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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
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66.「燃えているだけ」



 剣を杖に、ウィルが必死に立ち上がろうとしていた。



「そういえば、猫が言っていたよ」



 彼女は無意識の空に浮かぶ、魔力の尽きかけた猫の様子に口元を緩め、独りごとの様に言った。



「なに、を……?」



 聞いてどうなる――



 猫の言葉など不快でしかない。


 彼女が進める会話は必ず僕を追い詰める。


 全ては、聞き返してしまってから思ったことだ。



「『人ってなァ、自分の中にあるもんでしか人を測れないもんだ』」



 彼女がウィルの伝法口調を真似て、さもおかしげに笑った。



「――だってさ」



 彼女の言葉を受けて、思考のコインが勝手に情報を処理しに掛かる。



「なに、が……やめ、ろ……!」

「何の事はないんだよ、レヴィ。あんたが目にしたあんたの世界は、あんたが想い描いた『ひめゆり』は、すべてあんたの中にあるもの。あんた自身を強烈に映した鏡」



 ――この惨状を、君はなんとも、なんとも思わないか!


 ――君は己を犠牲にすることで、リディアが助かるならばと喜んで身を捧げる、強き優しき心を持った聖女じゃないか! 自分の事ととなるとトンと弱い内面の、自分の事に関しては簡単に諦めてしまう、引っ込み思案な少女じゃないか!



「ぐ、ぅ……ッ!」



 自分の口にした言葉の全てを、頭が勝手に遡り、自分自身へと跳ね返す。



 ――世界の惨状に絶望する程何かを思っているのは僕か?


 ――己を犠牲にすることで、人が助かるならばと身を捧げる、弱い内面をもった引っ込み思案な人間は僕か?



「違う、やめろ……!」



 震えが、涙が、止まらない。


 僕は自分の胸ぐらを握り閉めて地面に伏した。


 絶たれた腱より痛む胸、詰まる息、止まらない涙、嘔吐感を伴う頭痛に、意識が遠のいていく。


 これは僕が思う彼女であって、自分自身の事じゃない。


 でもじゃあなぜ、どうして彼女は絶望しない?


 どうして僕は彼女の事が分からない?


 これまでずっと追えてたじゃないか?



 でももう追えない――



 僕はひめゆりを追えてない。


 それは僕が思う彼女であって、彼女自身じゃない証明。



「だから、結局……!」



 終わらない否定の中にある、僕自身の思考(まちがい)じゃないか――



「違う、違、う!」



 全ては、僕の中にある、僕が持っているものが生んだ世界(まちがい)――



否定(ノー)……!」



 口に出して否定をしても、否定を肯定せしめる材料がない。


 僕の中には、イエスがない。



「んふふふふふふふ……」



 僕の絶対のノーが、目の前で笑っている。



 絶対――?



「冗談じゃない、冗談ではない! 否定(ノー)だッ」

「あんたが他者に見る汚いものも、あんたがあたしに見た綺麗なものも、全てはあんたの中にある。全部が全部、あんたそのもの」

「やめ、ろ……!」



 僕は必死に声を搾り出した。



「あんたに見えるものは全部、あんたが持ってるものだけなんだ」

「やめろ――」

「あはははははははははははッ!」

「笑うのをやめろぉぉぉぉッ!」




     ○


「く、そ、ったれ……!」



 俺はダメージと強烈な睡魔に襲われながら、強化コインを構えた。



 ――タァァァァァン!



 銀の甲弾(スナイプ・ブリット)が一本だけになった竜の頭を打ち抜く。


 もう風の走者(ウィンド・ランナー)を使うだけの魔力がねえ。



『グゥゥゥゥゥ……』



 竜は僅かに首を跳ね上げただけで、ビクともしなかった。



「ぬ、う……!」



 太刀を地面に突き立てながら、レイハは立つに立てないでいる。



「……」



 アリオスは地に手をついて項垂れていた。


 俺はもともとだが、全員が既にマジックポーションでも魔力が回復しないほど憔悴しきっていた。



燃える直球(ブェイズボーゥ)ッ!」



 ――ドォンッ!



 ビートを庇うように立ったアヤが、竜に爆弾を投じた。



「ほぁりゃぁああああ!」



 ――ドォンッ!



 爆風で頭を跳ね上げられた竜の双眸が、ギラリとアヤを睨みつける。



(アヤ、手を、出すな……さがって、ろ!)



 俺は霞む視界で首を振り、伝心を飛ばした。


 殆ど魔力を使わねえ筈の戦友紋章までもが、手の甲で点いたり消えたりを繰り返す。



 魔力が底を尽きかけてやがる――



(で、でも――)



 俺は閉じかける目に力を入れて首を振った。



 竜の注意がアヤに向いても、カバーに入る余裕がねえ――



(ビートを連れて、逃げ、ろ……!)

(いや……ッ! アタシも闘う!)

(俺たちは、まだ動ける……行け!)

(まだって、どういうこと……!? どういう意味よ!)



 アヤが伝心で叫ぶ。



「情の(ふけ)え女だぜ……まったく……」



 鼻にかかったキンキンに高い声が頭で反響し、俺は苦笑った。



(したいことのための、しなきゃ、いけない、こと……)



 アリオスが伝心でぶつぶつと呟きながら立ち上がった。



(一つ、達成したなら、次……)



 緋の瞳の焦点が定まってねえ。


 魔力の枯渇で意識が朦朧としてるようだ。



(尻尾、翼、首……次に、したい、こと……?)

(もう『倒す』で、いいだろ)



 俺は伝心しながら笑ってやった。


 俺の方を向いたアリオスが、首を振って瞳に意識の光を戻す。



「エルグラドの災厄を、倒す……!」

「アリオス、胸を張れ。君は立派な英雄だ」



 レイハもよろめきながら立ち上がった。



 俺たちは、まだ動ける――



(アヤ、行け)



 俺はアヤに目配せをして、左手に強化コインを呼び出した。



「――。」



 アヤが気絶したビートを背負い、広場のクレーターを登り出した。


 竜が場を離れる二人に注意を向けている。



 どら、もう一発――



 俺は左手にコインを呼び出した。



銀の(スナイプ)甲弾(ブリット)……!」



 ――キィンッ……



 指で弾いた強化コインは、虚しく地面を転がった。



「あ、りゃ……?」



 コインが魔法銀(ミスリル)に変わらねえ。



「っかしいなァ、おい……」



 いつもは魔力が尽きないうちに、なんとかなっちまうんだが――



 俺は剣を構えてニヒルに笑った。



「なんでかできちまうはずなんだがな、俺ァ……」

 

『ガァァァァァァッ!』



 一本になった竜の頭が、大地を揺るがす咆哮を上げた。


 ボロボロになった翼が羽ばたきを始める。


 広場に吹き荒れる魔力と瘴気の渦。



「く、そぉ……まだ、出せるのかよ!」



 アリオスが悲痛な声を上げた。



 天の業火(ソル・フレア)――



 ビートが戦線離脱をした以上、禁呪はそのまま受けなきゃなんねえ。


 魔力がほとんど残ってねえ状態じゃ、確実に蒸発させられる。



「……ウィル、アリオスを連れて逃げろ」



 レイハの琥珀の眼が、チラリと俺を見た。



「へッ、そう何度も釣れねえこと言うな。最後まで付き合わせろィ」



 俺は笑って返してやった。



「ウィル、お前……」

「お察しの通り。アリオスにゃ悪いが、もう特急拳出すだけの魔力がねえ」

「逃げる方が、よっぽど嫌だ……!」



 アリオスがよろめきながらも、クレイモアを八相に構えた。



「ビートさんが教えてくれた……」



 意識を取り戻した緋色の瞳が燃えている。



「守れないなら、攻撃だ!」

「アリオス!」



 レイハの制止も待たず、アリオスがダッと飛び出した。



「へッ、物覚えのいい忠犬だ」

「あれがランディス殿の御子息、大聖堂の英雄か……」



 俺とレイハは眼を合わせた。



 言ってるこたァ無茶苦茶だが――



「至極――」

「道理!」



 魔力瘴気の暴風を遡って、レイハと俺はアリオスの背中を追った。


 竜が発揮する魔力の多寡に違いはねえが、首が一本のせいか禁呪の発動が遅い。



『グァアアアアアアアッ』



 竜が咆吼し、魔力と瘴気の荒れがピタリと収まった。


 竜が頭を後ろに引っ込めて、飛びかかったアリオスの一刀を躱す。



「――な!?」



 捨て身の攻撃をスカされて、アリオスが宙で姿勢を失った。



 禁呪はフェイントかィ――



「ぬッ!」

「ちィ――」



 俺とレイハは同時に跳んで、アリオスの前で剣を構えた。


 引っ込んだ竜の頭が、大口を開いて跳ねる。



「おお――ッ」

「らァぁぁッ」


 レイハと俺の剣が、アリオスに迫る竜の頭を打ち据えた。



 ――ガァァァンッ!



 手応えが重い――



『ガァアアアアアアッ!』



 竜が首を振って俺たちの剣を弾き返した。



「くぅ!?」

「つァッ!?」


 頭が二本だった時よりも頭が硬え。


 一本になって、魔力の集中度が高まったか。



『グァアアア――ッ』



 竜が竿立ちになって、両の前足を振り上げる。


 俺とレイハは完全に両腕万歳、まんまと三人懐に呼び込まれた。



 こりゃやべえ――



 と思った瞬間、レイハの右手が俺の襟首を捕まえた。



「レイ――!?」

「むッ」



 レイハが俺を振り回し、アリオスの体に投げつける。



「うわッ!?」

「くぉ!?」



 アリオスともつれて吹っ飛びながら、俺のニャ眼は見逃さなかった。


 竜の前足が振るわれるのを――

 レイハの刀が弧線を描き、竜の前足を弾くのを――

 竜の爪先から生じた魔力の刃風が、レイハの体を撫で斬ったのを――



「くそ! レェェェイ!」



 叫ぶ俺を抱え込み、アリオスが下敷きになって地面との激突を緩和してくれた。



「うぐッ!?」



 落ちた拍子に嫌な音が鳴って、アリオスが呻いた。



「ばっか野郎! 俺を庇ってる場合か!?」

(尻尾の時といい……庇われてばっかり、だから……)



 声が出せないのか、アリオスが伝心で答えをよこした。


 呼吸がおかしい。

 折ったなァ肋骨か。


 俺はハッとなって竜の方に眼を向けた。



 竜が両足を開き、レイハが着地をする瞬間――



 足が地面を捉えたとたんに、レイハの体から派手に血が迸った。



「ぐ、ぬ――ッ!」



 それでもレイハは剣先を下げない。


 竜の首がスウィングする。


 レイハが刀を振り上げて迎撃の姿勢を取った。


 傷のせいか、斬撃が鈍い――



「レイッ!」



 ――ドゴォッ



「――ッ!」



 レイハの体が派手に吹っ飛び、地面をえぐって俺たちの横で止まった。



「ぬかっ、た――」


 ごぽっ……とレイハが血の塊を吐いた。



 肩口から腰にかけて斜めに刃風の痕が刻まれている。



「まりょくが……も、お……」



 わき腹を押さえたアリオスの、緋色の瞳から光が消えかけている。



「野郎ァ――」



 俺は歯を食いしばって立ち上がった。



 俺にゃこの世で一等(きれ)えなもんが三つある。


 一つ、俺が認めた宝もんを傷つけるヤツ――こいつァ叩っ斬るより他がねえ。

 二つ、不甲斐ない自分――他人に迷惑掛けるぐれえなら死んだほうがマシだ。

 三つ、生魚――あんな生ぐせえもんを刺身で食えるヤツの気が知れねえ。



 装備が呪われてるだとか魔力が回復しねえだとか鮮魚は臭くねえだとか、そういう理屈は俺にゃ関係がねえ――



『ガァアアアアアアアアッ!』



 竜が咆哮を上げて、宙に巨体を踊り上がらせた。


 右の前足が振り上げられている。


 いよいよ止めを刺そうって腹らしい。


 眠気がなんだ、限界がなんだ、体があって、生きてりゃやれる。



 俺ァまだ、闘える――



「くそがァああああああああッ!」



 俺は竜に負けじと吠えて走った。




     ○


「うぁああああああああああッ!」



 僕は自意識の舞台を叩き、中枢の奥底から魔力を絞り出した。


 否、「搾り出した」は適切な表現ではないかもしれない。


 発動したままの魔力譲渡(エナジーセッション)が、片っ端から魔力を奪い続けている。


 もう魔力は、完全に底を付いていた。


 それでも僕は流出を超える魔力の発揮で自己治療(セルフヒーリング)を施し、体をワイズ・グレーのものに戻した。



「そんな無茶をして、知らないよ?」



 ひめゆりはなお笑う。



「……何が?」



 僕は俯いたまま、ゆっくりと立ち上がった。



「魔力中枢は魂の側面、魂の機能の一部、あんたは今――」



 僕は魔力中枢そのもを燃やし、魔力へと変換している。


 魂そのものが燃えている。



「これは燃やしているのではない、ただ、燃えているだけ」



 命そのものを削って魔力にするなど、やろうと思って出来ることではない。


 それでも僕の中の赤黒い何かが生む、絶大の欲求が不可能を可能にしていた。



「ふぅん……」



 彼女は特に関心もしない、半眼の瞳で僕を見据えた。



「それで?」



 彼女は腰に手を当てて小首を傾げた。



「そんなになってまで、あんたは一体何がしたいの?」



 微笑む彼女を、僕は歯を食いしばって睨んだ。


 右手に左手を添えて、ありったけの魔力を溜める。



「僕の欲求は結局……僕を否定する、否定の否定だ」



 世界の全てが、僕にストレスを与える。


 目の前にいる彼女が、僕にストレスを与える。


 森羅万象のことごとくは、感覚過敏な僕にこう告げている。



 ――お前の存在は、間違っている



 ストレスとはつまり、否定だ。



「僕を否定する世界なんていらない」



 僕は笑った。


 笑いながら泣いた。



「じゃあどうして泣くの? 念願の達成は目前なのに」



 彼女が微笑む。



「世界を否定する、僕なんていらない」



 僕はそんな、終わらない否定のリングの中にいる。


 ずっとずっと、自意識という(ゲージ)の中で、否定(ノー)のリングを駆け回り続けている。



 だから諸共、消えるが筋だ――



 感情が、思考が、魔力が、すべからく荒ぶる体で、僕は静かに溜息をついた。



「僕の世界が終わりる瞬間に、君の絶望を得る答え(ライン)――だったのだがな……」

「それはどうも、ご期待に添えず」



 結界の崩壊を発動させた彼女が、手を握り合わせてしとやかに礼をする。



「そんな『ひめゆり』も、僕にとってはやっぱり否定(ノー)だ」



 僕は魔力を溜めた右手を開き、手のひらを天に向けた。



 銀貨が現れて、青白い光の中で回転をする。



 僕が呼び出した、一枚の女神のコイン――



「そう」



 彼女は祈りの礼を止め、微笑みを消し、半眼の瞳で僕を見据えた。



「結局あんたは、そこ(・・)止まりか……」



 彼女の右手に左手が添えられ、魔力が収束していく。



「そこ?」

「あんたは思い出せなかった。思い出そうとしなかった」



 瞳孔の引き絞られたサファイアブルーの瞳は、背筋がゾッとするような、知恵の輝きに満ち満ちていた。



「自分の中に渦巻く赤黒いものが、何んであるかも分からず身を焼いて、挙句に魂まで燃やしてる」



 彼女が開いた右手の平に、銀貨が現れて回転をする。



 彼女が呼び出した、一枚の女神のコイン――



「そんなあんたを、あたしはやっぱり赦すことができない」



 僕は首を小さく竦めて彼女に笑いかけた。



「君は? 何を望んでいたんだ?」

「んー……」



 彼女は首を傾げて、半眼を空に向けた。



「どうでもいいことかなー? あんたがしでかしたこの実験に比べれば、大した事でもないよ」

「教えては貰えない?」



 僕が微笑む。



「あたりまえでしょ?」



 彼女が微笑む。



「誰があんたの望む答えなんか、出してやるもんか」

「確かにね。君からは最後まで答えを得られなかった」



 彼女の言うとおり、僕は赤黒い何かが何であるか、分からなかった。


 目の前の彼女を彼女たらしめている、希望がなんであるかが分からなかった。


 分からないことだらけだった。


 それでも大結界の術式の裏返りは末端にまで届きかけている。


 燃える魂の灯明が尽きるのも、時間の問題だ。



「さあ、終わらせよう」

「ええ、始めましょう」



 僕らはゆっくりコインを構え、腕を伸ばして狙いを定めた。



 知恵の限りを尽くして弾く、イエスかノーか、女神のコイン――



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