Ⅰ-1: ハンターはつらいよ
異世界のど真ん中にある『チグリガルド王国』へ漂流した頃まで、話を遡る。
*ナミ ダナシニ ハカ タレヌ コ コマデノア ラスジ
昨日、俺は自宅自室の火事で煙に巻かれ、死んだ。
けれどもたどり着いたのは天国でも地獄でもなく、幻想的な花畑だった。天国でも地獄でもないなら煉獄か?と思い浮かびかけたが、それだけは勘弁して欲しいと身震いした。
火事で死んだ先の世界で焼かれ続けるだなんて、因果すぎるにもほどがある。
そして異世界漂泊の初朝、つい先ほどのことなのだが。気づけば俺は、『衛兵隊本部』の留置場で臭いメシを食っていた。
何故そんなことになったかって?
聞けば、押収された寝間着がわりのスウェットと、この世界での囚人服が似ていたせいで『脱獄囚人』と間違われたのだという。
髭づらの衛兵隊・副隊長の "今回は大目に見てやるが、趣味の悪い服はココに捨てていけ" という捨て台詞が、今でも腸を煮え立たせている。
こんなひどい仕打ち、運命の女神はどこで油を売ってやがる!?と会ったこともない女神にボヤきたかったが、油を注がれるのも怖かったのでやめた。やめやめ。
ちゃんとあの世へ成仏できるまで、異世界の冒険するのなら、運命の女神を敵に回したくはないしな。
『チグリガルド王国衛兵隊本部・正門』
ということで、ここを冒険の旅のスタート地点、物語の一ページ目に設定しよう。
……序章は色々と汚れてしまったので、心の中で破いて捨てました。
ふぅうと深く深呼吸し、俺はレンガ仕立ての赤茶けた街を見渡した。
昨晩は夜遅くに馬車で連行されたので、地理がさっぱり把握できないが、最新VRRPGなど比較にならないほど美しい街並みが眼前に広がっている。
衛兵隊本部は王都の南端に位置する『正門』と一体化しており、街を挟んだ北の端、小高い丘陵の上にチグリガルド城が見える。……だからといっていきなり王へ会いに行くほど、俺は馬鹿ではない。
そうかといって丸腰のまま、門から外へ出るのも危険らしい。
チグリガルドの獣はときに人を襲う、モンスターに近い存在だと聞かされたからだ。……衛兵に止められなければ、うっかり出るところだったよ、危ない危ない。
そんなこんなで俺は、検問を終えて街に入る人の流れに乗り、城へ向かって敷かれた石畳の『新王通り』を北上することにした。
見知った顔の見当たらない世界。
人目を気にせず街を眺めながら歩けば、自然と胸が熱くなってくる。
石畳を進むことおよそ10分。王都の中央には二本の時計塔に挟まれ、賑やかな市場の喧騒に彩られた広場があった。
見上げた白黒二本の塔の時計は一巡りが24目盛りで、しかも白と黒の塔が指し示す時刻が異なっている。
文字盤の装飾も凝っていて、そこはかとなく神秘的だ。
時計塔下の市場に並んでいる野菜や果物、それらを使ったであろうファスト・フードは、色形から匂いまで何もかもが異形で新奇なものばかり。
……うへぇ。あんなケバケバした魚、食べられるのかよ。
そんな異世界の風景に目を奪われながら、広場を抜けて王道をさらに進むと、やっとお目当ての建物が見つかった。
『王都立ジョブハンター・サポートセンター』
おぉ、これだこれ、衛兵隊で聞いたやつ。
異世界に来たからには狩りで稼ぎ、料理を堪能しなければ、冥途の土産話にもならない。
センターのロビーは満員御礼、俺よりずっと強そうな猛者たちで溢れていた。
ちょうどハントから帰って来たところだろうか?
強面のハンターたちが真剣な顔で書物を片手にスキルを出し入れしている。
生産職の冒険者も多いのかハンマーや物差しなど、工具を具象化させて見せ合う姿もあった。
『ハント情報・掲示板』を見ておきたかったのだが、人だかりが途切れず近寄れないまま俺の番号が呼ばれる。
俺の冒険の旅の案内役は、色白ショートボブの冷たい眼鏡っ娘だった。
「担当の『ジミュコーネ』です」
名刺を差し出す手つきも含めて、ずいぶんとお堅い感じの人だ。
見た目は俺と同い年くらいの可愛い子なのに、すんごい堅気。
「まずは冒険の職歴書を出して下さい」
「それ、持っていないと駄目ですかね?」
「どこで失くされたのですか?」
信じてもらえない説明は時間の無駄なので、何とか押し切ろう。
「……記憶喪失……なのですが……」
彼女が眼鏡の奥から俺の目をじっと見つめてくる。
「……そうですか。ではこの一覧から職歴書をお選び下さい」
ふぅ、なんとか乗り切った。
いよいよ念願のスキル書が手に入りそうだ。
『冒険の職歴書・価格一覧』
・バニラ (50,000G)
・プロ (85,000G)
・ホーム (100,000G)
・ドラゴン (時価)
「あの。俺……1Gも持ってないんですが???」
っていうか最初の町の基本装備が5万とか、おかしくないか???
始めから終わってないか?
「少々お待ちください」
席を外してすぐに戻ってきたジミュコーネさんの手から、オレンジ色の装丁を施した書物がカウンターへ滑り降りた。
『冒険の職歴書【ドラゴン版】』
価格一覧で(時価)と書かれ値段の分からなかった職歴書だ。
「こちらの在庫でしたら、今なら無料でお差し上げが可能ですが」
「本当ですか!?いただきます、これでいきます!」
「ではさっそく初期設定をしましょうか……」
彼女が埃を払って封を切ったスキル書を俺に向けた。
「……表紙に手を置いてご登録下さい」
俺はうやうやしく左手をドラゴン版の革製の装丁に載せた。
蛍のような光がカウンターを漂ったかと思いきや、急激に絞られ吸い取られる感覚に陥る。
「酔いやすいので歯を食いしばってるといいですよ?」
早く言ってください……ぐぬぬぬぬ。
光が収束すると、カウンターにもたれたい程の疲労感に襲われた。
ぐったりする俺のことは気にも留めず、彼女は職歴書のページを捲る。
とたんにバチッと音がして、ページに浮かびかけた文字が掻き消えた。
「すみません、すぐに再起動しますね」
ジミュコーネさんはクールな表情を崩しもせず、眼鏡のポジションを直した。
すました顔で再起動を済ませ、彼女はほんの少しだけ眉をひそめた。
「なにか問題でもありましたか?」
「焦らず、明日から頑張っていきましょう」
と職歴書を返却された。
「えっ、終わりですか?」
「ハンターセンターの終了時刻ですので……チュートリアルをしておいて下さいね。夜は大概ここにいます」
ジミュコーネさんの説明が終わらぬ内に柱時計が鳴り、営業終了となった。
12時で営業終了とか早すぎるだろ!
彼女が風の様に去った後には、どこかの酒場の名刺だけが残った。
……まぁいい。職歴書もタダで手に入ったことだし、早速ハントの準備でもしようか。
職歴書を開くと一見なんの変哲もない紙の上に、文字が光って浮かんだ。
〇就業ジョブ一覧 (CAP2)
なし
・予備職
皿洗士 LV1 (new)
浮流士 LV1 (new)
同時に、お気の毒ですが……という言葉が俺の頭に浮かんだ。