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エルグラドの冒険者(推敲及び改訂中)  作者: 井伊嘉彦
第一幕 女神のコイン
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37.「私の希望」



「ああ、そうそう、『シューティングドッグ』が君と交わした口づけは、僕が大結界に接続する最後のステップでね」

「なん、ですって……!?」



 私は胸の聖職胴衣を握り締め、苦痛に耐えながら彼を睨んだ。


 彼が再三口にする「シューティングドッグ」とは、彼が大人の姿でいた時の人格の事だろう。



「僕は君の魔力中枢を経由して大結界の術式の全権を掌握している。どういうことかわかるかな?」

「私は、結界に不正接続するための、貴方の法具……!」

「正解」



 レヴィが手のひらを広げると、結界の鳴動と胸の疼痛が止んだ。



「――はぁッ、はぁ……う、ぐっ!」

「ああ、サフィアがケインにしていたものなどと一緒にしてくれるな? 僕は魔力中枢の知識に造詣が深い。特に君の魔力中枢など霊視せずとも目を瞑れば思い出せる。少し胸がつまるだろうけど、中枢が傷つくことはないから安心してくれ」



 クスクスと彼が笑う。



「その程度の苦しみで済むのは、無茶な接続で命を散らしたケインの功績だ。彼の死に感謝することだね」

「……」



 月曜未明、レヴィはレアード卿の別邸に居た。


 ケインが自らの命を弑する為に行なった接続は、魔力中枢の分析に長けた彼にとって、またとない不正接続の情報(サンプル)となったことだろう。



「大結界の全ては僕の手の中にある。溜まった瘴気の全てを魔物に変換する事とてできる」



 私は彼を睨みつけながらも、一層体から血の気が引く思いがした。



「――が、今君が辿りついた答えに比べれば、それは些細なことだ」

「……」


 彼が考えているであろうことと、私が法具として選ばれた事実が頭の中で連結し、その理由に体が震える。



「急激に発展するリディアの霊的秩序を維持するために、大聖堂の教父たちは間に合せで結界を更新し続けた。術式の整頓と効率化も図らずにね」



 彼の口の端が嘲笑をかたどる。



「結果、大結界は長所短所を共に肥大化させ、街を守るメリットをデメリットが追い越した」

「崩壊と共に起きるであろう、術式反動――!」

「そう」



 私の言葉に、彼が満足そうに頷く。



「結界術というものは実に繊細で複雑だ。世界における普遍の理、『時間』までも歪める力を持つ。それほどの力を有する術が、不用意に消失、崩壊など引き起こそうものなら……どうなるだろうね、ひめゆり」



 レヴィは額に手を当てて笑った。



 直下型の大地震、リディアの北に山脈を連ねる活火山の大噴火――そのぐらいで済むならまだマシだ。


 時空間に穿った結界術の楔が一挙消失すれば、宇宙から隕石群を呼び込んで、リディア及びその近郊を向こう百年は草木も生えない荒野にする反動を生む。



 だからこそ簡単に張り直しの決議が出来なかった――

 だからこそ間に合せの補強が限界だと言われていた――



 結界術と言うのはそれほど扱いが難しく、それゆえに、複雑に入り組んだ術式で他者の介入や操作を防衛する仕組みになっている。



「だがひめゆり、それだけじゃない。それだけじゃないだろ?」

「――ッ」



 口に出していない私の思考に、レヴィが会話を繋げる。



 それだけじゃない――



 規模を最も小さく想定したとしても、リディアという都市が消えてなくなるには十分な被害が生まれる。


 それは、大陸統一を果たして以来五十年、王権を敷きつつある戦勝国の消失を意味する。


 王都リディアの壊滅を受けて、大陸各主要都市の有力者は何を考えるだろう?


 帰る場所を失い、各国から冷遇され続けて来た冒険者達は一体何を考えるだろう?



 エルグラド大陸が、混沌とした暗黒時代に逆戻りしかねない――



 それがレヴィの言う、



「人の心を裏返す、だ」



 クスクス、とレヴィが子供の様に笑う。



「この小さなモルモットの頭の中の、たった一枚のコインが導き出したほんの小さな一点が、世界の全てを裏返す。大陸に住まう人間の、生の欲求から発生する理性と本能を、節制と欲望のバランスを崩壊させる事が出来る」



 彼が瞳孔の引き絞られた瞳をうっとりとさせた。



「痛快だ」

「私は、その秩序崩壊の堰に、選ばれたのね……」



 唇をわななかせて、私は震える声を喉から搾り出した。



「そう、君の魔力中枢は僕の法具でもあり、リディアの結界の一部と化した」



 私が死ねば、リディアの大結界は崩壊を始めてしまう――



「君は世界の為に死ねない。そして僕がいる限り、秩序崩壊の危機は去らない」



 レヴィが私に向かって手を差し出した。



「さあひめゆり――答え合わせの時間だよ?」



 そしてまた、幼い見た目のまま、子供のように笑うのだ。



「五年前のあの日、僕の出した答えに君が答えをくれた。僕は君に貰った五年でまたこの答えを返した。君の答えを聞かせておくれ」



 私の眼からは、堪えようにも堪えきれない涙がこぼれ落ちた。



 それが――



「それが貴方の答えなの……?」

「うん?」

「それが五年間世界を巡った、レヴィ・チャニングの旅の答えなの!?」



 私は大聖堂のベッドから姿を消した貴方を追うために、監察神官という同門に疎まれる組織に組した。


 全てを投げ打って、長にまで上り詰めた。



 私は――



「嗚呼、ひめゆり、君の美しい涙に誓って言う。これは君のためだ」

「私の、ため……?」



 涙を拭い、鼻を鳴らしながら私は彼を見た。



「そうさ、そう言ったろう? 僕は君を捕まえたいんだ」

「そんなに、そんなに私が憎いの……? 貴方は、そんなに――」

「そうだ憎くて仕方がない」



 レヴィの双眸が底光りする。



「でも違うんだ。なんて言えば良いのかな? 言葉は溢れかえるのに、やっぱり今でも見つけられない……」



 ふと、彼が髪をかき揚げて溜息をついた。



「僕は君を激しく憎み、かつ、これ以上ないほどに憎まない……とでも言おうかな」



 何処か気欝そうなサファイアブルーの瞳が、夜空を見上げている。



「ただ、それだけの事なんだ」

「それだけの、こと……?」



 ――ソレダケノコト



 即座に意味を理解することが出来なかった彼の言葉が、頭の中にリフレインする。


 燃えるような何かが、カッと胸に吹き出した。



「ならなんでリディアの民を巻き込んだッ!?」



 私は腕を振るって叫んだ。


 彼の言葉が狂言でもハッタリでもないことを、私は理解できてしまう。


 猥雑に入り組んだ大結界の針の穴ほどの欠陥点を、見つけるだけの能力が「ワイズ・グレー」には備わっている。



 私はそれを知っている――



「どうしてあたし一人を拐いに来ない! どうしてしてあたし一人を殺しにこないッ!? あたしだけで、済む話でしょ!?」



 荒れ狂う感情に、言葉が乱れて整わない。



「済まない」



 謝罪のニュアンスを持った言葉ではなかった。



「ひめゆり、僕のひめゆり……君は優しい光の女神、気高く強く、そしてかくも弱き乙女心をその身に宿す。君は僕の記憶の中で一等鮮烈に輝く星なんだ。僕はその星の――全てを手に入れたいんだよ」

「すべて……ですって?」

「そう全て」



 レヴィが差し出す右の拳を握りこんだ。



「君の喜びが欲しい、君の怒りが欲しい、君の哀しみが欲しい、君の安楽が欲しい、君の夢、君の希望――その全てが欲しい」

「だから――ッ」

「だからこそ、それゆえに、君一人ではだめなんだ。君一人で満足など出来きるものか」



 彼がゆっくりと握った拳を目の高さに持ち上げた。



「君は己を犠牲にすることで、リディアが助かるならばと喜んで身を捧げる聖女のような強き優しき心を持っている。だがそれは、自分の事ととなるとトンと弱い内面の現われでもある。君は自分の事に関しては簡単に諦めてしまう、引っ込み思案な少女じゃないか。僕は君の体が欲しいわけじゃない。君の心、君の意識、自身で認識できない無意識に至るまで、その全てが欲しいんだ」



 彼は息を荒げて、私を熱っぽい瞳で見つめた。



「君のか弱い乙女心(ポケット)に、僕の猛り狂った欲求を捻り込んだとしても、自分の事に関して酷く諦めが良い君は、僕の欲求を簡単に受け入れてしまうだろ。そんなのダメだ。そんなガバガバなポケットになど興味がない。僕が欲っする谷間のひめゆりの心というのは、最後まで秩序崩壊の悪夢と闘う強き聖女でなければならない。甘い甘い絶望という名の快感に身悶えしながら、抵抗する君の弾けるような精神的肉感が僕の欲求をキツく締め上げて、最後の最後、遂に絶望に負けた君が響かせる慟哭の嬌声を聞いて、瞳から消えゆく希望の光を眺めながら、それでも夢にすがらんと蠕動する無意識の余韻に至るまでを堪能しつくして――」



 レヴィは、口の端を持ち上げて笑った。


 子供のような顔がする、酷く下卑た笑みだった。



「秩序崩壊という僕の劣情を、君の乙女心(ポケット)にシュートしたい」

「いや……! いやッ!」



 私は止まらない涙のままに首を振って一歩前に踏み出した。



「どうして――どうして!? あんたの欲求に、あたしの絶望に、どうして世界を巻き込む必要があると言うのッ!」

「ほぅら、君は取り乱す」



 少年のような面立ちの、小さな口の端が「ニタリ」と持ち上がる。



「それだ。僕が欲しいのは僕の欲求に対する君の抵抗、反発、その精神的な締め付けを僕は欲する。君の怒り、君の嫌悪、負の感情を余すことなく僕は欲する」



 レヴィがコインを弾きながら忙しなくウロウロとする。



「嗚呼……夢にまで見た今日この日、やっと答えの出せる五年なんだ。君の体、君の心、君が夢見るこの世界――」



 私を射抜くように見る青い双眸、



「君の全てを、陵辱してくれる」



 それはやはり子供のようで、いっそ無邪気にすら見える、禍々しい微笑みだった。



「馬鹿……ッ! 馬鹿……ッ!」



 私は俯いて涙を地面に落とした。


 呼吸を必死に整えて顔を上げる私を、レヴィの青い双眸が見つめている。



「なんて事を考えつくの……なんて事を思い付くの!?」



 頭の中でコインが数多の情報を弾き出し、巡り巡る記憶のスライドショーに吐き気すら催してしまう。


「私だって、私だってただの女だッ! 貴方の言うように、貴方が今なおその姿に変じてしまうように、私にだって少女の部分はあるんだよ!? 全部が全部どうでもよくなる瞬間は、私にだってあるんだよッ!?」

「分かってる、辛いよね? 辛いだろ? 頭の中を駆け巡るものに耐え切れなくなって、自分が壊れてしまうほどに辛いんだろう? 嗚呼ひめゆり、僕のひめゆり……君の懊悩が僕の欲求を締め付ける」



 彼は涙を流して私を見つめていた。



「君が言うどうでもよくなる瞬間に、僕もこの命を捧げよう。僕らは世界の荒廃を呼ぶ、終わる世界の始まりの番になるんだよ」

「そんなに私が憎いのか! そんなに世界が憎いのかッ!」



 私は悲しみとも怒りともつかない感情のうねりの中で泣き叫んだ。


 嵐のような感情は、怒りと哀しみの荒波、どこかに気が楽になったかのような安楽に喜びすらもが混じっている。



 これは一体、どういうこと――



「ああ、憎い、僕は君が、世界というやつが憎くてたまらない」



 彼が涙に濡れる目を座らせた。



「朝起きれば、女神が生んだとされるあの太陽という奴が、光で僕の目を痛烈に刺激する。朝日と共に動き出す街が耳に煩わしい騒音を届ける。街に蠢く人のむせ返るような臭気が鼻を突く。何処にいってもついてまわる空気が肌にしつこくまとわりついて、生きるために口にしなければならないもの全てが要らぬ自己主張をする。世界のありとあらゆるものから、僕は毎日ストレスを与えられ続けている。ストレスとはつまり、なんだろうね? ひめゆり」


「……」



 私は涙でベタベタになった顔を上げた。



「中枢が過敏な体質の僕に対し、森羅万象は日々こう告げている」



 彼の右手のコイントスが止まる。



「『お前は存在は、間違っている』」

「違う……! 違う! それは違うのよ、レヴィ!」

「ほら君さえも、君さえもやっぱりそうだ。やはり僕を否定する。君が一番僕を否定する! 僕の感じるストレスとは、とどのつまりが全て『否定』だ!」



 レヴィが怒りを剥き出しにして腕を振るった。


 やっぱり彼には伝わらない。


 ワイズ・グレーには伝わらない。


 私の「そうじゃない」を、彼は否定と捉えてしまう。


 それはレヴィが、世界に対する印象の全てを「否」と組み立てしまっているから。


 「全てを受け付けない」という答えを出してしまっているから。



「レヴィ……!」



 彼の頭の中には、思考のコインが一枚しか存在しない。


 彼の思考は全てイエス・ノーの情報で数珠つなぎになっている。


 情報の根底にある基準がノーに裏返ってしまえば、連動した全ての情報がノーとなってしまう。



 それは一体いつからか――



「貴方はそんなに……そんなに……!」



 私は俯いて涙を地面に落とした。



「世界が僕を『否』と言うなら、世界の皆が『是』であるなら、僕はこの命の限り、この命を掛けて世界をひっくり返してくれる。これは五年前の僕の実験の続きなんだ。ずっとずっと続いていたことなんだよ」



 彼は私の感情を映し取るかのように涙し、怒り、そうかと思えば次の瞬間には笑う。


 彼の変転は全てが一瞬だ。



「私はいい、私はいいよ……? でも、どうして……? どうして世界の人々を巻き込む必要があるの!?」

「その答えはさっき出したッ!」



 レヴィが苛立たしげにコインを地面に投げつけた。



「ああ――くそ、またそこに戻るのか!? ああクソ――ッ!」



 彼が頭を掻きむしる。



「君はそんなに世界がいいのか!? 君はそんなに世界の人々にお熱だというのか!? ――いや、それでいい、そうやって僕を拒み、僕を苛立たせる、君の涙の抵抗が憎い! ――いや憎くない!」



 怒りと共に支離滅裂に言葉を吐き捨てて、レヴィはピタリと動きを止めた。



「やっぱり、君ってやつは最高だ」



 そしてまた、笑う――



「――ッ」



 彼の微笑みに、私は笑い返すような歪んだ顔で涙を零し、左手にコインを呼び出した。



 私個人の感情は、ここまでにしよう――



 右手でシルバーロッドを取り出し、左手には女神のコイン、後は静かに深呼吸をした。


 欲求から発生する感情が、乱れに乱れていた頭のコインが、散らかりきっていた情報を片っ端から整頓し、見つめなければならない現実を分析していく。



 リディアの大結界の崩壊を防ぐ方法は、ただ一つ――



 私は涙を拭い、今一度顔を上げた。



 世界の秩序崩壊を止める方法は、ただ一つ――



「巡礼神官、レヴィ・チャニング……王都リディア教区内における術式重要犯罪者として、大聖堂監察の神官長が、貴方に鉄槌を下します」

「そこの科白はそうじゃない。『女神の私が鉄槌を下します』だ。僕の女神は君なのだから」

「どうでもいいことよ、レヴィ。貴方が何を口にしようとも、私の心はもう揺るがない」



 振るった右のロッドからコインの鎖が飛び出し、魔法銀の鞭へと変わる。


 左手のコインにもありったけの魔力を込めて、私は心静かに彼の胸に狙いを定めた。



「本当かい? 僕の中にいる『シューティングドッグ』には、なんの感情も抱いていないのかい?」

「貴方の中にあるいち人格など、世界の秩序とは比べようもない」

「僕は君に世界をかける程のなのに、君があっさり世界を選ぶというのは酷いものだ……彼は中々の作品だと、自負していたのだがな」



 レヴィが虚空を見上げた。



「どうやら彼も君と同意見のようだ。命乞いをするつもりは――ぐぅッ!」



 急に彼が頭を抱え出し、私は訝しげに眉を顰めた。



「『ひめ、ゆり……』」



 それはワイズ・グレーのボーイソプラノではない、彼が「シューティングドッグ」と呼ぶ人格の、渋く甘いあの声だった。



「『――早く、撃て……! こいつは、ワイズ・グレーがしようとしている事は――!』」

「レヴィ……!?」



 言葉に気を取られた一瞬、彼の右手が魔力を帯びた。



「しまっ――」



 ――タァンッ!



 右肩を鋭い銀の弾丸(シルバー・ブリッド)が貫いた。



「ぐッ!?」

「――あははははははは! 心は揺れ動かないんじゃなかったの?」



 レヴィが嘲笑う。



「『シューティングドッグ』は僕の存在を知らない。彼は造物主たる僕を認識できない。だから彼が僕を『ワイズ・グレー』などと呼ぶことはないんだよ。今のはただの声帯模写さ」

「くっ……!」



 撃たれた右肩に手を当てるも、自己治療(セルフヒーリング)が発動しない。



「ああ、キスの時に君の魔力中枢にちょっとだけ細工をした。君はいま僕以上に魔法を上手く扱えない状態になっている。僕の魔力による術式阻害(ジャミング)さ」



 ――タァン!



「ぐぅッ!?」



 今度は左肩、鞭を回してる暇もない程に、彼の「抜き」が速い。


 防御魔法を使おうにも、魔力を複雑に練成しようとすると、途中で全身の妖脈が言う事を聞かなくなって魔力の出力が全く安定しなかった。



 たった一瞬、一瞬の気の緩みで――



「コールショット――次はその魅惑的な脚だ」



 左手をポケットに突っ込んだまま、彼が狙う場所を宣言した。



「まずは左」



 ――タァン!



「……ッ!」



 脚を打ち抜く熱い痛みに、私は顔を顰めた。



「コールショット、次は右」

「ふッ!」



 ――ギィン!!



 体中に魔力をみなぎらせて、私は彼が放つバレッドを弾き返した。



「気息集気法……か。魔法銀(ミスリル)を生身で弾くだなんて、凄いじゃないか」



 レヴィがクスリと笑う。


 呼吸によって体内外の魔力を取り込み質を高める気息集気法は、教のあらゆる魔法術式の初歩にして基本、基本故に極めれば全ての技に通じる極意ともなる。



 ――すぅぅぅぅぅぅぅッ……



 私は深く息を吸い込んだ。


 複雑な魔力が練成できないなら、体に内在する魔力の質を高めてなんとかするしかない。



「今日日そこまで息吹に重きを置いて修行する僧はいない。誰も彼もが魔法術式、効率的な新しい法だ。僕のように魔法が苦手な者であれば、そんな古法に鍛錬を割くこともあるけれど……」



 彼がうっとりとした笑みを浮かべた。



「でもね、ひめゆり――」



 ――すぅぅぅぅぅぅぅッ……



 レヴィも気息集気法によって魔力を体に充足させていく。



「司祭修行と祓魔修行で司祭端に偏った君に対し、僕はこの体質のおかげで根っからの祓魔端。この身は古法と基礎の塊と言える」



 ――キィィィィッ……!



 彼の右手が、耳鳴りに似た音を立てて魔力を高めていく。


 魔力濃度が大人の姿であった頃の比ではない。



押し球(フォローショット)



 ――タァンッ!



 右の太もも辺りを目掛けて飛来したコインを、腕を交差させてガードする。



 ――ギャリギャリギャリギャリッ!



「ぐぅ――ッ!」


 スピンによって貫通力を強化された銀の弾丸(シルバー・ブリッド)が、私の体を覆う魔力を削り散らしていく。


 彼が言うとおり、複雑な魔法術式の学習を主とする司祭の修行と、魔を打ち払う戦闘術を学ぶ祓魔の修行で、私は司祭端に偏らせた鍛錬を行なってきた。


 体を強化する基礎の呼吸法も、祓魔の技術であるコイン技に関しても、戦闘術ではワイズ・グレーに及ばない。



 ――バシュッ!



「つ、ぁ……ッ!!」



 交差させた腕ごとコインが足を貫通し、私はその場に尻餅をついた。


 出血は気息集気法で抑えられるが、そのせいで防御に回す魔力が低下していく。


 地面を這う私を見る、彼の呼吸が荒い。



「嗚呼、君の柔肌を今すぐにでも蜂の巣にしてしまいたい……! でも、それはダメだ。僕の五年分の想いを味わってもらうのに、それはダメだ」



 そして急に、涙を流してクズり出す。



「僕はなんて酷い男だ、僕はなんて最低な男だ……僕の姿を映す君の、青い瞳が僕を苦しめる……!」



 ――キィィィィィッ……



 俯いた彼の右手に、また絶大な魔力が収束し始めた。



「僕が僕を、これほど意識出来た事はない」



 そしてまた、笑う――



 ――タ、タァン!



「く、ぁあ――ッ!」



 二発の弾が左右それぞれの膝を打ち抜いた。


 膝の皿を砕かれた痛みに視界がちらつき、意識がホワイトアウトしかける。



「ふ、ふぅッ――すぅぅ……ぅぅ!」



 それでも私は呼吸を整え、彼に抗う術、一抹の可能性にたどり着くために足掻き続けた。



 可能性――?



 状況は絶対絶命、魔法も使えず満足に動くことすらかなわない。


 私が諦めれば、世界が再び暗黒時代に舞い戻る。



 世界――?



 私が望んだ世界は、この手でレヴィを殺す事だったのだろうか。


 そんな世界を、私は望んでいたのだろうか。



 私の望みは――



 思考のコインが、ただの自問自答をし始める。


 呼吸は乱れに乱れ、体を魔力で覆うことすらままならない。


 肩の方はともかく、大腿動脈を傷つけた右足の出血が深刻だった。



「く、ぅ……!」



 意識が薄れる。


 体が冷える。


 寒い――



「悩んでいるねひめゆり。いま君は絶望の誘惑に身を焦がしている」



 朦朧とする意識の中、レヴィが私の体を無理やり引きずり起した。


 涙に濡れる彼の笑顔が目に入る。



「嗚呼ひめゆり、僕のひめゆり……君の甘い汗の香りがする。その身を濡らす鉄錆に似た、鼻を突く血の香りさえ、君のものならばかくも芳しい。僕は今これ以上ないほどに君を体験している」



 五年前に幾度となく耳にした、歌劇のような彼の声、



「……」



 私は、彼が導き出した、絶望と言う答えを覆すことができなかった。



 彼を救えなかった――



 瞳からは、やはり涙が溢れ落ちた。



「ああ、ダメだよひめゆり! まだ逝ってはダメだ! 君は強い子じゃないか! こんなところで終わらせちゃダメだ! 僕の非道を許したままに、絶望の快楽に身を委ねてはダメだ!」



 彼が泣きながら私を抱きしめる。



「君の体はまだ温かい、君の体はまだ柔らかい! 血はこんなにも熱いじゃないか! なのにどうして心を冷やす? まだ希望はあるんだよ!」

「き、ぼ、う……?」



 レヴィが私の頬を手で撫でながら、必死になって泣いている。



「君にはまだ、希望が残されているんだよ! まだ諦めてはダメだ!」



 彼は私を左手で支えながら、右手に魔力を灯らせた。


 キラリと光る女神のコイン、



銀の散弾(ショットシェル)!」



 詠唱焼けした野太い声が響いた。



割り球(ブレイクショット)



 ――ギギギギッ、バッ……



 レヴィの放ったコインが、飛来するコインの散弾の一つを弾き飛ばし、衝突が連鎖となって銀の散弾(ショットシェル)を四散させた。



「……そろそろ来る頃だと思っていた、眠れる獅子」



 レヴィの視線の先に、大柄な体の人影が、両手を構えて立っていた。



「大結界の鳴動……やはりお前だったか、レヴィ」

「さ……ふぃ、あ……?」



 薄れ行く意識の中で、私は大きな体の人物を呼んだ。


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