03.「ガッツポーズ強制ギブス」
生けとし生きるものが身に備える、魔力中枢と言うものがある。
魂の機能の一部、心と直結して魔力を生み出す魂の側面――
その魔力中枢に、俺は先天性的な特徴を持っている。
エルグラド大陸の常識と擦り合わせれば、それは欠陥という言葉が最も似つかわしい。
俺は魔力中枢が恐ろしく過敏にできていて、魔的要素から非常に影響を受けやすい体質だ。
感覚が鋭いというメリットを持つ反面、精神状態や魔力コンディションが変動しやすいと言うデメリットを抱えている。
魔法に対する抵抗力が紙も同然で、世に存在するあらゆる事物から魔力的影響を受け、魔力中枢のコンディションが一刹那単位で変動し続けるため、とにもかくにもムラッ気が激しい。
――魔力安定感ゼロ
「一定量の魔力を安定させて維持する」という子供ですら一〜二時間平気で出来る事が、俺には数十秒とて難しい。俺が魔力の制御で自信を持てるのはほんの一瞬、またたきにも満たない刹那の瞬間だけだ。
それはもう、生まれた時に決められた魂の形なのだと大聖堂の高僧達は言った。
『出来ることを、やりなさい』
そんな風に諭された。
修行に修行を重ねあがきにあがいてみても、やはり魔法の扱いは上手くならなかった。
持って生まれた魔力中枢の性質は、女神に決められた魂の形は変えることが出来ないのだと悟らされた。
過敏な感覚による紙の魔法抵抗力が、出会う女性の体が発する魔力に影響されてあっという間に恋してしまう。
恋に悩んでは修行に身が入らず脱落し、あとはひたすら酒・女・喧嘩のループで破戒街道まっしぐら。
複雑な魔法術式などつかえない、初歩に近いことしかできない、神父服着た遊び人。
プレイボーイと言うほどでもなく、単に惚れっぽいだけの傍迷惑な発情犬。
「大魔法をばっしばっし扱える賢者になりたい」なんて、少年だった頃の志も夢また夢。
飲み屋がぶっ潰れるほどドンチャンバカ騒ぎの毎日である。
男に女に愛想を撒いて、毎日ヘラヘラ生きている――
犬の様に生きている。
それでも消せないモノがある。
確かに消えないモノがある。
指を弾くに満たない一刹那、ほんの瞬きの俺でいい――
コインキャッチ。
俺は墓石を盾にするのをやめ、薄暗い地下墓地で立ち上がった。
「お?」
ウィルがなにやら期待に満ちた目をこちらに向ける。
「どうするんだこいつ」とでも言いたげな碧眼である。
「答えは出たのかしら?」
彼女が鈴鳴の声でそう言った。
そう、答えは出た――
俺は今のところ破戒僧、「いつか賢者になれたらいいな、魔法全然使えないけど、たぶんずっと使えないけど」の僧侶崩れの遊び人、ならば――
「取引を要求する」
俺はそう言って彼女を真っ直ぐに見た。
「破戒僧の貴方には、なんの権利もないのよレヴィ」
彼女の整った眉が咎めるような表情をつくり出す。
歳の頃は二十代なりたてで俺と同じぐらい、何処か落ち着いた「敏腕お嬢様」といった雰囲気が備わっている。
彼女の冷ややかな視線を受けても俺の心は揺らがなかった。
彼女の姿をまじまじと眺め、むしろ決心は一層固くなったと言える。
「分かっている。俺がダメなヤツなのは俺が一番分かっている」
「お前さん、なにを今更……」
ウィルが馬鹿を見るような目で俺を見る。
つまり俺は常々彼に馬鹿だと思われているわけだ。
「分かっていればこその条件を出したい。これが最後になるかもしれないから」
「言ってごらんなさい」
彼女は腰に手を当てて小首を傾げた。
「君とデートがしたい」
王都リディアの中でも最も治安が悪いとされる旧市街地区の、大破しかけた教会の骸骨転がる地下墓地で、俺は彼女にデートを申し込んだ。
「「……」」
彼女とウィルがそろって口を引き結ぶ。
閉口したと言うヤツだ。
「俺は君とデートがしたい」
御歳二十そこそこにして現在遊び人、レヴィ・チャニングという男の中に唯一残された希望、それは――
「恋だ。俺は君に恋をした。たった一度のデートでいい、この一刹那の切なる想いが叶うなら、向こう十年隔離されても文句は言わない」
彼女は冷ややか視線のまま石像のように微動だにしなかった。
だがしかし、例え彼女がドン引きだったとしても俺は退くわけにはいかない。
例えば大聖堂に連行されて再修行に突入したと仮定しよう――
まず毎朝毎晩ライアリス聖書を書写させられる。
毎日せっせと教の兄弟たちの胴衣を生産する流れ作業に従事させられ、流れ作業で沐浴、流れ作業で飯を食い、流れ作業で教の兄弟子の股間にぶら下がる恭順精神注入棒を振りかざされる危険性が高い。
冗談ではない――
「君が好きだ。君に惚れた。デートをしたい」
俺はいつでも、ただ真っ直ぐに相手の目を見つめて正直に胸の中にあることを口に出す。
だって思うだろう?
十年も隔離されると言うのなら、その前に超ド級の美女とデートしたいとか。
それを正直に、かつ綺麗に整頓して言うと、
「俺は確かに破戒僧だ……この破戒僧の十年分では、十年懸けた想いでは、君のような女性との一回のデートにも届かないだろうか?」
こうなる。
「……」
険しい目で俺を見つめていた彼女が、ふっと目を逸らして何かを思案し始めた。
そしておもむろに懐に手を差し込んだ。
僅かにたわむ胸にドキリとさせられる。
出てきたのは一枚の紙だった。
彼女はツカツカとウィルに歩み寄り、手にした紙を差し出した。
「……これァ?」
ウィルが首を傾げる。
「私がこれまでここで捕まえた術士のリストよ。不本意ではあったけれど、ここの霊的秩序を乱して不正術士をおびき出していたの」
「あ、はぁ……へー?」
良くわからないと言った調子で、ウィルが紙を受け取った。
「私の身分を証明する花押が押してあるから、それをドンの所に持って行けば貴方達の依頼は完了するのでなくて?」
「――っし! イエス!」
俺は二人の前で渾身のガッツポーズを取った。
「ええと、そりゃ、つまり……」
ウィルが狐に包まれたような顔で彼女を見ながら後頭部に手を回す。
「彼の取引に乗るわ」
「……マジで?」
ウィルの碧眼が丸くなった。
「これ以上ここで術士を掴まえても、旧市街地がゴーストタウンになるだけだしね。目的は大体達成できたから」
彼女はそう言うと俺の方に向き直り、右手の甲で横髪を掬った。
淡いブロンドの髪がフワリと宙をそよぐ。
「逃げようだなんて考えないことね。貴方が大人しく捕縛されるということ、大聖堂に確実に出頭すること、それがこの取引の絶対条件です」
清流のような声色、ハスキーな響き、鈴鳴りのような発声だった。
「どうして俺が逃げる? 十年を掛けたデートなんて一生に一度あるかないか、十年を賭せばこその最高のデートだ。立ち向かいこそすれ逃げなどするものか」
「なら良いわ。デートを申し出を受け入れる」
彼女が目を糸のように細めて微笑んだ。
それは旧市街地区の廃教会の地下墓地に咲いた、谷間の姫百合と呼ぶにふさわしい可憐な微笑みだった。
術士のリストを携えたウィルが、合点が行かないといった様子で首を捻り続けている。
「不服そうだな猫」
「いやァ、なんていいうかな」
ウィルが頭を掻く。
「俺としちゃ、コイン撃ち込まれて苦しみ悶えるお前さんが見たかったってだけだから」
爽やかな笑顔で言うべきことではない。
「お前が俺の事をどう思ってるかはよく理解出来た」
彼女とのデートで頭が一杯の俺は、ウィルの皮肉に対しても全く腹が立たない。
デート後の十年修行? ゾッともしない――
人間の生とは即ち欲の塊である。
欲求に従って即物的に生きてこそ女性の裸の本音へとたどり着くことができる。
汗滴らせる女神との邂逅によってあらんかぎりの欲求を解き放ったとき、男は真の解脱にたどり着くのである。
「じゃあ行きましょうか。もうそろそろ八時の鐘が鳴るし」
「「え?」」
俺とウィルが同時に声を漏らした。
「デートよ。したいのでしょう?」
「いや、八時の鐘が鳴ると今自分で――」
依頼を受けたのは夕方、つまり八時と言うのは夜の八時だ。
「あら、王都リディアは眠らない街よ。遅くなってもなんの問題もないのではなくて? 破戒僧に門限があるとは思えないし」
彼女が事もなげに言う。
「積極的ーぃ……」
ウィルが唖然とした。
「といっても、流石にこのままじゃお互いに不味いか……」
彼女はまた懐に手を入れて、どう考えても胸の谷間には収まりきらないであろうソレを引きずりだし、俺に装着してくれた。
――ガシンッ
「「……」」
俺とウィルが口を引き結ぶ。
閉口したと言うヤツだ。
俺は今、首と手首を一枚の板によって拘束されている。
「出たー! ガッツポーズ強制ギブス! これぞ待ち望んでいた展開! イエス! いえぇぇぇぇすッ!」
大はしゃぎで叫んだのはもちろんウィルだ。
彼が言うとおり、現在俺はガッツポーズを強制されている。
矯正ではない。
「え……あれ……?」
罪人を拘束する木の枷、首ごと挟み込むアレだ。
枷から伸びたロープの端を彼女がしっかりと握っている。
興奮さめやらぬウィルが、ふと落ち着いた様子になって右手を俺の前に翳した。
「忘れないよ」
彼の中で俺は既に過去の人になってしまったようだ。
「そちらの剣士さんの質疑応答と説法の件は無しでいいわ。貴方達、ゴルフェーザの傘下の人間ではないのでしょう?」
「あん? ああ――俺たちゃ業務委託された外注業者。ヤサはお隣の城南地区にある」
ウィルが陽気に答えた。
普段はやる気のない猫だが、初対面の対人ともなると実に社交的な面を見せる。
彼曰く「剣も言葉も、初撃が肝要」云々。
「監察神官が関わってたなんて報告、しづらいとは思うのだけど」
「心配にゃ及ばねえよ。俺たちがなにトチったワケでもねえ。霊障もないこれ以上術士も減らないってんなら、報酬はしっかり出してもらえるさ」
「よろしく――と言うのも変な話だけど、よろしくね」
「おう、任しとけィ」
サクサク話をまとめる二人を、俺はぼんやりと放心の体で眺めていた。
恋が芽生えたばかりなのに、胸に穴が開いたような虚無感に見舞われている。
「じゃあ、行きましょうか」
「……何処に? ……何をしに?」
「決まってるじゃない。リディアの街に、デートしに」
彼女の微笑みが視界の中でふやけて歪んだ。
「泣くほど喜んじゃってまァ」
ウィルの冷やかしに俺の視界が一層歪む。
俺は大事なことを忘れていた。
犬な俺は、猫なウィルは、間違いのない真実にたどり着いていた。
彼女の微笑みはまさしく谷間の姫百合で、彼女の魔力は間違いなく鈴蘭の甘い香りがする。
有毒植物なのだ――
誤って口にすると心不全すら起こしかねない、毒を持った花なのである。