表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
82/86

76.「終焉の刻」



「馬鹿、な……!?」



 サフィアが身を震わせて呻いた。


 彼の身柄を拘束しようとする僧侶はもう誰もいない。


 監察神官も、修道神官も、諸教父も、皆が皆、長老と若年寄りに畏怖の目を向けていた。



「五年前から今日この日までを……全て予見していたとでも言うのか……!?」


『分かっておらんな、猛き聖職者』

『なんと察しがよい、優しき賢者』



 教父がそれぞれ言葉を口にする。



『為さぬまでも無き事を、わざわざ為さず今日に至り』

『然るべき時、然るべき事を為して、今日を向かうる』



 あくまでも静かで穏やかな、他者を害する全てのストレスが消失した振る舞いだった。



『『それだけのこと』』


「レヴィとステラの争いで、間違いが起こる可能性はあった……!」



 サフィアの瞳が恐怖に揺れ、顔には汗が滲んでいる。


 複雑思考の彼には、教父が「賢者」と認めるだけの卓越した頭脳が備わっている。


 だからこそ、二人の教父の恐ろしさを肌で感じているのだろう。



『暗愚なる者は、修道女を刺し殺し、欲求を果たしていた』

『賢しき御子は、花の香りのする娘を生かすと決めていた』



 サフィアが私に視線を向けてきたけれど、私は首を横に振った。


 思い当たる事は何もない。


 でも、二人がレヴィが私を殺さないための、何らかの策を講じて居たのは確かだろう。


 なんの保険もかけずに、私とレヴィをぶつけるはずがない。



『安心せよ。反魂が失敗しようとも、都を救いし修道女を粗末に扱う事はない。全てはこれにて終わる』

『心配せずとも、瘴気を浄化し大結界を見事に穿った賢しき御子を、無碍に扱う事はありません。これでようやく始められる』



「結界のためにケインを吊るし、希な術のためにレヴィとステラの命運を弄ぶ……!」



 サフィアが涙を溢れさせて床に拳を叩きつけた。



『『全ては世のため人ため』』


「リディアの民は、冒険者は――」



 頭に羅列する数多の情報に苛まれ、サフィアが天を仰いだ。



「がぁああああああああああああああああああああああああッ!」



 獅子の慟哭の雄叫びだった。



『結界も、都の乱も反魂も、全ては禍事、因果応報』

『明日よりは、新たな一歩を踏み出す都。教にさらなる発展を』



 二人の教父が手を差し上げる。



『『全ては女神の思し召し。今宵この時、奇跡が起こる』』


「……それが因果を見通した、保守派革新派それぞれを束ねる教父の予言か!」



 サフィアが肩で息をしながらに言った。



「確かに人はより良き生活を得る……だが人の心が救われない。死んだ者の、魂が浮かばれない!」

「サフィア、だめ……!」



 私は体をよじって、彼に駆け寄ろうとした。


 暴れようとする私を、かつての部下が押さえつける。



『一つ一つは些事に過ぎん。拘る己を捨てるが僧侶』

『大いなる、流れを読んでこそ賢者。広い視野をお持ちなさい』


「暗愚で結構! 人の心を解さぬ僧に、導く士たる資格はない!」



 サフィアの体から陽炎の様に濃い魔力が生じた。



「貴方まで燃やさないで!」



 私は叫んだ。


 彼の魔力は枯渇している。


 それでも彼は、揺らがぬ決意で中枢から魔力を引き出そうとしている。


 魂を燃やそうとしている。



「私はどうなってもいい、教に従う! だからお願い、彼を止めて!」



 私は部下や修道神官に訴えた。



 こんなことはもう沢山だ――



『いやいやいやいや……』

『まあお若いの、そう滾るでない』



 ぞろぞろと、諸教父の数名が壇上から降りて、サフィアの前に立った。



「聞く耳もたん」



 立ちはだかる教父を無視して、サフィアは長老と若年寄を睨み続ける。



『そうかえ』

『これならばどうじゃ』



 教父らがくるりと向きを変え、サフィアと肩を並べた。



「……?」



 サフィアのチャコールの瞳が細まる。



『ほほう、おかしなまねをしやる』

『これは一体どういうのじゃ?』



 壇上に残った教父らが、首を傾げた。



『ほっ、対立は発展のための課程じゃと長殿が言うたはずじゃが?』

『なれば、我々はこちら側がよい』



 サフィアの前に立った教父の二人が、挑むように壇上を見上げた。



『汝賢者を目指す僧にありながら、魂燃やして暗愚で結構――とはの。その声は確かにこの老害の胸に響いた』



 杖をついた一人の教父がカラカラと笑う。



『心動かさずして久しく、揺さぶられたはなお心地よし。いかに悟りに近づこうとも、人ならずして聖職者と呼べようか』



 スッポリと聖衣で顔を被った教父がぼそぼそとサフィアに賛同した。



『もはや保守派も革新派もない。ここからは賢者派愚者派だ。私も司祭サフィアと同じ、暗愚がいい』



 サフィアに比肩する巨躯の教父が、魔力を凄ませる。



「皆様方……」



 サフィアが目を丸くして魔力を静めた。


 聖堂にいた修道神官、監察神官らも、サフィアの周りに集って壇上を仰ぎ出す。


 教における絶対の権力者に、人として問答を挑んだサフィアの言葉が皆が感動を与えていた。



『神官長……』

『我々は――』



 壇上で両脇を抱える部下が、揃って私に顔を向ける。



「自分で決めて良いことよ。所属も僧位もない、今は賢者か愚者かで争っているだから」



 部下二人は揃って頷き、私を抱えて壇上から降りようとした。


 私は緩んだ部下の腕を振り解いてその場に留まった。



『『神官長!?』』

「行きなさい。それが貴方達の信じる、僧侶としての道なのでしょう?」



 私はそう言って微笑んで見せた。



「今の私には、聖職者として論じる資格がない」



 祭壇にはまだレヴィが居る。


 私が神官長であり続けたのは、彼が生きていたからだ。


 彼が死んだままでいる以上、私には理念思想がない。


 教の何かを語るべき欲求を持たない。



「こんな上司でごめなさい」



 私は微笑みながら謝った。



『『……』』



 二人部下は、私の方を見ながらそろそろと壇上を降りた。


 サフィアを中心に僧侶たちが心を一つにする中で、壇上に残った教父らが互いに顔を伺いながら進退を決めかねていた。



『『ふ、ふ、ふ……』』



 長老と若年寄りはそれでも笑っていた。



『それでは足りぬ、まだ足りぬ。愚者の不幸は救われぬ』

『増やして群れれば満足か? 賢者の答えは揺るがない』



 二人がそれぞれ手を差し上げて、魔力を発揮した。



 ――キィンッ



 生じた魔力は一瞬にして結界術を結束させ、レヴィが横たわる祭壇を私ごと隔離した。



『神官長!』

『賢者が人質を取ろうと言うのか!』



 サフィアの元に集う僧侶が口々に教父を批判する。



『暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢――煩悩満ちる世にあって、人々に安寧の光をもたらすが我ら聖ライアリス教の負った使命!』



 壇上の教父の一人が一歩前に出て腕を振るった。



『知識の深淵から因果を見通し、人々により良き選択を与え、より良き世界に導くことこそ僧侶の本道。それが何故わからぬ!』



 また一人の教父が朗々と謳う。


 私は結界の中、一人祭壇に歩み寄った。



「みんな、議論してるよ……」



 穏やかな死に顔の、レヴィの髪をかき上げる。



「貴方ならどんな詭弁を弄するのかしら」



 我が儘で、常識が無くて、高慢で不遜で神経質で自信過剰、私が知り得る中でも最低最悪の男なのだ。


 いつまでも絶望の否定のリングを回し続けている、根は優しい、寂しがり屋の男なのだ。



「レヴィ……」



 だから、私の立場はやっぱりここだ。



『『ふ、ふ、ふ、……』』



 壇上で、長老と若年寄がなお笑う。



『さて今少し』

『まだ、遠い』



 僧侶達がにらみ合う一色即発の緊張――



 ――そこまでだッ!



 聖堂に、若い男の声が響いた。



 ――カッ



 入口の大扉に、対角線に十字の切れ目が走る。



「修道騎士アリオス・ウォーク! 話は聞かせてもらったぞ!」



 銀髪にブラッドレッドの瞳、クレイモアを構えたアリオスが扉を蹴破って躍り込んできた。



「魔物盗賊改め方が長、レイハ・シレン。器物破損は許せ、悪いがこれも御用でな」



 山吹色の髪に琥珀色の瞳、剛刀を担ぐ赤い戦袍の騎士が、ゆっくりとアリオスに続く。



「アリオス! レイハ殿!?」



 サフィアが二人を呼んだ。



「――応、サフィア殿。魑魅魍魎跳梁跋扈の都にて獅子奮迅の戦ぶり、八面六臂のご活躍に感服つかまつり候」



 魔盗改めの長を名乗る騎士が、剣の柄で手を握り合わせ「にっ」と大きな口で笑った。



「今晩は。弟の弔問に来たんだけど、まだ受け付けてたりするか?」



 レイハ団長の影から、タキシード姿の女性が姿を見せた。



「あ――」



 私は思わず目を丸くした。



「やあ、ひめゆりさん。合縁奇縁」



 紫色の髪、バイオレットパープルの瞳、背中に背負った――ウィル?



「ああ、これか? 雨の日に貴族邸宅で拾ったんだ。可愛い寝顔の猫だろう」



 彼女が見せびらかすように、おぶったウィルを私に向けた。



「んがぁ……」



 ウィルは完全に爆睡してる。



「へへッ……俺たちもいるんだぜ」



 ドア枠に寄り掛かかったビートが、帽子を押さえながら間延びした声で言った。


 格好といいセリフといい、似合いすぎててなんだかアレだ。


 アレを現す言葉が上手く出てこない。



「ちわー、ラブリッサ商会でぇーす!」



 鼻にかかった甘い声と共に、アヤがヒョイっとビートの脇から飛び出した。



「アヤ――」



 アヤが頭の上に大きな何かを掲げている。



「……なにそれ?」



 呆け気味の私に、ルビールージュの瞳をしたピンクの子虎が「にひっ」と笑った。



(ドラゴン)の御頭、お届けに上がりましたー!」



 アヤの身体に魔力が灯り、頭上の竜の瞳が妖しく輝いた。



「ふぁいやぁああああああああッ!」



 ――ガァァァアアアアアアアッ



 アヤのほにゃほにゃした怒号と共に、竜の首の熱線が聖堂を薙いだ。



「……え?」



 あまりの事に私は茫然自失としてしまった。


 祭壇の下に集った愚者派の僧侶達が全員床に伏せる。



『な、なにを!?』

『ぬおおお!?』



 慌てふためく祭壇の諸教父達の中、長老と若年寄が軽く手を差し上げて光壁を発生させた。



 無詠唱無敵盾(イージス)――



 ――ガァァァアアアアアアアッ



 熱線は壇上の教父達に届くことなく、光壁が完全に威力を逸らせていた。



「むああああ! アタシの猛虎魂(タイガー・ソウウ)が効かないぃ!?」



 いや、それどう見ても竜だよ。


 やっぱり言えてないし。



「大聖堂の諸教父の方々――」

「ふにゅぁあああああああああッ!」



 レイハ団長の声を、ムキになったアヤの気合が遮る。



「いい加減にするんだお」



 ビートがアヤの頭を後ろから小突いた。



「あいた」



 アヤが竜の頭を投げ出して頭を押さえる。



「……喋ってもいいか?」



 レイハ団長が片眉を上げて聞いた。



「「どうぞ」」



 虎狼コンビが畏まって手を差し出す。



「ふむ」



 レイハ団長が頬を人差し指で掻いて笑う。



「大聖堂の諸教父の方々、都に置ける結界の動作不慮、並びに魔物の出現に関して、詳しい事情をお聞かせ願いたい」



 レイハが態度を改めて、聖堂に声を響かせた。



「全部全部洗いざらいだ!」



 アリオスが牙を剥いた獣の様に魔力を滾らせた。


 私を引き止めようとしていた時の、少年らしさが薄れている。



「俺は今日ほど、大人のやり方に腹が立ったことはない! リディアの民は知るべきだ! 教がひた隠しにし続けてきた結界問題を、自分たちの溜めた瘴気が魔物の原因であることを、冒険者達が頑張って今を繋いでくれたことを――真実を知るべきなんだ!」


『知ったところで、浮世はなべてこともなし』

『それが嘘でも世界は回る。極めて正常に』



 長老と若年寄りは穏やかにそう言った。



「ふッ、なにやら議会の貴族と物言いが変わらんな」



 レイハ団長が刀を額の前に構えた。



「術士戦士、商人職人、リディアの民も冒険者も、皆が皆明日への希望を携えて生き残った。誰しもが幸せを享受する権利を持つ。犠牲となった者たちの命を知る責任がある。嘘も方便とは申せ、方々の偽りは自らの威信を守るためのもの――」



 ――ピゥッ



 血切りの動作と共に、レイハ団長の剛刀が刃風を鳴らす。



「教の使命、僧の本道が聞いて呆れる! ケイン・ルースの乱を端に発した騒動の原因は大聖堂にあり! 神妙に縛につけい!」



 レイハの横に、アリオスが歩み出る。



「みんなみんな命を繋いで、生きる奇跡の中に居る……死力を尽くして人の命が辿りつく、今この時が、いつだって奇跡なんだ!」



 アリオスのブラッドレッドの瞳が、希望に燃えていた。



「これを超える奇跡があるというなら、見せてみろ!」



 ――おおおおおおおおおおおッ!



 大聖堂の英雄の大喝に、聖堂の僧侶たちが呼応して叫んだ。



『アリオスが知る所は、ランディス将軍の知るところ。正規軍にまでも話が及ぶぞい!?』

『ま、魔盗改めまで――』



 壇上の教父らがオロオロとし始めた。



『『ふ、ふ、ふ……』』



 長老と若年寄りはそれでも笑っていた。



『『ははははははははははははははは――ッ!』』



 狂ったように、笑い声を響かせた。


 熱気に溢れる聖堂がしんと静まり返る。



『ざっとまあ、この辺りじゃな』

『まあ欲のない……でも、ええ』



 二人が目を合わせて微笑みあった。



『結界も、都の乱も反魂も、全ては禍事、因果応報』

『明日よりは、新たな一歩を踏み出す都。教にさらなる発展を』



 静かに、自然な動作で、二人が手を天に手を差し上げる。



『『刮目せよ』』



 二人の足が、音を重ねて壇上を踏み鳴らした。




     ○



 ――たれそかれ、かはたれそ



「ワイズ・グレー……」



 俺は空に浮かんだ星一つに手を伸ばしながら、かつての僕の仇名を呼んだ。


 血塗られた自意識の舞台の上で繰り返される、記憶の限りの、妄念の限りの愛憎劇――


 もうそれらにすら、俺の心は動かなくなりつつあった。


 全ての欲求が消え失せて、思考のコインが回転を止めつつある。


 魂が冷えて、感情らしい感情が失われつつあった。


 自意識の舞台が徐々に削れ、俺自身までもが無意識の闇に浸食されつつあった。



 もう動かない、心が動かない――



「僕はなにゆえ、俺に託した……」



 かつてレヴィ・チャニングの全てをになっていたワイズ・グレーは、全てを飲み込んだと言っていた。


 全ての記憶を取り戻してなお、僕は俺に全てを与え無意識の闇へと消えた。



「な、ぜ?」



 最後の最後の瞬間まで、泣きもせず笑いもしなかったワイズ・グレーの瞳には、希望の光が見て取れた。


 これほどに苦しい愛の意志が、失われていなかった。



「な、ぜ……?」



 レヴィ・チャニングは一度ここを通ったはずだ。


 五年前に死したとき一度絶望を乗り越えたはずだ。



「どう、やって……?」



 五年前まで存在せず、死した後に生まれていたもの――



「……?」



 それは俺だ。



「お、れ……?」



 ――たれそかれ、かはたれそ



「お、れ、は、だ、れ……?」



 生き返ったレヴィ・チャニングの中には、僕と俺が存在していた。


 俺が生まれていた。



 ――僕が僕として死ぬためには、お前を否定しきらなければならないからだ



「ぼ、く、が、し、ぬ……?」



 ワイズ・グレーは最後までレヴィ・チャニングを生き返そうとしていた。


 自意識の舞台の上で燃える僕、あれは生きようとするレヴィ・チャニングの言葉だったはずだ。



 ――お前は何度消しても、何度消しても次の瞬間には僕の目の前に現れる僕の中の間違い。僕が否定すべき、否定(ノー)でしかない!



「俺が、間違い……?」



 自分を間違いだと断じてしまい、否定することしか出来なかった、ワイズ・グレーの中の間違い。


 何度消しても湧き続ける、否定だけの彼にとっての否定(ノー)



 それはつまり、イエス――?



「ふ、ふ、ふ……」



 俺は涙を流して笑った。



「こんな、俺が、イエスな、ものか……!」



 既に半身は無意識に蝕まれ、ただ呆然と記憶の星を見上げるばかりだ。


 取り戻した記憶から、連結した情報で絶望し、立ち上がれないでいる。



 ――人はどうして死んじゃうんだろう?



 まるっきり、ただの子供だ。



 ――どうして、愛したものはなくなってしまうんだろう?



 失う事を恐れ、立ち上がれないでいる臆病者だ。



「俺は、こんなにも、弱い、のに――」



 ――たれそかれ、かはたれそ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ