62.「そんな哲学」
「おっほほーッ!?」
俺は身を伏せて熱線を潜った。
頭と背中がチリチリする。
(ひ、火ぃ吐いた……!?)
アヤの伝心が怯えに怯えていた。
そら竜だってんだ、火ぐらい吐かァな。
「災厄らしくなってきやがったぜ」
俺は剣を構えてニヒルに笑った。
こんなのが三日三晩暴れたってんなら、確かに一都市ぐらい簡単に更地になりそうだ。
竜が一層羽ばたきを強め、広場に風が吹き溜まった。
――ゴォッ
激しく翼を動かしている割に、体を浮かせる気配が無い。
「なんでえ……?」
俺は風圧に耐えながら目を細めた。
(気持ちわゥい……!)
アヤの伝心が飛んだ。
(だるいな、こりゃ……)
ビートがガードの姿勢のままふらついている。
「あん?」
横に目を走らせると、苦みばしったレイハの顔にも汗が滲んでいた。
(これ、は……!)
クレイモアを杖にしたアリオスが伝心で呻く。
竜の羽ばたきが広場に暴風を巻き起こしつつあった。
「風に瘴気を混ぜ込んでやがんのか!」
魔物を湧かすどす黒い瘴気が、体にまとわりついて離れない。
魔力を発揮するにも妙に怠い。
体も心なしか重い。
召喚した半竜人を消したなァこのためか――
『『グゥゥゥゥ……』』
全員の動きが鈍った所で、また竜が首をうねらせた。
こりゃまじい――
「レイハ、動けるか!?」
「――俺はな。馬の方も、まあなんとかなろう」
レイハが巨馬の具合を確かめて刀を構え直した。
「アリオス!」
(う、動ける、大丈、じょ……)
剣を杖にするアリオスの伝心が途切れとぎれだ。
強がっちゃいるが余り大丈夫そうじゃねえ。
「アヤ、ビート!」
(あ、あたしはまだ……でも、ビートが!)
(正直しんどい)
アヤに支えられながら、ビートが竜から距離をとり始めていた。
もともと魔力中枢を弄られた病み上がりだ、モロに影響をうけちまってんだろう。
全員が瘴気の風で能力低下を引き起こし始めている。
竜が跳ねるように体を宙に浮かせた。
双頭が「かっ」と口を開く。
――ドォンッ ドォンッ ドォンッ!
――ガァァァァアアッ!
火球と熱線を撒き散らし、竜が広場を飛び回った。
「ぐぅ、う……ッ」
竜が巻き起こす瘴気と熱風に、アリオスの膝が徐々に落ちていく。
「び、ビート、しっかィ――」
「……ッ」
ビートが斧を取り落としかけ、アヤが懸命に体を支えていた。
(ウィル、三人、頼め、か――)
レイハが馬の背に立って伝心を飛ばした。
頭に響く声はしっかりしているが、どうにも伝心が途切れ途切れだ。
どうも瘴気の影響らしい。
「何する気だ!」
禍々しい熱風が吹き荒れる中で俺は叫んだ。
馬の背に立ったレイハが、左に手綱、右に刀を構えて俺を振り返る。
「十代の英雄が尾を斬ったのだ! 翼の一つでも破かねば、年長者として示しがつくまい!」
伝心術の不調を悟ってか、レイハが大喝した。
風の原因を断つつもりか――
「勝算は!」
「知らん!」
瘴気を弾き返す魔力を漲らせて、レイハが快活に笑う。
「知らんが破く! 一つ達成したなら次ッ!」
「ばっかやろうが――」
元上司の変わらない単純明快っぷりに口の端を持ち上げて、俺は竜に目をやった。
旋回して風圧を巻き起こす竜の双頭が、常に俺たちの方を向いている。
魔力を溜めて光る顎――
「ウィル!」
レイハが手綱を捌いて立ち乗りの馬を駆けさせた。
「おう!」
対して俺は両手の人差し指と中指を揃えて、額の前に翳した。
竜が遂に大口を空ける。
――ガァァァァァァァァァッ
「とっきゅうけぇぇぇぇぇん!」
竜が起こす風圧もなんのその、俺は二本の熱線をかいくぐって広場を疾走した。
「ちょッ――わわッ!」
うずくまった忠犬を右手で回収、
「うお――ッ」
「きぃやぁぁぁ――」
寄り添う狼と子虎を左手で回収、
――ガァァァァァァァァァッ
俺は三人を引っ掴んだ状態で、竜が吐く熱線から逃れ続けた。
「ななな、なんなんだぁぁぁぁ!?」
アリオスが声を裏返して叫ぶ。
「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁッ!」
ビートに抱えられたアヤがスカートを抑えて絶叫。
「ふぉぉぉぉぉぉぉうッ!」
なんでかビートが大興奮。
(なに、なんだよコレ!? 加速並みじゃないか!?)
アリオスが伝心術で言う。
(これぞ我がケット神剣の奥義の一つ、特急拳!)
(色々胡散臭い!?)
野郎、助けて貰っておいてなんて言い草だ。
――ガァァァァァァァァァッ
熱線の当たる気配のないない俺たちに痺れを切らし、竜が旋回を止めて宙に留まった。
じっくり狙いを定めようって魂胆だ。
徐々に竜の高度が下がる――
「そこに居れッ!」
レイハが一喝して、立ち乗りの馬を半壊した建物に向かわせた。
――ガガガッ!
巨馬の蹄が瓦礫から壁へと登り宙に駆け上がる。
(か、壁を走って――ッ!?)
俺の奥義の高速移動の中でも、アリオスはしっかりレイハの馬術を見ていたようだ。
(へッ、あの団長は馬で崖降る御仁だぞ)
郊外の盗賊のアジト強襲するのに、そんな無茶してるのを見たことがある。
「おお――ッ」
馬に三角飛びをさせ、さらにレイハ自身が馬の背を蹴って跳んだ。
「せええええ――ッ!」
飛び上がったレイハの、逆手に握った刀がきらめく。
――ザキィッ
『『ギィィアアアアアア――』』
刀が翼を貫通し、レイハはそのまま竜の背に取り付いた。
竜が短くなった尾を振って、滞空中だった巨馬を弾く。
馬は派手に吹き飛ばされながらも、宙で身を躍らせて見事地面に着地した。
(お馬さんタフだお)
ビートののんびり伝心が飛ぶ。
(どうでもいいけどぉぉぉ! こっちはいつまで走ってゥわけぇええ!?)
アヤが伝心で大絶叫した。
(おういえ)
どのタイミングで切り出していいか分かんなかったもんで、俺は三人を抱えたまま広場を走りっぱなしだった。
(実はこの奥義、俺のブーツの効果なんだけどよ)
物心ついた頃から装備していた材質がコートと同じセット装備、蜃気楼の冒険者シリーズだ。
特急拳は、ブーツが暴風の加護を受けて辺りの状況構わず疾走できる優れものの奥義なんだが――
(一度発動させると、なんかにぶつかるまで止まれねえんだよなァ)
ザワッ……と、全員の魔力が揺らいだ。
(ヘイ、エブリワン。何処にぶつかりてえ?)
レイハが頑張ってるこったし、このまま魔力を消費して遊んでる場合でもねえ。
「やっぱ呪いかぁぁぁぁぁッ!」
希望をとっても、返ってきたのはアリオスの絶叫だけだった。
しゃあねえな――
俺は柔らかそうな議事堂の扉に目をつけて、頭から突っ込んだ。
――バキャァッ
「ぐはッ」
「……ッ」
「ひぃッ」
アリオスが頭を抱えてしっかり受身を取り、ビートがアヤを抱えて議事堂に転がった。
一応、衝突の瞬間に全員を風で包んで怪我しないようにしてある。
教会の子供らを空に飛ばすのに良く使ってる魔法だ。
「分厚く作りすぎだったっつーの……税金の使いどころもっと考えろ」
俺は身を起こして、扉を叩き割った頭を振った。
「も、かんにん、して……」
目を回したアヤがぐったりとビートに覆いかぶさっている。
「――そうだ、レイハさん!」
アリオスがクレイモアを拾って議事堂の表に駆け出した。
俺も剣をすっぱ抜いてアリオスに続く。
外は未だ濃い瘴気が漂っていたが、風がない分多少マシになっていた。
『『グワァアアアアアアッ!』』
広場で、片方の翼をズタズタにされた竜が身を上下させて大いに暴れている。
「はっはははは――!」
レイハが竜の背中に刀を突き立ててロデオに興じていた。
「どう、どうッ――はっはははははははァ!」
レイハ団長、エルグラドの災厄の背中で超ご機嫌。
「ウィル、そんな場合じゃないの、俺、分かってるんだけどさ……」
アリオスが魔力をしおらせて呟いた。
「言いてえこたァ良くわかる」
俺は剣を担いで顎の下を掻いた。
「あれが魔盗改めの長、レイハ・シレンってえ男だ」
呆れるほど単純明快、都の重鎮を担う精鋭部隊の長にして俺の元上司――
「まさかに竜に乗れる日が来ようとは思わなんだわ!」
戦闘に熱中すると、未だ落ち着きのない三十路半ばのおっさんだ。
「大人って、一体……」
「哲学的な問題だよね。実際」
俺の横では、レイハの乗馬が足を踏み鳴らして不機嫌そうに嘶いていた。
○
「……言ったはずだよ。『私にだってどうでも良くなる瞬間はある』って」
呼吸が徐々に浅くなっていく。
響く心音は、まるで安寧を得るかのようにリズムを遅くしていった。
「だから、それは絶望――」
「してません」
目を瞑ったまま即答する。
譲らない――
それだけは譲らない。絶望なんて、私はしてない。
「なに、何を? 君は何を言って――」
レヴィの高ぶっていた魔力が、毒気を抜かれたかのように萎んだ。
「忘れてるから、分からないんだよ……」
意識が遠のき、目を開けてもあまり景色が分からなかった。
薄暗い視界の中で、サイケデリックな記憶の星が、万華鏡の様に輝いている。
眠い――
「き、君は……」
レヴィの震える手が、私の頬に触った。
ああ、温かい――
伝わる彼の体温に、私は目を細めて微笑んだ。
「何を……?」
彼の手が、私の妖脈と中枢を霊視している。
「ふ、ふふふ……」
愛撫するような手つきと、体の中を探る魔力がくすぐったい。
「ふざ――」
彼の魔力がカッとなって乱れた。
「ふざけるな、ふざけるなよ……!?」
顔に、温かい水滴が落ちてきた。
また、泣いてる――
「君は絶望した、絶望したんだろう!? だからそんな風に全てを投げ出して死のうとしてるんだ! そうなんだろ!? そうだと言えよッ!」
「してま、せん」
「〜〜〜〜〜〜ッ!」
彼が息を詰まらせて私に馬乗りになった。
「冗談じゃない、冗談ではないッ!」
レヴィが私の胸ぐらを掴み、無理やり上体を引き起こす。
「君の答えはなんだ! 君の中にあるものはなんなんだ! 吐き出せ! 全部僕に吐き出して逝けよ!」
「教えて……あげない……」
もう、声もまともに出なかった。
「君は僕を許さないんだろ!? こんな僕を許していいはずがない! 許されることじゃないじゃないか!」
レヴィが私の体を必死に揺さぶる。
彼は今、赤黒い何かと表現するものに身を焼かれている。
彼を否定する否定に身を焦がしている。
自分の中の絶対のノーがなんであるかの答えを求めている。
ずっと、ずっと求め続けている――
「君の中に、僕と同じこれはないのか!? 僕は散々に君に酷いことをしてきたんだ! 君の中にこれはないのかよ……ッ!?」
彼はいつも泣き叫ぶ。
欲しいものが手に入らないと必死に泣き叫ぶ。
一度執着してしまった場合、それを捨て去るという事を知らない。
何をどうやっても、手に入れようとしてしまう。
捨てると言う選択をする事がない。
彼は酷く、諦めが悪い――
「あ、る」
目をチロリと開けると、ぼやけた視界の中に、彼のサファイアブルーの瞳があった。
「……え?」
過敏な感覚を全開放して引き絞られた瞳孔、涙に濡れる闇に沈んだ青い瞳が、怯えの光を称えていた。
「だから、ぜつぼう、しな、い」
「な、なにを……?」
彼が震える手、震える唇で目を伏せた。
「なに――どういう……こ、と……だ?」
瞳が、魔力が小刻みに揺れている。
彼は理解出来ないことを恐れる。
理解が及ばない事、初めて経験するもの、記憶にない状況を極端に怖れる。
自分の知らない事に恐怖する――
「一体君は……何を、言って……」
彼は今、必死に記憶と言う知識の中から答えを探している。
でも、いくら探したって彼の中から答えは出て来ない。
レヴィはそれを忘れてしまっている。
それは忘却と言う現象。
記憶には刻まれているはずなのに、ストレスを回避する本能が、決してたどり着けない領域を作ってしまう脳の性質。
「君の中に、これはある……?」
「ふ、ふ、ふ……」
必死に頭を悩ませる彼を私は笑った。
そう、貴方は、そんなにも――
「なぜ、笑う……」
彼はキョトンとした顔のまま、瞳からボロボロと涙をこぼした。
残忍で陰湿、傲慢で卑猥な欲求は完全に立ち消えていた。
「教えて、くれよ……?」
自意識の舞台に、世界に一匹残されてしまった、鼠の怯えが見て取れた。
「……」
私は、苦痛が消えて急速に楽になっていく感覚の中で、歯を食いしばった。
「あな、たは――」
微笑みながら、必死に意識をつなぎとめた。
「どう、して、絶望、した、の――?」
これが、私の、彼に対する最後の質問だ。
「ぼく、は……」
レヴィが額に手を当てて、私の上に座り込んだ。
「僕は、どう、して……絶望を……?」
――ギリィッ
私の口の中で、奥歯が鳴る。
「ひめ、ゆり?」
彼が怯えたようにその名を口にした。
頭とも言わず、胸とも言えず、自分の体に彼が赤黒い何かと表現するものが膨張した。
それはドロドロとしていて腸を煮えくり返らせる――
それはゴロゴロとしていて胸を内側から傷つける――
言葉では到底表現しきれない。
それは確かに、私の中に、ある――
「よ、ん、じょ……」
私は息を引き絞ってかすれる声を出した。
レヴィが、私の言葉を聞き取ろうと、涙に濡れる顔を近づける。
「よん、じょ、の、ヴォ、る、カ、な――」
「え……?」
彼が目を丸くして呆けた。
まるで子供のような顔だった。
四女の、ヴォルカナ――
「『私は燃やしているのではない、燃えているだけ』……?」
私がかつて、彼の部屋で、グラスを交わす前に口にした聖書の一節。
レヴィが「わからない」と言った顔で私の眼を覗いた。
私は徐々に狭まっていく視界の中で、彼の澄み切り過ぎたサファイアブルーの瞳を見つめ返して、なおも笑った。
「き、君は――」
レヴィの瞳が戸惑い、恐れの光を強めて揺れ出した。
「君は……誰だ?」
彼は腰を浮かせて後ろに逃れようとした。
身を離そうとするレヴィを引き込んで、あたしは彼に唇を押し付けた。




