69.「安らかに眠れ」
「……ばーか」
レヴィは笑っていた。
泣きながら笑っていた。
泣きながら、笑いながら、時間が止まっていた。
レヴィの姿をした、レヴィだったものの前に膝を折って、あたしは首を傾げた。
「……?」
何を考えていいかが分からない。
何を想っていいかが良くわからない。
何もかもが消えてしまった。
何もかもが無くなってしまった。
「ちがう――」
あたしは今この瞬間が、どんな状態であるかを知っている。
目の前で起きたことを、脳が理解してないだけだ。
理解することを、頭が拒否してしまっているのだ。
知っている――
この状態この状況を、あたしは知っている。
「……」
右手にコインを呼び出して、親指で弾く。
――キンッ……
女神のコインが裏表を返し、回転しながら宙を上る。
それはまるで、頭の中の思考のよう。
理性と本能の風を受け、イエスとノーが疑問を生んで、思考の高度を上げていく。
頂点に達したコインは、やがて動きを止めて折り返す。
イエスとノーが疑問を処理し、全てを片付け終わった瞬間に、思考は必ず答えに至る。
イエスかノーかの答えを導き出す――
コインはあたしの手をすり抜けて、床で跳ねて回転を止めた。
答えを受け止めることが出来ず、あたしは空っぽのままだった。
「ちがう――」
あたしは今この瞬間が、どんな状態であるかを知っている。
目の前で起きたことを、脳が理解してないだけだ。
理解することを、頭が拒否してしまっているのだ。
知っている――
この状態この状況を、あたしは知っている。
「……」
思考がループしてしまっている。
あたしは答えが出せるのに、知っているのに、それを受け止める事から逃げている。
そこが間違い――
間違えてるから、繰り返しになる。
「逃げ……?」
それはあたしの本能がする間違い。
答えを受け止めた瞬間に迫り来るだろう、嵐のような感情の本流を恐れて、脳が思考を逸しているだけ。
現実から、目を背けさせているだけ。
パニックを、引き起こしているだけ。
彼の間違いの原因になった、赤黒い何かは、確かにあたしの中にもあって、今なお燃えに燃えている。
燃やしているのではない、燃えているだけ――
あたしは彼の笑顔の前に身を乗り出して、そっと頬に手を触れた。
霊視をしても、魔力の枯渇した彼の体には、なんの反応も見られない。
道端の雑草ほどでも、確かに魂を象っていた妖脈が、完全に消え去っている。
血液の循環を止めた体が、ほんのりと感じられるぬくもりを、静かに緩やかに失なっていく。
死――
「ばか」
彼の笑顔の上に、泣き顔の上に、水滴が落ちた。
「ばか……」
涙が落ちるたびに、言葉を漏らすごとに、間違いが解け、あたしは現実を理解していった。
レヴィ・チャニングの死を理解していった。
「ぁあああ……」
声がかすれて言葉にならない。
床についた腕が力を失い、あたしはレヴィの胸に頭を落とした。
マジックポーションの甘い香りと、煙草の煙の苦い香りがする。
生の気配が消えた、死の香りがする。
「あああ……! あああああああ――」
レヴィ・チャニングがある、
これもう生きない。
レヴィ・チャニングがある、
これはもう老いない。
レヴィ・チャニングがある、
これはもう病まない。
レヴィ・チャニングがある、
これはもう死なない。
だって、死んでいるから――
「どうして……?」
あたしが魔力を枯渇させたから。
私が彼を見殺しにしたから。
「どうして――」
答えは出ている。
目の前にある。
それでも、堰のきれた感情が、思考のコインを乱れ打ちにして疑問を生み続けた。
「そんなにか! あんたは、貴方は、そんなに――」
あたしと私が入り乱れる。
もうぐちゃぐちゃだ。
ぐちゃぐちゃになっちゃったよレヴィ――
涙が、感情が、思考が、止まらない。
「嫌……嫌……ッ!」
彼の胸の上で頭を抱え、あたしは魔力を乱した。
「嫌だよこんなの……嫌ッ!」
何もかもがどうでもいい。
何もかも、無くなってしまえばいい。
「消え、て……消し、てッ! ああああああああああッ!」
全部全部、消えてしまえ――
それでも消せないものがある。
それでも消えない私がある。
泣いては駄目、まだ終わってない――
「わかってる! そんなことわかってる――わかってるけど!」
あたしは必死になって頭を振って、自分の中の私に叫んだ。
サフィアを呼ばないと――
「わかってる! わかってるからッ!」
「――ステラ!」
あたしの思考ままであるかのように、部室にサフィアが飛び込んできた。
○
「私たちは、幼い頃に親を亡くしてな――」
マリアが遠い目をして紫煙を吐いた。
「なけなしの遺産で弟を大聖堂入りさせて、私は一人冒険者になった」
「そんな、どうして……」
レイハの身体に包帯を巻きながら、アヤが聞いた。
「さあ、なんでかな」
髪をかき揚げて、マリアがカラリと笑う。
「きっと、どうでも良くなっていたんだと思う。手元に残った大事な弟すらどうでも良く思うほど、両親を奪いさった理不尽な死と言うのに打ちのめされていた。自分の置かれた境遇に、酔いしれていた」
過去の自分を語るのに、まるで他人ごとみてえな口ぶりだった。
「自分勝手で無責任……酷い人間なんだ、私は」
艶紫の瞳が、気怠げに空を見上げる。
「アレが教に帰依してからは一度も直接会った事がない。ただ身勝手をした手前、ずっと気になっていた。ちょくちょく様子を見にリディアに戻っては、会う気にはなれずまた旅に出て、旅先で思い出してはまた戻る――その繰り返しの日々」
全員が、しんと静まり返って、マリアの声に耳を傾けていた。
「そのうち、出入りしていた城南のバーで店主に見初められて、ぬくもりに飢えてた野良犬はコロッと冒険者をやめた。流れるままに、流れのままに掴んだ幸せだったが、幸せであればあるほど、捨てた弟に対する引け目も増した……」
マリアの咥えた煙草の先から、灰がポロリと転げ落ちる。
「いまいち幸せに踏み出せない日々の中、旦那が流行り病で亡くなってしまってな。縋る者をなくして途方にくれていた私の前に現れたのは、下町で葬儀を請け負う仕事をしていた、自分に良く似た野良犬だった」
「野良犬って……レヴィさんのこと?」
アヤが上目遣いで聞いた。
マリアは答えず、微かに笑って煙草を吹かした。
「その野良犬くんは、偶然にも弟の学友でな。時折、私の知らない成長した弟の思い出話を語ってくれた」
やっぱレヴィ絡みかィ――
俺は顎の下を猫手で掻いて溜息をついた。
「レヴィさんは、貴女がケイン神父のお姉さんだってことを、知ってたんですか……?」
アリオスが真っ直ぐ投げかけた疑問に、マリアは静かに首を振った。
「名乗り出る勇気は出せなかった」
マリアは髪をかき揚げて、額を押さえたまま口元を緩めた。
何もかもを飲み込んだ、感情を押し殺した、空虚な微笑みだった。
「じゃあ、ケイン神父の活動は全部――」
いつか帰ってくるだろう姉の為に、冒険者となった姉の為に――
そんな風にも考えられる。
「どうかな」
マリアが笑う。
「今となっては、確かめる術もない。名乗り出る勇気は、最後まで出せなかったんだ」
声をかすれさせて笑う。
「いつか必ずと期待を膨らませて残しておいた的玉が、時間と共に人生から消えていく」
微笑みをかたどった口の横を、一筋の涙が伝った。
「大事なものが、逃げる度に無くなっていく」
目から涙がこぼれても、吐息がガタガタに乱れても、マリアは微笑みを絶やさなかった。
「自業自得のこんな人生が、私にはたまらないんだよ」
笑おうとし続けていた。
レイハの応急処置を終えたアヤが、ビートの胸に飛び込んで顔を押し付けた。
ビートが黙ってアヤを抱く。
レイハは石畳にあぐらをかいたまま、膝に手を置いて目を瞑っていた。
「こんなことって、あるのかよ……」
俯いて立ち尽くしたアリオスが拳を震えを全身のものにさせて呟いた。
あったんだからしょうがあんめえ――
思っても、口にゃァ出せなかった。
「……」
俺は顎の下を掻いて、マリアから目を逸した。
――人生ってな、ただ何かが起きる。それだけだろ?
良かれと思って語った話題だ。
好かれと想って吐いた言葉だ。
――雨の中の私は、『逃げる』を改めて、幸運の犬とでも名乗ろうかい
どんな思いで言った言葉か。
どんな想いで縋った仇名か。
てめえの失言、女の涙、なんでか生まれる人の間の不公平。
ネズ公の考えてることなんざさっぱり理解できねえが、そんでも、都なんざ吹っ飛んじまえば良かったんじゃねえのかと、ちょい思う。
俺はウトウトとしながら、広場の竜に目をやった。
――ドドドドドドドドッ!
暴れる間も与えず、動き回る間も与えず、銀の槍と矢が間断なく竜の身体に降り注いでいる。
結界の浄化効果、取り囲む人間たちの銀による攻撃、弱りに弱り果てながら、それでも竜は足掻き続け、永らえようともがき苦しんでいた。
命は命が尽きない限り、例え未来が必死でも、生きようとし続ける。
「……ふァ〜あっ」
黙りこくったお通夜ムードのパーティの中、俺は大口空けて欠伸をかまし、ぼんやり竜を眺め続けた。
竜を見ながら、馬鹿犬でネズ公な、レヴィ・チャニングって男の事を考えた。
ようブラザー、そっちはいってえどんな様子だ――
銀に体を穿たれて、竜が徐々に力を失っていく。
こっちはすげえ天気でよ、銀の雨が振ってらァ――
疲れた果てた様子で、竜が広場の地に伏せる。
やりてえことはやりきれたかよ――
眠るように、ゆっくりゆっくり目が閉じる。
全部全部、やったかよ――
見てやりたかったネズ公の最後の代わりに、息絶える竜の姿を見届けて、俺はそのまま眠りに落ちた。
○
「サフィ、ア……?」
「……」
サフィアは部室の惨状を見て、むっつりと黙った。
「サフィ、ア……サフィア……!」
あたしはただサフィアの名前を繰り返し続けた。
訴えたいことがある、頼みたいことがある、聞きたいことがある。
伝えたい事が、山ほどある――
「……ッ! ……ッ!」
あたしはレヴィの神父服を握りしめて、激しく首を振った。
出てくるのは涙ばかりで、生まれるのは苦しみばかりで、胸が詰まって言葉にならない。
「術式の裏返しを広めていた結界は、穴が開いて崩壊が停止した。臨界ギリギリまで溜め込んでいた魔力が、術式の効果を異常に安定させて都を浄化し始めている」
サフィアが沈んだ声でそう言った。
「……ッ!」
あたしはレヴィの神父服を引っ張ったりおっつけたりして、彼の遺体を揺さぶった。
「ざまあ、みろ――」
砕けそうなぐらいに噛み締めた奥歯の隙間から、声にならない声が出る。
「これがあんたの、実験の結果だ!」
あたしの頬を掠めた銀の弾丸が、全てを逆転させる最後の女神のコインだった。
彼の中の確かな彼が、心の奥の奥に隠し続けていた答え。
建前を剥いて剥いて、辿りついたレヴィの本音。
世界を否定する自分を、否定するということ――
彼はそれをあたしにさせようとしていた。
あたしに、世界を否定する自分を否定させようとしていた。
「だれが、あんたの望む答えなんか……!」
だからあたしは、彼が見つけたブレイクポイントで結界を崩壊させてやった。
彼の期待を裏切って、全てを叶えるチャンスを与えてやった。
「あんたが自分で出した、答えがこれだ!」
大結界に魔力を溜めて、瘴気で反動を高める。
術式をひっくり返して大崩壊を引き起こし、あたしを絶望させた上で殺す。
それはワイズグレーの、彼以外の全てに対する否定。
でも、彼の中には、とことんイエスがなかった――
術式をひっくり返して負荷なく穴を穿ち、反動を逆転させて瘴気を魔力で浄化する。
絶望しないあたしを、殺さない――
それはワイズグレーの、自分の全てに対する否定。
「これであんたは満足なの!?」
結界に穴を開けてしまえば修復は利かない。
新しい結界を張るしかない。
瘴気が綺麗さっぱり無くなれば、すぐにでも構築が始められる。
ケインの追っていた理想を加速させる、お節介のオマケ付きだ。
「それだけ!? あんたの欲求は、これで終わりか!」
世界の再生を促す、始まる世界の、終わりの番――
「あたしとあんたは、これで終わりか!」
結局、レヴィの世界は救われない。
あたしは全部分かってて、ワイズグレーを死なせた。
私は全部分かっててシューティングドッグを見殺しにした。
「う、ううう――ッ」
「……」
サフィアは泣き喚くあたしに暗い目を向けて、黙ってレヴィの横に膝をついた。
瞳孔、脈拍、中枢の状態を手早く確認し、サフィアが静かに顔を上げる。
「……死んでいる」
「わかりきったこと、いちいち言うなッ!」
あたしはサフィアを罵倒して、床に拳を打ち付けた。
こんなことしたってなんの意味もない。
それも分かってる――
わかってるのに止められない。
赤黒い何かが、体中を這いずりまわって思考と魔力をぐちゃぐちゃにする。
サフィアは魔力を整えて、レヴィの身体に手を当てた。
「死した汝の魂は、女神の懐に抱かれん。永き眠りにつきし子の、生きた証を永久に護らん。安らかに眠れ」
レヴィの体が、淡い光に包まれる。
安らかに眠れは、サフィアが結界術の研究から編み出した独自の魔法だ。
結界術を応用していて、死んだ時の姿を半永久的に保つ効果がある。
「何が、女神の懐だ……!」
あたしはサフィアの呪文詠唱に毒づいた。
レヴィはいつも女神のコインを弾いてばっかりだった。
いつだって女神のご機嫌伺いをしていた。
「あんたたちは、そんなに女神様にお熱なのか」
あたしは乱れる魔力のまま髪を宙に漂わせて、サフィアを睨みつけてやった。
サフィアが黙ってレヴィの遺体を抱え上げ、
「……大聖堂に行こう」
ただ一言そう言った。
「……」
あたしは目を瞑って、静かに呼吸を整えた。
これで、終わりじゃない――
頭に響く、修道女の声。
思考のコインがありとあらゆる情報を整頓していく。
荒れる感情、散らかった疑問を片っ端から消していく。
乱れた魔力が整っていく。
私は、ゆっくりと目を開けた。
「……サフィア、魔化の方はどうなっていて?」
声が張りを取り戻す。
「貴方の事だから、レアード卿の差し向けた魔導士らを介抱して、事態の収拾に向かったのでしょう?」
冷静になった思考が、教の聖職者たる修道女の雛形を再構築する。
「んん……結界の浄化作用もあって、騒動はほぼ鎮圧出来た」
「被害者数は?」
「冒険者百余名、リディアの民はその倍だ」
「ふぅん……」
ふとひめゆりが首をもたげて、気のない返事をサフィアに返した。
なんだ、たったのそれっぽっち――?
「……」
私はこめかみに手を当てて目を瞑った。
「ステラ……?」
「いえ、少しだけ待って頂戴――」
激しい感情のひめゆりが、気の抜けた声で毒を吐く。
もっともっと、死ねば良かったのに――
「……」
それは決して、「リディアの民憎し」の感情から来る言葉ではない。
私の中のあたしは、リディアにも、リディアの民にも、世界の秩序にさえ興味がない。
ひめゆりは、ただひたすら赤黒い何かに燃える、私の中の固執の権化だ。
もっと、もっと――
激しい欲求、私のなかの我が儘なあたし。
「……これ以上はダメよ」
私は静かにそう呟いて、目を開けた。
「大丈夫か?」
「それは私の頭のこと?」
「んん」
サフィアが悪びれもせず肯定した。
「大丈夫なわけ、ないでしょう」
私は瞳を静かに上げて、自信を持ってそう答えた。




