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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
59/86

55.「仰げば尊し」



 サフィアの予想通り街は第一段階の雑多な魔物がうろついていた。


 今は第二段階にさしかり、低級の姿をしながらも異様な魔力を放つ固体が増えはじめている。


 街は文字通りゴーストタウンと化している。



 加速アクセルを使うべきなのかな――



 マジックポーションを貰ったとは言え、やはり魔力は消費したくない。



『グゥオオオオァ!』

『グ、ゥゥゥ……ッ!』



 走る私に目をつけた鬼人(オーガ)動く死者(リビングデッド)が唸り声を上げて駆け寄ってきた。


 それを契機に悪戯妖精(ゴブリン)骸骨兵(スケルトン)浮遊霊(ゴースト)といった、種族入り乱れる魔物群の注意がこちらに向き始めている。



 だめだ、このままだと追ってくる魔物が増え続ける――



 私は歯噛みして後ろを振り返った。



「ブェイズボーゥ!」



 聞き慣れたほにゃほにゃの声と共に、横を剛速球が通り抜けた。



「えッ!?」



 ――ドバァンッ!



 爆薬が炸裂し、リビングデッドの上体が粉微塵に吹き飛んだ。



「おぉぉぉぉぉッ!」



 斧を振りかざした羽付き帽子の青年が、私の前に飛び出してオーガを真っ向から二つに裂いた。



「ビート!?」

「完全復活だお」



 大斧を肩に担いで、ビートが羽付き帽子を押さえた。



「うわぁぁぁぁぁぁッ!」



 振り返ると、アヤが体当たりする勢いで駆けてくる。



「アヤ!」



 私は飛びつく彼女を抱きとめて抱え込んだ。



「貴族はんに酷いことされへんかった!? 変なことされてない!?」



 焦っているのか二ヴァーナ訛りがごちゃごちゃだ。



「大丈夫よ、私は大丈夫だから」

「良かった……良かったよぅ……!」



 アヤが私のお腹に顔をこすりつける。



「大聖堂まで俺たちが護衛します。神官長は隊列の後ろで温存を」



 ビートがいつもの抑揚のない調子で言った。



「そだそだ、これ――」



 アヤが腰のポシェットをゴソゴソやって、大きなバスケットを取り出した。



「これは……?」



 私はバスケットを受け取りながら首を捻った。



「お腹すいてるだろうとおもってさ、多めにサンドウィッチ作ってきたんだ。水筒の中身はレモネードだかんね」

「アヤ……!」



 私は膝をついてアヤを抱きしめた。



「むぐぅ――!?」

「貴女って、貴女って本当に最高ね……!」

「ふ、二人分あるから、レヴィさんにも、食べさせて」



 息苦しそうにしながら、アヤが言った。



「え……?」



 私はアヤを解放して目を合わせた。


 アヤが少しだけ表情を曇らせてから、「にぱっ」と輝かんばかりの営業スマイルを浮かべた。



「今日はデートなんでしょ?」



 ルビールージュの瞳がパチリとウィンクする。



「アヤ……」

「ぼちぼち魔物が増えてきたな……急ぐお」

「ええ……!」



 アヤのバスケットを懐にしまい、私は立ち上がった。



「じゃあ行くお」



 ビートが手斧を引き抜いて、行く手を阻むオーガに投げつけた。



「おぉっしゃぁぁぁあッ!」



 アヤも爆弾を振りかぶって剛速球を投じる。



 ――ドォッ、ダァァァンッ



 手斧で動きが止まった鬼人が、他の魔物を巻き込みながら爆風で飛んだ。



「銀の手斧を使い捨てだなんて奢ゥじゃない」



 魔法酔いで高揚しながらアヤが言う。



「端材で作った粗悪品だお。ゴミまで有効活用、みたいな」



 二人に前を切り開いてもらいつつ、私は後ろの敵をコインで牽制射した。



 ――ダンッ! ダンッ!



「ダメだよ、温存温存!」



 アヤが私を振り返る。



銀の弾丸(シルバー・ブリッド)の魔力ぐらいなら自然回復するわ。コインも万枚持ってるから平気」

「むぅ……」



 敵をある程度掃討して前進、その繰り返しで私たちは魔物溢れる都の血路を開いた。



「ビート、住民の避難状況は?」

「大体済んでますよ」



 ビートが手斧を呼び出して、一つ二つと投じながら答える。



「神官長の部下達は、各避難所に派遣されてるみたいですねえ」

「……そう」



 結局、最後の最後まで監察の組織力は封じられたままだった。


 彼に、教に、決められた一本道。


 選択の余地のない、七日目の夜。



 否――



「魔導士なんかも配置についてるらしいですな。魔物に対する防備は万全かと」

「サフィアんが作った報告書のお蔭で、いまの騎士団凄い連携っぷりだわよ」



 二人がそんな風に、都の現状を語ってくれた。



「重畳ね」



 私は、私たちは、死力を尽くして今ここにある。



 流されてばかりで辿りついた今じゃない――



 メインストリートを抜け、城西地区と城北地区の境目まで進むと、防衛ラインを張る騎士団の部隊に遭遇した。



『今は非常時ですよ!? 貴方達は――ッ!?』



 槍をもった騎士が、場上から叫ぶ。



「ラブリッサ商会の者です、ただいま要人を護送中」



 ビートがのんびりした調子で返した。



『ラブリッサ――』



 騎士がハッとなって居住まいを正した。



『魔盗改めから連絡を受けています』



 騎士が馬を降りて私に手綱を差し出した。



『乗馬はお得意で?』

「それほどでも」



 私は騎士に手を借りて馬の上にまたがった。


 乗り手の交代に馬が戸惑って身を振る。



「どうッ……どうッ!」



 二〜三脚を踏み鳴らすと、馬はすぐに落ち着いた。



『問題ないようですな。護衛を何騎かお付けいたしましょう』

「いえ、それには及びません」



 私は左で手綱を捌いて馬首を巡らせ、右でコインを弾いた。



 ――ダンッ! ダンッ!



 道の遠方に居たリビングデッドとスケルトンの頭が弾ける。



「驚かないなんて、いい子ね」



 音に驚かない馬の首を、ねぎらうように撫でる。



『これは……問題ないどころではなかったか』



 騎士が呆れ顔で言った。



「動物好きの神官長、舐めたらあかんでぇってなもんよ」



 アヤが腰に手を当てて胸を張った。



「神官長、俺たちは魔盗改めのバックアップに戻ります。ご武運を」



 ビートが羽付き帽子を上げて小さく会釈をしてくれた。



「頑張ってね!」



 アヤがこちらを見上げながら「にぱっ」と笑った。



「ありがとう二人とも」



 二人に礼を言い、私は騎士に顔を向けた。



「すみませんが、この子をお借りしていきます」

『事情は存じませんが、どうやら並々ならぬこと。僭越ながら、私からもご武運を』

「ありがとうございます。皆さんに女神のご加護がありますように」



 私は手を握り合わせて祈っておいて、すぐさま馬の腹を蹴った。



「はいッ――」



 手綱の緩みと共に馬体が躍動し、街の景色が大きく揺れた。


 騎士の乗馬なだけあって路地を彷徨く魔物に動じた様子がない。


 馬上で右手にコインを呼び出し、私は敵に狙いを定めた。




     ○


「ま、俺ァ生まれた時から冒険者で、お前さんみてえに面倒なトコで育ってねえからな。泣きたいほどの事情ってな分かってやれねえが……」



 俺は宙に視線を向けて慎重に言葉を選んだ。



「なァ、アリオス。『こっちは真剣だ、お前も真剣で来い』ってえ浴びせて、世の中何人が真剣に取り合ってくれると思う?」

「え?」

「何でもかんでも真っ直ぐ本音を打ち込んでたら、そりゃァ良いように振り回されちまわァな」

「……」



 アリオスの魔力が揺らぐ。


 熱く火花を散らした一騎打ちは、一転、舌戦へと戦局を移した。


 都の結界が崩壊直前、湧く魔物はどんどん強力になる一方。


 そんな時に俺ァハートブレイク中の少年の心のケアだ。



 マジで何してんだ俺――



「……正直が、いけないことだって言うのか」

「悪いたァ言わねえが、お前さんの悩みの元凶は多分それ(・・)だろ」



 アリオスが訝しげに首を捻る。



「本音でぶつかり合うのが、人の正しいあり方だろ?」

「誰だ、そんな嘘っぱち教えたなァ」



 俺はやる気の無い目で言ってやった。



「大聖堂の教導司祭様が……」



 子供か――



 俺は馬鹿犬よろしく頭を掻いた。



 いやうん、子供なんだよな。しかもすんげえ真っ直ぐな――



「あンなァ、アリオス……そりゃ本音でぶつかり合うなァいいこった。それで物事上手くまわりゃ上々だ。ンでも、右が良いってヤツと、左がいいってヤツがいたとして、本音でぶつかり合ったらどうなるよ?」

「……ケンカ」



 アリオスがポツリと答える。



「ケンカで済むなァ子供のうちだけだ。運河端で殴り合い、夕日をバックに肩抱き合って、『へへッ、やるじゃねえか』『てめえもな』なんてえのが、立場も権力もある大人同士で成立すると思うか?」

「それは――だから、話し合って……」

「話合いでも交わらねえ時があらァ。お前さんは神官長を行かせたくなかった。彼女は行くと言って譲らなかった。そんで? お前さん、結局どうしたよ」

「……」



 アリオスが唇を噛んで黙った。



「眠り薬入のケーキを食わせようとしたんだろうが。嘘ついて」

「あれは――」

「『仕方なく』だよな? 物事丸く収めるための必要な嘘ってえヤツだ。世の中嘘で上手く回るってことも多々あらァな」

「……」



 アリオスが肩を震わせて俯く。



「本音でぶつかり合って、意見が交わらなかったらケンカ、最終的にゃ真剣で殺し合い――そりゃお前さん、獣の世界の理屈だぞ」



 あん――?



 俺は自分で口にしながら首を捻った。


 つまりアレか?


 馬鹿犬改めネズ公は、獣の世界作ろうとしてんのか?


 秩序崩壊させて嘘のない世界にしようって?


 おっほほー、すげえ馬鹿――



 閑話休題、俺はアリオスに目を戻した。



「嘘ってなァ良いもんじゃねえが、別に悪いってほどのこってもねえ。人間ってな嘘つく動物なんだよ」

「嘘をつく動物……」



 アリオスがすっかり落ち着きを取り戻して俺の言葉を反芻した。



「お得意の剣術に置き換えて考えてみろ。『先先の先』『先』『後の先』そんな駆け引き当たり前だろ?」

「あ……」



 緋色の瞳に光が戻る。


 剣術の三先、プレッシャーを与え続けて先手をゴリ押すのが「先先の先」、相手の出鼻を挫くのが「先」、相手の攻撃を外してカウンターから初手を掴むのが「後の先」だ。



「もう一度言うぞ。『真っ向勝負も大いに結構だが、小手技に振り回されてるようじゃ話になんねえだろ』」

「そっ……か……」



 アリオスが手を顔に当てて呟いた。



「そん、な……」



 その口元は笑っている。



「俺、おれは――」



 手で隠した瞳からは、また涙が伝っている。



「真っ直ぐに打ち込めば、相手も真っ直ぐ打ち込んでくるって……それが守るべき絶対のルールだって、勝手に思い込んで……?」



 魔力と共にアリオスの体が震え出す。



「真っ直ぐ打つからそっちもそうしてくれって、喚いてただけか? は、は……ッ!」



 アリオスは泣きながら力なく笑った。



「俺は、嘘をつくのはルール違反だって、嘘をつく人達のせいにして――」

「……」



 俺は黙って剣を鞘に納めた。



「俺が、隙だらけだったんじゃないか……ッ!」



 全部が全部、お前さんの責任たァ言わねえがな――



 アリオスは人の言葉を頭っから信じて、疑おうとしない。


 疑わず、ただ信じて力を尽くそうとする。


 父母共に権力者の家柄という環境に生まれ落ちて、ただ真っ直ぐ人を信じるように、疑わないようにと育てらて来たんだろう。



 純金培養の英雄――



 その言葉が最も似つかわしい。



「ただ、それだけ……? それだけのことで、俺、ずっと空回って……」



 クレイモアを放り出して、アリオスが床に尻餅をついた。



「おう上出来。飲み込みが早いってなァいいね」



 俺は肩を竦めて笑ってやった。



「冒険者の俺から言わせてもらえばよ、お前さんは幸せもんだぜ、アリオス」

「……?」



 涙に濡れた緋色の瞳が俺を見上げる。



「お前さんに嘘つく人間ってな、誰もお前さんを陥いれようとしてねえ。守ってこうとしてるだけなんだからな」

「……ッ、……ッ!」



 アリオスが床にヘタリ込んで言葉なく泣いた。



 こいつァつくづく、交渉技術(スピーチスキル)が足りてねえ――



 俺は顎の下を掻きながら溜息をついた。



「守ってくれる周りにくだ(・・)巻いてるようじゃ、まだまだお子様ってえこった」



 俺はアリオスに歩み寄りながら、コートの裏をまさぐった。



「ほれ」



 取り出したのはマジックポーション。


 青い瓶を、アリオスに放ってやる。



「……?」



 ポーション瓶を受け取って、アリオスが目を上げた。



「ウォーミングアップは終了だ。そいつを飲んでサッサと立て」

「え……?」

「大人になりてえんだろ?」

「どう、するん、だ?」



 すっかり年相応の顔になったアリオスが、呼吸をしゃくりあげながら目を上げた。



「そりゃお前さん、親の膝の上から降りて大暴れってなもんだ。丁度、街で魔物がお祭り騒ぎしてんぜ」

「……」



 アリオスが呆けた様子で、手に握ったマジックポーションを見つめる。



「彼女を追いかけるには、もう、遅いかな……」



 俺は未だ未練たらたらのアリオスに吹いた。



「アホかお前、かなりのアホか」

「……」



 小馬鹿にしたように笑う俺を、アリオスが少し恨めしそうな顔で睨んだ。



「『もう遅い』んじゃねえ。『まだ早い』ってんだよ」

「まだ、早い……?」



 アリオスがぼんやりと俺の言葉を繰り返した。



「気持ちだけで飛び出そうとしてるうちは、まだ早ええ」



 俺は口の端を持ち上げてニヒルに笑ってやった。



「まだ――」



 ポーションを持つアリオスの手が震える。



「どうせ……どうせ俺はまだ子供だよ! ちっきしょう……ッ!」



 アリオスが瓶の封をきって、ポーションを一気飲みした。



「都中の魔物を、全部叩っ斬ってやる」



 ポーションの回復効果で、徐々にアリオスの体に魔力が戻り始める。



「おう、その意気だ。憂さ晴らしにゃ馬鹿騒ぎと相場が決まってらァ」

「別に、落ち込んでない」



 アリオスが目の周りを赤くした顔で強がる。



「へッ……」



 俺は目を瞑って笑った。



 結局、お前さん()ってな、そう言う生き物なんだろな――



 でけえ方のレヴィも、アリオスも、やっぱり犬だ。



 今にも滅ぶ都より、御主人様が第一か――



 なんにしてもコレで、



「お仕事再開だな」



 猫な俺にゃ、好いた惚れたはようわからん。




     ○


 まったく――



「何をやっているのかしらね、私はッ!」



 ――ダァンッ! ダァンッ! ダァンッ!



 馬上でコインを弾きながら私は笑った。


 最悪のケースを想定して、出来る限り手を打ってきた。


 それでもレヴィは暴走してしまい、リディアは壊滅の危機に陥った。


 覚悟を決めて決戦に備えてみれば、アリオスに一服盛られてギリギリまでドタバタだ。


 慎重に慎重を期して、最善を尽くしても、物事は思い通りに進まない。



 努力しても、望んだものは簡単に手に入らない――



「だからって――」



 ――ズダァンッ!



 片手で放った銀の散弾(ショットシェル)が、魔物の群れを散らす。


 思いどうりに行かない世の中の理不尽に、皆が立ち向かっている。


 リディアの民と冒険者が、協力し合って希望を繋ごうとしている。



 絶望なんて、していいはずがないじゃないか――



「――はッ!」



 崩れた建物の瓦礫を、馬が嘶いて飛び越えた。


 騎士の乗馬はあっという間に城北地区を駆け抜け、最奥地にある大聖堂へと辿りついた。


 辺は魔物も人もなく、しんと静まり返っている。


 もともと大聖堂の付近は大結界以外にも退魔の工夫が張り巡らされていて、瘴気や魔物はそう簡単に侵入できない。


 馬足を速歩にして、学び舎のある裏手へと回と、正門が開けっぱなしにされていた。


 昇降口脇の草むらで馬を降りる。



「ここで待っていてね。危険を感じたら逃げてもかまわないから」



 何かあっても良いように、すぐ折れそうな細めの枝に手綱を結わえ付けておく。



 首をさすると、馬が鼻を鳴らして答えてくれた。



 ――すぅぅぅぅぅぅッ……



 私は気息集気法で魔力を整えて、学び舎に足を踏み入れた。



「……」



 修行課程を終えて以来、この場所には一度も顔を出していない。


 大理石であしらわれた懐かしの学び舎は、殺気を孕んだ魔力に満ち満ちていた。



 これはレヴィのものじゃない――



 私は眉宇を顰めて油断なく廊下を歩いた。


 時折空気が揺らいて、強烈な魔力が奥から押し寄せて来る。



 この魔力は――



「がぁぁぁぁぁあ――――ッ!!」



 およそ人のものとも思えない咆哮、



 ――ズダォォォォォンッ!



 次いで鳴った轟音と共に、先の教室の壁が右から左に吹き飛んだ。



「――ッ」



 噴煙に手を翳しながらも、私は廊下を走った。


 教室の壁ばかりではなく、校舎の壁までもが吹き飛んでいる。


 開通した中庭に目を向けると、瓦礫と共に六人の魔導士が地面に転がっていた。


 教室の中に黒い神父服の僧侶――



「サフィア!」

「……んん」



 酷く消耗したサフィアが、床にあぐらを掻いてマジックポーションを煽っている。



「どうして貴方が……」

「レヴィが部室にトラップを仕掛けた……元素魔術、神聖魔法に関わらず、結界に手をつけようとすると中枢を損傷させられる」



 浄化(クリアランス)を組み替えてるのか――



 状態異常を回復するための術式も、悪用すればビートが昏睡した様に中枢や妖脈を傷つけることが出来る。



「『良くて廃人、最悪は死ぬ』と説得していたのだが、一向に引き下がらなくてな」



 中庭で気を失っているのは、レアード卿が差し向けた魔導士だ。



「相変わらず、単純な術式で恐ろしい効果を組み立てるな、あいつは」

「やっぱりダメだったか……」



 そうだろうとは、思っていたけれど。


 私は今一度、教室から中庭の方を見た。



「学び舎にこんなに大きな穴を開けて……修行僧なら反省文じゃ済まないわね」

銀の榴散弾(キャニスター)を使った。手練が多くてな」

銀の榴散弾(キャニスター)……」



 教の祓魔術の奥伝中の奥伝、銀の榴散弾(キャニスター)は、数百枚のコインを一気に散弾として弾き飛ばす銀の散弾(ショットシェル)の上位互換技だ。


 膨大な魔力を必要とするのは勿論のこと、溜めた魔力を一気に放出する人並み外れた魔力中枢の馬力を必要とするため、普通は複数人で行使する。



「人間離れした威力ね」



 教室の壁、校舎の壁はおろか、中庭の奥の体育館の壁までもが半壊している。



「俺など死力を尽くしてこの程度……リディアの壊滅になど比べるべくもない」



 サフィアがピシャリと首を叩いた。



「大丈夫よ。それは未遂に終わるから」



 私は拳に力を入れて握り固めた。



「捕まっていのだろう? 時間前到着とは余裕だな」

「途中、騎士に馬を借りてね。学び舎に乗り付けたのよ」

「戒律違反だ。二週間の停学」



 サフィアが珍しく冗談を返してきた。



「ふふッ……そうだったかも」



 馬で学び舎に出仕することは、戒律で固く禁止されている。



「こんなことになるなど、当時は考えもしなかった」

「……そうね」



 複雑思考のサフィアでも、こんな事態になることを事前に予見することは出来なかった。



 全ては五年前の事件に起因し、私とサフィアは事件の当事者だ――



「少し早いけれど、行こうかな」

「んん……」



 サフィアが首をさすって答えた。魔力が一瞬何か言いたそうな気配を見せたが、それもすぐに散った。



「ここから先は大結界の魔術禁止(アンチマジック)が効いている。気をつけて行け」

「わかった。貴方も気をつけてね」

「んん」



 サフィアに別れを告げ、私は教室を出て目を瞑った。


 精神を研ぎ澄ませて魔力を探る。


 サフィア以外は誰もいない。



 ――カツン、コツン……



 静まり返った夜の校舎に、乾いたブーツの音が木霊する。


 廊下を真っ直ぐ進み、階段前をスルーして、渡り廊下を横切ると、やがて文化部棟が現れる。


 かつて私は何度となくこの廊下を歩いた。


 文化部棟に足を運ぶのは、決まって全ての修行が終わった後だ。


 教室に満ちる修行僧たちの楽しそうな話し声、体育館から聞こえてくる運動靴が床を擦る甲高い音、開いた窓から風に乗って聞こえてくる聖歌隊のパート練習――


 黒板とチョークの粉っぽい香りを抜けて文化部棟に足を踏み入れると、まず美術部の油絵の具の香りに出迎えられる。


 すぐ横の階段を上り二階に抜けると、何の活動をしているのか分からない社会部の部室がある。



 その隣に――



 私は静かに目を開けた。



 古代術式研究部――



「……」



 かつて幾度となく手を掛けた、部室の扉が目の前にあった。



 ――キーンッ……キーンッ……



 金属を弾く、涼しげな音色が扉の向こうで鳴っている。


 部室にはいつもこの音が絶えず鳴り続けていた。


 胸の奥まで響く、女神のコインを弾く音。


 私はノブを捻って扉を押し込んだ。



 ――キーンッ……



 コインの音が止まる。



「やっぱり君か」



 ボサボサに伸びた金髪、向けられた者が不安になるほど澄みきったサファイアブルーの瞳、輪郭にそって僅かに生えた無精ひげ、緩んだ口元がする犬じみた笑み――



「レヴィ……」



 ワイズ・グレーの姿ではなかった。


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