44.「猫と鼠」
「お前ほどの複雑思考をしても、ひめゆりがラブリッサという希望を得てなお、僕が示した答えは覆らないか」
当然そうあって然るべきのことだ。
どんな狂いが生じても必ず結果にたどり着くよう計算に計算を重ねたんだから。
レヴィ・チャニングは四日後に死ぬ――
「それがどういうことか、何を意味するか分かっているのか!?」
「うふッ」
激昂するサフィアを前に、僕は右手のコインを大きく弾いた。
大聖堂上層部が彼女に僕の抹殺を命じた。
彼女自身が僕の殺害という断固たる決心をした。
情報を得たサフィアが僕の死という予言を導き出した。
胸の内に湧き上がった感情はなお熱く、興奮が冷めやらない。
「ひめゆりが僕を殺す答えを出したと、お前はそう言っているんだな? 残念ながら世界は救われないな、あははははははははッ!」
コインを捕まえながら僕は笑う。
「何故見えない!? どうして見えない!? お前はどうして見ようとしない!」
サフィアが吼える。
「それが何故かが、僕にも分からない」
僕は溜息をついて昂ぶる感情と魔力を落ち着けた。
「――いや、違うな。僕は答えを見つけつつあった。一度はこの手で掴んだんだ」
――嗚呼、そうか、ああ、だから
五年前のあの日、意識が途絶する最後の瞬間に、僕は確かに何か答えに辿りついた。
あれは一体、なんだったのだろう――
「……慣れない結界術まで張って段取った実験であったのに、まったく余計な事をしてくれた」
答えがすり抜けていった悔しさ、本懐を遂げられなかった口惜しさが込み上げて、僕は冷笑を浮かべた。
「全ては五年前に決まった事だと言うのか?」
サフィアが歯噛みをして言う。
「そう自惚れてくれるな。責めるような言い方になってしまったが、実際僕は君らを恨んでいるわけじゃないんだよ」
僕はコインを弾いて微笑んだ。
「お前も、そしてひめゆりも、負うべき責任など何一つない。負わなくていいじゃないかそんなもの。追わなくていいんだよ、責任なんて、そんなもの」
右手がコインをキャッチする。
「いつ決まったのかと問われれば、生まれた時に決まったと答える他ない。生死とはそう言うものだ」
「……」
サフィアが項垂れた。
僕を問答でやり込めるのを諦めたらしい。
「結局なんだ。お前が僕を待ち受けていた用件と言うのは、やはり説得か?」
「……一つは、協力してくれるラブリッサの会長に、お前がどういう状態にあるかを確認してもらいたかった」
俯いたまま、サフィアが言う。
「モルモット冥利に尽きるね」
サフィアから目を移し、僕はビートに微笑んだ。
ビートが羽付き帽子を持ち上げて軽い会釈を返してくれる。
「もう一つ、まだ俺の言葉が届くのならば、お前に伝えておきたい事があった」
「ならさっさとそれを口にしろ。お前との問答にもいささか飽いた」
サフィアは厳しい面を上げた。
「彼女は本気でお前を捕まえる気だぞ」
その言葉には、魔力が篭っていた。
「それは間違いだよ、サフィア」
僕はコインを握りしめて湧き上がる興奮を抑えた。
「僕が彼女を捕まえたんだ。この手で……!」
彼女は遂に答えを出してくれた。
僕が望む答えを――
彼女との逢瀬が、成る。
「うふッ、ふふふふふふ……!」
「要件はそれだけだ」
サフィアが張り詰めていた魔力を納めて、話を結んだ。
「ビート、君は何かあるか?」
「特には」
ぼんやりとした表情で、ビートは首を傾けた。
「久しぶりに会ったんだ、二〜三言交わしてもいいだろう」
「まだ三日じゃないですか」
「ああ、これは失礼。僕と言うのは魔力中枢のせいで時間感覚まで狂っているらしくてね。僕にとって一日とは人の十倍だ。故に一年を人の十分の一にしか感じない」
僕には一日が長すぎる。
長すぎて、年月を連続したものとして捉えるのが難しい。
断片的な記憶はなお鮮明で、体感する現在と思い起こせる過去に明確な差がない。
「わからんお」
「人並みに積み重ねるのが苦手なんだ」
「うーん……」
ビートが薄い表情で首を捻る。
僕の言っている事がイマイチ分からないといった様子だ。
もっとも、僕にも彼が何を考えているのかは皆目見当がつかない。
声柔らかく抑揚が希薄、辛辣な言葉でさえ訛りでまろやかになる。
見目麗しく他者を傷つける角の少ないビートは、僕にとって癒しの存在だった。
「君となら一晩中でも語り明かせる。もっとも僕が一方的に語って、君は相槌を打つだけの形になるだろうが」
「時間があるならそれもいいけど、いま工房の方が忙しくてねえ」
表情の薄い惚けた美顔に、僕は強烈に嗜虐心を刺激された。
「ああ、そうだ」
湧き上がった欲求に、頭のコインが急速に回転を始める。
「サフィアが君を同行させたと言うことは、この欲求はサフィアの計算外と言うことになるのかな」
「欲求?」
ビートが首を傾げた。
「僕は商会の中でも、一等君を気に入っている。そんな情報を得たサフィア・ウォードは、今この瞬間にどんな予言を見るだろう?」
サフィアの顔がハッとなった。
「ビート! 武器を出せ!」
サフィアの声に反応して、ビートが腰の手斧に手を走らせた。
「遅い」
――シュンッ
僕はビートの目の前に瞬間移動で跳躍して、腰の手斧に伸びる彼の腕を押さえた。
ビートの首に腕を回す。
僕はそのままビートに唇を押し付けた。
「――ッ!?」
燻した銀色の瞳が収まった、女性と見まごうばかりの二重眼が見開かれる。
「ケット神剣奥義! おホモ断ちィ――!」
頭上から強大な魔力の気配が迫り、僕は即座にビートを蹴って空間跳躍した。
――シュンッ
「ぐ……!」
口に腕を当てて顔を顰めるビートの前に、黒髪の男が剣を構えて降り立った。
闇夜に輝くエメラルドグリーンの碧眼、
「グッモーニン、エブリワン」
「今は夜だ」
ボロのコートをマントがわりに羽織った黒猫に、僕は冷ややかに突っ込んだ。
○
「あれ、ウィルくんが居ない……」
「え?」
ぼんやりと弱照明に照らされたロビーは無人で、アヤの言ったとおりソファーにウィルの姿はなかった。
「目覚めたのね」
私はポツリとそう言った。
昨日纏めた報告書がテーブルの上から消えている。
「目覚めたって……普通そんなん言わへんし」
アヤがクスクスと笑った。
「え? そうかな」
「『起きた』とか、『目が覚めた』なら分かるけど、『目覚めた』ってなんか大げさ」
「んー……」
確かに、「目覚めた」と言えば意識的なものを連想してしまうかもしれない。
「当たってるっちゃ、当たってるんだけど」
アヤがふと真面目な顔をした。
「当たってるって?」
「暫く寝たまんまだった泥棒猫は、起きゥと凄いんだかァ」
まったりとした口調だったが、アヤのラ行が滑っている。
「凄い?」
「見てのお楽しみ」
アヤが「にぱっ」と笑う。
「……?」
私は良くわからずに首を捻った。
「何にしても、これから忙しくなるって事だわね」
アヤが溜息をついて、手にした書類をロビーのテーブルに置いた。
「そろそろかなーと思ってたけど、バッチリ予想的中。アタシの勘も捨てたもんじゃないわねえ。うむん」
アヤが纏めた仕事の依頼書は、現状ラブリッサが抱える仕事の中で、ウィルにこなして欲しいものを纏めた依頼書だ。
「アヤの勘はよく当たる。貴女は本当に凄い商人なんだから」
「えへへ……」
照れるアヤに笑みを返しておいて、私もまとめ終わった報告書をテーブルに置いた。
「それにしても、今日はビート遅いなあ。泊まり込みなら事前に連絡しとけっての」
アヤが頬を膨らませて不機嫌そうに言った。
「聞いてないの?」
私は首を傾げた。
「え?」
「今日はサフィアと――」
脳裏にレヴィの姿がちらつき、私はそこで一旦言葉に詰まった。
○
「強襲されるまで接近に気づかなかった。大した隠行だな」
僕は左手をポケットに、右手でコインを弾きながら笑った。
「ごちゃごちゃうっせえ。ここ墓前でしょ? 場所選べ場所ォ」
ウィルがいつもの軽い調子で「にゃっ」と笑う。
「僕の欲情にTPOは存在しない」
「おっほほー!? 欲情って言いきっちゃったよこの子ったら!」
声を裏返してウィルがおどける。
「ウィル、助かったお」
「大丈夫か?」
「あんまり大丈夫じゃねえ。舌入れられた」
「聞きたくねえし!?」
狼と猫が愉快なやり取りをする。
「トチ狂ってるたァ聞いたが、まさか色狂いってんじゃねえだろな」
ウィルが抜き身の剣を肩に担いで猫じみた笑みを浮かべる。
「お前は? ここへ何しに来た」
もともと潜んで居たのなら気づけたはずだ。
「さっき起きたところでよ。ウォーミングアップも兼ねてちょいと散歩だ。報告書に、ケインの墓の事が書いてあったんでよ」
「報告書?」
「なに、こっちの話だ。気にするねえ」
ウィルが左手でコートの裏をまさぐって酒瓶を取り出した。
「墓前に添えてくんな」
「ふん」
投げ放られた酒瓶を受け取って、僕は鼻を鳴らした。
「――ぐ、ぉ!?」
ウィルの背後で、ビートが地面に膝を突く。
「ビート!」
サフィアが慌てた様子でビートに駆け寄った。
「なんでえ、どしたィ?」
ウィルが訝しげに後ろを振り返る。
僕はウィルに受け取った酒瓶のキャップを捻り、三人に構わずケインの墓前に立った。
「中枢に侵入して妖脈をずたずたにしてやったんだ。魔力の全身内出血と言ったところだ」
背中越しに説明しながら、墓の周りに酒を撒く。
「結ぶ祈り、もってこの手を女神の御手にせん、汝の艱難を払わん! 浄化!」
サフィアが即座に治療を始めた。
「お前にどうにか出来るものかな? ひめゆりならば治せもしようが、いずれにせよ相当のダメージが残るだろう」
酒を半分ほどまで減らし、残りをケインの墓前に供える。
「それでも治療は正解だ。状態を維持しないと最悪死ぬ」
「――くッ! レヴィ!!」
治療をしながらサフィアが叫ぶ。
「ダメ押しと言ったところさ。今更彼女の決心が揺らぐこともないだろうが、仲良しの子虎が悲しめば……嗚呼、彼女はどんな感情に身を焼くだろう?」
僕を憎むだろうか?
怒り狂うだろうか?
自分を責め抜いてい苦しむかもしれない――
「嗚呼……!」
これから訪れるであろう彼女の胸中の嵐に思いを馳せて、僕は身を震わせた。
「まァったく、どうしようもねえな」
剣を担いだウィルが笑って顎の下を掻いた。
転瞬、魔力が膨張して彼の像が揺らいだ。
――ギィンッ!
振り下ろされた唐竹割りの一撃を、魔力を灯した右手のコインが辛うじて受け止めた。
「踏み込みが、見えなかった、ぞ……!」
僕は驚きながらも口の端を持ち上げた。
加速に相当する速さだ――
――ギャリッ……
ウィルが刃を走らせて、そのまま僕の右手首を斬りにかかる。
「くッ!?」
――シュンッ
僕は咄嗟にウィルの頭上斜めに瞬間移動し、右手に魔力を収束させた。
「押し球ッ!」
――タァン!
魔法銀に変じたコインの曳光は、真っ直ぐにウィルへと伸び、しかしその体を素通りした。
「――なッ!?」
「甘ぇ」
声が頭上から掛かる。
――ドッ
叩き落とすような回し蹴りが降り注ぎ、肩口が弾ける。
「ぐ――ぁッ」
瞬間移動する間もなく、僕は地面に叩き落された。
「おらァあああああッ!」
風を纏ったウィルが、剣を逆手に握って急速落下してくる。
「ぐ、ぅッ!」
仰向けで呼吸も整わないままに、僕はありったけの魔力を両手に込めた。
――ダ、ダァン!
渾身の銀の弾丸二発が、またしてもウィルの体を素通りする。
「!?」
背筋に悪寒が走る。
まずい――
僕は飲み込んだ息で魔力を整え、ほぼ反射的で瞬間移動した。
――シュンッ!
――ドゴォッ!
僕が教会の屋根の上に降り立ったのと、ウィルが拳を地面に叩き込むのが同時だった。
もうもうと立ち篭める土煙の中、敷地の地面が大きく陥没している。
拳に風を乗せて叩き込んだらしい。
「へッ、逃げ上手に磨きがかかってんな」
地面から拳を引き抜き、ウィルがゆっくりと振り返った。
体から底知れない魔力の気配が香っている。
「……いまどういう技を使った?」
地面を穿った拳の事ではない。
僕が放ったコインが、二度に渡ってウィルの体を素通りした。
瞬間移動したような気配はない。
コインがウィルの体をすり抜けるその瞬間まで、僕は彼の魔力をその場に感じていた。
「どうしてそんな魔力を秘めている? 何もかもが謎だぞ」
ウィル・フォードという男の能力は、ラブリッサの中でも飛びぬけて高い。
それは分かっていたことだが、記憶にある情報と目の前の彼が合致しない。
「へッ――そういやお前さん、この状態の俺は知らなかったな」
「……なに?」
「体まで縮んでる野郎に、謎だなんて言われたかねえよ」
剣を担いでウィルが猫地味た笑みを浮かべる。
「ビートの事に怒ったのか?」
感情で変化するのは魔力の放出量ぐらいだ。
底力まで上がると言うのは通常ありえない――
「べっつにィ? 神官長なら治せんだろ? 強いて感想を言うってんなら、気持ち悪い、だ」
ウィルは軽い調子で肩を竦めた。
「お前さんを殺るなァ彼女のお役目みてえだからな。ちっと挨拶くれてやっただけのこった」
「挨拶?」
「お前さんもそうだろ? ビート使って女どころに上等くれようってんだ。俺もラブリッサを代表してご挨拶ってえトコ」
ウィルが「にゃっ」と不敵に笑う。
「……僕が一等苦手なのがお前だよ兄弟」
僕は髪をかきあげて溜息をついた。
「何をしでかすか分かったものではない」
「俺もお前さんの考えてるこたァサッパリ分からんねえ。奇遇だなブラザー」
ウィルが肩を竦める。
「……もう万が一にも計画は狂わないだろうが、なるべく君とは遭遇したくないものだ。気ままな猫と言うのはほとほと嫌いだ」
「違ぇねえ。犬だとばかり思ってたが、どうやらその姿のお前さんは鼠みてえだからな」
ワイズ・グレーと言う名の鼠――
「どうせならモルモットと言って貰いたいね。実験動物と言う意味合いで」
「へッ、猫からすりゃァどれも鼠だ」
軽い調子のウィルに舌打ちし、僕は右手にコインを呼び出した。
「大事の前と言うのは不気味な静けさが乙なのに、今日と言うのはまったくもって騒々しい」
「抜かしやがれ。てめえで着火しておいてよォ」
口の達者な猫に一瞥くれて、僕は呼び出したコインを大きく弾いて飛ばした。
夜空に描かれた銀の放物線が、そのままウィルへと伸びていく。
「あん?」
ウィルがコインをキャッチした。
「ケインの墓石に供えておいてくれ。『騒がせた』と言い添えてな」
ポケットに手を入れて、あとはもう踵を返す。
「ちょいまち」
背中に掛かるウィルの声に、僕はイラッとさせられた。
「なにか?」
「どっちを上にしときゃいい?」
「確認してから質問をしろ。そのコインは両方『微笑み』だ」
「おっと」
ウィルの碧眼が物珍しそうにコインを見る。
「ではこれで。お互い残された時間を有意義に」
僕は興の失せた顔で言った。
「ちょい待ち、ネズ公」
「〜〜〜〜ッ!」
髪をグシャグシャにしてまた振り返る。
「なんだドラ猫」
「魔物を都に湧かす気なんだろ? いつどんな具合でやるつもりだ」
「僕がそれを語るとでも?」
「もう万が一にも、計画に狂いは生じないんだろ?」
ウィルが「にゃっ」と笑う。
ああいえばこう言う――
僕も口の端を持ち上げてウィルを見下ろした。
「……三日後の逢魔が刻、瘴気は都のど真ん中、貴族議会の議事堂前に渦巻く予定だ。大結界の効力で差異はあるだろうが、魔物は都の全域に出現するだろうな」
「ほーん、日暮れ時に議事堂前か。聞いてみるもんだな」
「瘴気そのものを浄化するのは不可能だそ? リディアの民が溜めた悪意は尋常じゃない」
「あー、オッケーオッケー。後はサフィアんと神官長に面倒な計算して貰らわァ。もう帰っていいぞ」
ウィルがヒラヒラと手を振る。
「……君ってやつは、まったくもって忌々しい猫だよ。酒に酔って溺死でもすればいい」
「そういうお前さんは小賢しい鼠だな。死んだら裏庭に埋めて、花束ぐらいそなえてやんよ」
「……ふんッ」
僕は鼻を鳴らし、屋根を蹴って瞬間移動した。




