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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
54/86

50.「暗雲」



 彼女は俺に抱きついたまま、動かなかった。


 いや、僅かに震えている。


 首に巻き付いた腕には、恐れからくる力みと、それを抑えつけようとする意志が感じられた。


 吐息の度に揺れる、絹糸の髪が顔をくすぐる。



 甘い甘い、鈴蘭の香り――



 俺は朦朧とする意識の中で、夢現の心持ちで、本能が命じるままに体を動かした。


 彼女を抱きすくめ、自分自身で貫いた。



「――ッ」



 闇夜に白い肌を晒した女体が、鋼のように強ばった。


 彼女中はひたすらに熱かった。



 熱かった――



「……不愉快だ」



 ()は眉を顰めて、目を座らせた。


 彼女と僕が結ばれた接合部から、血が滴り落ちている。



「ご、ぼッ――」



 それ(・・)はサファイアブルーの瞳を、信じられないと言ったように見開いて血の塊を吐いた。



「人形風情が、目の演技までするな」



 僕は抱きついたそれ(・・)の胸に突き立てた、右手の手刀を中で捻った。



 ――ザラッ



 次にそれ(・・)が吐いたのは砂だった。



「レ、ヴィ……」



 口元と胸元から滴った血が、僕の手と腕を濡らす血が、みるみる内に砂へと変じていく。


 僕は突き立てた手刀から瞬間的に魔力を送り、それ(・・)の妖脈を辿って中枢を犯した。



「あ、ぁ――」



 ――ミキ、ミキミキミキ、ビシィッ



 彼女の姿をしたモノが、乾いた音と共に石像と化す。


 僕は石像の肩を押さえ、乱雑に手刀を引き抜いた。



「まったくもって不愉快だ」



 つい今しがたまで彼女の姿を模していたモノは、表情も特徴もない、漫然と人の形をした土の塊となって固まった。


 もはや男か女かも判別のつかない。



「どこの痴れ者だ。こんな茶番をお膳立てしたのは」



 僕は食いしばった歯を剥いて、後ろを振り返った。


 薄らぼんやりと人の形をした光が、廃教会に二つ並んで浮かんでいる。



『まるで欲求の権化じゃのう』



 一つは白髪白眉の老人、



『なんと敬虔な御子でしょう』



 一つは歳の頃も性別も定かではない若年寄り。



 双方姿が透けている――



「はてな、特に見覚えもないが」



 袖にこびりついた砂を払って、僕は魔力を体に漲らせた。


 体のサイズが縮むのに合わせて、身につける一切の装備が切り替わる。



「大聖堂の教父様のお出ましか」



 いつもの姿、いつもの声に戻った僕は、左手をポケットに、右手でコインを弾きながら口の端を持ち上げた。


 お出ましと言ったものの、奥の景色が透ける程に希薄な姿は実体ではない。


 これは中枢から妖脈の一部を切り離して浮遊する、俗一般に「幽体離脱」などと呼ばれている技術で、見当識を保ったまま妖脈のみの姿を安定させるのは相当に難しい。



土人形(ゴーレム)をあてがって、人の情事を見物しようとはな」



 ――ダァン



 僕は右手のコインを背後の土塊に打ち込んで、粉々に砕いた。


 土人形(ゴーレム)は七日の間陽の光に晒した土を、聖水によって練りながら魔力を吹き込んで造られる。


 魔導士にも似たように土で獣や生物をかたどったモノを生み出す技術が伝わっているが、教ではあくまでも聖書に基づいて人型を生む。



「賢者と言うのも、大層趣味が良い」



 幽体離脱も土人形(ゴーレム)の創造も、賢者の域に達した者の技術と言える。



『暗愚なる者よ』

『賢しき御子よ』



 老人と若年寄が感情の読み取れない二重奏で言う。



『大人しゅう大聖堂には戻らぬか』

『その腕白を大聖堂でしませんか』



 二人がそれぞれ手を差し出した。



「はッ、何を馬鹿な」



 僕は薄ら笑って髪をかき揚げた。



「結界の制御、都の命運、大陸の秩序――全ては僕の手の中にある。この後に及んでこのモルモットが(ケージ)に戻る、どんな理屈があるというのか」


『お前に世界は広大すぎる』

『貴方は世界に強大すぎる』


「そんな戯言を聞かせる為に、わざわざ土人形(ゴーレム)まで造ったと言うのか。呆れを通り越していっそ驚いた」



 僕は二人の像に小首を傾げて見せた。



『判断など要らぬものを』

『よくぞ見破られました』



 老人と若年寄、それぞれが相対する言葉を口にする。



「大した出来栄えだった。魔力の香りといい、思考からくる言葉といい、触れる瞬間まで偽物とは分からなかった」


『『ふ、ふ、ふ……』』



 二人は声を揃えて失笑した。



「なにか」



 僕は目を座らせて二人を見据えた。



『嘘を吐くか暗愚なる者』

『なんと誠実な賢しき子』



 それぞれは言葉が逆転しているが、言わんとしている所は同じようだ。



「何が言いたい、ハッキリ言ってみろ」



 僕は尊大に教の賢者に言い放った。


 教においてどれほどの高僧であるか知れないが、大陸の命運を左右するブレイクポイントを押さえた今、身分など意味を持たない。



 修行僧も、賢者も、リディアの民も冒険者も、全てが平等だ――



『それ程に畏れおののいておるのか』

『それ程に神聖視しているのですね』


「誰が、何をだ。主語と目的語を抜くな」



 僕は苛立たしげに吐き捨てた。



『それ、そこな土人形』

『貴方の光の御女神様』


「何が言いたい!」



 賢者二人が口にする言葉は、正負こそ違えど絶対値は同じだ。



『お主は盲目の中にある。偽物だとは見抜けなかった』

『貴方は慧眼を得ている。全てを看破したのでしょう』


「……」



 僕は床に堆くなった土の山にチラリと目をやった。



『夢は現か』

『誠は嘘か』


「黙れ」



 言葉の通り、僕はふとした疲労でシューティングドッグに入れ替わった間に起きていたことが、夢か現か誠か嘘か、判断がつけられないでいた。


 彼女の姿をしたものが、土人形(ゴーレム)であることは手を突き入れた時にはじめて知った。



 だが、それが彼女ではないことには確信を持っていた――



「夢か現実か、ならば現実で間違いがない。僕は性夢を見た試しがない」



 無意識に置いて、僕は自らの性欲を満たすことがない。



「誠か嘘か、ならば嘘で間違いがない。僕のひめゆりを侮るな」


『『ふ、ふ、ふ……』』



 二人がまた声を揃えて失笑した。



「彼女は強き優しき心を持つ、故に筋金入の臆病者だ。僕を殺す決心をした彼女であれば、こんな愚行はおかさない」


『暗愚なる者よ』

『賢しき御子よ』



 二人は笑いを納めて静かに目を上げた。



『安心したぞ、お主は死ぬ』

『悲しきかな、貴方は死ぬ』



 初めて、笑い以外で二人の意見が合致した。



「はッ、眠れる獅子に引き続き、教の賢者様までもが死の予言か」



 僕は無理に笑って髪をかき揚げた。



『土人形がしてみせた、思考は本物であったのだ』

『光の女神様の願いは、真っ赤な偽物なのですよ』



 そう言って、二人はまた手を差し上げた。



『さあ、これが最後だ。暗愚なる者よ』

『さあ、これが始まり。賢しき御子よ』


否定(ノー)



 僕はハッキリと答えて右手にコインを呼び出した。



『『我と来よ』』


否定(ノー)だッ!」



 僕は苛立たしげに声を張って、コインを斜め後ろに打ち込んだ。



 ――パァン!



 魔法銀(ミスリル)の弾丸が、地に伏せた監察神官の握る宝玉を撃ち砕いた。



『――ぐッ!』



 シューティングドッグが応急処置をした男が呻く。


 宙に浮かんだ賢者二人の姿がぐにゃりと歪み、そのまま空気に溶け込むように霧散した。


 ここは旧市街地区、大聖堂がある城北からはかなりの距離が存在する。


 幽体離脱を安定させる補助法具を監察神官に持たせていたのだろう。



「……」



 僕は気を失った振りをしていた監察神官を無言で見下ろした。



『……』



 彼もまた無言のままに僕を見上げていた。


 その目には未だに憎悪と敵意が見て取れたが、それ以上に戸惑いの色が浮かんでいる。



「僕は今、酷く気分が悪い」



 僕は右手もポケットにしまって彼に向き直った。



「だが誓って害は加えないと前置く。言いたいことがあるなら歌え」

『……』



 監察神官は逡巡の思考の後、こう問うた。



『お前はそれを、何に誓う』



 教のエリートらしい、機知に富んだ問答の切り返しだった。



「……」



 僕は答える事が出来なかった。



 ――ビュゥッ



 と、裂けた天井から強い風が吹き込んで、僕らは互いに目を細めた。


 さっきまでカラカラに乾いていた空気が、嫌に湿り気を帯びている。


 雨の匂いがする風だった。




     ○


 雨が降っていた。


 吹く風が湿り気を帯びていて、肌にまとわりつく空気の中、戦勝記念公園の東屋(ガゼボ)で、私は彼と向き合っていた。



「今日は雨の匂いがしたんだ」



 彼はいつもそんな言い回しをする。


 四季折々を匂いを口にし、人ですら魔力の匂いで分別出来る。



 天地(あめつち)の匂いを感じ取る、持って生まれた特異な性質――



「この様子じゃ大分長そうだ。いつもの『女神の恵み』と行った具合にはならないらしい」



 東屋(ガゼボ)の手すりに片膝抱きに腰掛けて、柱に寄りかかりながら街を見渡している。


 彼はいつでも、窓枠や手すりに腰掛けたがった。



 地面に足がついている事を、いつも嫌がっていた――



「雨の日と言うのはどうにも気が滅入ってしまうね。空が暗いと気分が沈む」

「私は嫌いじゃないけど」

「雨なら屋内がいい。雨音を聞いて濡れる表を眺めるのは好きだよ」

「うん」

「でもどうせなら、晴れた日にここから公園を眺めていたかった。明るすぎず暗すぎずのここで、陽の当たる公園を眺めるのが好きなんだ」

「ふぅん……」

「どうして雨なものかな……いや、先の通り降るだろうなとは思ってたんだけど」

「……うん」



 少しトーンの落ちた相槌を気にして、彼が一瞬だけ私を見た。



「そう言えばこの間、素敵なクレムブリュレを出す店を見つけたんだ。と言っても、公園を出てすぐそこなんだけど」

「うん」



 私は静かに相槌を打った。



「ただドリンクの方がいまいちでね。いや味は普通なんだ、シロップを混合させて作った普通のジュース。しかし、氷が大きい上に多過ぎる」

「うん」

「基本ジュースと言うのは薄めて飲みたい方だから、僕は全然構わないんだけど……それにしてもあの量であの値段は如何なものか。流石は城北のカフェだよな」

「ふぅん……」

「コークが五ディール半と言うのは少し高すぎだと思わないか? アイスを乗せてマドラーにチョコスティックを付けてくれるなら、そのぐらい出してもいいけど」

「……うん」



 止めなければ、彼はいつまでも話し続ける。


 右手で忙しなく弾き続けるコインと同じで、彼の頭の中では、常にコインが回転している。



「折角表に抜けて来たというのに、雨と言うのだからまったく間の悪い。『女神の恵み』と言うほど強くもないし、今日の空はどうなっているんだか」



 抜けるようなボーイソプラノ、宗教劇のような節のある口調、とめどない言葉、是非を占うコインの終わらないトス――



「レヴィ」

「うん?」

「少し、私が話してもいい?」

「……何かの雑誌のコラムで読んだ気がする。自分の話ばかりする男は嫌われるんだって」



 レヴィがぼんやりとした顔で、東屋(ガゼボ)の天井に目を向けた。



「おあつらえ向きの天気だな」



 ボソリと彼が呟いた。



「レヴィ――」

「聞くよ。面白くなさそうな匂いがするけど」

「……ごめんなさい」



 公園が雨の音と水の香りに満ちていた。




     ○


「雨の、匂い……」



 目を開けると、うつぶせた真っ白なシーツが目に飛び込んできた。



 赤い絨毯、落ち着いた茶色のアンティークな部屋の装飾、雨が打ちつける白い大理石のテラス――



 窓の外は完全に夜だ。



「……」



 胸に触れると、懐に仕込んだマジックバッグの感触がない。


 着衣に乱れこそないが、装備をまるまる奪われてしまっている。


 広い屋内を見渡すと、窓には全て格子がはめられ、ばかりか部屋を中央を鉄格子が分断していた。



 出口はあちら側――



 ベッドから降り立って、大きなガラス張りのテラスの扉の前に立つ、はめられた格子にそっと手を触れる。



 ――バチィッ!



 僅かに触れた指の先で魔力の火花が散った。


 拘束具がない変わりに、魔力に反応する結界術の効果が格子にかけられている。



「元素魔術……」



 格子に細かに刻まれたルーン文字から術式の組成を特定する。


 光の女神が生んだ四姉妹、水地風火を司る女神の力を借りる魔導士らが使う術だ。


 テラスで弾ける雨はかなり強く、ガラス張りの扉に飛沫を飛ばしていた。


 記憶が確かなら、気を失う前までは降っていなかったはずだ。


 ぼんやり外の景色を眺めていると、ほどなく格子の向こうで扉が開いた。


 上は白い聖職胴衣、下は青いスラックス、少し粗野な白髪の下で輝くブラッドレッドの瞳、



「アリオス……」



 格子の前に椅子を置いて、アリオスが座る。



「お腹とか空いてませんか?」

「夕食は済ませたと言ったはずよ」

「そうでしたね」



 アリオスが椅子に座って頭を掻く。



「ここは何処?」

「レアード卿の邸宅です」

「……そう」



 レアード卿とアリオスが旧知の仲であることは、ケインの一件で知っている。



「アリオス、貴方何を考えているの?」

「……」



 アリオスが私から目を逸らして黙った。


 日も落ちきった鐘八つ時、アリオスがラブリッサの商会を訪ねてきた。


 紅茶を出して要件を訊ねると、



 ――大聖堂秘蔵の聖書を見せていただけませんか?



 彼は言った。


 不審に思いながらも客室のテーブルから持ち出し許可を貰った件の聖書を手にして戻り、彼に渡した。


 紅茶に口をつけて何事か話しているうちに意識が遠のき、以降の記憶がない。



「体の具合、どうですか?」

「お陰様で少し頭が重いわね」

「……予定じゃ、こと(・・)が済む頃まで眠りっぱなしのはずだったんだけど、おかしいな」



 紅茶に何かを盛られたようだ。


 決戦に向けて体をなじませようと、浄化能力を高める青いリボンを身につけていた事が功を奏した。



こと(・・)?」

「……」



 アリオスがまた黙る。



「どのぐらい眠っていたのかしら」

「時間が気になりますか?」



 アリオスがスラックスから銀の懐中時計を取り出した。



「日が回って、深夜の三時と言った所です」

「……」



 眠っている間に、決戦前日を迎えていたようだ。



「まさかレアード卿が、リディアの消失を望むとは思えないけれど」

「当然です。マンフレッドさんは都のこれからを想う真のリディア貴族だ」

「なら、決戦の時間まで私の安全を確保しようと言うの? 座敷牢だなんて気が利いているわね」



 部屋に施された格子の様子を見る限り、施工が真新しい。



「大丈夫、何も心配いりませんよ」



 アリオスが瞳を燃やして私を見た。



「レアード卿にどんなことを吹き込まれたのかしら」

「子供扱いしないで欲しいな」

「大人はそんなこと言わないわ」

「なら、なんて言うんです?」

「さあ」



 アリオスが顔を伏せて頭を掻いた。



「……これでも、ケイン神父の一件で、それなりに成長したつもりなんですけどね」

「何を考えているのか教えて貰わない事には、判断のしようがない」



 アリオスが顔を上げた。



「貴女のためです、神官長」

「私のため?」



 私は腰にてを当てて首を傾げた。



「レヴィ修道士のことを調べました」

「……」

「大聖堂はおろか学び舎の記録まで抹消されていて、辿るのに苦労しましたけどね」



 ブラッドレッドの瞳が、真っ直ぐに私を見る。



「自ら魔力中枢をバラバラにし、組み立直して生存する唯一の事例……自分の魂にメスを入れた大聖堂のモルモット」

「違うわ」

「違いません。神官長がどう思おうと、教父らの認識はそうです」

「……」



 私は視線を床に落とした。



「ケイン神父の事も、レヴィ修道士の事も、こんなことになったのは全て大聖堂の不始末だ」

「私たちは、その大聖堂に属しているのではなくて?」

「だからって、貴女がリディアの全てを背負って命を掛けるなんて馬鹿げている」



 アリオスの眼光に力が篭った。



「ケイン神父は死ぬべき人では無かった……俺はもう、二度とあんな思いはごめんだ」



 室内に、彼の濃い魔力が立ち篭め始めた。



「身を案じてくれるのはありがたいのだけど、リディアはどうするつもりなの?」



 アリオスは膝の上で手を組んで私を真っ直ぐに見た。



「レヴィ修道士を、部室(・・)の結界ごと亜空間に封じます」



 私は思わず魔力を揺らがせてしまった。



「なんですって?」

「彼との約束の場所は、古代術式研究部の部室なんでしょう?」



 それは教の中でも上層部しか知らない最重要機密(トップシークレット)だ。



 レヴィは必ずあの場所(・・・・)を選ぶ――



「貴方……」

「誰に聞いたわけでもありませんよ」



 アリオスの赤い瞳が真っ直ぐに私を見る。



「大聖堂はレヴィ修道士の起した事件を抹消しに掛かった。だから部室の結界術の解除にも本腰を入れなかった――部室を認識出来るのは貴女とサフィア神父、あとは教の上層部の高僧だけ。貴女と二人きりになるのなら、その場所しかないでしょう」

「……」

「部室の結界に結界を上書きすれば、彼の魔力の影響ごと亜空間に封じ込めることが出来る。そうすれば彼の結界への接続を断つ事が出来る」

「その方法は上層部でも一度案として上がったわ。でも取り下げされた」

「どうして?」

「魔力感覚の過敏な彼に気づかれずに、結界術を結びきるのが不可能だからよ」

「それは、教の神聖魔法の範囲での事ですよね」



 私は格子に刻まれた元素魔術のルーンにチラリと目をやった。



「何を使っても同じ。彼は修行僧の頃にありとあらゆる魔導の基礎を噛じっていた。すぐに感づいて術士の結界術を無効化する」



 魔法を上手く扱えない彼は、ありとあらゆる法則(ルール)を破るために、様々な魔法術式を噛じり倒していた。


 大陸を自由に漫遊できる巡礼神官の身分になって、雑食にはさらに拍車が掛かった事だろう。



「勝手の違う魔導士の結界術でさえ、万全の準備で待ち構える彼を捕らえるには至らない」

「評価が高いなあ……」



 アリオスが顔を背けたまま不貞腐れたように言った。



「例えば貴女は、この格子の術を解除する事が出来るんですか?」

「……」

「出来るんでしょうね……だから俺がこうして見張りに来たんですけど」



 アリオスは油断なく私を見た。



「でも、魔法を上手く使えない彼に、神官長と同じことが出来るものかな?」

「……どうあっても私をここから出さないつもり? 短気を起したレヴィが、結界を崩壊させるかもしれないのよ?」

「俺、なんとなくレヴィ修道士の気持ちわかるんです」



 アリオスが私から顔を背けながら頭を掻いた。



「あの人、貴女を手に掛ける以外の方法で、大結界を崩壊させる気ないんじゃないのかな?」

「――ッ」



 胸を刺さすような一言だった。


 それでも私はすぐに首を横に振った。



「……彼は、自己を否定するありとあらゆるものを憎んでいる。私もそう、サフィアもそう、世界もそう……自己を否定する自分自身でさえ激しく憎んでいる。一触即発の大結界は彼の心の現れ、些細な刺激でも崩壊は始まる」

「どうですかね。ならなんで、神官長の魔力中枢を結界に組する必要が?」

「それは――」



 今の彼の欲求が、私の絶望に向いているから――



「……させやしませんよ」



 アリオスが瞳を燃やして私を下から睨みつけた。



「貴女を結界崩壊のキッカケになんてさせてたまるか。貴女に同期殺しなんてさせてたまるか」



 アリオスが一層体に魔力を漲らせた。



「保守派も革新派もない。貴女は俺が守る」

「……」



 私は彼から目を逸らし、格子から下がってベッドに腰掛けた。



「俺なりに自分で事実を調べて、マンフレッドさんを説得するに至った話です。子供の意見だなんて言わせない」

「……そう」



 今回の件に関しては、ケインの事以上に教の沽券に関わる。


 アリオスには教の上層部から、父親のランディス将軍率いる正規軍の元で魔物討伐をするよう命が降っているはずだった。



 教の誰もが予見していなかった、彼の独断行動――



「明日の鐘六つ――瘴気が完全に開放されるまでには全て終わる予定です。細々とした魔物は湧くでしょうが、大した被害には至らない。リディアの結界も崩壊しない」

「そんなに上手く行くかしらね」



 彼との約束の時間まで約一日半――



 不思議とそこまでの焦りは感じなかった。


 レアード卿は城西地区の魔導士達に顔が利く。


 名うての魔導士が選出されたに違いない。



 やれるものならやってご覧なさい――



 彼の感性の本質は、物事の欠点を看破して常識の束縛(ロープ)を噛みちぎることだ。



 ワイズ・グレーは必ず逃げ道を見つけ出す――



「喉が渇いたりお腹が空いたりしたら、遠慮なく声掛けてください」

「トイレは?」



 アリオスが手で奥を指し示した。


 こちら側にあるらしい。



「脱衣所もそちらに。窓はありませんのであしからず」

「そう……じゃあシャワーでも浴びようかなー」

「どうぞ」



 アリオスの魔力に動揺は見られなかった。



 私はどう切り抜けようかな――



 ベッドに横になって目を瞑り、私は雨音に耳を傾けた。


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