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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
86/86

エピローグ②



 大通りの花屋で花束を買い、私たちは城西地区の住宅街に建つ教会に辿りついた。


 教会は酷く傷んでいて、ガラスが割られ壁が崩れている。



「ひどい……」



 アヤが泣きそうな顔で呟いた。



「……」



 半壊した教会を見上げ、私は花束を握る手に力を込めた。


 ケイン・ルースが割り当てられていた教区教会だった。


 人の口に戸は立てられない。騒動の渦中にあった頃は皆気にしている余裕が無かったが、落ち着いてから、ケインの教会と知って怒りをぶつけ出したのだろう。騒動でのリディアの民の死傷者は最終的に五百余名と明らかになった。



 私に責があると思うのは、おこがましいことだろうか――



「ステラ?」

「いえ……行きましょう」



 私とアヤは瓦礫を散らす教会の横を通り抜け、草が伸びざらしの裏へと回った。



「あ……」



 アヤが声を出して足を止めた。


 ケインの墓の前に、タキシード姿の女性が立っている。



「ん? ああ、来てくれたのか」



 女性は髪をかき揚げてカラリと笑った。


 酒場を経営するリディアの民と結婚し、姓をライデアと改めたケイン・ルースの実の姉、マリアだ。



「こんにちわ」



 私は花束を抱えたまま礼をした。



「こんにちわ」



 彼女はそう言って、墓前を私たちに譲ってくれた。


 私とアヤはケインの墓に花を備えて手を握り合わせた。



「都に、残ってらしたんですね」



 ケインへの祈りを終え、私はマリアを振り返った。



「出て行った方が良かった?」



 マリアが片目を瞑って首を傾げる。



「いえ、そういう意味では……」

「意地悪を言った。冗談だ」



 マリアが煙草を咥えて火を付ける。



「墓を荒らそうとする奴が多くてな。なかなか離れる機会が得られない」

「……」



 都を想い、冒険者のこれからを想っていたケイン・ルースは、結局逆賊の汚名を着せられたままだった。



「そういう顔をしてくれるな。これが弟の望んだ結果なんだ」



 マリアが煙草を吹かして静かに言う。



「アレは自分の理想を見事に叶えて逝った。むしろ汚名をそのままにしておいてくれたことに、感謝してるぐらいだろうよ」



 リディアが崩壊の危機にあったあの日、教は貴族と折衝する主だった教父を失い大混乱となった。


 混乱を鎮めたのは、「愚者派」として残った教父らとサフィアだ。サフィアと教父らは熟考の末、ケイン・ルースを逆賊のままにしておくことに決めた。


 彼が望んだ彼の理想を進めるには、レアード卿のスキャンダルとなりうる事実を伏せるより仕様がなかったのだ。



「それにしても、教は随分思い切ったな。結界問題を暴露するだなんて」



 マリアが煙草を吹かして愉快そうに笑った。



「名だたる教父が、亡くなりましたから」

「なんとも派手な殉職だった」



 彼女が目を細めて、煙草を咥える口に手を当てた。



 殉職――



 死した教父らは、瘴気を溜めて暴走しする結界を守るための人柱だと世に伝えられている。


 残された愚者派の教父らは、結界問題を公表し人々の避難に晒されることで一切の贖罪とする事にした。


 全ては保守派の長老イスハク・チャニングと革新派のサラ・メンデルが画策した、上層部の浄化策だった事だが、かの二人の教父が身に宿していた教への愛、互いへの想いを世に公表することは、どうしても憚られた。



「僧侶と言うのは、大変な生き方なのだな」



 マリアが息を抜いた低い声で、ポツリと呟いた。



「尊敬に値するよ」



 泣きぼくろを端に携えた、バイオレット・パープルの瞳が真っ直ぐに私を見つめていた。



「私は……」



 ともすれば横に流れそうな目に力を入れて、私は彼女をの目を見つめ返した。



「んふっ」



 彼女は誰かと同じような笑い方をして見せて、目を瞑った。



「城南の店を、再開しようと思うんだ」

「え……」



 ドキリ、と私の胸が鼓動を一つ大きくした。



「毎日来てやらないと、弟の墓が荒れるからな」



 彼女は悪戯っぽく笑ってウィンクしてみせる。



「ほとぼりが覚めるまで、面倒みようと思って」



 彼女がケインの墓に目を向ける。



「……生前、ろくに何もしてやれなかったし、それぐらいはな」

「そうですか……」



 私もケインの墓に目を向けた。


 ケインから彼女の話を聞いたことはなかったけれど、ケインの行動はすべからく彼女のためのものだったように思えてならない。



 会いたくても会えなかった姉が、墓守をする――



「だからな、ひめゆりさん。そういう顔をしなさんな」



 マリアが髪を気怠い仕草で髪をかき揚げた。



「人非人の私がいうことじゃないかもしれないが、今ここにあるものは全て幸運だ」

「幸運?」



 アヤが伺うようにマリアを見上げた。



「そ、幸運。今の私は幸運の犬だから」



 カラリと、彼女が私達に笑いかける。



「思うような結果にはならなかったが、私は弟の墓守をする機会に恵まれた。弟は美人の姉に墓守をしてもらえる機会を得た。そう考えれば、幸運だろ?」



 私とアヤは目を合わせて黙った。


 マリアが紫煙を伴ったため息を漏らす。



「全部投げ出して、私が都を去って、お互い不幸になるよりずっとずっとマシじゃないか」



 地獄極楽は、心の中に有り――


 彼女はそんな風に言っている。



「なんて、これは猫くんから授かった生き方なんだけど」

「ウィルくん?」



 アヤのルビールージュの瞳がキラリと輝いた。


 魔力がちょっと高ぶっている。


 何かの気配を察知したらしい。



「ああ。こないだここで会った時、仇名を泥棒猫から幸運の猫に戻さないかと誘って見たんだが――」



 マリアが喉を鳴らして笑った。



「見事にフられてしまったよ」

「ええ!? なんで? なんでよぅ!」



 アヤが妙に悔しがった。


 私は、ただ黙ってマリアの言葉を待った。


 多分今の私は、表情が消えてしまっているに違いない。



「『いいか良く聞け、幸運の。幸運の猫だ泥棒猫だなんてあだ名は全部人が勝手につけたもんだ。俺にゃてめえで決めた通名がある!』」



 マリアがウィルの口調、身振りを器用に真似て見せた。



「『幸運? のん。泥棒? のん。俺を呼ぶならトレジャー・ハンター、そう呼んでくれ。にゃはははははは!』」



 八重歯をチラつかせて大見得をきる、ウィルの姿がありありと目に浮かんだ。



「そのウィルくん、ちょっとテンション高くない? 面白いことないといっつもやる気無いのに」

「ああ、ちょっと照れ気味だったかもな。私が握ってる弱みのせいだろう」



 マリアが可笑しそうに笑った。



「むふーっ、弱み弱み、弱みですよねえ」



 アヤがルビールージュの瞳を蕩かせてにんまり笑った。



「……?」



 私は一人首を捻った。


 いつも隙だらけのようで全く隙のないあの猫の、どんな弱みを二人は握っているのだろうか。



「さて、私は開店の準備を進めるとするよ」



 マリアが吸殻を携帯灰皿に入れて、胸の谷間にしまった。


 彼女のマジックバッグは胸の谷間にあるらしい。



「二人はこれからお出かけ?」

「はい! 城北でショッピングです!」



 アヤが満面の笑みで答えた。



「そうか。楽しんでくるといい」



 マリアはそう言ってのんびりと教会の門の方へを歩き出した。



「――ん、城北?」



 彼女が足を止めた。



「……?」



 アヤが訝しげに首を傾げる。


 マリアはしばらく空を見上げたまま黙っていたが、やがて私の方に顔を向け、



「いってらっしゃい」



 そう言った。



「……」



 私は何も答えずに、ただ頭を下げた。




     ○


「なーんか、夢みたい……」



 馬車の車窓から外の景色を見ていたアヤが、ぼんやりと呟いた。



「え?」

「つい二ヶ月ぐらい前まで、うちなんて仕事もロクに取れない零細だったのにさ。今じゃリディアのセレブ街でショッピングできるくらいなんだもん」

「それだけのことを、貴女達はしたのよ」



 アヤは私を制度実現の立役者だと言ったけど、私はむしろラブリッサの皆の力だと思っている。


 冒険者雇用制度の実現だけでなく、大結界の動作不慮から始まった今回の騒動の解決に、ラブリッサ商会の活躍は必要不可欠だった。



「それだけのことを、貴女はしたの」

「ステラにそんな風に言われると、本気にしちゃうよ」

「あら、私はいつだって本気よ」

「えへへへ……」



 アヤが照れたように笑った。



『次は大聖堂前、大聖堂前に停まります』



 馬車の運転手が停車場を告げた。



「おぉぉ、昼間に正々堂々上陸するの初めてだよぅ! ききき、緊張してきたぁー……」



 アヤが膝をガクガクとさせる。



「最近は冒険者も結構出入りしてるから。降りてみれば、きっとすぐに慣れると思うよ」

「そ、そうなの? それなら安心だよね? 安心よね、うん……」



 商いではまさに虎の勢いを見せるアヤも、こうなると形無しだ。



 馬車が停まった――



「うわぁ……!」



 日の照り返しに輝く石畳、神殿の柱をモチーフにした魔法街灯、古代の情緒を残した白を基調とした街並みに、アヤがルビールージュの瞳をキラキラと輝かせた。



「すごいすごい! おとぎの国に来たみたい!」

「ふふッ」



 私も工房街に初めて足を運んだ時に同じような思いをした。


 大聖堂学び舎、大聖堂と城北をホームにしてきた私にとっては見慣れた景色でも、アヤにはきっと何からなにまでもが新鮮だろう。



「ほ、ホントだ! アタシとおんなじ体格の人がぎょーさんおる!?」



 街を行き交う人々に、アヤが目を丸くして驚く。



「ね? しかも、アヤみたいな人のほうが男性を連れてる率が高いでしょう」

「ホンマや……」



 リディア城北地区は、幼女趣味の男性と少年趣味の女性が割と多い。



 変態の街か――



 自分で自分にツッコミを入れながら、私はポンポンと頭を叩いた。



「で、これがステラの職場……前に来た時も思ったけど、ごっついわぁ……」



 アヤが大聖堂を振り返って口をあんぐりとさせた。


 建築から七百年と言われているリディア大聖堂は、リディアでも最重要文化財に指定されている。



「アヤ、その――」

「おぉ!? なんや冒険者がおる! えらい集まっとる!?」



 アヤが妙に大きな声を上げて大聖堂の入口に目を向けた。


 灰色の神父服を来た巡礼神官二人がビラを配っていた。



「巡礼神官の一般公募か……」

「一般公募?」

「ええ、冒険者雇用制度の実施に伴って――」



 教の巡礼神官は冒険者資格を持った「冒険者の僧侶」という新しい僧職となり、冒険者からも教に帰依する者を募っているのだ。人々の旅を助けながら修行を重ね、女神の教えを大陸に伝える聖職者として行脚する冒険僧、それがこれからの巡礼神官だ。



「むぅ、なってないわ! ビラの配り方がなっとらん! むふーッ!」



 私の説明を聞いていたアヤが、腕を組んで鼻から熱気を噴射した。



「あのアヤ――」

「ステラ、アタシちょっとあの神父さんらのバイザーしてくるから、ちょっと自由にしとって」

「え?」



 アヤがパチッとウィンクして、冒険者に囲まれてあたふたしている巡礼神官に向かって駆け出した。



「アヤ……」



 アヤの背中を見送って、私は少しの間固まった。


 私の右手には、今一枚のコインが握られている。



「……ありがとう」



 冒険者の人集りに突撃し、巡礼神官にビラ配りをレクチャーし始める遠くのアヤにお礼を言って、私は大聖堂の門を潜った。




     ○



 人生とはコイントスの連続である。


 欲求で弾いた思考のコインが、本能理性の風を受けて回転する。


 コインはやがて回転を止め、裏か表か、イエスかノーかの答えを導き出す。



 ――イエスか、ノーか



 それ以外に答えなど存在しない。


 例えば「二人の女性のどちらかを選べ」という選択を与えられた時、「どちらも選ばない」という第三の選択肢を選んだとしても、選択はやはりイエス・ノーだ。


 女性を選ぶか選ばないかの「ノー」の選択でしかない。


 だから俺は、今日も今日とてコインを弾く。


 リディア大聖堂の最奥の、小さな部屋の一室で、かつての同期と向い合いながら。



 手で女神のコインを弾き、頭の中で、思考のコインを弾き続けている。



「冒険僧となった巡礼神官の、管理をどうするかの議論が滞っている」



 眠れる獅子、サフィア・ウォードが仏頂面で言う。



「だろうな。日がな一日暇なもんで大体の事を考えてみた」

「んん」



 机の正面に座ったサフィアが、羽ペンを構えて紙の上に構えた。


 俺は一度コインを弾いて、頭の中の言葉を整理した。



「まず冒険者から巡礼神官になったもの、これは基礎を学んだばかりで大陸に放たれる。となると身につけたのは教の基本理念と少々の祓魔術、なら『祓魔士』とするのが良いだろう」

「祓魔士、か」



 サフィアがガリガリと紙に俺の言葉を記録する。



「次に大聖堂の学び舎の卒業組だな。彼らは冒険者に比べて女神の教えや術式の習得具合が高い。となればこれは『準導士』」

「準導士?」

「教の僧侶を導士と呼ぶことがあるだろう。これを巡礼神官の僧位として用いる」

「んん……」



 言葉が湯水の様に湧いてくる。


 サフィアがそれを片っ端から書記していく。



「経験を積んだ準導士は、名実共に人を導く士たる『導士』の称号を得るわけだ」

「んん……」

「導士となれば弟子を取れる。そうさな、まずは準導士以下の巡礼神官を三人〜五人と言ったところじゃないか?」

「導士の教での位置づけはどうする? 僧位だな」

「司祭相当位だろうな。教区神官であれば学び舎卒業後いきなり司祭位だが、やはりそこは巡礼神官、修行を経て導士となって初めて司祭位と言うのが妥当だろう」

「……ん」



 サフィアが導士の横に注釈で「司祭位相当」と注釈を入れる。



「さて、導士が弟子をとってなおかつ修行を重ね、相当の実力と名声を手に入れたならば、士を導く匠な師としての資格を得たこととなる。師匠の師で、『導師』だ」



 サフィアが導師という字を紙に記す。



「これは司教相当位となるが、者によっては大司教相当位を与えても良いだろう」

「巡礼神官が大司教位を得るのか」



 サフィアが羽ペンを止めて俺を見る。



「いずれそういう世になる――」



 俺はコインを弾いて「にへっ」と笑った。



「冒険者雇用制度を通じて世界は大きく変わる。大陸全土が活気づくこと請け合いだ。そのうちに冒険者の中から数多くの英雄が誕生することになるだろう」

「冒険者の英雄……」



 サフィアが腕を組んで目を天井に向けた。



「冒険者雇用制度とはつまり冒険者に与えられた機会(チャンス)だ。大陸を縦横無尽に旅する力だけとってみても、街に暮らす一般の民からすれば稀有な能力となる。そんな冒険者らが雇用制度で機会を得るとくれば、傑出した英雄が現れたとてなんら不思議はない」

「逆もまた、然りだな」



 サフィアが真面目な顔で言った。



「まあね」



 俺は頭の中の思考のコインを落ち着けて溜息をついた。



「いずれにしても、世界は大きく変わっていく。力を持ったもの達が次々に世に出てはじめる。それは術士戦士、商人職人、職種を問わない。旅の助けとなる巡礼神官の中には英雄の伴をする者とて出てくるだろう。巡礼神官の中から英雄が現れる可能性だってある」

「んん……」



 サフィアが戸惑いがちに眉を顰めた。



「巡礼神官の師匠たる導師の位は、大司教位まで上限を押し広げていたとてなんら問題はない。なあに、はじめから大司教位の導師を据えようなどと思い悩む必要はない。なれる可能性があると思わせておけば、皆一層の努力をする。これまで不遇であった巡礼神官の見方が変わる。まずは教徒の意識改革の意味合いからも――」

「いや、んん……」



 サフィアが困ったような顔をして首をさすった。



「なんだ? 何か問題があるか? ならば導師の上に『使徒』等という僧位を設けてはどうだ? これはもう大司教位と決めておいて――」

「まて、レヴィ、待ってくれ」

「なにか?」



 俺はコインを弾こうと構えた右手を止めて、首を傾げた。



「速すぎる、ちょっと待ってくれ。こっちの処理が追いつかん」

「おっと失礼」



 俺は苦笑して椅子の背もたれに寄りかかった。



「そうだな……俺は巡礼神官のことばかり考えていればいいが、お前は俺の何倍もの客観的情報から物事を考えている。一本の抜け道を探すに特化した俺の思考を相手取れば、そんな風に戸惑いもしよう」

「……」



 サフィアがこれみよがしに溜息をついてみせた。



「なんだよ。俺と君との仲じゃないか。言いたいことがあるなら遠慮なくうたうがいいよ」



 俺は「にへっ」と口元を緩めた。



「いや、んん……」



 テーブルに視線を落としたサフィアが、チラリと一瞬だけ、俺にチャコールの瞳を向ける。



「二度死んでも、お前のそれは落ち着かんのだな……」

「それとはなんのことだ? もう少し具体的に」



 俺は身を乗り出してサフィアの顔に自分の顔を近づけた。



「むしろ前より酷い」

「んふっ」



 俺は笑って机に頬杖をついた。



「仕方がないだろう。人間の命には限りがある。限りある世界を、人を、森羅万象を俺は愛してしまっている。ならば命の限り、全力で、コインを弾い弾いて弾いて弾いて、選択し続けるしかなかろう」



 そう、生きるとはそういうこと――



「イエス・ノーで、自分の出来る限りをし続ける。それが世界に対する俺の愛の示し方だ」

「ウィルが教の僧侶を変態と決めてかかる筈だ。近くに居たのがお前ではな……」

「うん?」

「いや。んん」



 サフィアがインクやら羽ペンやらを片付け出した。



「なんだ、もういいのか?」

「ん? んん」

「つまんねー……もっとゆっくりしていきなよサフィアん」

「お前までそれか……」



 サフィアは今、城南外れの教区神官の仕事をこなしながら、大聖堂の上層部で引っ張り凧のご意見番となっていた。


 土木建築の仕事は辞めたらしい。


 戦友紋章の謎を解き明かした賢者、都の動乱の中で様々な禍事の初期消火をして回った先見の明、俺が自意識に引きこもってなんやらかんやらすったもんだしてる間に、聖ライアリス教内部でのサフィア・ウォードの名声は相当なものになっていた。



「んん……」



 サフィアが書類を丁寧に纏めながら薄く笑った。



「気付かないと言うのはお前らしくもないが、いっそお前らしい」

「……?」



 謎かけのような言葉と、珍しい獅子の微笑みに俺は首を捻った。


 ふと、部屋に満ちる空気に甘い香りが漂っている。



 これは――



「面会交代だ」



 そう言って席を立ったサフィアの大きな体の後ろ、鉄格子の外に、谷間の姫百合ごとき女性が立っていた。


 鉄格子と言うのは、牢屋に据えられているスカスカの柵状の鉄棒と言う解釈で間違いない。



「……」



 俺は前髪を乱して目を隠した。


 会話に集中しすぎていて、彼女の接近に全く気がつかなかった。


 サフィアは何も言わず鉄格子の扉を潜って外に出た。


 扉を押さえてサフィアが彼女の動きを待ったが、彼女は一向に中に入ってこようとしなかった。



「閉めていい」



 鈴鳴りの声がそう告げた。


 サフィアは黙って言葉に従い、扉に錠をかけて退出した。



「あー……」



 俺は席を立って、彼女の前まで移動して頭を掻いた。



「や、こんにちわ」

「こんにちわ」



 鉄格子を挟んで、お互い軽い挨拶をし合う。


 意識を取り戻して以来、会うのはこれが初めてだ。


 騒動からすでに一週間が経過しているのである。


 なんの心の準備もないままだったので、何を口にしていいかがわからない。



「えーっと、あー……」

「なに?」



 彼女はただ冷然とそう言った。


 通路の窓から差し込む光を受けて、白い小さな聖職帽を乗せたブロンドヘアーは絹糸のように輝いている。


 青い縁どりがされた白の聖職胴衣は清廉で、鎮守の森の湖畔のようなサファイアブルーの瞳は知恵の光を湛えている。



「……」



 見とれてしまって一言目が出てこない。



 いい天気ですね――

 は陳腐すぎる。


 新結界の構築始まったね――

 も違う。


 冒険者雇用制度の実施――

 だめだ、脱線してる。



「〜〜〜〜ッ!」



 浮かぶ単語のどれもこれもが逃げだ。


 一番言いたいことを避けてしまっている。



 言いたいのに言えない無意識の逃げ――



 自身の中にある答えに、たどり着くのがこんなにも大変だ。



「いい部屋ね」



 彼女は腰に手を当てて、小首を傾げた。


 大聖堂の奥も奥、隔離に隔離された、座敷牢なのである。



「どう? 大聖堂のVIP待遇は」



 鉄格子には教の修道神官と監察神官が知識の贅を尽くして強力な封印をしてくれた。


 身体には魔力を封じる術式が施され、かつてのワイズ・グレーの姿になることを完全に禁じられた。



「悪くないね。臭いものには蓋をするって感じで」



 俺は口元を緩めて笑った。



「くつろいでいるようね」

「うん?」



 彼女の鎮守の森の湖畔のようなサファイアブルーの瞳が部屋の一点を穿っていた。


 座敷牢の奥のソファーの上の、いかがわしい挿絵で構成された雑誌――端的に言ってエロ本である。


 聖職者の中の聖職者であるサフィアがこんな気の利いたものを自発的に差し入れてくれるはずもなく、「脳髄が焼き切れそうだッ!」と充血させた目を剥く渾身の演技でもって手に入れた代物だ。


 俺は鉄格子を掴んで、彼女の視線を遮るように立ち位置を変えた。



「その後どう? 髪伸びた?」

「髪は今この瞬間にも伸びているんじゃないかしら」



 彼女が澄み切ったサファイアブルーで、冷ややかに俺を見つめる。



「……ま、そうですよね。厳密に言えば、そうですよね」



 彼女の速い切り返しに俺は消耗策の相槌を打った。


 どうにも彼女を前に会話を続ける力がない。


 彼女を前にして思考のコインが湯水のように言葉を沸かせたのは、青春時代というかつての日のことだ。


 つい先日、青春時代の僕に戻って暴虐の限りを尽くした俺なのだが。



「あー、その……」

「なに?」

「……ありがとう」



 これも、なにか違う。


 いや確実に、胸の中にある本当に言いたい事ではない。



「何に対して?」

「いや、その……サフィアが面会に来るのは、君が上層部に進言してくれたことらしいので……」



 今の俺の立場は、危険人物としての隔離監禁される罪人だ。


 かねてより恐れていた再修行よりはずっと自由で気ままな生活なのだが、永年この座敷牢での禁固刑を申し渡されているとくれば楽観も出来ない。



「礼を言われるような事ではないわ。貴方の罪は死しても許されないものだと私が断じたのよ」



 教の若いご意見番となったサフィアの相談役が、今のところ教から依頼される俺の日々の仕事だ。



「ま、そうですよね……」

「これはあなたに対する刑罰です」



 彼女が、冷ややかにそう言い放つ。


 結界の不正接続による大結界の権限奪取、瘴気を利用しての大規模なテロ行為、これらの罪は大聖堂監察の長である彼女の手によって誅されるだけでは償いきれず、今一度世に戻されるという形で刑罰が執行された。


 かつて修行時代にワイズ・グレーが――俺が考えた反魂の術「甦れ(リザレクション)」は、戒律の番人、大聖堂監察の神官長が行使の権限を持つこととなり、今のところは教に置ける最大最凶の「罰」という扱いに収まっている。


 死しても罪を許されることのなかった俺は、再び死と向い合いながら生きて罪を滅ぼさなければならないらしい。


 もちろん、全ては大聖堂監察の神官長の監視下にあってのことだ。



「生き返してくれて――」

「刑罰よ。貴方の犯した罪は万死に値する」



 彼女は二の句も告げられないようなきつい口調で行った。



「ごめんな――」

「……」



 彼女がじっと俺の瞳を覗き込む。



「――さい、は違います。そうじゃないんです」



 ひたすら思考が逃げようとする。


 言いたい言葉は頭の中に存在するのに、口から出すことが出来ない。



 言葉が、出てこない――



「何もないならもう行くわ。ちょっと様子を見に、寄っただけだから」



 彼女が目を糸にして微笑んだ。しかし、肝心の細められた瞳の方が笑っていない。



 気ままな座敷牢、それでも永年の禁固刑――



 ここを逃して、彼女と二度と会えなかったらどうする?



「ステラ、待った、ちょっと待ってくれ」



 俺は深呼吸をして、右手にコインを構えた。


 言いたい言葉は確かに頭の中にある。


 だが、その言葉を言うほど自分の思考を自分で追い込むことが出来ない。



 彼女に言いたい。俺は言いたいんだ――



 俺は右手にコインを呼び出し、親指で弾いた。



 ――パシッ



 彼女の左手が俺のコインを捕まえた。



「……あら?」

「サフィアは、貴方の思考の落ち着きのなさに辟易しているそうよ」

「あ、そんなに……?」

「彼は誰かさんのせいで今の忙しさを手に入れた。気を使うのが筋ではなくて」

「ごもっともで……」



 俺はコインを弾いた姿勢のまま固まった。



「……」



 彼女が溜息をしながら、俺の右手の上に右手を翳した。



「貴方に貰ったプレゼントのお返しをしてなかった」

「え?」

「『退魔の剣』と言うのだそうね」

「え? ええ、まあ」



 彼女の杖の先に装着された、圧縮鍛造のコインの鎖の事だ。


 プレゼントと言うよりは、回収前に改造されたというのが正しい。



「これはそのお返し」



 彼女の右手からコインが溢れ落ちた。



「――っと。コイン、一枚……?」

「貴方の忙しない頭を、落ち着かせるための、女神のコイン」



 俺はコインを指でつまんで片眉を上げた。



「イエスがない……」



 両面の女神が怒りの戦女神だった。



「死しても許されない遊び人におあつらえ向きではなくて?」



 彼女が聖女のような満面の微笑みを浮かべた。


 両面怒りの表情のコインと、目の前の微笑む彼女、



「……」



 ノーの答えしかでないコインを一度弾いて、右手で掴む。


 開けた所で答えはノーに決まっている。


 逃げ道がどこにもない。



「ステラ」

「なに?」

「愛してる」

「そう」



 彼女は微笑んだまま頷いた。



「ひめゆり」

「なあに?」

「愛している」

「ふうん……」



 彼女はやはり微笑んだままだった。


 息を吹き返してから、俺はずっと考えていた。



 彼女が二人に分かれてしまった理由――



 かつて修道女を演じていたひめゆりのステラは、俺の死に際し教における絶対禁忌である反魂の術をつかった。


 それは、戒律を守ろうとする修道女と、我が儘な乙女のひめゆりの決定的な乖離を生むストレスだった。



「ステラ、俺が君を――」

「レヴィ」



 彼女が微笑みを消して、いつもどおりの涼やかな表情に戻った。



「……はい」



 俺は居住まいを正した。



「私は、貴方に言ったはずだよ」



 彼女が、修道女とひめゆりの中間のような声を出した。



「うん?」



 頭の中に、記憶される彼女の発言が溢れかえる。



 さて、どれのことだろう、なんのことだろう――



「私は貴方の言葉を信じない。私は監察の神官長で、貴方は巡礼神官の破戒僧なのよ」

「……」



 言葉でなく、行動で示せ――



 そういう意味だ。



「私は貴方を赦さない」



 鉄格子の向こうの彼女は、横髪を掬って俺の目の前を横切っていく。


 かつては彼女を、この腕の内に抱いていた。


 腕を伸ばせば、唇を押し付ける事が出来た。



 牢に繋がれた今の俺に、返せる答えはない――



「……いつまで?」



 俺の問いかけに、彼女は廊下の少し先で足を止めた。



「私が生きている限り、ずっと」



 背中越しに彼女が言う。



「レヴィ――」

「うん?」



 彼女の首がほんのわずかにこちらを振り向いた。


 鉄格子のせいで、どうしても彼女の顔が見えない。



「抜け出してごらんなさい」



 彼女はそう言い残し、そのまま振り返らずに歩いていってしまった。



「……」



 俺は左手をポケットに突っ込んで、頭を掻いてから右手のコインを構えた。



 最後に彼女は、微笑んでいたのだろうか、怒っていたのだろうか――



 女神様にお伺いを立てようにも、手にした女神のコインは、両面共にノーである。


βテストが終了致しました。

最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございます。

タイトルの割に、ヒーロー・ヒロインが冒険者じゃない罠。


人は皆、人生を生きる冒険者なのであります(キリッ


改訂と言っても、内容は殆ど変わってなかったりして。

いじれば弄るほど、おかしくなるのであります

ああああああ……


――そんなわけで、ご意見ご感想、採点等々、お気軽に。


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