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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
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74.「愛と死とひめゆり」



 覚えているのは、ごてごてと幾何学模様が描かれた大聖堂療養室の天井だ。


 僕はかつて病弱だった。


 金髪のくせっ毛、鼻周りに浮いたそばかす、妙に発達した犬歯が目立つ病弱でひ弱な子供だった。


 エルグラド大陸に生まれる人間にはさして珍しいことでもない。


 生まれ持ってくる魔力の質が体格に影響を及ぼし、成長や老いのスピードが人それぞれ違うのは当たり前のことだ。


 物心がついた頃には、療養室で天井の幾何学模様を見上げ続けていた。


 毎日毎発作を起こし、高熱を出して呼吸困難をする。


 吐血してのたうち回り、様々な医薬品を投与されては、副作用で天井の幾何学模様が回る日々。


 僕には母親も父親も居なかった。


 どういったいきさつか、詳しいことは分からない。


 ただなんとなく、僕の身の周りの世話をする人間らの態度から両親がそれなりの身分にあっただろうと想像がついた。


 聖ライアリス教の大聖堂、治療室は個室、世話を見てくれるのは大司教や貴婦人と言った教の上層部の人間だったからだ。



 お母さんって、どんな匂いがするんだろう?

 お父さんって、あったかいのかな?



 薬湯くさい大聖堂のベッドで、訪れる毎日に辟易としていた。



「……大司教、もう薬は要らない。明日からは出すな」

『猊下、何をおっしゃいます。お飲みにならねば体は良くなりませんよ? これは猊下の御身のためのもの』



 世話してくれていた大司教は、いつまでたっても見た目が成長しない、僕と同じ体質の人間だった。



「ぼくの、ため?」

『左様、猊下のお体が健やかになるようにと、皆が皆、苦心しているのです』

「苦心……」



 薬を飲めば症状は多少治まる。


 でもそれは、間違いなく次の苦しみを約束する安寧だ。


 回復とは、苦痛を約束するものでしかない。



「ぼくを、苦しめるための心のことか?」

『なにをおっしゃいますやら……苦しみに抗う心、苦しくとも立ち向かう心、それを即ち苦心というのですよ』

「ふん、頑張ったって、この体が良くなるものか」



 来る日も来る日も生死を彷徨う苦しみに、僕は疲れ果てていた。



「お前だって、大司教などと言いながら小さいじゃないか」



 口の達者な捻くれた子供だった。


 牙を向くものを常日頃求めていた。


 それは自分を取り囲む周りのもの全てに向いた。



 ふと目に入った、誰かが落としていった女神のコイン――



「薬を飲む……薬を捨てる……」



 気まぐれにコインを弾いて、明日の自分の行動を占った。


 コイントスの結果に従った結果、容態は当然の様に悪化した。



「女神は、僕を、どうしたい……?」



 毎日毎日、一枚の女神のコインにすがって、生きていた。



「大司教」

『なんでしょう?』

「死ねば人はどうなる」

『死した後、人の魂は女神の御前に至り、裁きを受ける事になります』

「慈悲の聖女か、怒りの戦女神?」

『はい。生前悪さばかりした咎人の魂は、女神の怒りによって永劫救われない地獄の闇へと囚われる。生前善き事をなした聖人の魂は、女神の慈悲によって望むがままの安楽を得ることとなるのです』

「そうか」



 望むがままの、安楽――



「死ぬ……死なない……」



 僕は一人、女神に伺いを立てた。



『また容態が変わったのか!?』

『いえ、どうやら投与されている薬の原液を召されたようで――』

『馬鹿者! 貴様一体なにを見ていた!? 何故薬を手の届く所に!』

『すみません、まさか動けるようになっていらっしゃったとは――すみません!』

「……」



 朦朧とする意識の中で、教の僧侶達が僕の体をあれこれ術式や薬でいじくりまわし、貴婦人や侍女たちを怒鳴りつける。


 窓から見える外を歩くことなど到底叶わない閉ざされた世界の中で、僕は毎日、死とは何かを考えていた。


 苦しみを与えるもの。


 薬や治療によって遠ざかるもの。


 迎えれば、全てが終わるもの。



 死――



 それはいっそ誰よりも身近で、誰よりも強烈に僕に関わる友人だった。



『だから言うたのだ。生まれた所で不幸にしかならんと』

『死なせても貰えないなんて、可哀想に……』



 朦朧とする意識の中で、回転する幾何学模様の中で、そんな言葉を耳にした。


 それでも十を数える頃には、ベッドから起き上がって外を歩けるぐらいに体も強くなった。


 自分がどういう身分にあって、どんな扱いになって、大人達がどう話を着けたのかは知らない。


 知らないまま、僕は教の司祭夫婦に預けられる事になった。


 リディアの郊外にある小さな農村の、割と普通の教会だった。


 自然に囲まれていて、都よりずっと環境はいい。



『例え血が繋がって居なくても、俺はお前の父親だからな』



 自己紹介の一言目で、本当のお父さんかも知れないという淡い期待は打ち砕かれた。



『病気なんて、気の持ちようだよ』



 死の危機を感じる苦しみを軽く笑い飛ばす母親に、僕は歪んだ笑みを返した。



『人に遅れるな、人を追い越せ。いいか? 俺の任されているこんな教区など、教では底辺も底辺だ。お前はこうなるべきではない。勉強して勉強して勉強をしろ。お前の言うことが理解出来ない者など、全て馬鹿だと思え。そんな人間と付き合う必要はない』



 それは僕を立派な人間にしようという叱咤激励だったのかもしれない。


 向上心を持てよという意味の愛情だったのかもしれない。


 いたく卑屈で、自らに誇りなき言葉による、叱責の日々だった。



『食事の前に、必ずこの本の内容を覚えておけ』



 貧しい生活の割には、百科事典や専門書、魔道書といった書物には金がかかっていた。



『お父さんのいいつけを、ちゃんと守ってね』



 母親は、愛想良くしてくれていたが、何処か一線を引いているようで、その瞳に浮かぶ感情は愛情と言うより哀れみだった。


 大聖堂から解放されたと思いきや、毎日毎日、理由もわからずに勉学を強要される毎日。


 立ち居に問題がなくなったとは言え、発作が起こって大聖堂に担ぎこまれる事もしばしばで、死は常に僕の背後に張り付いていた。


 反抗して悪さをすれば、軽めの体罰と共に父親は必ずこう口にした。



『一体誰が飯を食わせてやってると思っているんですか? 誰が金を出してやっているのか言ってみてください』



 怒る時、何故か父親は必ず僕に敬語を使った。



『そんなに勉強がお嫌ですか? いいですよ。明日から教会周りの草むしりでもしててください。薪を拾って来て下さい』



 腹に響く声で、恫喝するように、馬鹿丁寧に怒るのだ。



『雑用をこなせば、勉強はしなくていいですよ。下働きとして毎日のご飯ぐらい出して差し上げます』



 徐々に言う事を聞かなくなる僕を、父役の神父は持て余し気味のようだった。


 ある時、他人の家の柵を燃やすボヤ騒ぎを起こして、村の衛兵に捕まえられたことがった。


 放火などするつもりはなかった。


 焼き畑の残り火で、果たして柵の一角を破れるものかといういう興味にそそられて柵を焦がしただけのことだ。


 僕は加熱と燃焼を理解するための実験だったと主張した。


 消火するためのバケツだって用意してあったし、火は自分で消し止めた。


 もちろん他人の敷地の柵を破損するのはいけない事だと分かっていたが、悪戯心が常識を上回ってしまった。



『お前の言ってることは全部、嘘だ』



 衛兵の前で理屈屁理屈を並べ立てる僕に対し、父親はただ暴力的に、一方的に僕の言葉を道端に捨て去った。



『恥ずかしいから、大聖堂に帰って……』



 愛想の良さにそれなりの親近感を持っていた母親が、涙ながらにそう訴えた。


 決して愛のない家庭ではなかった。


 貧しい生活の中でも、本や玩具、なんだかんだとそれなりに欲しいものは与えてもらえた。


 それでも僕は、家族ごっこを一生懸命に演じるばかりで、心から二人を信用するに至らなかった。


 他人を前にすれば、父親は必ず僕を何らかの催し物の壇上に上げようと苦心する。


 言動や態度に落ち度があれば、家だろうが人前だろうが、厳しく叱りつけられる。


 片田舎の教会で、片時も気の休まる日はなかった。


 僕にとって、僕の言葉を理解できない者とは、世話をしてくれる仲の良い夫婦の事だった。



 信じる事が出来ない人間に囲まれた孤独――



 選択の余地もなく、僕は大聖堂の学び舎に進学し、リディアで寮住まいとなった。


 郊外の農村には二度と戻るまいと心に決めて進学した。


 大聖堂で寝たきり、農村の教会でただ一人勉強をさせられた僕は、ものの見事に学び舎で孤立した。


 司祭端の専攻で入学したのはいいが、修行は耐え難い睡魔に襲われて全く身が入らない。


 定期試験などは意図が理解できずほぼ白紙、それでも出題範囲の関係ない実力試験などでは高得点を取るなどして、入学後間もなく教導司祭に「馬鹿にするな」とどやされた。


 誰にも彼にも否定を受けた。



 僕のことを周りが理解出来ないのではない――



 学び舎で多くの同輩に奇異な目を向けられ、教導司祭に呼び出されて何度も叱られるうちに、僕は徐々に考え方を変節させた。



 僕の方が、間違っているんじゃないだろうか――



 そんな春の終りに、僕は彼女に出会った。




     ○



 ――ダァンッ


「あう……ッ」



 監察神官の放った銀の弾丸(シルバー・ブリッド)が、私の杖をはじき飛ばした。



「ステラ!」



 私の背後を護るサフィアが、背中越しに振り返る。



「流石レヴィの魔力ね。コインが当たらない」



 私は肩で息をしながら毒づいた。


 彼の魔力を丸々飲み込んでいたせいで、魔力中枢が一時的にレヴィの魔力と同じ質のものを生み続けている。


 元は私の中枢なだけに、出力を安定させる事に問題はないが、彼の魔力がする荒々しく激しやすい性質を、上手く使いこなす事が出来ない。



「術を使えるだけでも大したものだ。アイツと術式譲渡(スペルセッション)した時、高速制御に怖気が立った」

「つくづく神経質(ピーキー)な男……」

「惚れたもの負けだな」

「誰がいつ、二度も死ぬような男を好きだと言った」



 ふいにひめゆりが首をもたげて、サフィアに憎まれ口を叩いた。



「……すまん。惚れられたもの負けと言い直そう」

「怖気が立つ話ね」



 私は薄く笑って打ち抜かれた手を自己治療(セルフヒーリング)した。



『神官長……』

『……お許しを』



 コインや杖、聖書といった装備を構えて取り囲む部下たちが小声で謝る。



「気にしなくてもいいのよ。貴方達は職務を全うなさい」



 私は部下に微笑み返した。



「私が暫定不正術士なのは、事実だから」



 咎人を裁く権限にかこつけて、教の絶対禁忌である反魂の術を行使した。レヴィを捕まえようと異端者扱いした私が、彼の命を救うために異端者になりつつある。



「まったく――」



 私は天を仰いで溜息をついた。



 えらい男に、惚れられちゃったな――



 それでも、自分がやった事に、背負った業に後悔はない。


 知識欲を満たす難題、正負を問わずのあらん限りの感情、彼はそういう他者がくれないものを私にくれる。


 これも仕方がないかなと、思ってしまう。


 彼と出会った日の映像がふと脳裏を掠めた。



 私はきっと、男運がない――




     ○


 天竜に翼が生える姿を現わした「5」の翼竜月――



 修行を終えた後、入学して間もない学び舎の中を、僕は女神のコインを弾きながら散策していた。



「なんだここは……油臭い」



 学び舎内にある、文化部の部室が集合する文化部棟だ。


 美術部の油絵具の香りに顔をしかめながら棟内を一周、一階にも二階にもいくつか空いた部室が目に付いた。



 もし部を立ち上げる事が出来たら――



 僕は学び舎内に自分だけの城を持つことが出来る。


 大聖堂にも寂れた農村にも無かった、自分だけの空間だ。



「この匂いは少々気に入らないが……」



 扉を閉めて、窓を開けっぱなしすればそう気にならないだろう。


 さて、どんな部でもって学び舎側に申請を出そうか。


 どんな詭弁でもって、教導司祭を納得させたものか――


 部員候補は二人ほど思い浮かぶ。


 専攻するクラスを間違えたんじゃないかと言うほど、司祭端の修行僧にしては体の大きいサフィア・ウォードだ。


 彼は平素寡黙だが、その実内側には情報と言葉が溢れかえっていて僕の言葉を良く理解する。


 あとは寮で同室になった祓魔端の修行僧、ケイン・ルースだ。


 割と女子受けしそうな面立ちをしているくせに、いつも髪は伸びざらし、笑うと隙間の空いた前歯が酷く間抜けな男だ。



銀の弾丸(シルバー・ブリット)の射的部にでもするか? 修行僧の技術向上、新たな射撃方法の確立、教の祓魔術の発展、我が部の活動は必ずや聖ライアリス教にとって有意義な――」



 部の申請に必要な文句をブツブツ並べたてる口が、ふと止まる。


 文化部棟の廊下に充満する粘っこくこってりとした油絵の具の香りの中に、甘い香りが混じっていた。



「花……?」



 微かなる甘い香りは、脳裏に鈴蘭を連想させた。



「魔力――か」



 僕は目を瞑って魔力を辿った。


 歩を進めるごとに、美しい旋律が近づいてくる。



 誰かがピアノを弾いている――



 香りと音の元は、文化部棟の外れの物置倉庫からだった。



「……」



 僕はノブに手をかけて、迷うことなく扉を押し込んだ。


 むっと埃くさい倉庫の中、カバーを中途半端に捲ったピアノの前で、白い胴衣を着た少女が物憂げな半眼で鍵盤を叩いていた。



「――。」



 混沌と散らかった部屋に響く美しい音色、埃とカビの刺々しい臭気にまみれながら一輪の鈴蘭が甘い甘い香りを醸している。


 ピアノの少女には見覚えがあった。



「あ……」



 少女が僕に気付いて固まった。



「ごめんなさい」

「なにが?」



 僕は扉を静かに閉めて、近くの箱の上に腰掛けた。


 飛び乗るような具合になってしまう、自分の小さい体が忌々しい。



「僕はこの倉庫の管理者でもそのピアノの所有者でもない。謝る必要はないよ」

「んー……」



 彼女は視線を宙に泳がせて少し考え込んだ。



「倉庫もピアノも、鍵が開いていたの」

「それは盗人の暴論だね」



 言い訳をする彼女に、僕はクスクスと笑って返した。


 扉に鍵がかかってないから中に入った、空いていたから手を付けた、これではまるっきり犯罪者の理屈だ。



「……ごめんなさい」



 彼女は目を伏せて静かに謝った。



「なに、弾きたいなら弾けばいいさ。僕らはこの学び舎の修行僧だ。施設を利用する権利がある。もしここが立ち入り禁止だったとしても、君の訴える通り鍵が開いていたのなら仕方がない。何か事故があったとしても、施設を管理する教導司祭の責任だよ」



 言葉が湯水の様に沸いて出た。



「……事故?」

「入学したばかりの修道女が弾くピアノを、同じクラスの修道士が聞き入るなんて、そんな事故」



 僕はコインを弾いて彼女に笑いかけた。



「……」



 彼女は黙って座り、またピアノを弾き出した。


 どんな逸話を持った誰の作曲かは知らないが、彼女の指が奏でる音色は、雑音ばかりの僕の世界の中で、聞き入るに値する心地よいものだった。



「貴方、同じクラスのワイズ・グレーね」



 一曲丸々弾き終えて、彼女が静かにそう言った。



「レヴィ修道士。どうして名前より先に、不名誉な仇名の方が出てくるものかな」

「ごめんなさい。名前、知らなかったから」

「ふむ……」



 そう言われると、僕も彼女の顔こそ覚えていたが、名前がパッと出てこない。



「音楽にはトンと造詣がないが、これでも耳はいい方なんだ。素敵な演奏だったよ、ひめゆり」

「ひめゆり?」

「僕も君の名前を知らない」

「ステラ修道女です。よろしく」



 彼女は立ち上がって礼をした。



「ああ、こちらこそよろしく」



 僕はコインを弾きながら会釈をし返した。



「じゃあ、私はこれで」



 彼女はピアノの鍵盤の蓋を閉めて、カバーの上に置いてあった本を手にとった。



「もう満足したの?」



 僕の方は満足してない。


 ピアノでも声でも魔力でも、心地よさを醸し出す彼女に興味が湧きっぱなしだ。



「ええ。気まぐれに弾いてみただけだから」



 彼女はそう言って横髪を掬い、僕の前を通り過ぎた。


 ふと目に入る、彼女が持った蔵書のタイトル、



 ――テオ・メンデル術式構築論



「古代術式に興味があるのかい?」

「え?」



 扉の前で彼女が振り返った。



「テオ・メンデルは古代術式を研究し続けた巡礼神官だ。著書は各国の風土記、史記の編纂にといった教の職務の範囲に留まらず、独自に掘り起こした古代術式の魔道書にまで及び、晩年は教に異端者扱いされて不遇の最後を遂げている」

「貴方――」

「一度だけ彼の著書を手に取ったことがあるんだよ。最も僕が読んだのは、彼を異端者せしめた、大陸各国の信仰史を記したものだったけど」



 僕は興味を持ったもの、一度体を通したものを中々忘れない。


 特にテオの書は、教が聖典だといって大陸全土にばらまく聖書を一端から否定する形を取っているため、教に喧嘩を売った内容に興奮した覚えがある。



「実はある部を立ち上げようと思っててね。今日は下見に足を運んだんだ」



 部を立ち上げようと思ったのはついさっきで、ここには迷い込んだだけだったが、大した差はない。



「……」



 彼女がしっかりと僕の方に向き直った。



「古代術式は修行課程にも含まれているけど、大雑把な術式の流儀宗派を漫然と覚えるだけの社会科目で、全く実践的じゃないだろ?」

「うん」



 僕と同じサファイアブルーの瞳が知恵の光に輝いた。



「修行僧なら術式のルーツを追う程度でいいと言う事なんだろうけど……どうせなら伝説に残った術式を、深く掘り下げて研究してみたいと思わない?」



 頭に湯水の様に言葉が沸いた。


 あながち出まかせと言う訳でもないが、ずっと前から考えていたことではない。


 それでも言葉を口に出してしまえば、本当にそんなつもりだったような気なれる。



「それが貴方の立ち上げようとしている部?」

「ああ、名前はまだ決めてないけどね。『古代術式研究部』なんてどう?」

「略せばコシキケンね」

「略す必要が何処にあると言うのか」



 彼女の速い切り返しに僕は笑った。



「でも、んー……」



 彼女は口元に拳を構えて少し考える素振りをしてみせる。


 水の様にまろやかな魔力が、その実高速で揺れ動いていた。



 彼女は相当、頭の回転が速い――



「一年目の修行僧がそんな部を立ち上げて、申請が通るかなー」



 知的で折り目正しい修道女でいるかと思えば、考え事に没頭して無防備な言動をする。


 そんな彼女のギャップに僕はだらしなく口元を緩めた。



「なら、一つ賭けをしよう」

「賭け?」

「うん。賭け」



 僕は右手でコインを弾いた。



「もし申請が通って部室を手に入れる事が出来たなら、君は僕の部に入る。それなりのポストも保証しよう」



 僕が君を手に入れる――



「ベッドするのはあたし自身か。んー……」



 考え事に集中しすぎて、一人称まで変わってしまっている。


 彼女は逡巡の思考の後、目を上げた。



「貴方が負けた場合は?」

「へ?」



 僕は首を傾げた。



「これは賭けなのでしょう? 勝ちがあれば負けもある。私は自分自身の身柄が掛かっているのだから、貴方も相応のものを差し出すのが筋ではなくて?」



 部の所属はまんざらでもない様子なのに、申請が通らなかった時は僕から何かを徴収する腹積もりらしい。



 実に貪欲――



 しかし僕とて、負けるつもりは毛頭ない。



「じゃあ負けたときは、僕が君の言う事を何でも聞くよ」

「現実的じゃないなー」



 彼女が腰に手を当てて小首を傾げた。



「なら、僕が育った教会にある古代術式に関する本を賭けよう。なに、修行に必要だと手紙を出せばすぐに送ってもらえる。これならどう?」

「うん。いい」



 彼女が目を細めて微笑んだ。


 勝っても負けても僕は彼女と親交が深まる。


 最も彼女の方は、部に所属すればいつでも僕から本を借りられる。


 勝っても負けても知識欲を満たせる身分になれると言うワケだ。



 彼女がどこまで計算をして即断したかは知れないが――



「君は僕のひめゆりだ」



 谷間の姫百合こと鈴蘭には、口にすれば人を死に至らしめる毒が潜んでいる。


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