの葉を食べている。
うん……きっと今はいいんだよな、これで。
幼虫はやっぱり幼虫なのだ。
「メグも将来きっと、美人さんになるんだろな」
「えー。メグすでに、こんなに可愛いのにー」
真剣に虫を観察する、無邪気な幼妻の頭を撫でていると職歴書が震えた。
『トピックス:養蝶士LV1を獲得しました』
虫つきの花鉢はメグの家に置いて、午後のバイトに出かけた。
先日チラシをポスティングした『発酵薬効ドリンク』の実物の宅配だ。
それも、ただ配達するだけでなく、新規顧客を獲得する営業も兼ねて王都を歩き回った。
家の様子を観察したり、逆にカンで飛び込んでみたり。試供品を配ったり、ここぞ!という時は『自分で美味しそうに飲んで』みせたり。
おかげで薬毒士と配達士が2ずつ、地図士と占い士が1ずつLVアップした。
ふぅ、発酵ドリンクの飲み過ぎてもうお腹がタプンタプンのパンパンだ。
……ちょっと飲み過ぎたか??
現在、配達士のLVは6。
この先、隠密シナジーの『忍び足』、魅了眼シナジーの『獣魅了』などのスキルが獲得できる理由も、なんとなく理解できてきた頃。
本日なん度目かの職歴書の震えが来た。
『トピックス:香具士LV1を獲得しました』
…………ヤシって何だっけ???