ヒーラーはつらいよ
一瞬、太い虹が架かったのかと思った。あるいは七色のオーロラのようなもの。
色とりどりの光の帯が宙を踊り、眷属のスワロンドを一網打尽に薙ぎ払う。
「……すごい。。。」
赤い染みだらけの草むらに紫色の雪が降るような、不思議な光景だった。
傷ついた誰もが空を見上げていた。
やがて現れたのは頑強な馬車とそれを取り囲む騎士、魔法使いなどなど少数ながらも衛兵隊など比較にならない程、圧倒的な空気を纏った一団だった。
金の布地に白で花を刺繍した荘厳な団旗が、進軍速度だけで軽くなびいている。
けれども助かったと思ったのは束の間でしかなかった。
騎士の一行は倒れて呻く俺たちのことなどには目もくれず、シュッドの森へ向けて突き進んでゆく。
「ちょっと待ってくれよ、頼む!」
追いすがる俺の声に先頭の騎士が小さく首を振り、輝く槍を行く手にかざした。
「お願いします、止血だけでも!」
それでもしつこく食い下がり、警備士の『大声』スキルを使い、俺は土下座をしながら叫び続けた。
「お願いしまっ……」
馬車の車輪に弾かれた小石が、頬をかすめて鼻柱を砕いた。
落胆に沈みかけた反動で、絶望と憤怒の叫びが腹の底ら出かかった時。
土下座の尻の方で馬車が急停車する音がした。
俺は馬車に向かい直して再度、頭を地に擦り付けた。
木扉が開く気配とともに一人の女神が戦場に降り立つのを、俺は見上げた。
金の刺繍をほどこした乳白色の法衣と、ドラゴン版との格の差が一目でわかる神々しい金色の冒険の職歴書、ベールから覗いた花びら色の唇。
これを女神と呼ばぬのなら何と言い表せばよいのか分からない、この世のものとは思えぬ高貴な立ち姿がそこにあった。
「どうか癒しの御手を。仲間を助けたいのです!」
うなずいた戦場の女神が、ふわりと歩み寄ってくる。
「姫、かような者どもと関わっている時間はございません」
鉄槍の騎士が一人、姫を遮るように立ちふさがった。
「傷ついた臣民も助けられなくて、どうして魔王など倒せるのです?」
とは言うものの倒れた人々を見回し、数の多さに少し困り顔をしている。
「このような人数では間に合いませぬぞ! 大事の前の小事とお諦め下され」
それでも何かを決意したように、姫は俺の目の前へやってきた。
ピンク色の髪の毛先と花の香が、膝をつく俺の鼻先で交差する。
「よく頑張りましたね。私たちも急いでいるので早く冒険の職歴書をお出しなさい」
言われるままに俺は、冒険の職歴書を姫に差し出した。
……ちょっと待て、俺。
この人は姫や女神なんかじゃない。
『マスケット帽の少女』だ!
「あの……俺……こないだは…………」
しっ、と唇に指を当てて印を描き、姫は俺の片手を握った。
職歴書どうしをピタリ直結させ、光る謎文字が俺の側へと移される。
むせ返るような密度の濃い香りが、鼻の奥へと抜けてゆく。
芽から蕾へ、蕾から花へ、咲き乱れるような感覚が入ってくる。
胸が高鳴り膝がガクガク震え、ひらひらと散ってゆく。
ものの数秒、言葉を交わす間もなく彼女と俺の儀式は終わった。
顔を上げて目を見ることもできなかった。
その途端、俺の職歴書からバチッと火花が散り、姫が悲鳴を上げる。
「えっ? どういうこと? どうして?」
姫が驚いて自分の黄金色の冒険の職歴書を捲った。
「リリベル、急ぎなさい!」
ローブを目深に被った老人が、節くれだった木の杖を片手に姫を急かす。
「これからも民の力となりなさい。それが私と貴方の契約です」
「はい、感謝します!!」
今の俺には一言、お礼を言うのがやっとだった。
姫は従者の馬を乗っ取り、一団に前進を号令した。
夢心地のまま姫の後ろ姿を見送った俺は、正気に返ってマリアンナに駆け寄り職歴書を開いた。
『花葉装飾師 LV24を受領しました』
『就業キャパが999に急上昇しました』
俺は新職をキャパに突っ込んで紙面を確認する。
回復系スキルはどれだ?震える指で紙面をタッチし、回復系を検索する。
検索結果:
花葉装飾師スキル
LV24 職人武具 拡散の癒水如雨露
LV16 癒水如雨露
LV 8 活力発奮剤
どれがいい? いや、レベルの高い方から全部試せばいい。
俺はマリアンナの脇で拡散の癒水如雨露を使用した。
具象化する如雨露を握ると、勢いの激しさに両手でも振り回される。
闇の紫と血の赤に染まった草原の辺り一面に、淡い香りの雫が降り注いだ。
誰も彼もが若返ったように立ち上がり、腰の曲がった爺さんが愉悦の表情を浮かべている。
闇の眷属と化していた草花も、萎れた葉先をピンと蘇らせてゆく。
今まさに森の中へと入りかけていた姫の一行が、代わる代わるに立ち止まり指をさして見上げている。
「タイガ……」
マリアンナが薄っすらと瞼を持ち上げた。
「マリアンナ、口あけろ」
俺は手のひらに溜めた癒しの滴を彼女の口に注ぎ込んだ。
「……ありがとう」
「ありがとうじゃないよ、まったく。無茶しやがって」
「てへへ、ちょっと頑張り過ぎちゃった」
「スカートまでこんなに血まみれになって……」
かろうじて起動した職歴書で魔法の布を脇腹へ貼り、マリアンナはようやく微笑んだ。
生き延びた喜びを二人でゆっくり確かめ合う間もなく、俺のヒールで回復した人たちが、次々に握手や抱擁を求めて集まってくる。
「さすがは、お花畑のタイガ殿!」
「ありがとう!お花畑さん!」
「お花畑、万歳! リリベル様、万歳!」
………………お花畑いうなし。
こうして、ボロボロになりながらも、俺の初陣は幕を降ろした。
翌日、『孵化した悪夢の卵が、チグリガルド姫リリベル様とその親衛ガルベラ騎士団によって討伐された』というニュースが、幸先の良い知らせとして王都中に伝えられた。