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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
56/86

52.「とは言うものの――」



 雨の降りしきる王都城西地区の路地、



 「むんッ!」



 サフィアが気合と共に複数枚のコインを弾いた。



 ――ドバァンッ!



 二十数発の魔法銀(ミスリル)の雨あられが、群がる魔物を吹き飛ばす。



「おっほほー、すんげえ馬力」



 高威力の銀の散弾(ショットシェル)に思わず声が裏返る。



「盗むのが難しいな、そりゃ」



 バタバタと倒れる魔物を見ながら、俺はニヒルに口の端を持ち上げた。


 銀の散弾(ショットシェル)は、一瞬にしてコイン全部に均等に魔力を行き渡らせて、絶妙の加減で弾き飛ばさねえと技になんねえ。


 ただ魔力の出力を上げただけなら女神のコインが融解しすぎて消失する。


 豪快な力技に見えて、その実、積み重ねた修練によって得た技術に支えられている芸当だ。



「すまねえなサフィアん、無理言っちまって――」

『グァアアアアウッ!』



 横合いから唐突に襲いかかってきた動く死者(リビングデッド)の膝を踏み台に、



「よッ――と!」



 俺はサマーソルトで顎を蹴り砕いた。



「んん」



 サフィアが背面に裏拳振るいながら答えた。



 ――ガシャァッ



 骸骨兵(スケルトン)がものの見事にバラバラになる。



 六日目、鐘六つの逢魔が刻――



 リディアには、未明から雨が降り続けている。


 瘴気は雲みてえな見た目で渦を巻き、レヴィの言っていた通り議事堂上空に現れた。


 少し紫がかった黒球は、見上げれば都のどこからでも見れるぐらいにデカい。


 王都にゃ今、全域に魔物が湧き始めていた。


 騎士団が都中に触れ回って民を避難所に誘導したおかげで、残った民にそれほどの混乱と動揺はない。



「術式反動を中和する陣とやらは良かったのか?」

「俺は構築するまでに知識を貸してくれと言われただけだ。どの道、大して役には立たんだろう」



 ここ数日不眠不休で動いているサフィアの魔力には、全く衰えがねえ。


 修行時代から、レヴィはサフィアを「眠れる獅子」だとか呼んで居たらしい。


 初めて耳にした時ァ鼻から牛乳出しそうになったが、



「ふんッ!」



 ――ドバァンッ!



 枚数超過の銀の散弾(ショットシェル)で、また全面の敵がなぎ倒される。



(てえ)したもんだ」



 闘ってる姿を見てると、恥ずかしい二つ名も割としっくり来る。


 普段どんだけ力眠らせてんだよこいつ。



「彼女の失踪は、本当にアリオスの仕業なのか?」



 構えた手をゆっくりおろし、サフィアが振り返る。


 広い路地で行き合った敵があらかた片付いた。



「間違いねえだろうな」



 ロビーで何があったのかを、俺はニャ眼でトレースした。


 彼女と相対していたのは、抑えるに抑えられない若くて濃い魔力の塊、大聖堂の英雄アリオス・ウォークの像だ。


 修道騎士であるアリオスにゃ、正規軍(じっか)で魔物討伐をするように指示が出ているそうだが、昼間どこの軍の陣営を訪ねても姿は確認出来なかった。



「んん……」



 サフィアが首をさすって唸る。



「気を失った神官長の魔力がおかしかった」



 眠り薬を飲まされた人間は、まず体が眠り出し、ゆっくり魔力が眠りに入る。


 だが、ロビーの神官長の像は、まず魔力がしぼんでからソファーに横たわった。



「ありゃ魔法薬特有の寝入り方だ。魔導士絡みと見て間違いねえ。アリオスと魔導士を繋げられる人物となりゃ――」

「レナード卿か」



 サフィアがムッツリと答えを口にする。



「なァーに考えてんだかな、あの参議サマ。お前さんなら分かるか?」



 俺は頭の後ろに手を組んで、ものの試しに聞いてみた。


 サフィアはフラガラックの中心人物として邸宅に出入りしていた人間だ。


 何度となく本人と話したこったろう。



「……」



 サフィアは一度俺をチラ見して、地面に目を落とした。


 最近気がついた事なんだが、この体のデカい僧侶は物事を判断するのに恐ろしく時間を掛ける。


 色々情報と照合した上で、先の先まで考えた「予言」をひり出すようだ。


 やがて眠れる獅子は目を上げて、



首輪(・・)、だろうな」



 低い声で言った。



「首輪?」

「んん」

「首輪……」



 首輪と聞いて真っ先に連想するのは犬だ。



 犬――



「彼女を手元に置けば、レヴィを抑える手立てがあるって?」

「いや、んん……」



 サフィアが口重になって首をさすった。


 この眠れる獅子とやらから、情報を引き出す交渉の仕方が分からねえ。


 おかしい、俺ァ神官長に名僧のお墨付きを貰った筈なのに。



「卿は評判通り、都を思う真の貴族だ」

「ほーん……」



 アリオスもサフィアんも評価は同じか。


 直に見た俺も、マンレッドを悪どい人間だとは思わなかった。


 それでもありゃ生粋の政治家だ。


 人の良さとは別に、議会参議を勤めるだけの裏と表をきっちり使い分けられる。


 地位と権威があるだけに、行動を楽観はできねえ。



「事態を解決しようと言うより、今は最悪の結末を避けることに全力を注いでいるだろう」

「ほーん?」



 神官長をさらったなァ、攻め手じゃなくて、受け手って話しか?



「そんで、首輪ってな?」

「んん……」



 サフィアが魔力を萎ませて、小動物のような目をして俺を見た。



「わかんねえよ」



 俺は萎縮した様子の獅子に苦笑った。



「俺を深読み好きな馬鹿犬と一緒にすんな」



 多分レヴィなら、今のやり取りでサフィアの「予言」を理解したんだろう。


 サフィアは腕を組んで、更に深く考え出した。



「卿は多分、お前を待っている」

「あ?」



 俺は目を点にして、頭の後ろに組んだ手を外した。



「俺が来るのを分かってるってのか?」

「いや、首輪を外せる者を待っている、と言う事だ」

「はあ……」



 俺はテキトーに頷いてやった。



 やべえ、どうしよう、何言ってんのかさっぱり分かんねえ――



 なんだってそう詩的な比喩表現したがんだ。


 俺もよく「そのまま過ぎて分かりづらい」って言われっから人の事言えねーけど。



「ま、雨の中、長々と立ち話しててもしゃーねーな」



 俺は溜息をついて、雨に濡れた頭を振った。


 濡れ髪が水滴を飛ばす。



「ここまで送ってくれりゃ大丈夫だ。あんがとさん」

「んん……」



 サフィアも濡れた顔を手のひらで拭った。



「ほんじゃな」



 俺は軽く手を上げて、後は猫背に歩き出した。



「ウィル」



 背中にサフィアの声がかかる。



「あん?」

「……やはり、その状態では魔力が回復しないのか?」

「おー?」



 俺は振り返らず、上体をのけぞらせてサフィアを見た。



「良くわかったじゃねえか。チビレヴィの野郎は見抜けなかったってのによ」

「寝ているお前を霊視した」



 上下逆さまのサフィアが深刻な顔で言った。



「んな厳しい顔するこっちゃねえ。暫く寝て起きりゃァ絶好調、限界までノンストップってなもんよ」



 俺は逆さまのままニヒルに笑ってやった。


 サファイアの言うとおり、今の俺は絶好調だが、魔力が回復しない。



「俺が代わりに行くと、言えればいいのだが……」



 サフィアが目を落とした。



「やることがあんだろ? ここまで付き合ってくれただけでも大助かりだっつーの」

「……」



 サフィアの握り固められた拳が震えている。


 つーか、そんな図体そんな燃えた魔力で、どう貴族邸宅に潜入するってんだ。



「どうも僧侶ってな、物事を重く捉えすぎていけねえな」



 俺は体を起こして笑った。



「ちったァ肩の力抜いて楽しめ」

「楽しむ? この状況を?」



 背後でサフィアの魔力が戸惑う。



「眠れる獅子なんてえ二つ名の僧侶に、俺も恥ずかしい昔のあだ名を教えてやんよ」

「んん?」

「ひ、人呼んで、へ――」



 名乗ろうとしたところで、逆さまになったとき雨水の入った鼻が疼き出した。



「ひぇっくしょ――!」



 我慢しきれず盛大なくしゃみ一つ、



「人呼んで、幸運の猫、ってえんだ」



 鼻の下をこすりながら、俺は古いあだ名を名乗ってやった。




     ○


 サフィアと別れ、俺はそのままマンフレッド・レアードの邸宅に侵入した。


 中に入り込むのは簡単だった。


 魔力の温存の為に魔物との戦闘を避けるかたわら、群がって追ってくる敵を一まとめにして正門の衛兵に擦り付けてやった。


 あとは潜り戸から応援に駆けつける衛兵らを風雨で盲ませて、暗がりに紛れてちょちょいのちょい。



「さあって――」



 庭木の枝にしゃがみ込み、俺は邸宅を見上げた。



「ちっと張り詰めてんな」



 敷地内に満ちる人間の魔力が、随分とピリピリしている。


 都がこの状態だ、警戒してない方がおかしい。



「神官長はどこだろねー」



 俺は顎の下を掻きながら首を捻った。


 魔力に関しては俺も鼻が利く方だが、広範囲の索敵に関して言えば人並みだ。


 もっと言えば、俺の感覚ってな狭い範囲でこそ最も効力を発揮する。


 目にゃ自信があるが、鼻の方はまるっきりの近接型だ。



「だめか……」



 意識を集中させても、神官長の魔力の気配は見つけられなかった。


 人の気配がごちゃごちゃしすぎてようわからん。



「待つしかねえな、こりゃ」



 今回はまるっきりの無策で飛び込んだわけでもない。



 ――レアード邸には、うちの密偵が送り込んである



 レイハがそう教えてくれた。


 魔物盗賊改め方は、その名の通り魔物討伐と盗賊捕縛が主な任だ。


 盗賊と言やァ殆どが冒険者、盗賊を引き入れてテロを起こしたと公表されたケイン・ルースの乱の舞台が、冒険者雇用制度を打ち出しているマンフレッド・レアードの邸宅と来れば、魔盗改めの長としては当然探りを入れる。


 レイハが結界問題の触りを知っていたのは、そういう経緯からだった。


 俺が忍び込む事ァあらかじめ密偵に伝えてある。


 正門での騒動で密偵らも俺の侵入を悟っただろうから、あとは落ち合う予定のこの庭木で待つだけ。



 ――ザッ



 雨に濡れた庭の芝生が音を鳴らした。


 近づいてくる人の気配。



 おっと、待ち人来れ――



 と、思った思考と相反して、俺の右手は剣の柄に走った。



 って、ワケでもねえな――



「……」



 剣には手を添えつつ、俺は枝の上でのんびり構えて相手を見下ろした。


 雨に濡れながら近づいて来たのは、紫色の髪の、男もののタキシードを着込んだ女だった。


 密偵の面々は俺もそれとなく顔を知っているが、近づいてくる女に見覚えがない。


 新入りかとも思ったが、どうも気配が密偵とは違う。


 給仕姿をしてるからにゃ貴族屋敷にいてもおかしかないが、男装と言うのが妙だった。


 なによりも、襟元がはだけていて色気がありすぎる。



「おや、庭木に猫が一匹」



 木の下まで来て、女が笑いながらそう言った。



「雨宿りに迷い込んだのかー?」



 貴族邸宅の庭で堂々咥えタバコの、味のある掠れた声だった。



「登ったまでは良かったんだが、降りられなくって」



 俺は笑って返してやった。



 ただ(もん)じゃねえ――



 魔力は並だが、柔らかな体の動きから見て取れる技倆の方が並じゃない。



「可愛ことを言うじゃないか」



 女が口元を緩め、右手で髪をかき揚げた。


 髪の色と同じ、妖しい紫艶の瞳だった。



「しょうがない。一応これも仕事だからね」



 女が髪をかき揚げた右手のひらを広げて、溜息混じりに笑った。



殺し球(デッドショット)



 ――パスッ!



「――ッ!?」



 小さな破裂音がして、俺の腰かけた枝が根元から折れた。



 おいおい――



 俺は落下しながら口の端を持ち上げた。


 女の広げた右手の影、俺から死角の位置に親指の伸びた左拳が構えられている。



 抜く(・・)気配がまるでしなかったつーの――



 コインはしっかり魔法銀(ミスリル)化していたのに、魔力も音もほとんど感じられなかった。


 身体、魔力、全てが完全なる予備動作無し(ノーモーション)



「ほいっ――と」



 女は正面から抱きかかえるように俺を受け止めた。


 受け止められた拍子に、顔面が胸の谷間にジャスト埋まる。



 うむ、心地よし――



「濡れ猫ゲット」



 女は口元を緩めてニタリと笑った。


 垂れた目の横の、小さな黒いほくろがある。



「下が柔らかくて助かった」



 女の胸から顔を上げて、俺は肩を竦めてやった。



「抵抗しないんだな。キミは悪さをしに来たんだろう? 迷い猫くん」



 女がカラリと微笑む。



「そういうお前さんも、仕事の割にゃ敵意がねえ」



 俺は女から身を離して肩のコートを整えた。


 この屋敷の使用人とは雰囲気が違う。


 都の空気に順応しながらも、どこか異邦人の気配が漂う。



 冒険者、いや元冒険者か――



「良く見える目だな」



 女が俺の考えている事を見透かしたようにクスッと笑った。



「俺の数ある才能の一つでね」

「んふッ」



 女は紫煙を吐いてまた笑う。



 いい女だねえ――



 俺は目を細めて女を見た。


 世間一般の美意識で言えば美人の部類に入るだろう。


 スタイルも良い。


 が、何より、



「いいね。猫のそういう自信満々なところ」



 何かを噛み殺した上で出てくる笑みが印象的だった。


 辛いことをたんまり抱え込んで、それでもドライに笑おうとするとこういう表情になる。



「何処かの野良犬くんに見習わせたい心持ちだな」

「あん? 野良犬だァ?」



 俺は少しキナ臭い顔をして顎の下を掻いた。



「――っと」



 女が目を細めて俺を突き飛ばした。



「のわッ!?」



 茂みに頭から突っ込む。



 俺は逆さまのまま頭でバランスを取りながら、腕を組んで考えた。



 どう言う女だ――



 さっきの殺し球(デッド・ショット)とかいうコインの曲撃ちと良い、今と良い、動きに全く気配がない。


 見ず知らずに不意を突かれたなあ久しぶりだ。


 逆さまのまま眉をひそめていると、人が近寄ってくる気配があった。



『なんだ、何かあったのか?』



 体勢を直して茂みの中から外を伺うと、衛兵が女に歩み寄って来ていた。



 なある、感度も良好か――



 俺は女の感覚の過敏さに舌を巻いた。



『枝が折れているぞ』



 地面に落ちた大振りの枝を見て衛兵が訝しむ。



「ああ、一匹黒い猫が迷い込んでてな。木に登ったは良いが、降りられなったらしい」



 女はケロリとそう言った。



『猫一匹の為にこんな大きな枝を折ったのか? 卿の大事な庭木だぞ?』



 衛兵が咎めるように女に詰め寄った。



「へえ? 議会参議の懐は、案外狭量だね」



 女は物怖じせず胸を張った。



『……』



 衛兵が黙る。


 その視線が胸の谷間に走ったのを俺のニャ眼は見逃さなかった。



「すまなかった。意地悪を言った」



 女が間髪入れずに髪をかき揚げて可笑しそうに笑う。



『む? うん……』



 衛兵は一瞬呆けて、ぼんやりと頷いた。



「ちょっと妙な気配だったもんだから、魔物かどうか確かめるために脅かしてみたんだ」

『そうか、その……何とも無かったのか?』



 衛兵がドギマギとしながら問う。



「ああ、害のない猫(・・・・・)だった。多分まだその辺の茂み居るけど、探しておくか?」

『いや、猫なら良いんだ。猫なら――』



 その言葉の合間にも、視線が脚・腰・胸に向いたのを俺のニャ眼は見逃さなかった。



「ん?」



 女が首を傾げる。



『い、いや、今はそのぐらいの警戒で良いのかもしれんな、うん。枝を折ったとて、今は卿も執事長も怒るまい。うん』



 衛兵が独り言のようにブツクサ言葉を続けた。



 色香にまどわされてやんの――



「執事長にはちゃんと報告しておくよ」

『ああ、うん。何かあれば、俺からも口添えをするから』

「ああ。ありがとう」



 女はカラリと笑った。



『引き続き警備を頼む』

「りょーかい」



 微笑む女にぎこちない笑みを残して、衛兵は遠ざかって行った。



「……良かったのか?」



 俺は茂みの中から女の背中に話しかけた。



「何が? 私は何一つ嘘をついてないぞ」



 女がクスクスと笑う。



「お前さん、ここの警備を任されてんだろ?」



 冒険者としての警備枠――となると、アイリアの後釜と言うことになる。



「猫なら良いと、衛兵も言ってたじゃないか」



 短くなった煙草の吸殻を携帯灰皿に入れて、女は新しい一本に火をつけた。



「俺ァ、お前さんの仕事に泥引っ付けるぜ」

「結構だね」



 女はドライにそう言った。



「黒猫は幸運の証だからな。精々派手に足跡を残すといい」



 声はそれでも笑っている。



「お前さん――」



 女は背筋を伸ばして、雨の夜空を見上げていた。


 時折雨が火種を弾いて、灰と火の粉を宙に飛ばす。



「……」



 何かを期待しているかのような女の背中だった。


 それでも、何も望んでいない冒険者の背中だった。



「キミは、ひめゆりさんを迎えに来たんだろ」



 ひめゆり――



「神官長を知ってんのか?」

「ああ、ちょっと縁があってな。今は本邸内部の座敷牢に入れられてる」



 女はサラリと情報を口にした。



「裏手の厨房から入るといい。この時間は頻繁に人が出入りしてるが、その代わり扉はどこも空きっぱなしだぞ」



 嘘をついているような不自然な魔力の気配はないが、手練なだけにその言葉を信じていいかは微妙な所だ。



君のお友達は(・・・・・・)、全員メイドの姿をしているよ」

「……」



 密偵の事も、知ってんのかい――



「……随分と口が軽いじゃねえか」

「都を出ようとしたところを、成り行きで得た仕事でな。大して拘りがない」



 雨に濡れた髪をかき揚げて女が溜息をついた。



「成り行き?」

「身内がな、ちょっと面倒を起こした」



 身内――誰だ?



「酷いポジションだよ」



 俺が問うより先に、女がクスクスと笑って言葉を継いだ。



「ホント、酷いポジションだ」



 口調はどこもまでも楽しそうで、表情はどこまでも面白そうで、



「それでもこれは私の人生(テーブル)だから、これが私の人生(テーブル)だから、投げ出すワケには行かないんだな」



 女はこっちを振り返って、再三の、ドライな微笑みを浮かべて見せた。


 色んなもんを背負い込んで、飲み込んで、腹の中に溜め込んで、それを押し殺して漏れる感情の慣れの果て――


 俺は腕を組んで視線を宙に向けた。



「……俺ァよ」

「ん?」

「大陸中根無し草でやってきた冒険者で、なんだかんだでリディアは六年になる」

「へえ?」



 女が意外そうな声で相槌を打った。


 俺自身、自分の発言に対して意外だった。



 何語ってんだ俺――



「元々器用な方でよ、なんやらかんやらやってるうちにちょいと名が売れちまって、ついたあだ名が『幸運の猫』だ」

「んふっ」



 女が鼻を鳴らして笑った。



「冒険者だから厄介事を押し付けられて――でもキミは器用だから、厄介事をなんとか出来てしまう。その器用さの功績を、人が無責任に幸運と呼ぶんだな」

「……」



 いい女、だねえ――



 俺は茂みの中で片目を瞑った。


 世間一般の美意識で言えば、美人の部類に入るだろう。


 スタイルも良い。


 腕も立つ。


 何より――



「キミも中々、酷いボジションの人生(テーブル)にいるな」



 苦労の中でこそ、笑おうとする。



「実際な」

「ん」



 俺の体の部位の中で、一番のお調子者な口が、妙に言葉を捻り出したがった。



「人生にゃ幸運も不幸も()えよ」

「ん?」



 女が首を傾げた。



「人生ってな、ただ何かが起きる(・・・・・・・・)。そんだけさ」

「……そうか」



 女が煙草を深く吸って空を見上げた。


 紫煙と共に、女がポツリと呟いた。



人生(テーブル)に現れるポジションの形は、ただの何か(・・)でしかないのか……」



 頭の回転も相当早い。



「幸も不幸も、酷いも良いも、そりゃ本人の気分だろ?」



 幸せなんてもんは、幻想でしかねえ。


 となりゃ、不幸せなんてのも、思い込みでしかねえ。


 どんな状況でも楽しめれば、それだけで人生は気分上々でやっていける。



「……」



 女は雨に打たれながら、黙って空を見上げ続けた。



「だから俺ァ、人が『幸運の猫』ってんなら、上等だと思う事にしてたよ」

「ん……してた(・・・)って、今は?」

「恥ずかしいだろ? いい歳こいて『幸運の猫』とか人に呼ばれんの」

「ぷッ――」



 女が咥えた煙草を吹き飛ばした。



「今はもっぱら『泥棒猫』と呼ばれてんだけどな」

「くふッ――ははははははははッ!」



 女が腹を抱えて笑った。


 雨空も吹き飛ばすかのような、快活な笑いだった。



 よし、生の感情引っ張り出せた――



 お調子者を発揮していた口がようやく落ち着きを取り戻し、俺は溜息をついた。



「ま、アレだ。流してもらった情報のお礼って事で」



 俺は茂みから手を出してヒラヒラ振ってやった。


 女がサラッと口にした情報は多分本物だろう。


 俺の口が軽かったのは、情報提供と乳ダイブへのお礼だ。



 断じてそう言う事で――



「慰めて貰ったって、事なのかな?」

「あ? 誰がんなしちめんどくせえことしたんだよ」



 俺は鼻を鳴らして返した。



「事情も知らねえ者同士で、一体何を慰めるってんだ。俺ァ単に自己紹介しただけ。これァ慰めでも何でもねえからな」



 やる気無く返してやる。



「確かにな。許せ、慰めだと思ったのは私の勝手だ」



 女が髪をかき揚げて笑った。



「茂みの中の黒猫くんは、『幸運』を改めて、今は泥棒猫くんなんだな?」

「おう」



 腕を組んで横柄に答える。


 そう呼んでるのはピン子だがな。



「それじゃあ――」



 女が地面に落ちた煙草を拾って振り返った。



「雨の中の私は、『逃げる』を改めて、幸運の犬とでも名乗ろうかい」

「ほーん」



 俺は茂みの中なのを良いことに、思いっきりキナ臭い顔をしてやった。



「良いんじゃねえの?」



 口では何の気無しの調子を保つ。



 この女、レヴィの昔のツレじゃねえ――?


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